ニーナが俺のハイドアウトに侵入してきた日から三日が経った。
両手の負傷のうち右手は指が生えそろい、若干の麻痺が残る程度。左手はまだ中指と親指が足りない。
毎日包帯を外してサレワの中身で消毒と栄養剤の注射と再び包帯を巻いているだけなのだが、それだけで指は元通りになっていく。これがこの街の不思議なところであり、助かっているところでもある。
ニーナも自分の腕の包帯を外して傷口を見るたびに「らゔれふ……」と俺の名前を不安げにつぶやく。ことあるごとに名前を呼ぶのでもうなんかそういう鳴き声の動物のように思えてくる。
この傷の治り方はどこか現実離れしている。当然だが普通じゃない。それはわかっている。
もしかしたら本当に、俺が見ているこの世界はただの作り物で、あるいは夢や走馬灯で、現実の俺はとっくに死んでいるのかもしれない。いかんせん確かめる術もない。
医療品を使って治療をすれば吹っ飛んだ指も穴の空いた足も元通りになる。
目の前で起きているこの事が俺にとって唯一の現実だ。外とか夢とかそういうことはもはやどうでもいい。興味もない。
ニーナの左足はすっかり良くなった。まぁ弾二発分で風通しをよくしていただけだ。翌日には穴が塞がり、二日目には歩けるようになっていた。
足が治って移動出来るようになり、ギリギリ右手も動くようになったニーナには、ハイドアウトでの作業を手伝わせることにした。
リハビリも兼ねてはいるが、それよりもまず「働きもしない奴に食わせる飯はない」ということを叩き込む。
街の中心街には俺の代わりに
自分で考えて自分で銃を持ち、自分で物を拾ってくるそいつらに比べればニーナの使い勝手はずいぶん劣るが、仕方ない。俺の外出中にバックを解体して布を作れるようになったら端金にはなる。端金も集めれば小遣いだ。
何より飯代だけで使えるのは破格だろう。教育費と差し引いても案外利益になるかもしれん。
そう思いつつ、そうなればいいぞという淡い期待を込めてまずはガスアナライザーとDVDデッキを解体して中の基盤を取り出す作業を命じた。右手でドライバーを操り、左手はまだ満足に機能しない分ただただ抑えとして使わせる。
ガスアナライザーは比較的問題なく解体できそうだが、DVDデッキの方は苦戦していた。工程が多いのと、どうしても両手を捻じ込んで引き剥がす場所があるようだ。仕方ない。ガスアナライザーのみを解体させる。
同時進行というとおかしな話だが、ひとまず身の回りの名詞だけでも覚えたら意思疎通の質も変わるだろうと思い適宜教えている。
「飯」
「めし」
「スプーン」
「すぷーん」
「ナイフ」
「ないふ」
「布」
「ぬふぉ」
「布」
「ぬ……ぬの」
「ガスアナライザー」
「かすあららささ」
「めちゃくちゃじゃないか」
「……? 〜〜〜〜〜」
「あぁわかったゆっくり行こう。ガス」
「……がす」
「アナライザー」
「あなら…………あならいざー」
「いいぞ。ガスアナライザー」
「がすあららいざぁー」
「惜しい」
先は長い。どの発音で躓いているのかも正直よくわからない。教師ならわかるのかもしれないが、あいにく俺は勉強は苦手だ。教師という生き物もあまり好きじゃない。好きじゃないものに成りきることはできない。
しかしニーナは俺の指示をよく理解している。俺が何を言っているのかはわかっていないが言われていることはわかっている。右手はまだ完全ではないが、それでも元々器用なのか、二時間ほど作業した段階から俺が手伝わなくても一人で解体に成功している。
嬉しそうにPCB基盤を俺に見せながら「らゔれふ、らゔれふ」とにんまり笑っているのを見るのは悪くない気分だった。
三日目の夕方に差し掛かり、晩飯を作っている時にニーナが俺のところへ寄ってきた。今日の分の作業はとっくに終了して休息を言い渡している。自由時間だ。自分の寝床に寝てもいいし、筋トレなりなんなりすればいいと伝えている。理解はしていないだろう。
実際手持ち無沙汰に俺の背後で俺の調理風景を座って見ていたが、不意に立ち上がって俺のシャツの裾を右手で摘んだ。なんだ?
「どうした。まだできてないぞ」
「らゔれふ」
「俺の名前だけじゃわからん。飯か? 腹が減ったか?」
「はら、めし」
言った後、ニーナは首を横に振った。つまり腹が減ったとか飯が早く食いたいという意味ではないらしい。
「何が言いたい?」
ニーナは自分が着ている服を右手の人差し指と親指で摘んだ。俺の目をまっすぐに見る。どこか物欲しそうな、困ったように眉を八の字にして「らゔれふ……」と小さく呟いた。
そして頬を赤くしながら俯き、自分の下半身を指差す。大きめのバスタオルをパレオのように巻かせているが、当然サイズの合う下着などここにはないので直巻きである。
「…………服か?」
「ふ……ふぉ……ふ、く……? ふぉく、へった」
「服が〝いる〟だな?」
「いる。らゔれふ、いる…………〜〜〜〜〜〜、〜〜〜〜。……〜〜〜」
何度もこくこくと頷き、顔を真っ赤にしながら俯いてぶつぶつと自国語を呟き始めた。
そうか。やはり必要か。もう少し後でも案外いけるかと思ったが年頃の娘というのは厄介だな。男ならタオル一枚でも暖かければ問題ないんだがそういう話でもないか。
「わかった。どうするか本格的に考えるが、まずは飯だ。用意するぞ」
「めし、はら、いる。ふく、いる」
「わかったわかった」
「わか……わかた…………?」
ニーナはうなづき、テーブルの上を片付け始めた。晩飯にしよう。
しかしそうなると困った。女物の下着や肌着、それもまともなものが手に入るのはこの街じゃ中心街かインターチェンジのショッピングモールだろう。どちらも気合を入れて行かなければならない。
中心街に戻るならいっそ拠点を
ニーナをこのハイドアウトに置いていくなら実家へ帰っても意味がないということ。
もう一つは、だとしたら連れていくことになるが明らかにお荷物だということ。
銃も撃てない。筋力もない。体力も望めない。多少器用さはあってもそれではこの場所から激戦区のストタルを抜けて実家へ逃げ隠れる保証はできない。俺は生き残るがニーナは死ぬだろう。
どうするか。
…………どうするか、か。
ここしばらく、ここ数ヶ月は自分の利益のために〝どうするか〟と悩んでいた事がほとんどだったはずだがな。
めんどくさければその問題の元凶を断つ。人間なら殺すし、環境なら変えるし、物なら壊す。そういう生き方に慣れた体には、他人のために動こうとするこの悩みは随分と新鮮な空気だった。
三日間ニーナと過ごして俺の中の何かが変わったのだろうか。相変わらずめんどくさいし、どこかのラインを超えたら右のホルスターに収まっている9mmが音を立ててニーナを処理するんだが、それはもうなんだか色褪せた選択肢に思える。現実的でない、とでもいうか。
まぁいい。とりあえず晩飯だ。今日はまだ動かない。明日の早朝に出よう。それまでに方針を決める。
悩み事でこのトマト缶スープが冷めるのは重大な損失だろう。
「火傷に気をつけろよ」
「やけ…………やけ?」
「火傷。熱い」
スープを指差し、スプーンを唇に当てて火傷をするふりをする。ニーナはハッと気がついたように目を見開いてから頷き、フーフーとスプーンの中身に息を吹きかけた。
相変わらずニーナの口に対して俺のスプーンではデカすぎる。三分の一ほどの掬い方で口に運び、咀嚼して、口の端からトマトを細く垂らしながら斜め上を見て焦点のあってない目で「〜〜〜〜〜」と自国語を呟いている。こんな終わった街の粗末な調味料で作った飯が、口に合うようで何よりだ。こぼすな。
ニーナの服を調達がてら、ついでにスプーンも拾ってやるか。
あるいは────作ってやるかな。