ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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「――アンドレイ・リトヴィンツェフ。ユーリャ・コチェンコヴァ。最期に耳かっぽじって良く聞きやがれ。他人様(ひとさま)の人生踏み躙(にじ)っておいて、楽に死ねると思うなよ。泣いて叫べ。全身全霊(ぜんしんぜんれい)で命乞(いのちご)いしろ。その全てを捻(ひね)り潰(つぶ)して、最低(最高)のフィナーレをくれてやる」

 リカルドの冷徹(れいてつ)極まる宣言が、今にも崩壊しそうなドーム内に響き渡る。

 自らに迫り来る破滅までのカウントダウンなど度外視。復讐遂行のための機械と化した男は、ズタボロのダガーナイフをリトヴィンツェフの喉元(のどもと)へと当てがう。

「まずはリトヴィンツェフ、おたくから殺してやる。テメエの首が胴体とサヨナラするところをじっくり見届けやがれ。横島(よこじま)の苦しみの半分でも味わえよ。ユーリャ――テメエもだ」

 リトヴィンツェフの傍(かたわ)らで、ぐったりと項垂(うなだ)れる銀髪の少女は、恨(うら)めしそうな目線をリカルドへと注ぐ。

「何だよ、その目は」

「……最初から、これが狙いだったのですか」

 ユーリャの問いに、リカルドは、「俺は里見(さとみ)達とは違う」と答えた。「俺は英雄じゃない。英雄になれる器でもない。だから全員を納得させる結果は用意できない。だからせめて――死んでいった連中には報いたかった」

「くくく……」と、そこでリトヴィンツェフが愉悦(ゆえつ)を滲(にじ)ませた笑みを洩(も)らす。

「何がおかしい」リカルドは白人男性の方へと向き直り、刃溢(はこぼ)れしたナイフの切先(きっさき)を皮膚へと沈み込ませる。リトヴィンツェフの首筋から血が伝う。

 自身に刻(きざ)まれた傷などお構いなしに、リトヴィンツェフは言葉を紡(つむ)ぐ。「私の事を間近で見ていながら、出した答えがこれとはな。やはり人間とは余りにも愚(おろ)かで滑稽(こっけい)な生き物だ」

「……どうとでも言えよ。俺にはもう――」

「――守る者などいない、か?」

「…………ッ」

 言葉に詰まるリカルドを尻目(しりめ)に、リトヴィンツェフの口角(こうかく)が吊(つ)り上がる。この状況を打破する一手を見つけたとでも言わんばかりに。「お前が守り抜いた少女二人は、お前にとって取るに足らない存在なのか?」

「そんな訳あるか! 美梨(みり)ちゃんも里緒(りお)ちゃんも……命を賭(か)けて守るに値(あたい)する存在だった!」

「ではなぜ、お前は陽(ひ)だまりの中に戻る事を選ばなかった?」

「それはッ……おたくらに復讐するため――」

「違うな」断言するかのような口調だった。「お前は逃げ出したんだ」と刺すような視線が向く。「これから負うべき責任から目を逸(そ)らし、最も楽な方向へ流れようとした。ただそれだけだ」

「……ッ! おたくに何が分かるってんだッ!?」

「全てさ」リトヴィンツェフは淡々(たんたん)と答える。「手に取るように分かる。私も同じ選択をしたからな」

「俺はおたくらとは違うッ!」

「違わない。同じだ。嫌になるほどな」

 死を目前に控(ひか)えた男の眼光が、蔦(つた)のようにリカルドの両脚に絡みつく。もがき抜ける事など叶わない。それは筋繊維を押し潰すかのごとく、徐々に力を増して肉体を締め上げていく。

「くだらない虚栄心(きょえいしん)に取り憑(つ)かれ、視野狭窄(しやきょうさく)し、自らの周りに残った希望さえも見えなくなった。手を伸ばせば『救い』はすぐそばにあったにも関わらず、それをないものとして扱った」

「…………」

「だから同じなのさ。今のお前は、私が刻んだ轍(わだち)の上を、何も考えずに歩もうとしている」

「それならッ……」リカルドは濁(にご)った胸中(きょうちゅう)を絞り出すように、「それなら! 俺はどうすりゃ良いんだよ!?」と言い放っていた。「俺は結局、横島(よこじま)や里津(りつ)ちゃんを助けられなかったッ! 二人の残したものを守り抜いたとしても、この事実は覆(くつがえ)らない! もう俺は誰にも合わせる顔がないんだよ――ッ!」

「――生きれば良い」

「何だと……」

「自らの功罪(こうざい)と正面から向き合って生き続けろ」とリトヴィンツェフは言った。「死ねば人はそこで終わる。果たせなかった意思を継いで戦い続けられるのは生者(せいじゃ)の特権だ」

「果たせなかった……意思……」

 白人の男は静かに首肯(しゅこう)する。「傭兵。お前は死にゆく彼らに何を託(たく)された? お前が受け取ったものは、ここでお前が死んで霧散(むさん)しても構わない程度のものだったのか?」

「それは……」

「この世界で、身寄(みよ)りのない少女達を置き去りにして逝(い)く事が、お前にとっての正義であると――胸を張って言えるのか?」

 畳(たた)み掛けるような問いに、リカルドはすでに言葉を失っていた。

「それに」とリトヴィンツェフは口にして話題を転換する。「――あ(・)の(・)少(・)年(・)は(・)ど(・)う(・)な(・)る(・)?」

「……質問するまでもねえだろ。里見は英雄だ。あいつは、きっとこれからも世界を救っていく」

「彼を助けたいという心は、紛れもない本心ではなかったのか?」全てを見透かされているようだった。「拳(こぶし)を握り、銃を携えて戦っていく彼の隣(となり)に、立っていなくて良いのか?」

「……それは」

「傭兵――いや、藤沢(どうざわ)リカルド。お前は一つ勘違いをしている。お(・)前(・)が(・)こ(・)の(・)戦(・)い(・)に(・)参(・)加(・)し(・)て(・)い(・)な(・)け(・)れ(・)ば(・)、勝(・)利(・)し(・)て(・)い(・)た(・)の(・)は(・)我(・)々(・)だ(・)っ(・)た(・)」

 リトヴィンツェフの放った言葉に、リカルドの目が見開かれる。とっさにリトヴィンツェフと目を合わせると、真剣そのものといった彼の視線が刺し込まれた。

 死の淵(ふち)に全身を浸(つ)からせた男は続ける。「お前は本来、この物語の登場人物ではなかった。あの夜、洋上刑務所(メガフロート)でユーリャに敗れ、何も残す事なく消え去る運命(さだめ)だった。だが、お前は何の因果(いんが)かあの夜を生き延び、里見蓮太郎と邂逅(かいこう)を果たした。そうして、あの少年が私の元へ辿り着くための道を作った。誰にも見向きもされなかったエキストラが、自ら確固(かっこ)たる意思を掴み取り、定(さだ)まっていたはずの物語の結末を書き換えたんだ」

「……冗談なら笑えねえぞ」

「冗談なものか。これはお(・)前(・)達(・)に(・)敗(・)北(・)し(・)た(・)私(・)の(・)嘘(・)偽(・)ら(・)ざ(・)る(・)本(・)音(・)な(・)の(・)だ(・)か(・)ら(・)」そこまで告げると、リトヴィンツェフは満足したように口の端を歪める。「――すぐ近くに物資輸送用の連絡通路がある」

「……!」

 端的に放たれた一言に、リカルドは驚愕の表情を浮かべた。

「ちょうど一台、キーが刺さったままのトラックがあったはずだ。通路は地上まで続いている。今から走れば、天秤宮(リブラ)がここを崩落させるまでに脱出できるかもしれない」

「何で……俺にそんな事を……」

 リカルドの疑問に、リトヴィンツェフは傍(かたわ)らの相棒を見やる事で答えとした。最愛の少女との最期の時間を邪魔するな――つまりはそういう事なのだろう。

 リカルドはダガーナイフを鞘(さや)に収めて立ち上がると、身を翻(ひるがえ)して歩き出した。「礼は言わねえぞ」とだけ吐き捨てて、円筒形容器に接続されたノートPCのモニターを見やる。豆粒ほどの大きさしかない一人の男が、バスターソードを振り下ろし、天秤宮(リブラ)を頭から真っ二つに両断する。

「伊熊(いくま)さん……」

 次の瞬間、ゾディアックの悍(おぞ)ましい断末魔がここまで伝播(でんぱ)し、ビリビリとドーム内を震わせる。間髪(かんはつ)容(い)れず、直上から天変地異を思わせる轟音が響いた。天井に亀裂が入り、そこを起点にすぐさま崩壊が広がっていく。砕けたコンクリートの破片が雨のように降り注ぐ。

 リカルドは意を決して走り出した。「――行け傭兵! 生きて責任を果たせ!」という激励(げきれい)の声が背中へ叩きつけられる。

 リトヴィンツェフもユーリャも、二つの研究物も――その全てを置き去りにして、傭兵は駆け抜ける。

 親友の忘れ形見に、守り抜くと誓った少女に、共に戦い抜いた少年に――もう一度生きて出会うために。

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