剣の丘に迷い込んだ軌跡   作:ナスの森

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魔族の”罪”、”(救い)” 前

 

 むかしむかし、ある村に一匹の魔族の女の子が迷い込みました。

 うまれたばかりの少女は、魔族の本能のまま食料を探し求めました。

 そこで見つけたのは、村の端にあったとある農家の家。

 

 そこの農家の育てる林檎の農園へと入り込んだ女の子の影はあっけなく、そこの農家の夫婦に見つかってしまいました。

 ですが、それは少女の思惑通りのこと。可愛らしい人間の少女の姿を象って生まれた魔族の女の子は自分の容姿の使い方も本能で理解していました。

 女の子は空腹の孤児を装いながら、夫婦に食料を求めました。

 ボロボロの衣服で同情を誘い、近付いてきた所でこの夫婦を食べる。それが少女の思惑でした。

 

 ですが、夫婦は思いの外警戒心が強く、女の子に近付くことはありませんでした。

 しかし、それでも女の子の作戦もまったく効いてはいないようで、売れ残りの林檎を少し離れた所から投げて少女に差し出しました。

 

 仕方なく、少女はその林檎を(かじ)ります。

 その瞬間、少女の様子は一変しました。

 元々立てた作戦も、外聞も忘れて、少女はただひたすら与えられた林檎に我武者羅に齧り付きました。

 本能の求める味の事も忘れて、甘く、酸っぱいその味は女の子を虜にしてしまいました。

 

 その何にも飾らず、おいしそうに自分達の林檎を食べる姿に、夫婦は女の子に対する警戒心を自然と解いてしまいました。

 夫婦はとりあえず、農園の端にある木の下に女の子を住まわせてやることを決めました。

 大人1人が入れるくらいの木箱の中に布団を敷き詰め、女の子が最低限寝床に困らない環境を作ってあげました。そして女の子が寝ている傍に丹精込めて育てた林檎を置き、食べさせてあげました。

 

 それでも、女の子を家に入れなかったのは、夫婦の中に女の子に対して、まだ最低限の警戒心があったからでした。

 どれだけ愛おしい見た目をしていても、女の子が人間ではないことは、角を見れば一目瞭然でした。

 

 暫く経ってからの夜、夫婦は話し合いました。

 2人の間には、どう頑張っても子供ができることはありませんでした。以前、村を訪れた旅の占い師に占って貰った時も、自分達は子供に恵まれることはないだろうという残酷な占い結果が出てしまいました。

 それでも、2人は子供を諦め切れていませんでした。

 そこに、まるで天啓だと言わんばかりに、自分達の農園に住み着いた、可愛らしい魔族の女の子。

 2人の中に燻っていた筈の欲が再燃してくるのは、無理もありませんでした。

 やがて、妻の方がとうとう言い出しました。

 

 あの子を私達の娘にしてあげましょう、と。

 

 妻と同じ考えを頂きつつもその提案を夫は否定しました。

 

 だがあの子は魔族だ、と。

 

 あの農園に住まわせてあげるのならばまだしも、家の中に入れるのは言語道断であると夫は努めて冷静に妻を言い宥めました。

 互いの言い分を理解しつつも、両者とも意見を曲げることはありません。

 やがて、言い争いに発展するかと思われたその時。

 

 

 農園の方向から、魔物の咆哮と思しき声と、地を揺らす轟音が鳴り響いたのです。

 その音を聞いた夫婦は驚いて立ち上がり、外へと出ます。

 

 ────ここ最近は農園が魔物の襲撃を受けることなんてなかったのにっ!!?

 

 そう、最近は魔物による農園の被害が減ったおかげもあってか、2人の心に余裕、そして油断がありました。

 そして、急いで農園へ駆けつけてみると、そこには異様な光景が広がっていました。

 

 

 そこには、大木ほどの大きさの魔物と。

 ボロボロになりながらも、そこから一歩も退くことなく立ち向かっている、あの女の子の背中があったのでした。

 

 巨腕を振り下ろす魔物の腕を避け、女の子はいつの間にか手にしていた剣を自在に振るい、魔物の体に傷を入れていきます。

 まるで、この村を守る憲兵たちと同じような動きを以て、女の子は魔物の攻撃を受け体中に傷を負いながらも、魔物の頭に剣を突き刺すことに成功します。

 やがて魔物を轟音を立てて倒れ、女の子も魔物の体から落下し、崩れ落ちるように倒れてしまいました。

 

 慌てて2人は、女の子の元へ駆け寄ります。

 意識を失い、既に眠ってしまっていた女の子。

 しかし、そんな安らかな寝顔に反して、幼子の傷だらけな体を目にしてしまった夫婦は、涙を流しながら悟りました。

 

 今まで、農園の被害がなかったのは、この子が農園を魔物から守ってくれていたおかげなのだと、夫婦はようやく理解したのです。

 今まで侵入してきた魔物が大して強くもなかったから、呆気なく女の子が撃退していたので気付きませんでしたが、今回、強力な魔物に襲われ女の子が傷だらけになる程の事態に遭遇し、夫婦はようやく気付いたのです。

 

 夫も、妻も、涙を流しながら今まで農園を守ってくれていた魔族の女の子を抱きしめました。

 

 大切な農園を守ってくれてありがとう。

 そして、気付いてやれなくてごめんなさい、と。

 

 ようやく、夫婦2人は決心をしました。

 この子を家に入れ、自分達の娘として育てようと。

 村のみんなも、憲兵たちも一生懸命説得して、どうにかこの子を受け入れて貰おうと。

 

 例えどんな結末が待ち受けようと、どんな苦難があろうとも、後悔はしないと決めました。

 

 結果として、夫婦の努力の甲斐もあってか、魔族の女の子は村のみんなに受け入れて貰えました。

 それから、魔族の女の子は農園や夫婦の家の中でだけでなく、日の下で堂々と歩くようになりました。

 ある時は村の子供達と遊んだり、ある時は駐留する憲兵たちの訓練を見学したり、近所の老人たちからお菓子を貰ったりしました。

 いつの間にか村の住民達は、魔族の女の子が自然に村に馴染んでいる光景を自然なモノと受け入れるようになりました。

 

 そんな女の子の様子を見る度、夫婦はやはり娘に迎え入れてよかったと思うようになりました。

 魔族であることなど、2人にとってはもはやどうでも良いことでした。

 今はただ、ひたすらに我が娘が可愛くて仕方在りませんでした。

 

 

 ただ一つ、残念なのは。

 

 

 女の子は未だ、自分達に人間らしい笑顔を見せていないことでした。

 既にそんな事関係ないくらいには、夫婦は娘を可愛がっていましたが、それでもいつかは、自分達と変わらないくらい笑顔を見せるようになってほしいと、2人は願っていました。

 

 

 

 

 

 ですが、そんな2人の願いは叶うことはなく。

 村は、戦火に巻き込まれ、炎に包まれてしまいました。

 彼ら家族の家と農園もまた、村を攻め込んだ者たちによって焼かれ、その炎の中で、2人は既に動かぬ体となってしまいました。

 

 既に誰も生きた人間などないその家に、彼らの娘は帰ってきました。

 娘は、何の表情も浮かべることなく、動かなくなった2人を見下ろします。

 結局、彼らの願いは叶わず、娘は最後まで笑顔を浮かべることはありませんでした。

 

 しかし、娘は表情を変えることはありませんでしたが。

 燃える家の中で、2人から離れようともしていませんでした。

 既に家の中を火が回りきり、逃げ道などなくなっているというに。

 

 娘は慌てる様子もまた見せず、ゆっくりと倒れた2人の傍に座り込み、そこから動こうとしませんでした。

 

 人間の夫婦と娘の魔族。

 やがて彼ら家族は最後まで離れることはなく、家の炎の中に姿を消していったのでした。

 

 

 

 

 

“はい、これでおしまい”

“えぇー、続きはないのおばあちゃん?”

“ごめんよアンジュ。私も母さん────アンタのひい婆ちゃんから聞いた話はこれだけなんだ”

“結局、3人はどうなっちゃったの? 一緒に何処かへ行っちゃったの!?”

“そうだねぇ。きっと今も、どこかで一緒に幸せに過ごしていると思うよ”

“えへへ・・・・・・だといいなぁ”

 

 

 

 当時、幼かった私。

 おばあちゃんからそんな昔話を聞かされても、私はその昔話に登場する3人が死んだなんて発想が浮かぶ訳でもなく、夫婦の2人もこの後すぐ目が覚めて、燃えた家から3人で脱出してどこかで幸せに暮らしたのだろうという、そんな勝手な思い込みをしていた。

 当時の私には、人の死が何たるかという物がよく分かっていなかったから、そんな発想がそもそも前提になかったのだ。

 だからその話を聞いた当初は、胸に残る僅かな息苦しさぐらいで、まるで気にもしていなかった。おそらく、この僅かな息苦しさは幼いながらにどこかでは実は察していて、後味の悪さを無意識に感じ取っていたのだろう。

 

 だがその無意識も、大きくなるにつれてはっきりと認識できるようになってくる。

 そして改めて、その時には既に亡くなっていたおばあちゃんの話が、どれだけ暖かくて、そして悲しい話だったかを認識した。

 それを初めて理解した時に、途端に湧き上がってくる涙と息苦しさを、今でも覚えている。

 当時のおばあちゃんが困ったような顔をしていたのは、私の察しの悪さに対しての呆れだったのか、それともいずれ理解するであろう私への憂いだったのか、今でも分からない。

 でも、この気持ちを当時のおばあちゃんと共有できなかったのは、少し残念だとも思った。

 

 

 

 でもね、それ以上に残念だと、思っていることがある。

 聞いた話では、家族は3人とも死んだって事だけれど、その事実を否定できるかもしれない存在が今、私の目の前にいたのだから。

 その事を共有できるおばあちゃんは、もうこの世にいない。

 

 

     ◇

 

 

 とまあ、ここまで語るのはよかったものの、正直な所アンジュがリーニエに抱く第一印象はあまりよろしくはなかった。

 魔族に襲われている所を助けてもらったかと思いきや、今度はその剣を自分に向けてくる始末。

 直前で立ち止まり、奥の林檎農園を気にし出したことから、あの昔話に出てくる魔族なのではないかと希望を持って、アンジュはリーニエへと話しかけた。

 どうにかリーニエという名前を聞き出せた後、アンジュはさっそく林檎農園へと足早へ向かい、収穫時の林檎を摘んでリーニエの元へと戻ってきた。

 

『あの、突然ですがこの林檎・・・・・・食べて頂けないでしょうか!?』

 

 持ってきた林檎を両手で差し出しながら、アンジュは頭を下げてリーニエに懇願した。

 子供たちと一緒にようやくここまで育ててきた林檎だ。元々ここで林檎を育て始めたのも、祖母から聞いたあの『林檎農園の魔族』の話の影響だった。

 もしかしたら、目の前に本人がいるのではないかと考えたら、いても立ってもいられなかった。

 

『・・・・・・』

 

 差し出され林檎を暫し流し目で見ていたリーニエはやがてそっとアンジュから林檎を奪い取り、一囓りしてみせる。

 咀嚼音が聞こえると同時、アンジュは顔を上げた。

 同時に、涙が湧き上がってきそうになった。

 あの林檎農園の魔族が自分達の林檎を食べてくれている。それだけで今までの苦労が報われる気分になったからだ。

 

 だが、その気分は一瞬にして消え去った。

 

『・・・・・・クソ不味い』

『へ?』

 

 リーニエの口から出た第一声のその感想に、アンジュは思わず口を上三角状に開けながら唖然としてしまう。

 

『酸味が足りないし、食感もダメ、心なしかパサついてる。適温で育てられてないのが丸わかり』

 

 唖然とするアンジュを尻目にリーニエは次々と辛口評価を連発していく。

 囓り途中の林檎をアンジュに返したリーニエは、すぐさまアンジュの傍を通り過ぎて林檎農園の方へ歩いて行く。

 

『あっ、ちょっとっ!?』

 

 スタスタと早足で林檎農園へ向かうリーニエをアンジュは慌てて追いかける。

 農園に隠れていた子供達が一斉に向かってくるリーニエから逃げ出すが、その事すらリーニエは意に介さない。

 やがて農園に辿り着いたリーニエは林檎の木々を始め、土から空気、細部に至るまで見渡し、やがて遠慮なく言い放った。

 

『土の状態もよくない、こんなんでよく育てられたな。唯一まともなのは魔物対策くらいか』

『あっ、はい・・・・・・』

 

 アンジュへ振り向いたリーニエは表情を一切作らないまま淡々と言い放つ。

 

『総括して言うなら、何でこんなの食べさせようなんて思ったの? というか、貴方達ふだんどうやってコレを食べてるの?』

『それは・・・・・・えっと、ここに「果物を3倍おいしく食べる魔法」があって・・・・・・』

 

 言い淀みつつ、一冊の魔導書を取り出して答えるアンジュ。

 

『・・・・・・要は子供騙しか』

 

 目を細めながら、怒るでもなく、ただ呆れるように呟いたリーニエの言葉に、アンジュの心の中はいよいよ限界になった。

 

(な、なんなのこの魔族(ヒト)~ッ!!)

 

 表向きは苦笑しつつも、アンジュの内心は穏やかではなかった。

 評価そのものは甘んじて受け止めよう。

 もしこの魔族があの例の林檎農園の娘であるというのであれば、専門家(かぞく)と過ごしていた彼女の方が知識も技術も経験も、此方より圧倒的な筈だから。

 

『・・・・・・次は』

『・・・・・・ん?』

『次は、負けませんから。もっといい林檎を作って、アナタを笑わせてあげますから!! それまで、待ってて下さいね!!』

 

 なんだろうか、元から勝負なんてしているつもりなどなかったというのに、つい強気な口調で言い返してしまった。

 涙目で訴えるように宣言するアンジュに対し、なおも冷たい流し目で見つめ返すリーニエ。その態度が余計にアンジュの中での悔しさを倍増させる。

 あの夫婦ですら叶えることのできなかった、娘を笑顔にしたいという願い。

 もし会えるのであれば、自分達の育てた林檎でその笑顔を引き出したい。それがアンジュの微かな夢でもあった。

 

『・・・・・・ふーん』

 

 そんなアンジュの宣言に何を思ったのか、目を細めてアンジュを見つめた後、再び農園の方へ振り向いた。

 その様子に訝し気になるアンジュであったが、次の瞬間。

 

 ────模倣(トレース)開始(オン)

 

 そんな声が聞こえると同時、唐突にアンジュの頭上に現れた一振りの剣が降り注ぎ、アンジュの手元にあった魔導書に刺さり、そのまま地面に串刺しの状態にしてしまった。

 

『えッ・・・・・・』

 

 反応が間に合わず、落としてしまった魔道書を唐突に見下ろすアンジュだが、更なる悲劇が彼女を襲った。

 突き刺さった剣の刀身が炎を纏い始め、その炎が魔道書を包み込んでしまったのだ。

 

『ああぁッ!!?』

 

 仰天して声を挙げてしまうアンジュ。

 急いで、魔導書だけでも取ろうとするが、剣から発せられる炎の熱がそれを拒む。

 炎を発生させる特殊な魔法効果を付与された剣は、そのまま魔導書を亡き者へ変えてしまった。

 

『あ・・・・・・ぁ・・・・・・魔導書が、おいしく、食べられる魔法が、なんて、ことを・・・・・・』

 

 力なく崩れ落ちる呟くアンジュ。

 それに対して歩み寄ったリーニエはアンジュを見下ろし、言った。

 

『おいしい林檎を作りたいなら、まずその魔法(甘え)を捨てないとね。・・・・・・私に、食べて欲しいと言ったね?』

『・・・・・・は、はい・・・・・・』

『なら、立て』

『え・・・・・・うわっ!?』

 

 落ち込むアンジュの手を容赦なくつかみ取り、リーニエは無理矢理にでもアンジュを立たせた。

 無理矢理立たされたアンジュを眼前に迫ったリーニエの顔を前に何も出来ぬまま、見ることしかできなかった。

 

『貴女も、後ろにいる餓鬼共も、一から矯正してやる。

 本当においしい林檎は、そんな物がなくたって美味いんだよ』

 

 無表情であるにも関わらず、有無を言わせぬ迫力にアンジュはコクコク、と頷くことしかできず、こうしてリーニエによるアンジュ達への林檎栽培の指導の日々が始まった。

 

 アンジュ達とリーニエが共に過ごすようになったきっかけは、そのような物だった。

 

 

 

 

 

 あれから数ヶ月くらいが経っただろうか。

 悔しいが、リーニエによる的確な指導の下、アンジュ達は例の『果物を3倍おいしく食べる魔法』を使わずとも、村に売りに出せるだけの林檎を栽培することができるようになっていた。

 どこからともなく持ってきた温度調整用の魔道具を設置したりだとか、雨よけのテントをより頑丈かつ日光を通しやすい物に張り替えたりなど、半分はリーニエがいなければ成立し得ない改善もあったりはしたが、こうしてアンジュ達はよりおいしい林檎を作り、ありつけるようになったのだった。

 

 そのような改善を重ね、初めて出来た林檎を食した時、子供たちと一緒に涙したのをアンジュは未だに忘れられない。

 これが本場の指導の入った林檎だとでも言うのだろうか。

 今まで自分達が作ってきたのは一体なんだったのかと、アンジュは複雑な気持ちになっていた。今までやってきた事が無駄だった、という訳ではない。

 体を使う農作業自体は体が慣れていたので、リーニエからの細かい指導はなかった。その農作業の手際自体も、自分達はリーニエの足下にも及んでいなかったため、当時のアンジュは半ば自信を喪失しかけていた。

 

 それでも、アンジュと子供達の日常の中には、いつの間にかリーニエがいる事が自然となっていた。

 見た目こそ可愛らしい美少女であるが、とにかく無愛想だし、どこか気怠げな空気を纏っているのもあって子供達は最初はリーニエに近づこうとしなかったが、それでも興味はあったようでリーニエの弓の訓練をこっそり見ていたり、リーニエの農作業の見事な手際にみんなで手を握って興奮したりなどしていた。その後、当のリーニエから見てないでお前等もさっさと手伝え、と無愛想な小言が飛んでくるのがセットであったが。

 

 アンジュにとって、既にリーニエの存在は日常の中になくてはならない存在にまでなっていた。

 

「とはいえ、みんなで育てた林檎を弓の的にしちゃうのはどうかと。アンジュは思う訳なんですけど」

「・・・・・・私の勝手でしょ。貴方達の取り分には手を出してない」

「そうですけど・・・・・・そうですけれど!!」

 

 書斎の本で顔を隠しながら、アンジュはため息を吐く。

 どれだけぶー垂れた所で、自分もリーニエの弓に見惚れて見学に参加してしまっている以上、何も言えない訳なのだが。

 現在、近くの村での林檎売りも終わり、一日の農作業の工程を終え、子供達が礼拝堂で遊んでいる中。

 アンジュとリーニエは、修道院の書斎の中で本を読み耽っていた。

 アンジュは修道院の僧侶として聖典の解読作業を、リーニエもまた魔族として女神の魔法に関する記述を探しては読み漁っていた。

 

 人間の僧侶と、魔族が、同じ空間で女神に関する書物を読むこと。

 それだけでも異常な光景だが、リーニエは気にすることなく堂々と入り浸っているし、最初は魔族を書斎に入れることに遠慮気味だったアンジュも今では慣れてしまっている様子だった。

 魔族は基本的に自らが生み出し、磨き上げた魔法以外は興味を示さない、とリーニエから聞いた事があるアンジュであったが、何事にも例外はあるのだろうと思うことにした。

 

「・・・・・・駄目だな。まったく関係ない項目にしか当たらない。人間の哲学に関する事なんか、今は興味がないっていうのに」

 

 積み重なった本の上に座りながら、気怠げに天井を見上げ、呟くリーニエ。

 現在、リーニエがこうして書斎に入り浸っているのは、自分が模倣した『女神の三槍』に関する資料を探しているからだった。何か見つけることができれば、自分が作る『擬・女神の三槍』やそれを改造した『三束の神槍』の改善のヒントとなるかもしれないと思って、こうして女神に関する聖典や書物を読み漁っていた。要するに、自分の魔法を高めるためという、至って魔族らしい理由だった。

 

「仕方ありませんよ。女神の魔法は、基本的にこういった、一見意味の分からない文を解読する事で見つけられる物ですから。『女神の三槍』も比較的最近発見された魔法ですので、解読されている中で関連した記述はまだ多くはないんです」

 

 苦笑しながら、アンジュはリーニエにそう言う。

 

「ちなみに、今はどの部分の章を読まれておいでで?」

「・・・・・・これ」

 

 リーニエが今どのような内容の本を読んでいるのか気になったアンジュの問いに、リーニエは気怠そうなまま、腕だけを動かしてページを開いたままの本をアンジュに差し出す。

 

「『罪と罰』、ですか・・・・・・」

「両方とも、それなりに理解しているつもりの概念だけれど、こっちは小難しいことばかり書かれていて結局何を伝えたいのかよく分からない」

「確かに、これは・・・・・・」

 

 ちょっと、小難しすぎるかな。

 一応、文章そのままの意味も理解できなくはないが、これももっと解読していけば新しい女神の魔法が発見されるのだろうか。

 だが今、リーニエが聞きたいのはその事ではきっとないのだろう。

 

「・・・・・・簡単に言えば、罪を犯した人間は、必ず何らかの形で罰せられる。けれど、罰が下るという事は、女神様はちゃんとその者の行いを見てくれているという事。だからこれを読んでいる人間も、例え罪を犯した自覚のある人間だろうとも、女神様は見放すことはないと、表面上は書いてありますね。その者の行いがどうであれ、どのような救いや罰が待ち受けていようと、女神様は何時以下なる時でも私達を見守って下さっている事だろうと」

「聞いてもっと意味が分からなくなった。結局、あのモンクが言っていた事と同じって事か?」

 

 聞いて損した、と言わんばかりにリーニエは姿勢を崩す。

 それを見たアンジュはふと、自分の読んでいた聖典のページに視線を戻しつつ、そこに書いてある一節を読み上げた。

 

「────“私達は、本質的には常に孤独である”」

 

 突然のアンジュの言葉に、リーニエは顔を向ける。

 

「以前、リーニエ様は仰っていましたよね。魔族には常に個人主義で家族の概念がない、と。なら人間の言葉で言うのならば、貴方達魔族にはみんなこの言葉が当てはまる。

 でも、私は思うんです・・・・・・人間もまたソレは同じなんだと」

 

 聖典のページをゆっくりと閉じ、アンジュはリーニエに顔を向けながら微笑もかけながら言う。

 

「私達人間だって、結局の所自分自身の事しか分かりませんし、家族や友人だって、いつかは別れなければいけない時が来ます。

 少なくとも、目に見える繋がりはいつかは切られてしまう。

 何もなくなったとき、それでも尚、親のように自分達を見守ってくれる誰かを、皆欲しがっている。そして最後には罰を与えて叱ってくれたり、褒めてくれたりする。

 私は、人々が女神様を信仰なさるのは、皆さんがそういった思いを根底に抱えているからじゃないかって、思っています」

 

 祖母と死別した時だって、あの時聞かされた昔話の本当の意味を理解した時だってそう。

 ヒトはいつか自分が持っている何かと別れを告げなければならない。

 

「結局の所、私達が本当にいて欲しいのは女神様そのものじゃなくて。如何なる時でも見守ってくれる『親』なんだと、そう思います」

 

 親、という単語を出しながらアンジュはリーニエの様子を伺う。

 リーニエがあの林檎農園の魔族であるという確証は、実のところアンジュにはない。そうだと信じてはいるものの、本人に直接言うのは憚られた。

 

「私だって、色々罪を重ねてきました。でも、自分の信仰に対しては真っ直ぐ向き合ってきたつもりです。でもそれを叱ってくれる人も、褒めてくれる人ももういません」

 

 強いて言うならば、以前までにこの修道院にいた先輩の僧侶たちこそが近かったのかもしれないが、その僧侶たちもこの南側諸国の戦争に駆り出されて、そのままだ。いつ帰ってくるかも分からないし、もしかしたらとっくに死んでいるのかもしれない。

 

「だから、もし本当に、辿り着いた人生の最後で、それを与えてくれる存在がいるんだとすれば、それを想像するだけで、救われる気分になるじゃないですか」

 

 そう言って、アンジュは微笑む。

 魔族にこういったことを説いたところで、リーニエの何かが変わったり、分かったりすることを期待しているわけじゃない。

 でも願わくば、これからも続くリーニエの魔族生の中で、少しでも自分の言葉が残ってくれれば。

 

『・・・・・・』

 

 何を思ったのか、リーニエは俯いて暫く沈黙する。

 やがて。

 

「・・・・・・じゃあ、私は?」

 

 そんな問いを、俯きながらアンジュに向ける。

 

「リーニエ様?」

 

 どこか様子のおかしいリーニエに、アンジュは訝し気に声を掛ける。

 

「人間をたくさん殺した私に、貴方達の言う罰は下るの? 『親』すら食べて、出会ってきた全てを踏み台にしてきた私に罪はあるの? 罰が下れば、私にも救いはあったという事なの?」

「リーニエ様・・・・・一体、何を仰って・・・・・・」

 

 リーニエの問いかけの意味が分からず、アンジュは呆然とする他なかった。

 概念だけを漠然と理解している魔族なりの疑問なのか、それとも・・・・・・そんな事はどうでもよかった。

 

「親を・・・・・・食べたって・・・・・・?」

「貴方達の言う終わりに辿り着いた事もなければ、その『罰』とやらも、私には下ったことなんてなかった。

 それは、私が魔族だから?」

「そ、それは・・・・・・」

 

 言い淀むアンジュ。

 その問いに対する答えを、アンジュは持ち合わせて等いなかった。

 例えどのような存在であろうと、女神様はちゃんと見守って下さると、そう断言できるのならばどれだけ楽だったか。

 

「・・・・・・つまらない事を聞いた」

 

 リーニエは本を元あった所に重ねながら、書斎の出口の扉へ向かう。

 

「リーニエ様っ! どちらへ?」

「同族狩り。序でに良さそうな土も探してくる。・・・・・・また後で」

 

 そう言い残して、リーニエは出て行ってしまった。

 1人残されてしまったアンジュは伸ばしかけた手をゆっくりと下ろし、手元へ視線を落とす。

 最後まで、リーニエの表情を伺い知ることができなかったアンジュ。

 

 本当は引き留めたかった。

 

 書斎を出て行くリーニエの背中がなぜか、道に彷徨う迷子のように思えて。

 それでも、アンジュはそれに踏み込むのが怖くなって、引き留めることができなかった。

 

「親を、食べた? ・・・・・・どう、して? だって、おばあちゃんから、聞いた話では、そんな、こと・・・・・・」

 

 脚色されていた、という事なのだろうか。

 だとすれば、自分が祖母から聞いた昔話もどこまで本当で、どこまでが脚色された噓なのか、分からなくなってしまう。

 

「・・・・・・でも」

 

 アンジュは顔を上げ、再びリーニエが去った扉の方向を見る。

 

「気付いておいでですか、リーニエ様。魔族には、親の概念なんてないって言っていた貴女様は今さっき・・・・・・自分に親がいたって、そう仰ったのですよ?」

 

 その背中はまるで、『罰』を求める幼子のようでもあった事を、アンジュは言い出せなかった。

 

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