少女は、謎の生徒を背負ったまま廃墟区画を脱出すると、その足で駄菓子屋へと向かった。
「これは……何かあるとは思っていたけど、まさかこんな拾い物をしてくるとはねぇ。」
「おばあさん。この人は大丈夫でしょうか?」
「あぁ、心配しなさんな。確かに傷は多いけど、キヴォトスの子はこれくらいじゃ死にゃしないよ。それに、お嬢ちゃんの応急手当も的確だったからねぇ。じきに目を覚ますさ。」
「はい。それなら良かったです。」
少女が駄菓子屋に戻ってくるなり、おばあさんは背負われている生徒の姿に気づき、慌てて奥のベッドへと案内した。
そして、少女と一緒に生徒を寝かせると、すぐさま傷の具合を確かめ始めた。
実際、彼女の体には数多くの傷があり、適切な処置を施さなければどうなっていたか分からない状態だった。
最悪の場合、ヘイローにまで影響が及んでいた可能性すらある。
しかし、少女が施した応急処置は、まるで熟練の医者を思わせるほど的確なものだった。
おかげで、彼女の容態は見た目ほど悪くはなく、今のところ命に別状はなさそうだった。
(……確かこの前、何かあった時のためにって、医療関係の本を読ませたけど……。まさか、あれだけでここまでできるようになるとは……いや、まさかねぇ。きっと、たまたま運が良かったんだろう。)
おばあさんは少女の手際に少しばかり驚きながらも、深く考えないことにした。
「さぁ、あんたも色々あって疲れただろう。今日はうちに泊まっていきなさい。」
「……はい。分かりました。今日はもう休むとします。」
少女は、心配そうにベッドで眠る生徒の顔を見つめた後、おばあさんの厚意に甘えることにした。
その日、少女は眠っている生徒から離れようとはせず、夜になって自分が眠る時も、ずっとその傍に居続けた。
……そして翌朝。
少女が目を覚ますと、まず最初に隣のベッドで眠っている生徒の様子を確認した。
何か変わったことはないかと、顔を覗き込んでみる。
すると―――。
「……ん、ううん……。」
「っ!? おばあさん!おばあさん!早く来てください!」
(ドタドタドタ!!)
「はいはい。どうしたんだい、そんなに慌てて。」
「あの子の意識が戻りそうなんです!」
「おや、本当かい?思ったよりも早かったねぇ。まぁ、何はともあれ良かったさね。どれ、様子を見に行こうかね。」
少女はおばあさんと一緒に、生徒が眠っているベッドの傍へと移動した。
「ううん……こ、ここは……?」
「あっ!気がつきました!ぱんぱかぱーん!救護クエスト成功です!気分はいかがですか?状態異常やデバフは残っていませんか?」
「えっ……?な、何ですか……?」
「こらこら……。起きたばかりで混乱させるもんじゃないよ。それより、体の具合はどうだい?」
「あ、はい。えっと……よいしょっ……っ痛!!」
「無理をするんじゃないよ。手当てをしたとはいえ、相当な怪我だったんだからねぇ。」
「はい。今は無理せず休んでください。しっかり休まないと、体力ゲージは回復しませんよ。」
少女は、痛みに顔をしかめながらベッドから起き上がろうとした生徒を、優しく押し戻した。
「……ありがとうございます。なんだか、今は頭の中がぐちゃぐちゃで……何が何だか分からなくて……。」
「気にしないでください。正体不明の少女を助けるのは、冒険では当たり前のことです。」
「あぁ……お嬢ちゃんの言うとおりさね。助けてもらったんだから、こんな時に変な遠慮なんてするもんじゃないよ。」
「ふえぇ……本当にありがとうございます……。」
二人の言葉に、女子生徒は今にも泣き出してしまいそうな表情を浮かべる。
それでも、今は素直に二人の厚意に甘えることにした。
「さて、少し落ち着いたところで聞きたいんだけどねぇ。あんたさん、自分に何があったか覚えているかい?」
「えっと……それが…………。」
女子生徒は何かを思い出そうとするように、目を閉じて考え込む。
しかし、いくら考えても何も思い出せない。
「……何も、思い出せなくて…………。」
「それは、怪我をした原因のことかい?」
「いえ……本当に、何も…………。自分の名前も、どこにいたのかも、何も分からないんです…………。」
そう言うと、女子生徒は目に涙を滲ませ、俯いてしまった。
自分が何者なのか分からない。
どこから来たのかも、どうしてあんな場所にいたのかも分からない。
何も分からないという恐怖からか、彼女の顔からは血の気が引き、体も小刻みに震え始めていた。
おばあさんも、あまりのことにどう声を掛ければいいのか分からず、困ったように眉を寄せる。
そんな中、すぐ傍にいた少女がそっと女子生徒の頭を抱き寄せた。
そして、まるで壊れ物を扱うかのように、優しく頭を撫でながら語りかける。
「大丈夫です。」
「……え?」
「あなたが何者であったとしても……。たとえ、記憶がなくても……あなたは今、ここにいます。」
少女は、優しく彼女の頭を撫で続ける。
「……私が傍にいます。だから、何も怖いことなんてありませんよ。」
少女は、目の前の女の子を……自分が何者なのか、その答えを何一つ持っていない彼女を、自分自身と重ねてしまっていた。
自分が何者なのか分からない恐怖。
自分がどこから来たのかも、何のために存在しているのかも分からない不安。
少女は、その苦しみをきっと誰よりも知っていた。
だからこそ、目の前の女の子をどうしても放っておくことができなかった。
彼女が抱えている苦しみを、孤独を、少しでも減らしてあげたかった。
…………独りぼっちだった“私”を、暖かい日常へと連れ出してくれた。
そんな嬉しさを、私は知っているから……。
少女に抱きしめられた女子生徒は、最初こそ戸惑い、離れようとしていた。
しかし、いつの間にか体は自分の意思とは関係なく、少女の服をぎゅっと掴んでいた。
まるで、今にも離れてしまいそうな温もりを繋ぎ止めるかのように。
目から溢れ出す涙を気にすることもなく、彼女は少女にすがりついた。
助かったことへの安堵と、ようやく誰かに受け入れてもらえた安心感。
その二つを噛み締めるように、少女に頭を撫でられ続けた。
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻した女子生徒は、赤くなった目元を擦りながら、恥ずかしそうに口を開いた。
「えへへ……本当にごめんね。急に泣いちゃって……。それに、服も汚しちゃったし……。」
「これくらい、どうってことないです。それよりも、こちらをどうぞ。」
少女はそう言うと、上着のポケットから何やらボロボロになった紙の束を取り出し、女子生徒へと差し出した。
「えっと……これは?」
「あなたの服に入っていたものです。きっと、あなたが持っていたアイテムですよ。」
「私の……?」
女子生徒は少女から紙束を受け取ると、ゆっくりと中身を確認する。
どうやら、それは一冊の手帳だったらしい。
しかし、あまりにもボロボロになっていたため、ページの大半は破れたり汚れたりしており、とても中身を読むことはできそうになかった。
それでも、手帳を眺めていた女子生徒は、ふと表紙に書かれた文字に気がついた。
「……梔子……ユメ……?」
「梔子ユメ。きっと、それがあなたの名前です。」
「えっと……そう、なのかな……?」
「はい!きっとそうに違いありません!ぱんぱかぱーん!謎の少女は、梔子ユメにレベルアップです!」
少女は、彼女の名前が分かったことが嬉しくて仕方がないといった様子で、満面の笑みを浮かべた。
一方の女子生徒は、まだ少し戸惑っている様子だったものの、手帳に書かれた名前をじっと見つめる。
梔子ユメ。
それが自分の名前なのだと、少しずつ受け入れ始めていた。
「それじゃあ、早速ですが……ユメ。」
少女は、ユメの名前を呼ぶと、その瞳を真っ直ぐに見つめた。
そして、強い思いを込めた大きな声で告げる。
「私の仲間になってください!!!」
「??? えっと……どういうこと???」
「はい!実は、私もユメと同じで、自分が誰なのか分からないんです。」
「えっ!?それは……えっと……。」
「あぁ、このお嬢ちゃんが言っていることは本当さね。どうやら、あんたさんと同じで、自分の名前すら分からないらしいよ。」
「そ、そんな……。」
ユメは、あまりの事実に言葉を失ってしまう。
目の前にいる少女も、自分と同じように自分のことが分からないのだ。
しかし、少女はそんなユメを安心させるように、明るい声で話を続けた。
「はい!ですので、一緒に探しましょう!
ユメの記憶の手がかりも、私自身の正体も、二人で一緒ならきっと見つけられます!」
「…………。」
「一人で探すよりも、二人で探した方がきっと楽しいです!それに、仲間がいた方が冒険も捗りますからね!」
少女は、いつもの調子で元気よく言い切った。
その明るさに元気をもらったのか、ユメの表情にも少しずつ笑顔が戻っていく。
「……うん!そうだね!」
ユメは、目を覚ましてから初めて、心からの笑顔を浮かべた。
少女もまた、ずっと暗かったユメの表情が明るくなったことが嬉しくて、自然と笑みをこぼす。
「私で良ければ、是非あなたの仲間にしてください。」
「はい!これからよろしくお願いします!ぱんぱかぱーん!ユメが仲間になった!これでパーティー結成です!」
少女は嬉しそうにユメの手を握ると、両手を大きく掲げて万歳をした。
ユメもそんな少女の様子を楽しそうに眺めながら、思わず笑い声を上げる。
そんな二人のやり取りを、これまで微笑ましそうに見守っていたおばあさんが、唐突に―――。
(ぱんっ!)
と、大きく手を叩いた。
「よし!それなら今晩は、二人のパーティー?の結成を祝って、豪勢にお鍋といこうかねぇ!」
「わあぁ!宴会ですか、おばあさん!」
「あぁ、宴会さね。さっそくだけど、お使いを頼んだよ。」
「はい!お使いクエストに出発です!」
「あっ、私も……!」
ユメも一緒に行こうと、ベッドから体を起こそうとした。
しかし、それをおばあさんがすぐに制止する。
「あんたさんは、まだ怪我が完治していないんだから、ゆっくり寝ておきな。それが今のあんたの仕事さね。」
「……はい。分かりました。」
ユメは少し残念そうにしながらも、大人しくベッドへと戻った。
少女はそんなユメに向かって、元気よく手を振る。
「それでは、ユメ!お鍋の材料をたくさん買ってきますね!」
「うん!いってらっしゃい!」
…………その夜。
駄菓子屋には、いつもより少し豪華な鍋が用意されていた。
少女とユメ、そしておばあさん。
三人は一つの鍋を囲みながら、楽しそうに食事をしていた。
「これ、おいしいですね!」
「ふふっ、そうだろう?たくさん食べな。」
「はい!遠慮なくいただきます!」
「えへへ……なんだか、こういうのっていいですね。」
「そうだねぇ。これからは、こういう時間を大切にしていきな。」
これから先、二人がどこへ向かうことになるのか。
失われた記憶が戻るのか、自分たちの正体が明らかになるのか。
まだ、何一つ分からない。
それでも、今この場所には、二人を受け入れてくれる温かな居場所があった。
これから先に待ち受ける不安を吹き飛ばすかのように、夜の駄菓子屋には、いつまでも三人の楽しそうな笑い声が響いていた。
……もうこれで、最終回でいいんじゃないだろうか。
え、ダメ…………
…………ですよね。