ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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「ヒヒヒッ。ずいぶんと手こずったようだね」頭上から嘲笑(ちょうしょう)混じりの声が投げかけられた。

 ネストは(わず)かに不機嫌さを(にじ)ませつつ、目線だけを声の出どころへと向ける。

 巨大樹から伸びた枝に腰掛け、長い脚を組む奇妙(きみょう)な出で立ちの男。一九〇を優に超える長身を、細い縦縞(たてじま)模様の入ったワインレッドの燕尾服(えんびふく)で覆い、頭にはシルクハット。相貌(そうぼう)は舞踏会用の仮面(マスケラ)で隠されており、その素顔を(うかがい)い知る事はできそうにない。

「……まさか最初に再会するのがお前になるとはな」とネストは溜息混じりに(こぼ)す。「特等席から優雅に観戦とは、良いご身分だな。――蛭子(ひるこ)影胤(かげたね)

「風の(うわさ)で君が生きている事は知っていたが、()()()()()()()()()()()()()()()。新しい両腕と両脚の調子はどうだね? ああいや、右腕は今なかったか」

「何の用だ」

 影胤を(にら)みつけるネストの体は、裂傷(れっしょう)打撲痕(だぼくこん)に塗れていた。白コートは血と砂埃で染め上げられ、右肩から伸びる(そで)はプラプラと風に揺れている。その下に本来あるべき腕は、どこにもなかった。

「勘繰り過ぎさ」と仮面の怪人は含み笑いと共に肩を(すく)める。「君個人に用があった訳じゃない。未踏査領域の果てに、知っている顔がいたから挨拶に伺っただけだよ」

 ネストは値踏みするように影胤に視線を送る。嘘は言っていないだろうと、ひとまずは納得する。

「それにしても、良かったのかね? 彼女を見逃して」

「構わない。上にモニターされているバイタルサインについては偽装済みだ。連中にとって、志籐(しとう)夏樹(なつき)はすでに死んだ駒でしかない」

「そうではない」影胤はすかさず否定した。「私は君について()いている」と、こちらを指差してくる。「任務に失敗した者には例外なく死を――。もちろん、その規律は君にも当てはまる」

「何が言いたい」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 影胤のその問いを合図に、場の空気が一気に張り詰める。

 ネストと仮面の怪人――二人の放つ絶対零度の視線が、否応なしに交錯(こうさく)し絡みつく。

「この場でお前を殺す」とネストは告げる。「それで話は収まる。違うか?」

「ヒヒッ。さすがは里見(さとみ)君の兄弟子といったところか」

 ()き出しの殺意を直接浴びせられているにも関わらず、影胤はどこか嬉しそうな様子だった。その言い知れぬ気味の悪さに、背筋がぞわりと粟立(あわだ)つ。

 ネストは影胤に悟られぬよう、静かに周囲を見渡す。今のところ、奴の蛭子小比奈(イニシエーター)の気配はない。影胤単独で未踏査領域に足を踏み入れているとは考えづらいため、どこかにはいるのだろうが、少なくとも現在は別行動のようだ。

 それであれば十分に勝機はある。

 ネストは呼吸を整え、腰を落としながら『百載無窮(ひゃくさいむきゅう)の構え』を取る。

 明確な臨戦体勢への移行――しかし、それを受けても、影胤は枝に腰掛けたまま微動(びどう)だにしなかった。

 こちらが口を開く前に、仮面の怪人は言う。「その血の気の多さは、しっかりと里見君にも受け継がれているようだね。今ここで君と踊るのも悪くはないが、さっきも言っただろう? 今日は君個人に用がある訳じゃない。拳を収めたまえ」

「…………」

「心配せずとも、君の不手際(ふてぎわ)五翔会(ごしょうかい)に告げ口なんてしないよ。(ちか)って私にそんな趣味はない」

 毒気を抜かれて、そのまま拳を下ろして構えも解く。意識だけはしばらく影胤を注視していたが、やはり彼が動く様子はなかった。

「ところで『腕』の代えはあるのかね?」と影胤が問う。

「問題ない。少しばかりの小言に耐えれば良いだけだ」

「バラニウムの義肢で戦場を駆ける天童流(てんどうりゅう)の使い手二人……フフ、楽しみが増えそうだ。それと――君の義手を(ねじ)り切ったあの男も」

 影胤が言っているのは、先の戦闘でネストと事を構えたリトヴィンツェフ一派の生き残りの事だろう。最初の発言で薄々は気づいていたが、やはり一部始終を見ていたらしい。

 するとネストの頭上で場違いな着信音が鳴る。どうやら影胤の携帯電話のようだ。彼は優雅な手つきで端末を取り出して、頭の横に(かざ)す。電話の相手は勘繰るまでもないだろう。

小比奈(こひな)からの連絡だ」と()いてもいないのに教えてくる。「これで私達がここに来た目的は果たせたのでね。この辺りでお暇させてもらうよ」

 影胤は立ち上がると、あとはネストには目もくれずに去っていった。枝から枝へ飛び移りながら、一瞬で森の奥へと消えていく。

 その姿を見送りながら、ネストは肺に滞留していた空気を吐き出す。

 森の天蓋(てんがい)の隙間から(のぞ)く朝日を(あお)ぎ、「……里見」と呟いた。「面倒なのに目をつけられたものだな。俺も、お前も――」

 

 

 この感覚には――覚えがある。

 まどろみの泥の中を(ただよ)志籐(しとう)夏樹(なつき)は、(おぼろ)げな意識の中で、そんな事を考えた。温かい背中の感触と、異性の(にお)い、揺りかごに収まっているかのように、ゆらゆらと心地良く揺れる自身の体。

「…………貞蔵(ていぞう)さん」

「――気がついたか」しかし聞こえてきたのは、記憶にあるのとは全く別の声だった。それを合図に夏樹の意識が一気に現実へと引き戻される。

 最初に視界に飛び込んできたのは、継麻(つぐま)とは似ても似つかぬ金髪、そして軍服だった。

 取り乱しそうになる夏樹を、声の主はこちらを見やる事もなく、しっかりと落ちぬように支える。

「……マーク・メイエルホリド」と夏樹は男の名を呼ぶ。「……あなたに私を()()()許可を出した覚えはないのですが」

「あの白髪(はくはつ)の男に仮死(かし)状態にされたお前を、ガストレアの()の真ん中に置いてきてやった方が良かったか」

「……気に入りませんね」

 徐々に思い出してきた。自分が意識を完全に途絶(とぜつ)されるまでに起きた事を。

 ネスト相手にあそこまで立ち回れた者を見たのは初めてだった。グリューネワルトの自信作だった巳継悠河(ダークストーカー)さえ手も足も出ずに敗北したネストに対し、マークは満身創痍の状態で最後まで食い下がり続けた。

 一瞬の攻防の中でマークはネストに組みつき、バラニウムの義手を肩口から()じ切る快挙(かいきょ)まで成し遂げた。だが、そこからの戦況は一方的で、ついにマークは地面へと叩き伏せられ惨敗(ざんぱい)(きっ)した。

 マークに覆い被さったネストが、彼に何かを耳打ちするとマークの四肢から力が抜け落ちた。微動だにしなくなったマークを捨て置いて、ネストがこちらへと近づいてきて――。

「…………」夏樹が覚えているのは、そこまでだった。「……私はネストに処分されたのではないですか」

「そうであるとも言えるし、そうでないとも言える」

「馬鹿にしているんですか」

「事実を伝えたまでだ」とマークは、ぶっきらぼうに言う。「お前達がネストと呼ぶ男は、お前の死を偽装するための策を打った。仮死状態にする薬をお前に打ち、心臓を一度完全に停止させる事で、モニターされているバイタルサインを(あざむ)いた。そこからの手際には感服(かんぷく)したな。お前の胸を開き、心臓付近に埋め込まれていたチップを速やかに摘出(てきしゅつ)した」

「……先ほどから胸が痛むのはそのせいですか」

「当然、使われたのはバラニウム製のメスだ。縫合(ほうごう)はしているが、傷はしばらく(ふさ)がらないだろう。無理な動きはしない事だ」

「……女の子の体見た事についての弁解は?」

「あいにくと里見(さとみ)蓮太郎(れんたろう)のような趣味はないのでな」

「はあ……もう良いです」夏樹は溜息(ためいき)混じりに言うと、視線を下に落とした。具体的にはマークの腰部分に結びつけられた、()()()()()()()()()()()()()()()()()。「それ、ネストの……」

「ああ。どさくさに紛れて拝借(はいしゃく)しておいた」

「何のために」

「いつかのお前のためだ」

「……馬鹿みたい」と夏樹は自身の右肩に目をやる。「そう簡単に失った四肢を(おぎな)えたら、誰も苦労しませんよ」

「そのための苦労は共にしてやる。いつかの未来に(わず)かな可能性があるならば、()ける価値は十分(じゅうぶん)にあるだろう」

「……何でですか」不意に疑問が口を突く。「私達は敵同士でしょう? あなた達の計画の邪魔をしようとした異分子です。ネストに処分される状況なんて、願ったり叶ったりのはず。なのに何で……ボロボロの体に(むち)を打ってまで……私なんかを……」

「――選んでみたくなったんだ」

「え?」

「かつての自分が選べなかった道を歩いてみたくなった。理由なんてその程度(ていど)のものだ。そして、おそらくはあの青年も……」

「何ですか、それ……」鼻の奥にツンとした痛みが突き刺さる。熱くなってくる目頭(めがしら)を隠すように、自らを背負う男の背中に顔を(うず)める。「勝手です。皆……あなたも、ネストも……――貞蔵(ていぞう)さんも……」

「否定はしないさ」とマークは天を(あお)ぐ。僅かばかりの沈黙(ちんもく)ののちに、彼は穏やかな声色で告げる。「俺達は立派な人間なんかじゃない。自分達の都合で、年端もいかぬ子供達を振り回し続けた。それについて、言い訳も、自己弁護もするつもりはない。犯した罪に対する報いを受ける覚悟も、とっくにできている」

 木々の隙間から差し込む朝の光が、二人の立つ場所を照らし出す。足許に落ちた二つの影は、森の奥まで伸び、やがて樹木の織り成す暗闇に寸断された。

「それでも……それまでは誰かをこの手で抱き締めるのを許してもらいたい。いつか全てを失う日が来るのだとしても――自分の手には確かな(ぬく)もりがあったのだと、そう信じて()ち果てたいんだ」

 その時だった。頭上で強い風が吹き込み、ガサガサと葉や枝を震わせた。一拍置いてから、それは地上を一息に駆け抜ける。

 肌を()でつけた風は、秋の訪れを予感させる冷たさをしていた。

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