剣の丘に迷い込んだ軌跡   作:ナスの森

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紡がれた理由

 

「それでもう十分じゃ。お前と、その竜の間でもう“格”は決まった。もうその竜がお前とお嬢さんに牙を剥くことはあるまいて」

 

 いつの間にかリーニエの背後に立っていた、杖を突いた初老の老人の言葉に耳を傾けつつも、リーニエの張り詰めた空気が収まることはなかった。

 だその警戒心は眼下の竜にあらず、己の背後に立ってみせた老人へと注がれている。

 

(……コイツ)

 

 眉を顰めるリーニエ。

 頭に血が昇って後ろを取られた自分の情けなさに腹が立ってくる。

 ……だが、それを差し引いてもこの距離に近付いて声をかけるまで自分に気付かれなかった老人の正体に関する疑問の方が先立ってくる。

 影の戦士ならば、()()()()()()()()()()()()()()()()違和感から気付くことができる。彼らのそういった驕りを逆手に取り、執行者時代のリーニエは彼らの内の何人かを討ち取ってきた。だが、この老人は違う。

 魔力制御技術において、魔力を消す事と、魔力を常に一定量に保つというのはまったくの別物だ。容器に完全に蓋をする事と、蓋を少しだけ開けたままにするのとでは、前者の方が遙かに簡単であるが故に。

 この老人はともすれば、周囲の自然物に溶け込むような、それと同化するような魔力を保ちながらリーニエの背後に立っていたのだ。

 執行者時代のリーニエや、葬送と謳われる魔法使いでもなければ、この領域の魔力制御は持ち得まい。

 だが、声をかけられたからには、最早リーニエが対応できない道理は存在しない。

 

「そんな言葉をかけられて、私がやめるとでも?」

「……そうじゃな。何もできなかった儂にお主を止める権利などない。儂の封印術やゾルトラークの発動よりも、お主が振り向く方が早い」

 

 ……よく分かっているじゃないか、とリーニエは老人に感嘆の意を抱く。

 “偽・神紀の砕剣(シュヴェア・ヴォルケⅡ)”は接近戦でも剣として振るえる魔剣だ。すぐにでも捻れた矢の形態から通常の剣形態に戻して振り向きざまに老人を切り裂くことなど、容易い。

 だからこそ、余計にリーニエは背後の老人に疑問を抱く。

 番えた矢を眼下の竜に向けたまま、されどリーニエの警戒が背後の老人から逸れることはない。

 

「……だが、今まであの竜が抑止力となってくれていたお陰で、今までこの街に他国の軍が攻め込まれる事もなかったのじゃ」

 

 街の民衆の驚愕とは裏腹に老人はそんな衝撃的な事実を宣ったが、リーニエは微動だにしない。

 薄々、そうなのだろうなと思ってはいた。

 

「だからとて、近くに竜がいることを知らせて街の皆を混乱させる訳にもいかん。だから、近くに竜の巣があることは敢えて伏せておった。元々、あの竜は自らのテリトリーに入ってくる者以外には危害を加えてこなかった。そのテリトリーに入った他国の兵士たちを追い払って以来、他国の軍はアレを警戒してこの街には攻め込んでこなかったのじゃ」

「……その竜が、脅威に回ったのならば話は別でしょ?」

 

 自分にはどうでもいい事だが、ならばこの老人にとっても自分を止める理由などない筈だ。

 

「だが、お主はあの竜を圧倒した。あの竜は、今まで天敵がいなかった。故に、この弱肉強食の自然界における己の立ち位置を掴めずにいたのだろう。……だが、ソレを思い知らせてくれる敵と出会った。竜は賢い生き物じゃ、そんな者が出入りすると分っている街に攻め込むことはもうあるまいて」

 

 巫山戯ているのかコイツ、とリーニエは出かけた言葉を呑み込む。

 要は、この老人は自分の強さを当てにして、この竜が今後あの街に攻め込まないだろうと言っているのだ。

 自分は、お前等の都合のいい魔除けになるつもりなどないというのに。

 

「巫山戯ているのかと、そう思うじゃろう? ……だが、戦に入り浸り、道徳を忘れた人間達の残酷さは、ともすれば竜を上回る。竜の炎で一瞬で焼かれるのと、タガの外れた人間達の悪意に晒されること……一体どちらがマシなことか」

 

 目を瞑りながら、老人はため息を吐いてそう言い切った。

 

「……頼む。儂にこんな事を言う権利がないのは分かっている。せめてもの誠意として、お主の間合いから声をかけたが、お主にとっては寝耳に水なのだろう。それでも……どうか……」

「……」

 

 頭を下げる老人。

 暫く弓に番えた魔剣の柄を離さぬまま沈黙するリーニエ。

 

「……1つ聞きたい。貴方、私の正体に気付いているでしょ?」

「……何の話じゃ?」

「さっき、貴方が口を滑らせた“封印術”とやら。そして、私の魔力探知すら潜り抜ける魔力制御。聞いた事がある、南側諸国には魔族の封印を生業とする対魔族に特化した魔法使いの一族がいると」

「……それだけで気付くのか。何、今ではしがない長老をやっている只の老いぼれだよ。こうして竜一匹追い払うことすら叶わん」

 

 魔族と竜では勝手が違いすぎるわい、とぼやく老人。

 

「儂も、ここでこうして“儂等一族の仕事が減った原因”と会う事になろうとは思わなかった。ここまで儂等に近い(魔族を殺し慣れている)感じをするとはな。その正体が同じ魔族だったと来れば、もうどのような反応をすればいいか分からん」

「それでどうするの? 私をここで封印する?」

「……まさか、恩人に手をかけるような真似はすまい。それに、そんな事をしたらもう一人の恩人から恨まれてしまう」

 

 若い女の子に恨まれるのだけはご免じゃからな、と老人は苦笑して付け加えた。

 老人の言う“もう一人の恩人”とやらアンジュの事であると即座に理解したリーニエは、ハッとなってアンジュは今頃どうしているか気になった。

 

「近くの冒険者たちに声をかけ、街の住民の避難を先導してくれたのはあの娘じゃ。その後も、竜の攻撃から逃げ遅れた街の人間達を庇ってくれた。

 お主の正体に確信が持てたのはそのすぐ後じゃった。怪我をしたお嬢さんを守るために展開したあの光の盾。住民達はあの僧侶のお嬢さんによるモノだと勘違いしていたがな……あんな魔的な気配のする盾が女神の魔法な訳がない。

 お嬢さんも驚いていたようだし、ならばその後ろにいるお主の仕業だということは容易に想像が付く」

「……だから?」

「……だから……あぁ、分っておるさ。儂にお主を止める権利などない。あのお嬢さんを傷つけられたお主にとって、あの竜は許せぬだろう。だから、儂の言葉を無視しても構わん。そんなことがあろうとも、儂はお主等に感謝こそすれ、恨みはしない。だがどうか……聞き入れては貰えんか?」

「……カンム一族ともあろうものが、魔族に頭を下げて乞う、ね」

 

 滑稽過ぎて腹が痛くなりそうだ、とリーニエは皮肉る。

 リーニエとしては、老人の頼みを聞く義理など、ない。

 むしろ、この竜と一緒にこの老人も一緒に始末した方がいいとさえ思っていた。

 老いぼれといえど、魔族の封印に特化したカンム一族の出で、リーニエの背後に立つ事ができる程の魔力制御技術。そして、何よりリーニエの正体を知っている。

 この老人は脅威だ。今の内に処理した方がいい。

 

(……でも)

 

 この老人は、あの街の長老だ。

 それを始末したリスクは果たして……。

 

(リスクを被るのが、私だけならいい)

 

 その場合なら、自分が疾くここを去ればいいだけの話だ。

 でも、アンジュは違う。

 街の住民は既に、自分とアンジュが一緒にいる所を何度も目撃している。

 いなくなった老人と、いなくなった少女。その少女とよく一緒にいた人間。

 人間達の疑いの目はアンジュにも向かう。

 ……そんなリスクを考えていた時。

 

『■ッ、■■ッ……』

 

 崖下の瓦礫が持ち上がる。

 最後の力を振り絞り、立ち上がった満身創痍の竜は、瓦礫の下敷きの状態から脱していた。

 

『■ッ、■ッ、■■■ッ……』

 

 さりとて、飛べる力も。まともに立てる力も既に残ってはいない。

 竜は苦しそうなうめき声を上げながら、渓谷の底を這いずってここから立ち去ろうとしていた。

 

「ッ」

 

 それを見逃す訳も無く、リーニエは弓の照準を移動した竜の体に向けて合わせ直す。

 捻れ細った魔剣の切っ先は、寸分違わず竜の頭部を捉えている。

 後は、この手を離せば終わりだ。

 そして、その魔剣の柄から手を離そうとして────。

 

“今まであの竜が抑止力となってくれていたお陰で、今までこの街に他国の軍が攻め込まれる事もなかったのじゃ”

 

 不意に、先ほどの老人の言葉が頭を過ぎる。

 同時に、矢から離れようとしていた手も止まった。

 

 後ろの老人は、己という強者がいる限りは、あの竜はあの街に手を出さないだろうと。

 だが、それは自分がずっとこの街に出入りする事を前提とした危うい平和だ。

 ……でも……それでも……。

 

 ────いいじゃないか。どうせお前は、アンジュ達から離れる気なんてないだろう?

 ────少なくとも、アンジュ達がその生を全うするまでは、執行者に戻らなくてもいいと、そう考えているんだろう?

 

 しかもそれで……

 

 ────それで、結果的に犠牲者が減るというのであれば。

 

「ッ」

 

 再び、霞がかった思考がリーニエに過ぎる。

 不快感が胸にせり上がってくるリーニエだったが……この思考に従わねば、己は後悔すると、なぜか直感する。

 色々考えた末にリーニエは。

 

「……」

 

 弓の構えを解き、魔剣を持っていた手をダランとぶら下げた。

 途端に、矢の形状に捻れ細っていた剣は、剣の形状へと戻る。言外に、あの竜を討つ意思はもうないとリーニエは老人に表示した。

 

「……礼を言う。人を想う、気高き魔族よ」

 

 再び、リーニエの背に向けて老人は頭を下げて礼を言った。

 リーニエがあの竜に抱く怒りさえ、本来ならば大切な人を想うが故の尊い感情。

 その感情を押し殺してまで、この魔族の少女は自分の頼みを呑んでくれた。

 それが分っているからこそ、老人はリーニエに精一杯の感謝と敬意をその一言に込めた。

 

「……」

 

 一方で、リーニエは老人の顔など見たくもないのか。

 その背を向けたまま、街の方角へと歩き始める。

 

「……お嬢さんは今、宿屋で治療を受けて眠っておる。会いに行っておやり」

 

 そんな老人の言葉を耳にしたリーニエ、振り向かぬまま街の方へと跳んでいった。

 ……その背中を見届けた老人はホゥ、とため息を吐く。

 

 

「……まったく、難儀な事じゃ」

 

 

 先ほど去って行った魔族の少女を憂い、老人は空を見上げる。

 一面の青空は無事訪れた平穏を祝福しているようにも、これからの行く末を嘲笑っているかのようにも見える。

 あの少女は魔族だ。

 今では一族を抜けたといえど、カンム一族の出である老人が人間の営みに出入りする魔族を放っておく道理などありはしない。

 

 それでも、老人の中に、リーニエという魔族を疑うという選択肢はなかった。

 なぜなら────

 

 

「────もし、あの表情(かお)さえもが作り物ならば、儂等人間はとうに魔族に滅ぼされている」

 

 

 老人は思い返す。

 あの時、リーニエの出した光の盾に守られた人達が、それをアンジュのおかげと思い込んで、集まって賞賛していた時。

 

 老人は、遠くから見ていた。見てしまっていた。

 竜が逃げていく前に、寄って集って喜ぶ民衆たちを見つめていたリーニエの表情を。

 

 本来ならば、一番に賞賛され讃えられ、感謝されるべき者が。

 そんな状況に一番不満を持つべき本人が。

 この街で、一度も笑ったことない少女が。

 

 ────あの中で、一番、救われた表情をしていた事に。

 

 噓であってくれ、と思った。

 感謝さえも求めず、その感謝が他の者にだけ向けられている事に不満すら抱かず……魔族の少女が、ただただ守れた人間たちだけを見つめて、幸せそうな笑みを浮かべていたのだ。

 

 そんなこと、あってたまるかと思った。

 魔族だとか、人間だとか、そんな問題じゃない。

 年相応に笑っているべき少女が、あの状況で、あんな笑みを浮かべるなんて、あっていい筈があるか。

 一切の見返りも、感謝も求めないで、ただ「守れた」という事実にだけに笑えている少女がいるなどと。それが魔族ともなれば、一体どのような人生を送れば、あそこまで壊れることができるのか。

 

「……本当に、難儀なことじゃ」

 

 そこまであってようやく、自分があの少女を信用できるという事実が、老人は何より腹だたしかった。

 

 

     ◇

 

 

────I am the bone of my sword.

 

 男の声が、聞こえる。

 その言葉に、聞き覚えはあった。

 何処の言葉かは、相変わらず分からない。

 でも、いつの間にか自分の日常の中に入り込んでいた少女が、同じような言葉を発していた。

 

────Steel is my body, and fire is my blood.

 

 またもや、聞き覚えのある一節。

 その一節が聞こえると同時に、薄らと、その風景は見えてくる。

 朝焼けの空。

 その下に広がる、無数の突き刺さった剣が広がる荒野。

 その荒野の丘に立っている一人の少年の背中が見えた。

 

────I have created over a thousand blades.

 

 次の男の一節が聞こえると同時に。

 またもや剣の丘の風景は一変した。

 歪な金属音と共に、雲の上からつり下がるように現れた無数の歯車が空一面に現れ、力強い朝焼けの光を覆い隠す。

 同時に、空模様自体も力強い朝焼けから、終末を匂わす夕焼けの薄暗さへ。

 そんな無数の歯車に覆われた夕焼けの空の下、その剣の丘に立っている背は少年ではなく、赤い外套の騎士の姿。

 

 体中に剣が突き刺さり、その背の向こうにある表情は窺い知れない。

 

 ……なんて、悲しい背中なんだろうと、アンジュは思った。

 この赤い外套の背中が、この終わりの風景が、最初に見たあの少年の行き着いた先だとでも言うのか。

 

──Unknown to death./──Unfaced to darkness.

 

「……え?」

 

 次の一節が聞こえたと同時に、アンジュは思わず耳を疑った。

 男の聞き覚えのない続きの一節が聞こえると同時に、聞き慣れた少女の声による聞き覚えのある一節が聞こえた。

 ノイズと共に、その赤い外套の背中と、見覚えのある華奢な背中が交互に重なり始める。

 風景は、歯車の浮かぶ夕焼けから、闇夜に輝く満月の空へ。

 ノイズと共に、交互に見える景色が代わり始める。

 

──Nor Known to life./──Nor faced to light.

 

 やがて、重ねられるように、男と少女による異なる一節を聞き終わると同時に。

 その風景は完全に切り替わった。

 見覚えのあるその背中には、先ほどの外套の騎士の背中と同じように、剣が突き刺さっていた。

 月の光に照らされた荒野の全容は、霞がかったように見えない。

 

 見えるのは、月の光に照らされて見える、桃色の髪を下ろし、2本の角を生やした見覚えのある少女の背中と。

 モザイクの大地に突き刺さる無数の剣。

 

「……駄目」

 

 思わず、呟いた。

 

「……そんなの、駄目……!!」

 

 男の辿り着いた風景を、その人生を否定したい訳じゃない。その生き様を知れば、たとえどれだけ悲惨な結末だろうとも、否定できる筈もない。

 でも、貴女様がソレを辿るのは、間違っている……!!

 

 だって、そうなったらいよいよ救いようがないではないか。

 その道を貫いた男も、その道を知らず辿ろうとしている少女も、どちらも救われないではないか。

 

 だから、必死にその背中に手を伸ばそうとして────

 

 

 

 

 

「…………ん」

 

 心地よい、フワフワとした布地に包まれた感覚と共に、目を覚ました。

 窓から差し込む薄明るい光が、既に刻は夕方に差し迫っていることを否応なく示す。

 

「もうこんな時間って……えっ!?」

 

 目を擦りながら周囲を見渡すと同時に、その光景に絶句した。

 ベッドの周りにあったのは、部屋の隅々までに置かれた包み物の数々だ。

 どれも豪奢な飾りで梱包され、アクセサリーや新鮮な高級果物、食材。中には作り置きの料理までもが大量に置かれていたのだ。

 まるで、功労者でも讃えるかのような、そのような空気を放つ物ばかりだ。中には手紙付きの物まであり、そこには「街を守ってくれて有り難う」や「聖女様万歳」、「リーニエちゃんとの百合マダー?」などのメッセージが添えられていた。

 

「え……あれ……なんでこうなって、私、確か……」

 

 両手で頭を抱えながら、アンジュは眠りに就く前の事を思い出す。

 確か、リーニエ様と話していたら街に竜が襲いかかってきて。

 リーニエ様が私を守る為に出してくれた光の盾で竜を返り討ちにしてくれた、その際に私が光の盾を出した術者だと勘違いされて、治療を受けて、そして────。

 

「そうだ、私、治療の途中に倒れて────街の皆様は? リーニエさまは……」

「目が覚めた?」

 

 突如、聞き覚えのある声がしたアンジュはバッとその方向へ振り向く。

 そこには……壁際に座って、プレゼントの中から漁った林檎を囓っているリーニエの姿があった。

 

「リ、リーニエ様。このプレゼントの数々は一体……?」

「“街中の皆から、街を救った聖女様へ”……だってさ」

 

 シャクシャクと林檎を囓りながらリーニエは立ち上がる。

 未だ置かれた状況を飲み込めないアンジュに対し、リーニエはプレゼントを避けながら歩み寄ってくる。

 ベッドの傍にあった椅子に腰掛け、リーニエは何処か優しげにアンジュと目を合わせた。

 

「とりあえず。今までの経緯を説明するよ。……アンジュにとっては、ちょっと面倒くさい事態になってるけれど……」

 

 少しばかり後ろめたそうに目を逸らしながらリーニエは今までの経緯を説明した。

 あの後、竜は息を吹き返し、リーニエがその後を追った事。

 竜を追い詰め、止めを刺す直前に後を追ってきた長老に呼び止められ、結果的に竜に止めを刺すことはやめにしたこと。

 そして、街の外でリーニエが竜を追い詰めている間に、宿屋で治療を受けていたアンジュはそのまま倒れたそうだった。

 

「原因は魔力枯渇と、傷と疲労。暫くは安静にした方がいいって医者が言ってた」

「……そう、ですか」

「一応、アンジュが眠っている間に一度修道院の所に帰って、餓鬼共に説明はしてある。今夜、馬車で荷物ごと私達を修道院まで送ってくれるってさ」

「それは、心配をかけた事でしょうね。リーニエ様も、態々戻って頂いて有り難うございます」

「別に。本当は凱旋式なりして盛大に振る舞ってあげたいって街の人達が言っていたんだけど、長老がアンジュの体調を気にして贈り物にしようって形で街の人達を説得して回ってた。その結果がこれら」

 

 成程、とアンジュは一先ず納得した。

 これらの贈り物は皆、街中の人々が“街を救った英雄アンジュ”に向けて感謝の意を込めて、それぞれここに置いていってくれたという事なのだろう。

 ……その事に、アンジュはむず痒い感覚になった。

 だって、本当に街を救ったのは自分ではなく……。

 

「……その感謝は、リーニエ様にこそ、向けられるべきじゃないですか……」

「結果的に私もその報酬に肖れているし、問題はない」

「そういう問題じゃ、ないです……っ」

 

 特に気にした風もなく林檎を囓りながら言ってのけるリーニエに、アンジュは段々と腹が立ってきた。

 見てしまったから……朧気ながら、彼の者が辿った道を。

 その道を、自分が大切だと思う少女が、また歩もうとしているんじゃないかって。

 “自分よりも誰かの方が大切”なんて生き方を、この少女にしてほしくなんてない。

 アンジュは、リーニエを幸せにしたかった。

 いや、もっと欲を掘り下げて言うなら、リーニエと一緒に幸せになりたいのだ。

 

 リーニエはきっと、彼女自身魔族らしく振る舞っているつもりなのだろう。

 だが、既に彼の生き方の“片鱗”が所々に現れてしまっているのを、アンジュはこれまでを思い返して確信してしまった。

 

 だって、今まで散々魔族らしい理由を取って付けておいて、その行動の全てがリーニエ自身ではなく自分達のためであると今更ながら気付いてしまった。

 だって、魔族を殺し続けた所で彼女に何の得がある?

 態々一カ所に留まり、守り続けた所で、魔族としての彼女は何を得られる?

 今回だって、本当に街を救った英雄なのは彼女の筈なのに……なんで何の見返りも感謝も求めず、平然とソレを受け入れている?

 

 魔族だからとか、人間だからとかの問題じゃない。

 

 あぁ、分かってしまった。

 

「……体は(つるぎ)で出来ている」

「っ!?」

 

 ポツリと、呟いたアンジュの言葉に、リーニエは思わず目を見開いた。

 その反応を、アンジュは見逃さない。

 

「それが、あの呪文の意味なんですよね?」

「……なん、で……」

 

 珍しく、分りやすく表情を変えて言い淀むリーニエ。

 彼女からしてみれば意味が分らないだろう。

 この世界の物ではない言語を用いた詠唱。その意味がまさかバレるなんて誰が予想できようか。

 

「後の節は分りませんが、彼も、貴女も、最初にその呪文を言っていました。さっきまで見ていた、夢の中で……」

「……」

「何ですか……ソレ、そんなの、まるで呪いじゃないですかっ!? 貴女様は、そんな呪いを(うた)いながら、今まで一人で生きてきたというのですかっ!?」

「……呪いじゃない。私は私自身の為の“剣”。魔族とはそういう物だよ、アンジュ」

 

「それが……違うって言っているんですっ!!」

 

 話が噛み合わず、アンジュは余計に声を荒げる。

 涙が止まらない。

 ……あぁ、きっとこの少女は自覚なんてしてない。

 魔族としての在り方から逸脱している癖に、未だ持ち続ける魔族としての精神と自意識がソレを拒んでしまっている。

 自分自身の為の剣でしかないというのならば、彼女の今までの行動とまったく噛み合っていない。その行動を、彼女は自身のためでしかないと信じ切ってしまっている。

 

 なんて、救いようがないんだ。

 

「……もう、いいじゃないですか。リーニエ様」

「アンジュ?」

「執行者なんてやめて……剣なんて捨てて……ずっと、あそこで皆と暮らしましょうよぉ……」

 

 ────お願いですから、“正義の味方”にだけは、ならないで……。

 

 きっと、戻れるって信じてる。

 彼女自身に、明確にソレになろうという意思が生じてしまったのならば、アンジュはもう止めることができない。

 だが、まだ()()()()()()()()()の段階ならば止められる。

 その意識に目覚める前に、人間らしい“幸せ”を与えてやれれば、きっとあの農園で幸せにいた頃の彼女に戻すことができるかもしれないと。アンジュは縋り付くように、リーニエに懇願した。

 

 暫し、沈黙が場を支配する。

 泣き続けるアンジュを、リーニエはじっと見つめる。

 

「……最初の問いに、まだ答えてなかったね」

「えっ?」

「あの時、竜の襲撃で有耶無耶になっちゃったけれど……」

 

 俯きながら、リーニエは話し始める。

 

「“彼”の事を言い出した時は驚いたし、なんでそんな物を見れたのか、疑問だけれど。……正直、アンジュが何を言っているのか、分からないんだ」

 

 目を細めるリーニエの手は、力弱く握り拳を作っていた。

 その様が、まるで幼子が泣くのを我慢しているかのように、アンジュには見えた。

 

「……でも、それはきっと、私自身が、私について分からないから……なんだろうね。アンジュと暮らし始めてから……全部が分からなくなっちゃった。なんで私は……執行者なんて、やっていたんだろうね。

 だから、アンジュが私についてどう言った所で、私が私を分からないから、分かる筈も、ないんだ……」

 

 結局、自分の言葉は目の前の少女には届かなかったのかと、アンジュは目を伏せて落胆するが、次のリーニエの言葉でまた顔を上げる事となる。

 

「でも今は……貴女達と一緒にいる間は、執行者に戻らなくてもいいって……そう思っている。今はとにかく、貴女達と一緒にいられればそれでいいんだって……多分、思ってる」

「リーニエ、様……?」

 

 アンジュは、リーニエの口から出たその言葉に、信じられず唖然となる。

 今まで魔族らしい論理を並べてきたリーニエから、そんな言葉が出てくるなんて、思いもしなかったからだ。

 

「あの竜にアンジュを傷つけられた時……すごく、苦しい感覚がせり上がってきたから……確証はないけれど、多分、貴女達人間で言うなら、“失いたくない”って思ったんだと、思う……」

 

 リーニエは思い返す。

 あの時の自分は、冷静じゃなかった。冷静でなんて、いられなかった。

 魔族らしい合理的な思考すら飛び越えた熱。

 自分の残りの魔力なんて気にもせず、“偽・神紀の砕剣(シュベア・ボルクⅡ)”まで使おうとした。

 

「魔族の言葉なんて人間を欺く物でしかないけれど……でも、これだけは……この言葉だけは本当だって、どうか信じて欲し……ッ」

 

 その言葉に、アンジュは、とうとう耐えられなかった。

 怪我で痛む体なんて気にせず、飛び出した体とその両手でがっちりとリーニエの体を抱きしめる。

 

「リーニエ様っ、リーニエ様っ、リーニエ様ぁッ……!!!」

 

「アンジュ……その、あんまり動くと、傷が……」

 

 何か言っているが、そんな物知ったことかと言わんばかりにアンジュはリーニエを抱擁する。

 完全に安心できたわけじゃない。リーニエは執行者をやめると言ったわけではない。

 

 それでも、自分達と一緒にいたいのだと、その口から言ってくれたのだ。

 今まで魔族らしい御託を並べて一緒にいる理由を作っていたリーニエが、そう、言ってくれたのだ。

 まだ時間はある。

 これからたっぷり、この少女の幸せを取り戻してあげるのだと、アンジュは自らの心に誓った。

 

 迎えの馬車の知らせが来るまで、アンジュの抱擁は続いた。

 

 

     ◇

 

 

 これは、リーニエがまだアンジュと会う前の頃。

 一つの戦いに、幕が下りた。

 無名同士の魔族の殺し合い。

 “話し合い”を求めた無名の大魔族と、ソレを拒む無名の執行者との戦い。

 

 両者の戦いは痛み分けに終わったが、無名の大魔族が負った傷はより致命的だった。

 

「ハァ、ハァ……アッ────」

 

 傷を負った無名の大魔族が、森の下の地面に無惨にも崩れ落ちている。

 人間の女性がよく着ているのと同じその着物の下は、既に人らしい形の原型を留めてなどいない。

 その服の下はズタズタにされた血肉に溢れており、残った魔力を回復に回すも、彼女自身の機能が故障していてはそれすらままならない。

 

「フ────フフフフッ」

 

 それでも彼女──ソリテールは笑っていた。

 

「まさか……あんな、隠し球、持ってた……なんて。先にとっておきを出したコッチが……バカみたい、フフフ……」

 

 ソリテールの肉塊が震える。

 

「このまま……再生、できても……見せかけ、だけね……力が戻るの……一体、何十年かかるのかしら……」

 

 それほどまでに、少女が最後に繰り出した“アレ”はとんでもない代物だった。

 まさか、見せかけの笑顔すら剥がれる日が来るなんて思いもしなかった。

 正常な思考など吹き飛び、今でも思い出しただけで身が竦み上がる。

 

「まったく……本当に、死ぬかと……いえ、今でも、死にそうだけれど……一瞬、シュラハトの予言……疑っちゃったじゃない……私が死ぬのは、未来での、フリーレンとの戦いの筈、なのに……フフフ」

 

 本当にそれを待たずしてこの身は息絶えるのだと、さっきまでソリテールはそう信じて疑わなかった。

 それでも、ソリテールはまだ生きている。

 あの少女が放った矢はソリテールには当たらなかった。

 ただ、ソリテールの全魔力を注いだ防壁をいとも容易く突破し、ソリテールはその余波を受けたに過ぎない。

 

 それですら、このダメージだ。

 まともに食らっていれば、この命はとっくになかっただろう。

 

 ……そう思っていたその時。

 

 突如、カランカランと、空から何かが落ちてくるような音を、ソリテールの聴覚は聞き取った。

 

「あれ、は……?」

 

 気になったソリテールは辛うじて這いずりながら、空から落ちてきたそれの元へ向かう。

 彼女が這いずさった後には、夥しい量の血が擦り付けられる事となった。

 その痛みにも構わず、彼女は好奇心の赴くままにソレを手に取る。

 

「これは……あの剣の、柄……」

 

 手に取ったソレは、どことなく装飾が、かつて戦った勇者ヒンメルの剣の物に似ている。

 その刀身は砕け散っており、矢として放たれた時の威容は見る影もない。

 それが逆に、余計にソリテールの身を震わせた。

 

「フフフ……噓、でしょ……?」

 

 辛うじて笑えているが、その事実を前にしては実の所まったく笑えない。

 

「使い捨てにしたっていうの……あれ程の、剣を……? フフフ、本当に、狂っているわね……」

 

 こうなると、いっその事逆に笑えてくる。

 ……しかしソリテールが笑っているのも束の間、刀身が砕けたその柄は、黒い魔力となって霧散していった。まるで、魔族の死体のように。

 

「……解析まで、させてくれないなんて……ホント、抜かり、ない……」

 

 あぁ、自分は用心深いつもりだったが、その用心深さにある僅かな隙間、その緩みにすら、あの少女はつけ込んできた。

 まさかあのタイミングで反撃の布石を打っていたなんて、誰が予想できようか。

 あの少女に『剣』で勝負に出た事が、そもそもの間違いだったという事だろう。

 本当に、その抜け目のなさに脱帽する他ない。

 伊達に執行者とは呼ばれていない訳だ。

 たとえ衰えようと、その観察眼は健在だったというわけだ。

 

 おかげで、割に合わない反撃を貰ってしまった。それでこの様だ。暫くは知り合いの魔族とも直接会うのは避けねばならない。

 

「フフフ……でも、あの娘の反応は、興味深かった、わね……」

 

 あの娘について興味深い事はいくつもあった。

 その在り方。その異様な魔法。

 魔力の等価交換の法則を悉く無視し、次々と見覚えのある剣を造り出す魔法についても、ソリテールの興味は尽きない。

 ……しかも、一部の魔剣については、オリジナルにあったデメリットが明らかに踏み倒されているではないか。

 そのデメリットを踏み倒している部分にこそ、あの異様な魔法の正体に繋がるヒントが隠されているのではないかとソリテールは睨んでいるが、今はそれはどうでもいい。

 

 今、自分が追い求めている研究テーマにおいて、あの少女はとても興味深かった。

 

「“家族”……その言葉に、貴女は一瞬止まった……それが、貴女の在り方の源泉なら……フフフ、興味深いわぁ……」

 

 だからこそ、ソリテールは笑う。

 どれだけ苦痛に蝕まれようと、その苦痛が何十年続く物であろうとも、楽しくて、興味深くて笑う。

 

「おそらく……マハトのように破綻したわけじゃない。あったであろう“何か”がなければ、貴女達家族の、共存は……ずっと、最後まで、続いていたのかしら……? それとも……いえ、今はないものを論じても……仕方ない、わね……」

 

 そうだ。

 結局、少女に何があって、その“共存”は崩れて、少女の在り方をどう決定づけたのか、直接目にしていないソリテールには分らない。

 なら、また待てばいい。

 

 “少女”の良い共存相手の人間が、またできるまで。

 それが“家族”とも呼べる間柄ならば、なおいい。

 

 一度起こったのならば、マハトのような破綻ではなかったというのならば、少なくともマハトよりは可能性はあるだろう。

 もう一度、ソレが崩れ去った時……少女は如何するのか。

 

 

「フフフ、楽しみだわぁ……」

 

 

 

 完成(終わり)の時は、一刻と近付いている。

 




七話のソリテール戦での感想で、「リーニエは勇者の剣を貯蔵しているのか?」といった内容の質問を幾つか受けていた事を思い出しましたので、今更ですがここで回答を。

結論から言えば、貯蔵自体はしています。


例えばリーニエが模倣する「偽・神紀の砕剣(シュベア・ボルクⅡ)」の柄の部分は、勇者の剣(本物)の解析可能領域の部分を一部流用しており、そのため装飾が似ております。エミヤの螺旋剣の柄の装飾がエクスカリバーやカリバーンに似ているのと同様に。
 リーニエが見たオリジナルの神紀の砕剣(シュベア・ボルク)はあくまで残骸だけで全ての構造情報は得られなかったので、同じく神話の時代の剣である勇者の剣から解析できた幾つかの要素を流用して今の改造品がある訳です。

 ですが、「勇者の剣」そのものを模倣しようとすれば────(後はお察し)
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