紅茶とコーヒーどちらが好みですか? 作:XTL601-A2
「紅茶をお願いします。」
知人と立ち寄った喫茶店。
良い意味で埃っぽい印象を受けるそのお店。
メニューを見ながら、俺はそう注文した。
「お砂糖とミルクはおつけしますか?」
「うーん…ストレートで。」
「私も紅茶でたのむよ。ただし向かいの彼みたいにしないでおくれ、ミルクはいらないが砂糖はタップリでね。」
どこか嬉しそうな声。
席を挟む知人の注文だ。
「承知しました。」
オーダーをメモしその場を立ち去るウエイトレス。
個人経営だろうこの店は、そこまでシステム化されていないらしく。
メモ帳へボールペンで「紅茶2」と書かれた伝票が見えた。
何故だろうか、向かい合う知人が笑っている。
「なんで笑ってるんだ?」
「まさか、キミが紅茶を頼むだなんてねぇ?てっきり彼女と同じ様に真っ黒なコーヒー派だと思ってたんだが?案外、嗜好が合うじゃないか?私達?」
「別に元々両方好きさ。コーヒーも紅茶も…ただ、家ではいつもコーヒーだから、妻のおかげでね。だからこうやって外出してる時は浮気したくなる。」
愛する妻の意向で、我が家は目覚めの一杯も、食後の口直しだって、俺好みに深くローストされたコーヒーだった。
だけれども、たまには紅茶も飲みたい。
というより元々、紅茶の…とりわけアールグレイとか呼ばれる様なのをよく好んで飲んでいた。
まぁ、そこまで造詣が深い訳ではなかったが。
時たま高いのを買っていた。
「ふぅん…ではこの事カフェには内緒にしといてあげよう。彼女はずいぶんと紅茶が嫌いだから。」
「おまたせしました。」
──カチャリ
眼前の知人、アグネスタキオンが妻の名前を口にした所でウエイトレスが注文の品を運んできた。
紅色…というよりは、まるで相対するタキオンの毛色の様な栗色の液体。
そして、そのアールグレイと思われる茶葉の薫りが鼻を気持ちよく刺激した。
「ごゆっくり」
「あぁ、どうも。」
そうウエイトレスに断って、湯気立つカップを手に取る。
家では飲めない上品な風味が味蕾に広がる。
「う〜ん…美味しいじゃないか。流石高給取りが飲む紅茶だけある。昔、キミに淹れて貰ってた紅茶とは訳がちがうねぇ。」
紅茶の味にタキオンも満足してるらしい。
確かにここは一杯で1,000円以上もとる自信満々の価格設定。
普段から紅茶を常飲する彼女も唸る味の様だ。
だけれども…
「そんなに砂糖を入れて味なんて解るものなのか?」
そう言って彼女のカップに目をやる。
そこには付け合せのブラウンシュガーを限界まで投入した最早、砂糖の紅茶漬けともいうべき代物が出来上がっている。
果たして、そんな状態で味の良し悪し等、解るのだろうか?
「んん…何だね?文句でもあるのかい?」
心外だとでもいう風に唸るタキオン。
「あまり見くびらないでくれ給えよ、ちゃんと種類も解る。ダージリンの、それもオータムフラッシュの物だろう。糖蜜の過剰摂取の心配はしなくて良い。こう見えても実験の為にまだ定期的に走っているからね。」
「えっ…これアールグレイじゃないのか?」
「…?十中八九ダージリンの筈だよ。ヴェルガモットの薫りがしないじゃないか。最も…ダージリンを使ったアールグレイもあるがね?人によっては下品な香りとも評するよ。給仕の彼女に聞いてみるかい?」
「いや…いいよ、タキオンがそう言うならそうなんだろう。」
「そもそもダージリンは茶葉の種類で、アールグレイはヴェルガモットで香り付けしたフレーバー名。根本から違うよ。」
手元のメニューに目を落とす。
すると確かに本日の紅茶(ダージリン秋摘みの物)という表記がある。
秋摘み…おそらくタキオンの言うところのオータムフラッシュというやつなのだろう。
「ふむ、案外バ鹿舌だね、モルモット君も。」
「久々にそう呼ばれた気がするよ。」
「は?今でもキミは私のモルモットの筈だろう?」
「…」
思わず口をつぐむ俺。
モルモット君。
確かに昔、彼女にそう呼ばれていた。
指導員がひどい言われようだが、その呼び方が一種、彼女が信頼を寄せている証左でもあった。
彼女の現役時代、カフェを…菊花賞バのマンハッタンカフェを、俺はトレーナーとして、タキオンは実験と称して共に支えていた。
勿論、タキオンだって優秀なウマ娘。
クラシック3冠をカフェと分け合った仲である。
クラシック後半より出走に意欲的ではなかったが、俺がカフェと一緒に最低限のトレーニングを見ていた。
メインはカフェの担当だったが、事実上タキオンの担当も兼任していた形である。
そしてモルモット君と呼ばれ色々無茶な事や、彼女の絶望的な日常生活に付き合わされた。
今でも一応タキオンの担当トレーナーと検索すれば俺の名前は出てくるらしい。
「…まぁいい、それで今日の事なんだがね。いきなり時間を作ってくもらい申し訳ない。じつは人生の先輩として相談したい事があるんだよ。」
そう言ってガサゴソと服のポケットを探り始める彼女。
そして、机の上に小さな箱をポツンと置く。
それは…
「…指輪の箱?」
「あぁ…じつはその…とある男性から求婚されてしまってねぇ…。」
まるで純真無垢な乙女みたく彼女は告白した。
「私の勤めているラボの若い子でね、私によく懐いていたんだが…先日二人きりの時、急にコレを渡された。」
赤面させながら話を続けるタキオン。
「呆気に取られて反応する暇もなく、向こうも返事を聞かないうちに逃げる様に…だからなし崩し的に手元にあるままなんだ。正直、どうすればいいか、どう応えて上げればいいのか…判らなくてねぇ。だから彼と同じ異性であるキミに…相談したくて…」
タキオンの言葉尻が窄んでしまう。
「…要するに職場の後輩にプロポーズされて悩んでるっていうことか?で、対応わからず保留してしまったと。」
「まぁ、要約するとそういう事になってしまうね。だから既婚者でありかつての恩師のキミに助言を請おうと思ったんだよ。」
「恩師って、絶対思ってないだろそんな事。」
「キミは私をなんだと思っているんだい。」
「お相手とはどういう?」
いくら最近の若者とはいえ、なんの脈絡もなく唐突に告白する様な人間はいないだろう。
きっと何らかの関係があった筈だ。
「只の同僚で後輩さ、それ以上でもそれ以下でもない。」
「本当に?」
「…昔の私とキミの様な間柄だった。」
問い詰めるとタキオンは白状し始める。
「昔のキミみたいに世話をやいて貰ってる。仕事の時はもとより私生活においても。」
「昔の俺みたいって?」
「…その、ご飯を作って貰ったり。スケジュールを管理して貰ったり。部屋を掃除して貰ったりと色々…。」
かつてのカフェとタキオンが現役だった頃を思い出す。
異性にそんな事をやらせていれば誰だって…。
「おい、それって…」
「仕方ないだろ!彼が私のファンで!喜んで世話をやいてくれたものだから!」
俺のツッコミを前にタキオンは声を荒げて先制した。
「おいおい…まるでモルモット2代目じゃないか。」
「うぐ…実際にモルモット君と呼んでるよ。」
思わず苦虫を噛み潰した様な顔になる。
「タキオン。あの時は俺だったからよかったかもしれないけど…普通異性にそんな距離感で接すれば誰でも勘違いがするだろ?」
「むぅ…教え子と結婚したキミには言われたくないがねぇ?え?」
「うぐ…そう言われると何も言い返せないからやめてくれ。」
タキオンの指摘に我ながら心臓がドキリとした。
「で?実際どうなんだ?」
「は?」
「彼の事をどう思ってるんだ?そしてプロポーズを受けた時どう思った?」
カップの中身を飲みながら彼女に問いかける。
「…悪い気はしない。最初はそれこそ世話をしてくれるトレーナー君の代わり位にしか思ってなかった。でも最近は…」
「最近は?」
「最近はその、彼の事をキミ以上に思っている自分がいる。異性として、実は告白された時も内心嬉しさがあった。だから、今日確認したかったんだ。この感情がかつて私がキミに感じていた感情と違う物かどうかを…。」
おずおずとタキオンはそう続ける。
「…でどうだった?」
「違うと思いたい。先代モルモット君に感じていた感情とは。」
「そうか。」
空になったカップ。
俺はそれを自分の鼻元まで持っていく。
「自分に素直になるといい。アグネスタキオン。」
心地の良い残り香が肺の中へと広がった。
───
「おかえりなさい。アナタ。」
「ただいま。」
タキオンに呼び出された後、そのまま外で軽く夕食をとり帰宅すると結構な時間。
事前にカフェへと知らせてあったが少し悪いことをしてしまった。
「どうぞ、酔冷ましに。夜も深いのでカフェインレスのコーヒーを淹れました。」
テーブルにつくやいなや、カフェはそう言って白磁のカップを差し出してくる。
献身的な彼女らしかった。
カフェインレスといえど香りは上品。
先程のダージリンとはまた違った匂いが鼻腔を擽る。
「ありがとうカフェ。でも今日は飲んでないんだ。ごめんね。」
「…?同期の方とお付き合いに行かれていたのではないのですか?」
「あぁ、実はタキオンに呼びだされていてね。」
カフェには夕飯はいらないとしか伝えてなかった。
タキオンがわざわざ俺を指名し呼び出したのだから、カフェには知られたくないない事だと思ったからだ。
「タキオンさん?」
予想外の名前に目を丸くするカフェ。
「随分とお久しぶりですね。それで一体どの様な?」
旧友の名前が飛び出したからか妻は食い気味に問いかける。
「人生相談さ。職場の後輩にプロポーズされたらしい。それでどうしたら良いかって聞かれたんだ。」
「プロポーズ…随分と物好きな方がいらしたんですね。」
そして、真顔で辛辣な結構な事を言う。
まぁ同意見だけど。
「どの様にお答えしたんですか。」
「自分に素直になればいいって言ったよ。」
「どうなると思いますかアナタは?」
「満更でもない顔をしていたし、もしかしたら近いうちに朗報が聞けるかもしれないな。」
「そうですか…彼女が結婚。」
「そう、結婚。」
その単語に俺とカフェとの結婚の日が思い出される。
結婚の日といってもただ、役所に書類を提出しただけで
式を挙げた訳でもない。
まさか自分が教え子と結婚する事になろうとは。
過去の自分に言っても質の悪い冗談だと笑いとばすに違いない。
感慨深さを覚えカフェの入れてくれたコーヒーを飲もうとした。
「カフェ…!?」
その時だった。
突如、カフェが俺の肩に手を回し、オレノ半身をその薄い体躯で包みこんできた。
「静かにして下さい。上の子も下の子も眠っています。」
「ごっごめん…。」
身体にまとわりつく彼女の身体。
いきなりで驚いたが、すぐに俺は嬉しくなる。
「もしかして、怒ってるのか?一人でタキオンに会いにいったから?」
何とも可愛らしい。
この愛しい妻は俺に妬いてくれているのだ。
…でも、もしそうだとしたら、彼女にさみしい思いをさせてしまった事になる。
そしてその考えに至った瞬間。
少しでも可愛らしいと思った自分を恥じた。
こんなにも献身的な妻に抗議の念を抱かせてしまうとは。
迂闊だった。
相手がタキオンだからとカフェに断りもせず他の女のもとへと脚を運んでしまうとは、なんとも情けない。
「…違います。」
カフェは否定してみせるが長年連れ添った仲。
「…多分、違います。」
頬を僅かに膨らませ、少し瞳を険しくするその顔は彼女の機嫌が幾分か悪い事を証明している。
「本当にごめん。本当にやましい事は何もなかった。只、タキオンの人生相談を受けただけ。異性に会いに行く事を伝えなかった。申し訳ない。」
「違います。怒っていません。…でも違くありません。そうです。アナタは悪い人です。次からは他の女性に合う時は必ず連絡してください。」
口数の少ないカフェの舌がいつもより回る。
怒っている…とまでも言わないが、嫉妬の念がある事は間違いなかった。
いけない事だとは解っているが、再度そこに抱き締めたくなる愛おしさを覚えずにはいられない。
ダメ野郎だな、俺も。
「お友達もそう言っています。」
「お友達も?」
「はい。お友達もです。」
お友達。
最近ご無沙汰になっていたその名前を今日久々に聞いた気がする。
カフェだけに見える異形の存在。お友達。
トゥインクルシリーズを卒業して以来、彼女の口からその存在が語られる事は少なくなっていた。
「…そして、お友達が言っています。アナタの魂の形が少し不安定になっていると。」
魂の形。
なんだかオカルティックなワードが飛び出した。
「気を付けて下さい。アナタは今この世界にいます。アナタと私だけでなく、愛すべき子供達二人と一緒に。だから迷わないで私の存在を感じて下さい。」
そう言うと彼女は俺にかける力をより一層強める。
「解ったよ。カフェごめん。」
彼女とともに過ごした数年で、常識では考えられない出来事を多く体験した。
だから、魂の形というスピリチュアル的なワードは妄言ではないと信頼できる。
ただし、今回の場合は…。
「本当にアナタは悪いヒトです。反省してください。」
俺の思っている以上に俺がタキオンと密会していた事にご立腹な様子。
これは埋め合わせをしろと案に命令しているのだろう。
「トレーナーさん。今日はもうお休みしましょう。もう…このまま。」
「…えっでも?まだ歯も磨いてないし…シャワーだって。」
「私の言う事が聞けないんですか?」
そう言いながら、カフェはかわいい爪を俺の二の腕に食い込ませる。
「そして、今日は私を抱きしめながら寝てください。夢の中でも私の事を考えてください。私の魂の形と匂いをきっと忘れないで…」
「わっ解ったよ。」
俺は有無を言わせぬカフェにそのままベッドへと引きづられお互い正面から抱き合う形で就寝した。
「あぁ、アナタ。とてもいい匂いです。」
「カフェも良い匂いだよ。」
俺の胸板に顔を埋めるカフェを感じながら。
気づくと意識は消えていた。
…ふと紅茶の匂いがした気がする。
───
「…て」
あぁ、朝が近い。
「…きて」
目を瞑っていても目覚めの時間付近になると、何となく意識が回復する。
「…起きて」
そんな毎日経験するであろう微睡みの中。
俺を起こそうとする声が聞こえた。
「…起きてお」
この声は忘れる筈もない。
「…起きておくれよぉ!旦那君!」
「…おはようタキオン。」
意識はいつもの様に愛すべき妻の声で覚醒した。
「モルモット君、おはよう。朝ご飯を作ってくれ給えよ。私も上の子も、下の子も、もうすっかり腹ペコでねぇ?」
「タキオン…昨日遅かったんだ。もう少し寝かせてくれてもいいじゃないか。それに確か冷凍したパスタソースがあったよ…?」
「あれ?そうだったかい?」
俺の反論にすっとぼける彼女。
「まぁいいじゃないか、折角の休日。親子四人で朝を囲もうとしよう。フレンチトーストを作ってくれると愛する妻は喜ぶと思うのだがね?」
「はいはい、仰せの通りに。」
そう言ってムクリと上半身を起こさせた。
今日は休日。
さて、どんな一日になるだろうか。
つづきは来月か競馬で勝てたら。