ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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 東京エリアを囲うように(たたず)むモノリスが近づいてくる。

 縦に一. 六一八キロメートル、横に一キロメートルもの長大(ちょうだい)さを(ほこ)るバラニウム金属の壁。それが一定間隔で無数に屹立(きつりつ)し、人類最後の生存圏を成り立たせている。

 もう二度と戻る事は叶わぬと覚悟していた場所――自らの視界が今もなお、その光景を捉えている事実に、言いようのない非現実感があった。

 航空自衛隊(こうくうじえいたい)の武装ヘリに搭乗していた藤沢(どうざわ)リカルドは、朝日の下で輝くビル(ぐん)を見下ろしながら、むず(がゆ)さに体を揺する。「……はあ」

「――何だよその溜息(ためいき)は? 藤沢、もっと喜べよ。せっかく戻ってこれたんだぞ」操縦席から(いぶか)しむ声が投げかけられる。その声色はどこか馴れ馴れしく、リカルドに対する遠慮などほとんど感じられなかった。

 リカルドは口を()の字に引き結んで頭を抱える。

 何の偶然か、那須鉱山(なすこうざん)を脱出し、未踏査領域(みとうさりょういき)彷徨(さまよ)っていたリカルドを真っ先に見つけたのは、自衛隊時代からの顔馴染(かおなじ)みだった。

「何て言い訳しようか考えてたんだよ」とリカルドはムッとしながら言う。「一度は死ぬつもりで、あの場所に残った。自分(テメエ)の我を通すために皆を傷つけた。……今さらどんな顔して会えば良いってんだ」

「ははっ。心配しなくても、そんな小さい事気にしてんの、たぶんお前だけだよ」

「何だって?」

「藤沢、俺はお前が生きてるのを知れて嬉しかったよ」と操縦士の隊員は言った。「関東会戦(かんとうかいせん)のあと、自衛隊を辞めたお前がどうなったのか、ずっと気になってたんだよ。まさか()()()()と一緒に東京エリアを救っていたなんてな」

「……買い被り過ぎだっての」とリカルドは居心地悪そうに呟く。「俺はただ自分勝手な理由で銃を握っただけだ。そこに他人(ヒト)に誇れる目的は一つもねえ。本物の英雄には遠く及ばねえよ」

「そう思ってるのも、きっとお前だけだぜ」顔見知りの隊員は楽しそうに笑う。「少なくとも俺にとっては、お前は紛う事なき英雄だよ。あんたの凱旋(がいせん)を手伝えて光栄だ」

「言いやがる……」(あき)れたように頬杖(ほおづえ)を突き、再び窓の向こうに視線を落とす。そして思わず目を丸くした。「……!」

 操縦席から揶揄(からか)うような声が飛ぶ。「どうやら言い訳を考える時間はないみたいだな」

 ヘリが降下を始める。みるみる内に空が遠くなり、地上が近づいてくる。着陸場所は内地ではなく、モノリス外周近辺だ。

 リカルドは観念したように、大きく息を吐き出した。「全く……」と頭を乱暴に()く。「もう少し余韻(よいん)って奴を大切にしてもらいたいもんだぜ……」

「最後に好き勝手しようとした罰だと思っとけよ」

「うるせえ」

「ほら、行ってこい」

 隊員に促されるまま座席から立ち上がる。それと同時にヘリの固定脚(スキッド)が大地を捉えて着陸した。爆音に近かったローターの回転音が徐々に小さくなり、すぐに聞こえなくなる。

 意を決して搭乗口(とうじょうぐち)の扉を開ける。ひんやりとした風が(ほお)を叩き、リカルドの意識を否応(いやおう)なしに現実へと引き()り込む。

里緒(りお)ちゃん……里見(さとみ)……皆……」

 モノリスを背にして集まっている人影の輪郭(りんかく)が、少しずつはっきりとしてくる。

 共に最終決戦に臨んだ仲間達だけではない。天童(てんどう)木更(きさら)片桐(かたぎり)玉樹(たまき)弓月(ゆづき)、その横には室戸(むろと)(すみれ)司馬(しば)未織(みおり)。少し離れたところには、聖天子(せいてんし)天童(てんどう)菊之丞(きくのじょう)、警察の多田島(ただしま)警部に阿久津(あくつ)警視もいる。

「藤沢さん!」「リカルドッ!」

 蓮太郎と、美梨に肩を貸された里緒も歩み寄ってくる。彼らの表情に浮かんでいるのは、一様に溢れんばかりの歓喜であった。

 里緒の両目から(せき)を切ったように涙が流れる。脚に重傷を負っているにも関わらず、黒髪の少女は力強く地面を蹴ってリカルドの胸に飛び込んできた。小さな体を受け止めると、彼女の体温がゆっくりと皮膚に染み渡っていく。

「ごめん……里緒ちゃん」

「……絶対に……許さないからっ……」嗚咽(おえつ)と共に、少女は声を震わせる。「あたし達は……一蓮托生(いちれんたくしょう)なんでしょ……? だったら……リカルドが死ぬ時は、あたしも一緒に連れて行ってよッ……!」

「はは……そんな事したら、あの世で里津(りつ)ちゃんに八つ裂きにされちまうっての……」

 腕の中にあったのは、抱き締めれば簡単に折れてしまいそうなほどの手足――。こんなにも頼りないものに、自分は一生涯消えない傷を(きざ)もうとしていたのかと、今さらながらに後悔が押し寄せる。

 (すす)り泣く里緒を抱き留めたまま、美梨の方を見やる。

「美梨ちゃんにも悪い……横島(よこじま)(かたき)……討てなかった」

 ボブカットの少女はかぶりを振る。「秀貴(ひでき)さんは……きっと復讐なんて求めてないです。ただ……藤沢さんが生きていて良かったって……そう思っているはずですよ……」と目許に大粒の涙を浮かべながらも、精一杯の笑顔を形作った。

「そうかも……しれないな……」空を(あお)ぎ、この世の住人ではなくなってしまった友人に想いを()せる。横島秀貴が再びリカルドと邂逅(かいこう)する事があれば、何と言うだろうか。何となく、美梨の言った事をそのまま叩きつけられるような気がした。

「――藤沢(どうざわ)さん」

 少年の真っ直ぐな呼びかけに、リカルドは上空に向けていた視線を戻す。

 黒衣の少年の相貌(そうぼう)には、安心し切ったような穏やかな色が灯されていた。

「里見……」

「これ、返すよ」と蓮太郎(れんたろう)は右手に持った何かを差し出してきた。それはスライド部分に桜の刻印が入った拳銃――見間違えようもなく、リカルドの九ミリ拳銃だった。

 リカルドは、しばしの逡巡(しゅんじゅん)ののちに、九ミリ拳銃を受け取った。

 共に戦場を駆け抜け続けてきたもう一人の相棒。自衛隊を脱隊する際に、少しばかりの小細工を(ろう)して、返却する事なく連れてきた、まさに体の一部。自分の血と汗が染みつき、僅かに表面が変形した銃把(グリップ)は、どこまでも手に馴染(なじ)む――。

「――ありがとうな、里見」無意識に口許が(ほころ)んでいた。「俺と一緒に戦ってくれて――」

「それは俺の台詞だよ、藤沢さん」と少年は首を横に振る。「アンタが隣にいたから、俺は折れずに戦えたんだ。藤沢さんは間違いなく、俺にとってのヒーローだ」

「はははっ……。だから皆、買い被り過ぎなんだよ」そう言いながらも、リカルドの表情は隠し切れぬ喜びに満ち溢れていた。それを揶揄(やゆ)する者など、この場には誰一人としていなかった。

「藤沢さん――アンタを待っている間、ずっと言おうと考えてた事があるんだ」と黒衣の少年はおもむろに切り出した。

 何の事かと首を(かし)げる傭兵に、少年は曇りなき瞳を向けながら続きを(つむ)ぐ。

「俺は、これからもアンタと共に戦いたい。だから――里緒(その子)も連れて、俺達と一緒に天童(てんどう)民間警備会社で働かないか?」

 

 

 東京と仙台だけでなく、いくつもの勢力を巻き込んだ戦いは幾人(いくにん)かの犠牲と共に幕を閉じた。

 事件の発端(ほったん)となった研究物も、憎しみを増幅(ぞうふく)させた黒幕も、それに乗じて利益を(かす)め取ろうとした者も、人間の思惑に振り回され続けた(あわ)れな怪物も、(おのれ)の命と引き換えに怪物を討ち倒した名もなき英雄も、その全てを底のない深淵(しんえん)の下へ飲み込んで――。

 長かった晩夏(ばんか)が、静かに終わりを告げる。

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