ざあざあと薄暗い部屋で雨音が少年の耳朶を打つ。
蒸し暑さからか冷房で冷やされた部屋の唯一の光源であるテレビもざあざあと砂嵐が舞い、長く見続けると気分が悪くなりそうだ。
ぷつり、と番組が変わり液晶が色彩を映す。
『······次の────です。
本日、──つにじゅ──の午後6時頃、葉継(はつぎ)市九栗(くくり)町で、女性が────事件が発生しました。
被害女性は近所に住む玖條花御(かおん)さんで──から────しているところを、通り掛かった──の通報により病院に──されました。
────によると、容疑者は赤い雨合羽を着た──とのことで、警察はより詳しい情報────いま』
ブツリ。と液晶が黒を映し、部屋に響くのはまた雨音だけとなった。
「────ただいまー!」
玄関から聞き慣れた旦那の声が私がいる台所まで響く。
振り返ると奥の部屋からとてとてと息子が玄関に駆けて行くのが見えた。
「おかえり、りゅーくん」
私が玄関に顔を出す頃には、抱っこをねだった息子を抱えて笑みを浮かべる旦那という、いつもの光景が展開されていた。
「ただいまハナちゃん。──相変わらずケントは元気いっぱいだな」
「さっきまで外で遊ばせてたとは思えないよね〜。──さて、りゅーくん。今日は記念日です。なんの記念日でしょう?」
私はいつものように彼に問う。
「今日か。今日は僕が君にプロポーズした日だな」
「覚えてたか〜······うひひ、嬉しいな」
「だからケーキも買ってきてある」
りゅーくんは左手に下げたビニール袋を持ち上げてこちらに示し、それを見たケントが目を輝かしている。
「このくらいは流石に覚えてるよ。それよりもケントの前で『うひひ』はやめなさい。その癖が伝染ると困るから」
はーい。と返事をして、りゅーくんの荷物とケーキを受け取る。
荷物とは言っても頑丈なビジネスバッグに空のお弁当箱と財布、折りたたみ傘、ハンカチ、ティッシュが入っているだけで、重さを感じるものは精々傘くらいだから軽々なのです。
「······今日の夕飯はどんなのだい?」
「──あ! 火掛けっぱだ」
バタバタと駆け足で台所に戻り、火を止めて鍋蓋を取る。
「······セーフかなぁ? セーフだよね」
鍋に入っているのはハチミツほどのトロミがついたカレー。鍋の性能と弱火でやっていたのが功を奏したみたいで、底に焦げ付いている感じは無い。
「セーフだね、よかった〜。······じゃありゅーくんはケントと一緒に手洗いうがいしてきて。盛り付けとくから」
ケーキを冷蔵庫にしまいながら私がそう言うと、りゅーくんはわかったと答え、ケントの手を引いて洗面所へ向かっていった。
「さて、ケーキもあるし、適度に盛っていきましょー」
「──で、少しだけ残るのも嫌だからと盛っていって各皿溢れる一歩手前······と」
「私もキミも結構食べるから、ついやっちゃったぜ。······そんなことより、冷めないうちに早く食べよ?」
そうだな。りゅーくんが短く返す。──どうやら誤魔化されてくれるみたいだ。
それから黙々と、違和感を覚えるほどに静かに。もぐもぐとカレーを食べる際にたまに鳴る食器の音だけが部屋を木霊する。野菜類は細かく、お肉だけゴロゴロと大きめに切って最初から多めに入れてあるため、しっかりと火が通っていて歯ごたえもある。少なくともりゅーくんと私はこれくらいの形のお肉が好きだ。······ケントには少し大きいかもしれないが黙々と食べているあたり問題ないんだろう。
食べ終えたりゅーくんが静かに手を合わせた。
「······ごちそうさま。洗い物は僕がやっておくから、食べ終わったら持ってきて」
「わかった。じゃあ食器洗ってもらう間にケントとお風呂に行ってるね」
ほぼ同時にカレーを食べ終えたケントを抱えるようにしてお風呂に入る。当然ではあるが湯船に浸かる前に全身を洗い終えてから浸かっている。あとに入るりゅーくんへの最低限の配慮だ。
いつもなら外から車やバイクの音が聞こえるのだが、今日は深夜のようになんの音もしない。静かな分には落ち着くのでむしろ助かるけどね。
「──ん〜、やっぱりお風呂は落ち着くねぇ〜。······ケントはどう思う〜?」
ん。とウトウトしながらも肯くケント。この子は基本的にぽーっとしていて無口なので返答は大体こんな感じだ。
······とはいえ、このようにぽーっとしている男の子は学校に入るとイジメを受けやすいとも聞くので、はっきり言葉で意志を伝えられるように育てるべきだったのかとも思う。小学校に慣れた頃に武道でも習わせようか。なんて思いながらぷかぷかしていると、なんだか私もウトウトしてきた。
「ん······私も眠くなっちゃったし、お風呂上がっておふとん行こうか〜」
ほとんど眠りに落ちているケントを抱えて脱衣所に出て、りゅーくんの手も借りながら寝支度を整える。
「ごめんねりゅーくん。せっかくケーキ買ってきてくれたのに······」
「眠気には勝てないものだから、気にしなくていいよ。······今日買ってきたケーキだから大丈夫。明日のおやつに皆で食べようか」
「······そう······だね〜······きゅう〜」
深い微睡に沈みゆく意識の端で、一瞬だけ。りゅーくんの口元がわずかに歪んだ気がした。