剣の丘に迷い込んだ軌跡   作:ナスの森

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月下の剣製

 

 最初に意識が覚醒した時、認識したのは周囲の景色や状況の確認といった理性的な思考ではなく、胸を掻き毟りたくなる程の激しい、飢餓だった。

 まるで生まれたての獣が目覚めたばかりの食欲をコントロールできずに暴走してしまいそうな、そんな飢餓と共に私という自意識は発生した。

 襲われた飢餓をかろうじて飲み込み、ようやく周囲の状況を理解できるだけの理性を取り戻す(獲得する)ことができた。周囲の木々や動く動物たちに噛みついた所でこの本能が薄れることはなく、この飢餓は明確に特定の種の獲物を欲していた。

 

 ――人間ヲ食エ、とその本能は訴えかける。

 人とは一体なんだ、と疑問に思うのも束の間、目線を下に落とすと水たまりの水面に映る自分の顔が目に入った。

 衣一枚のみすぼらしい格好をした、人間の女の子のような見た目。

 その思考に至ったとき――ああ、こんな風に2本の手と足を持つ、自分と似たような姿の生き物が、自分が今欲している獲物なのだと認識することができた。

 

 ならば話は早い。

 その人間たちとやらを探そう。探して、この飢餓を満たすために食事を行おう。

 

 静寂漂う森を抜けると、遠くに火の明かりが見えてきた。

 ただの自然現象による発火ではない。人間たちの確かな営みを示す、点在して集まる火の光。

 ――あぁ・・・・・・やっと食事にありつける。

 そう思い、村の入り口が見える所までたどり着き、近くにあった草木に身を潜めて観察して――そう簡単には行かないという事を一目で理解してしまった。

 

 何故なのかは分からない。だが――この目には、通常では見えないナニカが、見えていた。

 村の入り口の前に立っている、鎧を纏い、剣や槍で武装したその人間たち。

 その人間たちの体に巡っているソレを見た瞬間、自分はあの人間たちには勝てないと本能で悟った。

 その流れが、魔力であると理解するのに時間はかからなかった。

 ただ立っているだけだ。だが、その魔力の流れを分析し、自分がアレに挑めば負けると即座に理解した。魔力量の大小の問題ではない、その流れから、あの一見隙だらけの棒立ち状態から繰り出されるであろう動きが頭の中で計算されていく。

 根本的な力量が違う。自分ではアレには勝てない。

 

 そもそも、幾度となく魔物を撃退してきた番兵たちと、まだ生まれたての魔物ではどちらが分があるかと言われれば、間違いなく前者だっただろう。

 己の目の特性からソレを悟ることができた私は、今にして思えば幸運だったに違いない。

 

 ――ならばどうする?

 このまま食料に有り付けず、この飢餓に耐え続ける生活を送るか? そんなのは論外だ。

 ならば、ここの人間たちの肉になんとか在り付けられる方法を探すしかない。

 

 ――そうだ、自分には“言葉”がある。

 言葉とは、人間同士がコミュニケーションを取る際に、発声器官を用いて発せられる音声のことだ。

 人間たちを欺くために、この身にもまた言葉を発する機能が備わっていた。

 

 偶然、村の入り口を通っていく馬車を発見し、気付かれないように荷台に紛れ込んで村に侵入することに成功した。

 それでも安心はできない。もし往来で人間を食っているところを目撃されれば、知らせを聞いたあの番兵たちが駆けつけてくることもあり得る。

 もしそうなったらその前に逃げるだけだけど、態々リスクを冒すのも危険だ。

 

 故に、私が取った方法は・・・・・・。

 

 

「あ、貴方・・・・・・農園に魔族がッ!」

「魔族だって!?」

 

 

 多くの人が出入りしない農園にて、わざとその主である人間に見つかる。

 大きい男と女のヒト。私よりも遙かに大きい背丈を持つ人間だが、その力量たるや先の番兵たちと比べるべくもない。

 ・・・・・・不意を突けば、生まれたての私でも容易に食える位の相手だろう。

 ふらふら、と覚束ない足取りでその人間の眼前で崩れ落ち、呟く。

 

「・・・・・・おなか、すいた」

 

 力なく呟いた私の“言葉”に、2人の男女は目に見えて動揺していた。

 ソレは困惑だったのか。本気で私のことを不憫と見たのか。それとも恐れていたのか。その全てか。

 今となってはどれが正解だったのかはよく分からないけれど、とにかく私の欺きは目の前の人間の男女に通用していたようだった。

 

「アナタ・・・・・・この子まだ子供よ」

「し、しかし相手は魔族だぞ? 番兵さん達を呼んだ方がいいんじゃないのか?」

 

 男のその言葉に、ドキリと胸が跳ね上がったのを覚えている。あれ等を呼ばれるとさすがにどうなってしまうか分からない。

 ようやくこの欺けそうな時に、アレを相手に欺けるかは分からないからだった。例え欺けたとして、彼らに隙を見いだせそうにない。

 私がこの渇きを満たすためには、この欺きを押し通すより他なかった。

 

「おなか、すいたよ・・・・・・」

 

 一押し、あと一押し。

 それでこいつらを欺き通せる。

 掠れた声をより震わせ、力なく地を握りしめながら呟く。

 

 後は、向こうが近付いてくるのを待つだけ。

 でも、人間達が私に歩み寄ることはなかった。

 

 ――――そして、私をこのまま追い返すこともしなかった。

 

「貴方っ」

「・・・・・・あぁ、丁度捨てる所だった林檎がいくつか余っている」

 

 何やら話し合っている二人の男女。

 何を話し合っているのか分からないが、近付いてこないのなら意味がない。

 

「この子は僕が見張っているよ。君は早く持ってきてくれ」

 

 男がそう言うと、頷いた女の人間はそのまま建物の中へと入っていった。

 ――もしかして、あの番兵たちを呼ばれてしまうのだろうか?

 一人残った男も、私に対して一歩引いた状態で私を見下ろし、決して間合いに入ろうとはしない。

 計算外のことに焦りが募っていった。ようやく欺ける人間たちと巡り会えたというのに、思いのほか警戒心が強い。

 この村に入り込んだのは失敗だったんだと半ば諦めたその時――さっきの女の方の人間が両手に幾つもの赤いナニカを抱えて戻ってきた。

 

「貴方、持ってきたわ」

「・・・・・・よし。ほら君」

 

 男はそう言って座り込んでいる私に呼びかけると、私に近づくことなくそっと転がすように私の目の前に林檎を放り投げた。

 ――こんな物を食べろとでも言うのだろうか?

 この体が求めているのは貴方たちの血肉だけ。こんな物を食った所でこの渇きが満たされる訳がない。

 

 心中でそんな悪態を吐きつつも、自棄になっていた私は目の前にあったソレを手に取って囓った。

 

 

 

 

 

 そこで、私の世界は一変した。

 

 

 

 

 

 ムシャ、ムシャ。カジリ、カジリ。

 一囓り、それを皮切りに私の口はソレを囓るのに夢中になっていた。

 一囓りする度、咀嚼する度に口の中に広がる、酸味と甘み、シャキシャキとした食感。

 咀嚼し終わり、喉に飲み込む全てまでの工程が、どうしようもない多幸感をもたらしていた。

 

 

「おいおい・・・・・・」

「あらあら」

 

 

 男は腕を組んで困ったように。

 女は顎に手を当てて微笑ましそうに笑っている。先ほどの警戒が噓だったかのように。

 

 私の必死な姿は、先の意図的な欺きよりも余程彼らの警戒心を解いたようだった。今にして思えば当たり前の事だっただろう。

 この時の私は欺いてなどいなく、目の前の赤いソレを囓るのに夢中だった。既に彼らに意識などなく、この果実に心を囚われていたのだから。そこに欺きは存在せず、ありのままの私がいたのだから

 

 皮肉にもその無様な姿が、この男女二人組が私に心を開く切っ掛けを作ったみたいだった。

 

 瞬く間に果実を食べ終えた私は次を求めて辺りを見渡す。

 すると、周りの農園の樹にも同じ物が大量に生えていたのを目撃した私はソレを手に取ろうとした。

 ソレを阻止したのは、男の方だった。

 

「おい、そっちは駄目だって。それは売り物なんだ」

 

 掴まれる手。そんなの物構うかと振り払おうと男の方へ視線を向けると、その後ろにいた女の人間の方へ目が奪われる。

 正確には、その人間が両腕に抱え込んでいた、大量の赤い果実に。

 

「ほら、こっちにまだあるから。ね?」

 

 女の人間がしゃがみ込んで、私の眼前まで両腕に抱えたそれらを持ってくる。

 この時点で、二人とも当初の私の目論み通り、私の間合いに誘い込むことに成功していた。今ならこの牙を突き立てて肉を貪り、その渇きを満たすことなんて簡単だった。

 ・・・・・・だというのに、私の頭の中からそんな事をすっぽりと抜け落ちてしまっていた。

 

「ハグッ、ハグッ、アムッ」

 

 女の人間の腕の中にあったそれらを奪い取って、夢中で貪る。

 ――気が付けば、私の中で人を食いたいという欲は、最早どうでもいいことになっていった。

 

 

 そうして、人間に対する食欲を忘れてしまった私は、このまま二人の人間の男女に拾われることになった。

 この赤い果実は“林檎(りんご)”という名前で、この村ではこの男女――人間達の間では“夫婦”?と呼ばれる関係にあった二人の人間がこの農園で栽培?して作っているモノらしかった。

 この夫婦を食ってしまえば、2度と林檎とやらを食べられなくなると思った私もまた、この二人の下で暮らすことを受け入れた。

 

 ・・・・・・ただ面倒だったのは、二人が私に人間達のことを教えるようになったこと。

 幾度となく面倒になって食べてしまおうと思ったが、やはり林檎の事を考えるとここは我慢すべきだと思った。

 一応、この眼を使って農作業?に勤しむ2人の動きを模倣はしていたので、後は自分で林檎の栽培をしていこうとも考えたが、やはり自分でやるよりは誰かにやってもらう方が楽なのだった。

 

 だが悪いことばかりでもなかった。

 人間として振る舞い?や常識を教えられたことで、頭のツノを隠してさえいれば、多少の不自然さはあれど町中の人間たちに自分が魔族だとバレることはなく、おいしい林檎を食べながら過ごすことができた。

 ・・・・・・でも誤算もあって、気まぐれで2人の農作業を手伝ったのを皮切りに、積極的に手伝いをさせられるようになってしまった。

 恩返しだとか善意だとかそんな意図はない。そもそも人間ではない私にそんな事は分からない。

 どうせこの2人は獲物として頂く予定なのだから、1人になった時に備えて慣れておかないと思ったからだ。

 ・・・・・・決して、農作業を手伝うと林檎の量を増やしてくれるからだったとかではない。

 

 

 

 

 

 決して、ずっとここで暮らしていたいと思っていた訳ではない。

 

 

 

 

 

 訳ではない、筈だったのに。

 

 

 

 

 

 時は数年経て、あれほどのどかで栄えていた村の面影は今やどこにもなかった。

 村中に放たれた火が建物に回り、倒壊していく。逃げ遅れた人々は既に瓦礫に埋まって共に灰になるか、潰されて肉塊になるかのどちらか。

 今なお逃げ惑う人々もまた――この村を襲い、火を放った下手人たちによって血しぶきを上げながら散らされていく。

 

 飛び交う悲鳴と、燃える炎による輪舞曲。

 聞くに堪えぬ血の赤と、炎の朱により一色に染まりきった村の中を――ある1人の魔族の少女が駆けていた。

 

 この村を襲う下手人達は、皆私と同じように、頭に角が生えたような人間の見た目をしている。・・・・・・つまり、この者たちは少女の同族だった。

 故に、少女は襲われることなくこの村の往来を走ることができていた。

 

 ――タスケテ。

 ――助けて。

 ――たすけ・・・・・・ッ

 

 魔族たちから襲われることを避けるためにあえて角を隠していないにもかかわらず、すれ違った村の住民たちが少女に助けを求めてきたが、その前に魔族によって殺されるか、捕食されていく。

 少女もまたソレに意を介することなく走って行った。

 そもそも魔族である少女にとって、本来獲物である人間たちが死ぬことに対し、何の感慨もない。

 また助けようとしたって、自分にはどうにもならない。この村を襲ってきた魔族たちはみな少女より背丈がずっと高い大人の魔族たちで、魔族といえど少女でしかない存在が立ち向かえる者ではない。

 

 だから、助けて、と求められる度に僅かに感じていた、後ろ髪を引かれるような感覚を少女は意に介さなかった。

 このような場所、本来ならばとっくに逃げ出している。それでも少女が村から逃げずにこうして駆けているのは、ただ一点の気掛かりがあったからだ。

 その気掛かりのために、少女はある場所を目指して走っていた。

 

 

 

 

 

 そして、少女はそこにたどり着いた。

 

 

 

 

 

 火が放たれ、()()()()()()()()()()()()と、そのすぐ傍に倒れていた、見慣れた2人の人間が血を流して倒れているのを、少女は目撃してしまった。

 そして、そんな2人を見下ろし嘲笑っている1人の男の魔族がいた。

 

「・・・・・・」

 

 少女は表情1つ変えず、その惨状の傍へと近付く。

 ゆっくりとした歩調で、まるで家にでも帰ってきたかのようなありきたりな様子で、彼らの元へと近付いた。

 

「ん?」

 

 近付いてくる少女に気付いた男の魔族が、少女の方へ振り向く。

 手には魔法効果を帯びた剣が握られており、その刃には倒れている二人の血がこびり付いている。

 

「お前、見ない顔だな。その背丈からしてまだ生まれたてか?」

「・・・・・・」

 

 魔族の男の問いに少女は答えず、ゆっくりと見慣れた死体の方の傍へ近付いていく。

 静かに、動かなくなったソレを見下ろした。

 次に、すぐ目の前で燃えている農園の方へと目をやった。

 3人で育てた綺麗な果実たちは、いまや炎の中で炭となって、ボトリ、ボトリと土に落下していく。まるで、ここに来るまでに散々見てきた村人たちのように。

 

 ――――地獄を見た。

 

 突如として、少女の頭の奥でそんな声が響いた。

 

「――――?」

 

 脳裏に響いたその声に、少女は僅かに目を見開く。

 この場にはいない、聞いたことのない声。

 ――――なのに、少女はなぜか、その声に聞き覚えがあるような気がした。

 

 ――――地獄を見た。

 

「――――ッ!?」

 

 目の前の光景と、ある男の記憶にある光景が、一瞬だけ重なる。

 燃える町、助けを求め苦悶の声を挙げる人々。

 場面は次々と移り変わり――最後に見えたのは――

 

 

 

 剣の丘の上で佇む、赤い外套を着た一人の男の背中だった。

 

 

 

 知らず、少女はその世界に目を奪われた。

 あれこそが、模倣の極致。己の得意とする『模倣する魔法(エアファーゼン)』のたどり着くべき極致なのではないかと。

 魅入られた少女は知らずその世界を模倣しようとして。

 

「・・・・・・・・ッッ!!!!」

 

 突如として、少女という自我が潰されかねない程の頭痛が、少女に襲いかかる。

 まるで、自分の心象が塗り替えられ、自分が自分でなくなっていってしまうような感覚。

 己を塗りつぶされる感覚を本能的に拙いと悟った少女は、模倣する目を閉じた。

 

 

「――――っ、ハァ、ハァ、ハァッ!!」

 

 息切れと共に、現実に引き戻される少女。

 ――今のは、何だろう?

 先の現象に疑問を抱く少女。

 自分が見たあの世界は何なのか、あの男は一体誰だったのか。

 いや、それ自体は別に疑問ではない。

 ――どうして私は、あの男と、あの世界を知っているの?

 自分はあの人間を見たことなんてない筈だ、あんな世界なんて見たことがない筈だ。

 見たことがない筈なのに――どこかにあった記憶に、覚えがあった。

 だがその記憶が何処から由来した物なのかすら、分からない。

 

 そして現実は、少女にその煩悶に埋没する時間を与えてはくれなかった。

 

「おいお前、そこの生まれたての魔族」

「ッ!?」

 

 言われて、ビクリと体が跳ね上がり、声の方へ振り向く。

 その言葉を無視するという選択肢はとれなかった。

 理解していた訳ではない、だが魔族としての本能が自然と、その体を男の魔族の方へと向けていた。

 

「お前もこいつらがお目当てだったのか? だったら残念だが、この者たちはオレが頂こう」

 

 その言葉に、少女の頭は真っ白になる。

 ――誰が、誰を食べる?

 

「と、言いたいが」

 

 ニヤリ、と男の魔族は少女を見下ろし、嗤った。

 

「もしオレの下に付くんだったら、こいつらはくれてやろう」

 

 顎で倒れている二人を指し示された少女は、再び、動かぬ2人を見下ろす。

 何も感じることはない。

 どうせ、いずれそうしようと思っていたのだから、感じ入ることなんてない筈だった。

 

 なのに、少女はそこから動くことができなかった。

 

「なんだ食べないのか。オレの下に付く気が無いならとっとと失せろ。その代わり、こいつらは()()()()()()

 

「――――」

 

 オレが貰おう――そう言われた瞬間、無意識に少女は手に魔力を収束させながら魔族の方へ振り向き――何もできなかった。

 収束した魔力は霧散し、体だけが震える。

 知らずの内に、少女の体は傅いてしまっていた。

 

「そうだ。それでいい。俺たち魔族は魔力の誇示によってのみ集団をなす魔物だ。生まれたてのお前にもじっくりとソレを教えてやる」

「・・・・・・」

「さあ、こいつらが欲しいのならオレの下に付け。そうすればこれからも、オレの下で好きなだけ人間を食うことができるぞ?」

 

 最早少女の本能は、男に逆らうことができなかった。

 男の下に付きたくないのならば、素直にこの2人を譲り渡せばいいだけだった。

 なのに――少女はなぜかその選択肢すらとることができなかった。

 

 男への回答を示すかのように、少女は再び2人の死体の方へ向き直る。

 奥で燃える林檎の農園を背景に息絶えた2人を少女は再び見下ろす。

 この2人をこの魔族の男に渡したくないと思ったのは、単に自分が先に目を付けていたからに過ぎない。

 なぜなら、自分もまた魔族だったからだ。その本質は魔族の男と何処にも変わらない。

 変わらず、少女は捕食者で、2人は獲物という関係に過ぎなかった。

 だからこの2人は、少女にとっての林檎と同じ。

 収穫の時がやってきた、ただそれだけの話なのだ。

 

 それでも――

 

 ・・・・・・もう、この人達の林檎を食べることも。

 ・・・・・・この人達の腕に抱きしめられることもないのだと。

 

 彼らの肉を貪り始める直前で、少女は漠然とその事実を認識した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ようするに、ただそれだけの話だった。

 生まれたての肉食獣がようやく人の肉の味を知り、同族と出会い、ようやく魔族として生を歩き始めただけなのだ。何処も珍しくもない、魔族としてのありふれた始まりに過ぎなかった。

 だから少女が思うことはなにもない。

 

 ――――でも

 

 I am the bone of my sword.

 

 なぜか、忘れることができなかった。

 あの日焼かれた村と、林檎の農園と、共に過ごした2人のことが。

 まるで彼の見た地獄と重なるようで。

 

 この身が貪った2人の肉の味が、頭の中から離れなかった。

 魔族としての初めての人肉は美味だろうと心のどこかで思っていたのに、咀嚼する度に不快な鉄の味が広がるだけだった。

 まるで、己は致命的な間違いを犯したのだと責め立てるような、そんな味。

 

 

 

 

 

 この感覚は、きっと――――

 

 

 

 

 

模倣(トレース)開始(オン)

 

 

 

 

 

 時は暫く立ち、場所は北側諸国。そこに位置するシュベア山脈の頂にて、その異変は起こっていた。

 

「ガッ、グァッ・・・・・・!?」

 

 右手に剣を携えていた魔族の男の口から、鮮血が飛び散る。

 更にその周囲には、夥しい程の数の転がった魔族の死体が――次々と黒い魔力へと姿を変えて霧散していく。

 

「な、なぜ・・・・・・」

 

 口から血を吐きながら、魔族の男は己の眼前にいる下手人に疑問を抱く。

 完全に想定外の事だった。

 元は名のある魔族が持ち主だった、今は人間の貴族一家であるダッハ伯爵家の家宝として保存されていた宝剣を盗みだし、シュベア山脈の頂付近にある村の人間たちで試し切りをしてみようと、大勢の仲間を連れてここまでたどり着いた筈だった。

 なのに――ここにたどり着いてから今に至るまでの全ての現実が、魔族の男にとって受け入れ難い現実だった。

 

「なぜ、お前がその剣を・・・・・・なんの、つもりだ・・・・・・リーニエェッ!!

 

 下手人の正体――それは今現在、魔族の男の胸に剣を突き刺している、同じ魔族の少女だった。

 その手に握られている剣は、男の右手に握られているダッハ伯爵家の宝剣と同じモノだった。通常ならば贋作である線を疑うだろう。魔法で作り上げた偽物と一笑するところだろう。

 だが、間近でみていた魔族の男は分かってしまった。

 少女の手に握られている宝剣は――切れ味、材質、姿形、その構造に至るまで、その全て自分が持っている宝剣と遜色ないモノであるという事実に。

 

 何もかもが信じられなかった。あの焼き払った村で拾った、自分の半分以下も生きていない子供の魔族がいきなりこうして反旗を翻してきたという事にも。

 この宝剣とまったく遜色ない同じ剣をこの少女が持っているという事にも。

 そのような少女に、自分の部隊が殲滅させられたという事にも。

 

 全てが、男にとって受け入れられなかった。

 

 目の前の、仲間だった少女の魔法は把握していたつもりだった。

 『模倣する魔法(エアファーゼン)』・・・・・・魔力の流れを見ることができる彼女の特性を利用し、相手の体に流れる魔力の流れを記憶し、その戦士たちの動きを模倣することができる魔法。

 その魔法を生かすために、彼女は自前の魔力で斧や剣と言った白兵戦武装を作り出せることも知っていた。

 だが――――この世に2振りとない筈の宝剣を完全に複製できるなど、少女の口から聞いたことなんてなかった。

 

 ゆっくりと、剣を突き刺している少女の心ない無表情が、苦悶に歪む男の魔族の顔を見上げる。

 いつもと変わらない、何を考えているのか分からない無表情。

 しかし、いつも見ている筈の無機質な目が、この状況においては恐ろしく感じさせた。

 この少女はいつも斯様な目で、自分達を見ていたのだと改めさせられる程に。

 

 突き刺した剣の刃の向きが、男の体の中で容赦なく変えられる。

 そのまま容赦なく、体の内側から横薙ぎに剣を振り抜いた。

 

「アッ―――」

 

 斬り抉られた傷から、血肉と、霧散する魔力が容赦なく飛び散っていく。

 名だたる魔族が振るっていたという宝剣によって斬られたこの傷は、誰がみても助からない。

 カランと、男の手に握られていた方の宝剣が地面に落ちる。

 ドサリ、と呆気なく倒れる男の魔族。

 

「・・・・・・」

 

 それを見下した少女の手に握られていた宝剣が、黒い魔力となって彼女の手元の中で消えていく。

 少女は男が落とした本物の宝剣を拾い、その切っ先を男の心臓の方へ突き立てる。

 

「ッ、待っ」

 

 まだ僅かに息のあった男の声が何か言おうとするが、少女は意に介さず、刃の切っ先を押し込んだ。

 ズブリ、ズブリ、と男の心臓を食い荒らすかのように貫き、下の地面へと突き刺さる。

 

 暫しの静寂の後、乾燥した山風と共に、絶命した魔族の体が黒い魔力となって霧散していく。後に残ったのは、墓標の如く地面に突き刺さった宝剣のみだった。

 

「・・・・・・」

 

 宝剣の柄からそっと手を離した魔族の少女、リーニエは表情1つ変えず、この山脈の頂から見える月を見上げる。

 あの男の魔族に従わされてから数十年――もう自分は彼と、その仲間たちよりも強いと思えるまで力を付けたリーニエは、ようやく彼らに反旗を翻し、成功した。

 敵対した人間の戦士達の動きを模倣し物にするだけでなく、常に行動を共にしていた魔族たちの動きのパターンをその魔力の流れから記憶し、彼らの癖、魔法行使時の隙などを余すことなく把握し、ひっそりと己の力を高め、その機会を窺っていた。

 彼らの油断を誘うために、わざと魔力を制限する技術も磨いていた。

 己の魔力や魔法に誇りを持つ魔族からしてみれば禁忌と、卑怯と忌避される行為と分かっていようとも、リーニエはこの数十年間、彼らを殺すためだけにその努力を欠かさなかった。

 

 全てが終わったリーニエは清々しい気分だった。

 もう、自分があの光景に悩まされることはない。

 魔族とは弱肉強食の世界だ。魔力の弱い魔族は、より強い魔力の魔族に従うしかない。

 その窮屈な殻から、リーニエはようやく脱することができた。

 

 これでもう、頭に焼き付いたあの光景に悩まされることはない。

 ――――あの焼けた村の、地獄の光景が残ることも・・・・・・。

 

 

 

「・・・・・・なんなんだよ、もう」

 

 

 

 表情は変えずとも、ほんの少し苛立ち気な口調で、リーニエは頭を手で押さえる。

 消えると思っていた。

 あの燃える農園の光景も、口の中に広がるあの2人の肉の感触も、全て消えると思っていた。

 あの光景が度々フラッシュバックするせいで、リーニエは人肉を口にできないでいた。

 口にしようとする度、あの2人の人間を食したときの嫌悪感がチラついてしまうのだ。

 

 あの光景が未だ頭から離れないのは、それが魔族としての自分の無力の証だからだとリーニエは思っていた。

 だからこの男さえ殺せれば、自分はあの光景と嫌悪感を克服でき、再びまっとうな魔族の生を謳歌できると信じていた。

 

 なのに、その目標が達成できたというのに、頭の中の光景と、口の中の感触が、リーニエから抜け落ちることはなかった。

 まるで胸に空洞でもできたかのような、そんな感覚。

 

 

 魔族の少女、リーニエは墓標のように突き刺さった宝剣を後にし、山脈の頂から降りていく。ここは寒い、これ以上こんな所にいたくはなかった。

 山を下りながら、リーニエは考える。

 ――もっと、他の同族を刈り続ければ、この胸の空洞も埋まるのではないかと。

 リーニエは、魔族としては珍しく己の力量は弁えていた。今回は仲間である自分の裏切りによってうまく虚を突き、成功させることができた。

 故に、単純に魔族たちを刈り続けるだけではいずれ足が付き、目を付けられて自分はあっさり殺されてしまうだろう。

 ならば、どうすればよいか。

 

「あぁ、そうか。簡単な事じゃないか」

 

 考えて、リーニエは思い至る。

 それは至極簡単な結論。

 

「繰り返せばいいんだ。今回みたいに」

 

 魔力量を偽りながら、魔王軍の分隊へ取り入り、その動きを記憶し、模倣し、その癖から隙に至るまで把握し、油断し切っている所を刈り取ればいい。

 己の指針を定めたリーニエは今度こそ、確固とした足取りで下山していった。

 

 

 ――その背中は皮肉にも、己の力量を弁えた上で、効率的に悪を刈り取っていった正義の味方達の後ろ姿に少しだけ似ていた。

 

 

 

 

 

 翌日、月は沈み再び日が昇った山頂にて。

 盗まれた宝剣を取り戻すように依頼された勇者パーティが訪れ、そこに突き刺さっていた宝剣を発見した彼らは、無事にダッハ伯爵の元へ宝剣を取り返すことができた。

 ・・・・・・しかし、下手人である魔族がどこにも見当たらなかったことに、彼らは違和感を抱くのだった。

 

 

     ◇

 

 

 

────I am the bone of my sword.

 

体は(つるぎ)で出来ている。

 

────Steel is my body, and fire is my blood.

 

血潮は通わず その心は砥石。

 

────I have created over a thousand blades.

 

幾たびの戦場を越えて不敗。

 

────Unfaced to darkness.

 

敗北を認めず。

 

────Nor faced to light.

 

勝利さえ求めず。

 

────Had without noticing pain to create weapons.

 

迷い()は未だ一匹 (つるぎ)墓場(はかば)で狼煙を焚く。

 

────I have worthless. My redress never ends.

 

丘の木は既に、実る事を不知(しら)ず。

 

────My only load was “Unlimited Blade Works”.

 

血塗れの体は、いつか(つるぎ)で出来ていた。

 

 




リーニエちゃんが林檎を好きな理由が、リーニエちゃんの容姿に騙された人間から貰った林檎を食したのが切っ掛けだったら、ちょっとだけホンワカするよね。

ちなみに現在のリーニエちゃんは自分が戦い続ける理由に気付いていないので、自分の生涯を綴る詠唱を唱えられず、無限の剣製の発動は不可(アーチャーと士郎の心象に違いがあるように、無限の剣が突き刺さっている以外は、その心象風景は2人やデミヤ、美優兄とも異なっている)。

あと魔族であることに変わりは無いので根本的に共感能力が不足しているため、憑依経験の使用が不可(メタ的に言えば、リーニエちゃんの十八番である模倣する魔法の意義が薄れる、ないしはもし憑依経験が可能になると、憑依経験した自分の動きの魔力の流れを記憶して、直接模倣元と対面していないのに自分の技術として取り入れる事が可能な若干チート仕様になってしまうため)


2024/6/22 追記
話最後に記した無限の剣製の詠唱(リーニエver)を一部変更しました。
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