「――アンドレイ・リトヴィンツェフ。ユーリャ・コチェンコヴァ。最期に耳かっぽじって良く聞きやがれ。他人様の人生踏み躙っておいて、楽に死ねると思うなよ。泣いて叫べ。全身全霊で命乞いしろ。その全てを捻り潰して、最低のフィナーレをくれてやる」
リカルドの冷徹極まる宣言が、今にも崩壊しそうなドーム内に響き渡る。
自らに迫り来る破滅までのカウントダウンなど度外視。復讐遂行のための機械と化した男は、ズタボロのダガーナイフをリトヴィンツェフの喉元へと当てがう。
「まずはリトヴィンツェフ、おたくから殺してやる。テメエの首が胴体とサヨナラするところをじっくり見届けやがれ。横島の苦しみの半分でも味わえよ。ユーリャ――テメエもだ」
リトヴィンツェフの傍らで、ぐったりと項垂れる銀髪の少女は、恨めしそうな目線をリカルドへと注ぐ。
「何だよ、その目は」
「……最初から、これが狙いだったのですか」
ユーリャの問いに、リカルドは、「俺は里見達とは違う」と答えた。「俺は英雄じゃない。英雄になれる器でもない。だから全員を納得させる結果は用意できない。だからせめて――死んでいった連中には報いたかった」
「くくく……」と、そこでリトヴィンツェフが愉悦を滲ませた笑みを洩らす。
「何がおかしい」リカルドは白人男性の方へと向き直り、刃溢れしたナイフの切先を皮膚へと沈み込ませる。リトヴィンツェフの首筋から血が伝う。
自身に刻まれた傷などお構いなしに、リトヴィンツェフは言葉を紡ぐ。「私の事を間近で見ていながら、出した答えがこれとはな。やはり人間とは余りにも愚かで滑稽な生き物だ」
「……どうとでも言えよ。俺にはもう――」
「――守る者などいない、か?」
「…………ッ」
言葉に詰まるリカルドを尻目に、リトヴィンツェフの口角が吊り上がる。この状況を打破する一手を見つけたとでも言わんばかりに。「お前が守り抜いた少女二人は、お前にとって取るに足らない存在なのか?」
「そんな訳あるか! 美梨ちゃんも里緒ちゃんも……命を賭けて守るに値する存在だった!」
「ではなぜ、お前は陽だまりの中に戻る事を選ばなかった?」
「それはッ……おたくらに復讐するため――」
「違うな」断言するかのような口調だった。「お前は逃げ出したんだ」と刺すような視線が向く。「これから負うべき責任から目を逸らし、最も楽な方向へ流れようとした。ただそれだけだ」
「……ッ! おたくに何が分かるってんだッ!?」
「全てさ」リトヴィンツェフは淡々と答える。「手に取るように分かる。私も同じ選択をしたからな」
「俺はおたくらとは違うッ!」
「違わない。同じだ。嫌になるほどな」
死を目前に控えた男の眼光が、蔦のようにリカルドの両脚に絡みつく。もがき抜ける事など叶わない。それは筋繊維を押し潰すかのごとく、徐々に力を増して肉体を締め上げていく。
「くだらない虚栄心に取り憑かれ、視野狭窄し、自らの周りに残った希望さえも見えなくなった。手を伸ばせば『救い』はすぐそばにあったにも関わらず、それをないものとして扱った」
「…………」
「だから同じなのさ。今のお前は、私が刻んだ轍の上を、何も考えずに歩もうとしている」
「それならッ……」リカルドは濁った胸中を絞り出すように、「それなら! 俺はどうすりゃ良いんだよ!?」と言い放っていた。「俺は結局、横島や里津ちゃんを助けられなかったッ! 二人の残したものを守り抜いたとしても、この事実は覆らない! もう俺は誰にも合わせる顔がないんだよ――ッ!」
「――生きれば良い」
「何だと……」
「自らの功罪と正面から向き合って生き続けろ」とリトヴィンツェフは言った。「死ねば人はそこで終わる。果たせなかった意思を継いで戦い続けられるのは生者の特権だ」
「果たせなかった……意思……」
白人の男は静かに首肯する。「傭兵。お前は死にゆく彼らに何を託された? お前が受け取ったものは、ここでお前が死んで霧散しても構わない程度のものだったのか?」
「それは……」
「この世界で、身寄りのない少女達を置き去りにして逝く事が、お前にとっての正義であると――胸を張って言えるのか?」
畳み掛けるような問いに、リカルドはすでに言葉を失っていた。
「それに」とリトヴィンツェフは口にして話題を転換する。「――あの少年はどうなる?」
「……質問するまでもねえだろ。里見は英雄だ。あいつは、きっとこれからも世界を救っていく」
「彼を助けたいという心は、紛れもない本心ではなかったのか?」全てを見透かされているようだった。「拳を握り、銃を携えて戦っていく彼の隣に、立っていなくて良いのか?」
「……それは」
「傭兵――いや、藤沢リカルド。お前は一つ勘違いをしている。お前がこの戦いに参加していなければ、勝利していたのは我々だった」
リトヴィンツェフの放った言葉に、リカルドの目が見開かれる。とっさにリトヴィンツェフと目を合わせると、真剣そのものといった彼の視線が刺し込まれた。
死の淵に全身を浸からせた男は続ける。「お前は本来、この物語の登場人物ではなかった。あの夜、洋上刑務所でユーリャに敗れ、何も残す事なく消え去る運命だった。だが、お前は何の因果かあの夜を生き延び、里見蓮太郎と邂逅を果たした。そうして、あの少年が私の元へ辿り着くための道を作った。誰にも見向きもされなかったエキストラが、自ら確固たる意思を掴み取り、定まっていたはずの物語の結末を書き換えたんだ」
「……冗談なら笑えねえぞ」
「冗談なものか。これはお前達に敗北した私の嘘偽らざる本音なのだから」そこまで告げると、リトヴィンツェフは満足したように口の端を歪める。「――すぐ近くに物資輸送用の連絡通路がある」
「……!」
端的に放たれた一言に、リカルドは驚愕の表情を浮かべた。
「ちょうど一台、キーが刺さったままのトラックがあったはずだ。通路は地上まで続いている。今から走れば、天秤宮がここを崩落させるまでに脱出できるかもしれない」
「何で……俺にそんな事を……」
リカルドの疑問に、リトヴィンツェフは傍らの相棒を見やる事で答えとした。最愛の少女との最期の時間を邪魔するな――つまりはそういう事なのだろう。
リカルドはダガーナイフを鞘に収めて立ち上がると、身を翻して歩き出した。「礼は言わねえぞ」とだけ吐き捨てて、円筒形容器に接続されたノートPCのモニターを見やる。豆粒ほどの大きさしかない一人の男が、バスターソードを振り下ろし、天秤宮を頭から真っ二つに両断する。
「伊熊さん……」
次の瞬間、ゾディアックの悍ましい断末魔がここまで伝播し、ビリビリとドーム内を震わせる。間髪容れず、直上から天変地異を思わせる轟音が響いた。天井に亀裂が入り、そこを起点にすぐさま崩壊が広がっていく。砕けたコンクリートの破片が雨のように降り注ぐ。
リカルドは意を決して走り出した。「――行け傭兵! 生きて責任を果たせ!」という激励の声が背中へ叩きつけられる。
リトヴィンツェフもユーリャも、二つの研究物も――その全てを置き去りにして、傭兵は駆け抜ける。
親友の忘れ形見に、守り抜くと誓った少女に、共に戦い抜いた少年に――もう一度生きて出会うために。