ウッズの北のあたりにある小規模な村の住宅から拾ってきた、半年前に賞味期限の切れた小麦粉を開封する。
開いてないから大丈夫だ。虫も入れねぇ。入っててもどうせ焼くから、むしろタンパク質として摂取する。
水と塩と小麦粉を混ぜて皿の中で捏ねる。適度に粘土状になったものを一口サイズにちぎって、熱した鉄フライパンに多めの油を敷いて揚げ焼きにしていく。熱源は暖炉代わりのドラム缶ストーブなので対して強くない。むしろこれくらいの中弱火で焼き目をつけた方がそれっぽくなる。
両面を焼いたら一度鍋に放り込み、パックのミルクと塩、胡椒を入れて煮込む。あぁ、たしか一週間くらい前に拾った香辛料があったか…………? どこにしまったか。
食料庫の箱を三つほど探って、アルミパックの中から目的のものが見つかった。
乾燥した細い木のようなもの。これだ。シナモン。たぶん合うだろ知らんけど。
半分に折ってミルク鍋の中に浮かばせて、これをドラム缶の上に置く。じっくり、ゆっくり温めて香りを出していく。時間はかかるだろう。本でも読むか。
「…………いや」
それより、この娘が俺の家で何をしようとしていたのかが気になった。まだ調べていなかった。むしろ何よりも早く調べるべきだったろう。
左足を撃ち抜いた場所へ振り返る。MP5Kはたしか俺のものだ。と言うことは武器庫から引っ張り出したが使い方がわからず近くに放り投げていたのか。
座って何をしていたんだ?
調理場から離れて、まだ血痕の残る最初の場所をじっくりと観察する。先に銃はトカレフもMP5Kも回収したが、少女が仕切りに左手で持ち上げていたものはまだなにか見ていなかった。
地面には俺が捨てたり前の所有者が捨てたゴミが所々散乱している。正直よく見たところで何をもって何をしていたのかはもはやわからないが、何か…………あるか?
「チョコバーの袋、は前からあったな。あとは包帯と、お、食いかけのクラッカーか」
包帯には血がついている。クラッカーはアルミの袋を食いちぎって中身を食べようとした跡があった。一口食べたところで俺とコンタクトしたのだろう。包帯はほぐれて、先端だけ血がついている。
あくまで推測だが、右手の出血をなんとかしようとして他人の治療を見よう見まねでやった。結果包帯でちぎれた指の根本を抑えたが一向に血は止まらず、諦めて最後の晩餐にしたってところか?
廃屋の壁紙と同じ味がするこんなクラッカーが人生最後の飯だとしたら、死んでも死に切れないな。
食いかけのクラッカーを袋から出して、噛みちぎった部分は捨てて残りの部分を皿に出す。ひどい味だがソースにつければいくらか食える。最期の晩餐の続きを用意してやろう。最期ではないが。
クラッカーを皿に置いたところで、ちょうどよく部屋の隅の方で呻き声がした。起きたか。とりあえず様子を見てやるか。
近付きつつ覗き込む。色素の薄い、長いまつ毛を小刻みに震わせながら一度顔を顰めたあと、少女はゆっくりと瞼を開けた。
焦点があっていない。裸電球のぶら下がるカビの生えた天井をぼーっと数秒眺めてから、徐々に意識が瞳に宿っていった。
そして、虚だった目が見開かれ、俺の方を見た。びくりと体が跳ねた跡、包帯でぐるぐる巻きの右手を地面について起きあがろうとする。同時に押し殺した呻き声。何やってんだ傷が開くぞ。
「寝とけ。大丈夫だ殺さない。大人しくしてろ」
上半身にかけた俺のシャツがずり落ちて胸部が顕になる。俺は構わず少女の肩を多少強引に押さえつけて、なおも起きあがろうとするのを仰向けに寝かせる。
数秒、逃げようとしたのか抵抗しようとしたのかはわからないが、抗うように全身に力を入れていたようだが、首を横にふる俺の目を見て、何かを理解したのかゆっくりと肩の力を抜いた。俺はずり落ちたシャツを胸に被せた。
少女は、不安と不信、困惑の色を隠しもせず眉を八の字にして俺の方をじっと見ている。状況が理解できていない、と表現するのが正解だろう。
ここが人の家だということは理解しているだろう。たぶん。
そして俺がここの家主で、自分が侵入者であり、殺されてもおかしくない状況だったということも、今は両手と左足を手当てされて、寝かされていることも────いやわからんか? 飲み込めるか? 言葉が通じればすぐにわかるだろうが、いかんせんこっちの言うこともこいつの言うことも理解できない。
これは無理だろう。逆に俺だったら訳がわからないし隙を見て殺しにかかる。殺した方が確実に安全を担保できるからな。できるかどうかは別の問題だ。
少女は眉根を寄せながら右手を持ち上げて、治療済みの肘先をまじまじと見つめた。下ろして次は左手。
起き上がってたぶん左足を見ようとしたので、
「寝てろ」
一言添えて肩を押し戻した。少女が頷いた。お? 意思の疎通ができるか。
今は寝ていろと言う言葉の意味がどうも通じているようだ。ほとんど抵抗なく再び背中を地面に預けて、少女は俺を見つめ始めた。
そこで気がついた。
こいつ、瞳の色が珍しい。紫と赤の中間のような色をしている。珍しい色だ。世界中のどの辺りの人間なのか、あるいはもしかしたら何かの病気か。不覚にも魅入ってしまうような美しさを感じた。
まぁいい。瞳がキレイでも他は薄汚い貧弱な存在だ。金になるものでもない。今はただただ、物珍しさだけで世話をしてやる。
ドラム缶ストーブのミルク鍋の様子を見る。沸騰させては台無しだ。枝を削って作り出した長めのスプーンでかき混ぜる。薄く湯気が立つ。だいぶ温まってきた。あと3分ほどで完成か。
言葉は通じないが、かといって話しかけなければいつまでも覚える機会を得られないだろう。とりあえず伝わらなくてもいいから声をかけてやるか。
俺は振り返って、
「もうじき飯ができる。食わしてやるから腹を空かせておけ」
特に考えなく言葉を投げておいた。
焦げないようにミルク鍋をかき混ぜながら、とは言ってもどうやって食わせるか思案した。
自力で起き上がることはできるだろう。抵抗のそぶりを見せたくらいだ。それはいい。ただ背もたれも無しじゃ落ち着いて食えないもんだ。デカめのバックでも後ろに置いてやるか。
そうしよう。
ちょうどよくミルク鍋も煮えてきた。
近所で拾ってきたアルミ製の取手付き弁当箱に一人分を移す。俺は鍋のままでいい。
2本目の木製スプーンをアルミ弁当箱にそえて、右手に鍋、左手に弁当箱で持っていく。
湯気を上げる、シナモンの効いたうまそうな匂いのミルクスープに気がついた途端、仰向けに横たわっていた娘の目がキラキラと見開かれた。どうやら言いつけ通り腹を空かせていたらしい。
弁当箱を下に置き、俺は空いた左手で近くの丸椅子とパイプ椅子を手繰り寄せた。丸椅子の上に鍋を置いて、安定していることを確かめてからデカめのバックパックを取りにいく。
あぁ、これでいい。あの娘の背中よりでかい。十分だ。
無造作に運んで、少女の頭の近くに置く。それから、
「起きろ」
首の後ろに手を添えて起きるよう促す。意味がわかったのかわかってないのか、とりあえず腹に力を入れて半分自力で起き上がった。背中にバックを立てかけてやる。背もたれにはなったようだ。
起き上がったことで上半身にかけていたシャツが再びずり落ちた。
「…………ん?」
と、少女が伏し目がちに沈黙したまま、包帯だらけの両手で胸を隠した。
あぁ、そうか。
こんな離着陸場みたいな体でも羞恥心はあるんだな。これは失礼した。めんどくせぇな。
俺は思わず漏れたため息に後悔することもなく、心底めんどくさいがこのまましおらしい態度を取られ続けるといずれ殺してしまうので、上半身にかけていた俺のシャツを着せることにした。
明らかなオーバーサイズ。それも長袖なので両手はあまりに余るが、まぁしばらくはどうせ使えない腕だ。関係ないだろう。
頭から通して、袖を通させて、腰の位置までシャツを下ろしてやる。
臍から下を押さえようとしていたが知ったことではない。こいつのサイズに合う下着なんぞここにはない。あとでタオルでも巻いときゃいいだろう。
それよりスープが冷める。その方が問題だ。
弁当箱のミルクスープを目の前に差し出してから、そこで気がついた。くそ。これ俺が口まで運ばないとこいつ食えないのか。
右手も左手も指は左右合わせて3本しか残っていない。今はその指ごと包帯でぐるぐる巻きなので、まぁそりゃ自力で食うのは無理だ。確かにな。
仕方ない。めんどくさいが食わせるしかない。今度からは銃本体をしっかり狙って撃つようにしよう。
あるいはもうめんどくさいので頭を撃つ。
「ほら。食え。熱いから気をつけろ」
手製のスプーンは俺が使いやすいように作ってあるから少しでかい。この娘の口には一口では入らない。スプーンの三分の一くらいのスープを掬って口元に持っていってやる。
少女は二、三回息を吹きかけて冷ましてから、ゆっくりと口をつけた。
こくり、と音を立てて飲み込む。
「〜〜〜…………」
スプーンを見て、それから俺の顔を見て、ほのかに笑みを浮かべながらそう呟いた。何を言っているのかはわからない。アリア、フォニ何ちゃらと聞こえる。何語なんだ一体?
だが文句を言っているわけでないのは明らかだ。言葉はどこの国でもコミュニケーション上三割くらいしか意味をなさないそうだし、あとの七割はボディランゲージ、つまり表情や身振り手振りで相手に伝わる。
言ってしまえば言語なんてのは、嬉しいか悲しいか怒っているか喜んでいるかの四択しかない。クソめんどくさくこねくり回した詩人の言葉でも楽しまない限りは、そこまで必死になるようなものではない。
まぁ…………いやそれは極論だが、今この三口目を相も変わらず幸せそうに啜っている娘を前に、言語の壁というのは大変薄く感じる。
壁が厚くかつそれが俺の生命に支障をきたすなら
何がなんでもこの人間を生かしておく必要はない。
五口食わせてから一旦弁当箱を置く。俺も飯だ。腹が減った。
手早く鍋の半分ほどを食ってから、再び弁当箱の中身を娘に食わせる。俺が俺の飯を食っている間、こいつ自分の分の弁当箱から目を離さなかったな。なんなら口の端から涎が垂れていた。大丈夫かこいつ。
俺が鍋の飯を食い終わる時間の倍を費やして弁当箱のスープを完食した。クラッカーも平らげた。缶詰のミートペーストをつけてやったら、目に涙を浮かべて次々と食いやがった。そんなにうまいかこれ?
しかしまぁ、両腕を使えなくしたのは完全にミスだ。手間がかかってしょうがない。とっとと治ってくれることを祈る。
それからペットボトルの水を飲ませて、俺は娘の傍で丸椅子に座ってタバコに火をつけた。
子供の前? 知ったことか。そんなことを気にするご時世じゃない。
それより、可及的速やかに解決したい謎がある。
名前だ。これがわからなきゃ文字通り話にならない。言わせるか付けるかしなければならない。