あの時も、そうだったのだろうか。
アンジュたちと過ごしていく内に、段々と、彼女たちを失いたくないと、別れたくないなんて思いが、私の中に募っていく。
────地獄を見た。
傷付き、血を被った。
────地獄を見た。
動きを模倣した。武具を模倣した。
────地獄を見た。
気付けば、周りには何もなかった。
アンジュのふとした笑顔。悲しい顔。怒った顔。
子供達が私に向けてくれる慕情。
人間に擬態するために獲得した魔族のまがい物とは異なる、本当の心。
それは、あの地獄の中には決しては存在しないものだった。
あの地獄は、そういったモノを悉く踏みにじるものだった。
踏みにじってきたのは、私自身。
敵も、味方も、全てを切り捨てて。
自分以外、屍しかない空虚な荒野に、私はただ一匹佇んでいる。
それは、果たして正しい事だったのか?
────最初に、その地獄を見た。
燃える村、燃える林檎の農園。
頭の中に過ぎるその地獄を払拭したくて、地獄を作っては、潜りぬけてきた。
最初の地獄。
それに直面する前から……私は既にその温かさを知っていた……?
……知っていたからこその、“地獄”なのか?
……未だ、口の中に残り続ける苦い肉の味が、間違いを訴える警鐘だったというのであれば。
私はあの時……どうするのが正解だったのだろう。
◇
竜の襲撃から一ヶ月ほどが経った頃、南側諸国では珍しく雪が降り注いだ。
雪が年中降り積もる地域で有名なのがシュヴェア山脈を始めとした北側諸国の地域であるが、今回は北とは真反対に位置する南側諸国。冬の季節でさえ温暖な気候が訪れるこの南側諸国において、珍しくその雪は降り積もったのだった。
「おーい、こっちこっちっ!!」
「えへへ、当たらないよーだっ!!」
修道院の敷地の中で、雪玉を投げ合って遊ぶ子供達。
その様子を、玄関前に座ったリーニエは事も無げに眺めていた。
「……」
一面に広がる白一色の雪景色。
地域にそぐわぬ肌寒さ。
だが、子供の持つ活動力と快活さとは不思議なもので、そんな寒さをモノともせず、彼らはああして雪玉を投げ合ったり、雪だるまを作って遊んでいた。
雪玉はともかく、雪だるまに関してはお世辞にも上手いとはいえない。
そもそも、南側に生まれ落ちた子供達にとって、雪景色という光景自体が人生で初めてだろう。
そんな未知の世界に対する好奇心の後押しも掛かってか、子供達が遊び疲れる様子はない。
……リーニエは、ふとまた、執行者として生きる前の自分を思い出した。
まだ自分があの子供達とそう変わらない背丈だった頃、自分もまたあのように村の子供達と戯れていた時があった。あらゆる動きを模倣できるリーニエは『
そして、遊び道具が壊れた時、魔力で代わりになるモノを作ってそれでまた遊んだ。
……その時は、自分はまだ彼の心象世界を模倣する前であったが、自分が少なからず使いこなせたのは皮肉にもこういう下地があったからこそだったのだとリーニエは今更ながら思い返す。憑依経験の代用となる魔法を編み出し、投影魔術の代わりとなる、魔力でモノを生成する魔法を磨き上げる。後者は魔族の中では基本とされる名前すらない魔法だが、彼を模倣する前から飽きる程ソレを行使してきたリーニエは、その下地が己の剣製に生かされていたのだとようやく実感する。共感できずとも、対面し模倣することで経験を後追いできるリーニエだからこそ、共感性に欠ける魔族でありながら剣製をある程度使いこなせるのだ。
(……どうして、今更思い出すんだ……)
そして、それを実感する程に、今更ながらその記憶を思い出したリーニエは、手を見ながら自問する。
思考とは裏腹に、その表情は晴れてはいないものの、さして煩悶も見られない。
……本当の所では、もう薄々理解しているから。
(“
最近になって唱えられるようになった、リーニエ自身の詠唱。その2節目の意味の理解にリーニエの頭脳は到達しようとしている。
……最初から、勝利を求める必要なんて、なかったのだろうか。
……ただ目を背けてきただけで、本当に欲しかった物を、自分は既に手に入れていたのだろうか。
……たとえソレが、今では手の届かない月の光のようだとしても。
(……じゃあ、私は今まで何のために……)
今まで間違っていたというのならば、どうするのが、正解だったのだろうか。
静かに目を伏せて煩悶するリーニエ。そんな彼女の意識を現実に引き戻したのは、後ろから聞こえたいつもの三人の声だった。
「リーニエ姉ちゃん!」
「今日の特訓は?」
「今日も戦士アイゼンの技、教えてよ!!」
アベル、カール、エルゼ。
リーニエの特訓を受けているいつもの三人組だ。
アベルは剣。カールは斧、エルゼは弓。
三人それぞれがリーニエが得意とする武器を得物に、それぞれ程度の違いはあれど、ウキウキとした表情をリーニエに向けている。
「……」
意識を現実へと引き戻されたリーニエは、ゆっくりと三人の方へ振り向く。
その視線と直に向かい合ったリーニエはまたゆっくりと、逃げるように目を逸らした。
そんなリーニエの様子に三人は訝しげになりつつも、リーニエの言葉を待つ。
────他の餓鬼共は呑気にはしゃいでるってのに、此奴らは……。
半ば内心で呆れつつ、リーニエはこの三人にしてきた己の今までの行動を振り返る。
(……少し、厳しくし過ぎたかな)
リーニエとしては、今まではやって当然のことを三人に叩き込んできたに過ぎないつもりだったが、そんなリーニエの考えも変わりつつある。
確かに、こんな雪日和だからこそ、できる特訓というモノはある。
三人は既に、農園を荒らしにやってくる小型の魔物くらいならば既にリーニエやアンジュの手助けなしでも追い払えるくらいには形になっていた。
三人も己が強くなっている実感があるからこそ、次のステップに進みたいのだろう。その気持ちはリーニエにも理解できる。
こんな雪日和だ。北部の過酷な環境下での戦闘を想定した訓練だって可能だろうが、そこまでする気には今のリーニエはなれかった。
「……鍛錬は暫く中止だ」
「……え、リーニエ姉ちゃん、でも……」
「今日くらい、その武器下げてあいつらに交ざってこい」
リーニエがそう言い放つと同時、三人の手に持っていた武器が黒い魔力となって消えていく。元々、三人が持っていた武器は全てリーニエの模倣品を与えたモノだ。リーニエの意思一つで消す事だってできる。
言葉だけでなく、彼らから武器を取り上げることで、今日は鍛錬を施す気はないという意思をリーニエは三人に伝える。
困惑する三人を尻目に、リーニエは更に言葉を続ける。
「既に、お前達の体はあいつらに比べて出来が違う。精々うまく手加減してやれ。……強いて言うなら、ソレが今日の鍛錬だよ。特にカール、お前はね」
そう言ってリーニエは目線を三人から逸らして、向こうで雪遊びしている他の子供達を眺め始めた。
それに釣られて三人もまた、雪遊びをしている仲間達へと視線を向ける。
そういえば、久しくあの中に交ざって遊んでなかった気がする。
リーニエから自主練も欠かさないように言われていた彼らは、いつの間にかあの中に交ざって遊ぶことを忘れていた。
結局は同じ釜の飯を食べていたため、その実感が湧かなかったのも拍車を掛けている。
「ッ」
我慢が利かなかったのか、先に飛び出したのはエルゼだった。
走りながら、いつの間にかその手には既に雪玉が握られている。リーニエから弓の教示を受けて目が良くなったエルゼの雪玉の投擲は、遠慮なく他の子供達へと命中する。
しかし、加減はちゃんとしているのか、顔を狙う事は避けていた。
「ボ、ボクもッ」
次に続いたのはアベルだった。
いても立ってもいられない様子で彼もまた、雪玉の飛び交う敷地の庭へと走って行く。
……残ったのは、カールだけだった。
「……じゃあ、オレも」
チラリと心配そうにリーニエを一瞥したカールは、それでも遊びたい気持ちは二人と変わらないのか、リーニエに背を向けて走り出そうとして。
「……待って、カール」
それをリーニエが呼び止めた。
立ち上がったリーニエはカールの方に歩み寄って、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「どうしたの姉ちゃん、いきなり……ッ」
「────
そんなリーニエの声が聞こえたと同時、首回りに柔らかく、温かい感触がやってくるのをカールは感じた。
いつの間にか、魔力で模倣したマフラーをリーニエはカールに慣れた手つきで巻いていたのだ。大抵の魔族が着る衣服は、人間への擬態のために自前の魔力で編んだモノだ。それと同じように編んだマフラーを、リーニエはカールのために作っていた。
「お前、そんな薄着で雪玉を受けるつもり? いくら戦士として体を鍛えても、寒さに耐性が付くわけじゃない」
高名な戦士とて、雪山の寒さに見舞わればあっさりと命を落としてしまう事もある。
ましてや、カールを始めとした子供達は皆、この南側諸国出身の戦災孤児ばかりである。
こんな滅多に来ない雪の日の寒さに慣れている筈などない。
「へ、平気だってこれくらい……へっくしっ!?」
そう言うカールであったが、リーニエの前でさっそくくしゃみをしてしまう。
それを見たリーニエは呆れたように目を閉じる。
「やっぱりやせ我慢してたか……
続けて黒い魔力で作り出したのは、温かそうな一枚の赤い上着。
カールに斧術を叩き込んでいたリーニエは当然、カールに合う上着のサイズも把握している。
リーニエは上着をカールの肩に掛けるように羽織らせると、そのままカールの腕を取って、上着の袖に通させていく。
「これでいいか……ん?」
上着を着せ終わり、手を離したリーニエだったが、そこでカールの様子がおかしい事に気付く。
心なしか、カールの頬が恥ずかしげに赤くなっていた。
しかし、その原因を露知らずリーニエはそっと、カールの頬に手を添える。
「へッ!?」
頬に感じた温かい感触にカールは思わず唖然とした声を上げてしまう。
その温かい感触の正体がリーニエの手だと分かったカールは余計に顔を赤らめてしまった。
そんなカールの様子に訝しげになりながらリーニエは一人呟く。
「……着せたばかりにしては体温が高い?」
続いて頬から口、首元、額に至るまで下カールの体中の部位に手を添えて体温を確かめ始める。
やがてどの部位も変わらず体温が高くなっているのを確認したリーニエは、余計な世話だったか、と呟いて。
「……そっか。温かいんだね、
頬に添えた手でその体温を感じながら、リーニエはカールの顔を見てそう言った。
「~~~~~~ッッッッッ!!!!」
そんなリーニエの表情を見たカールは、赤面したまま思わずリーニエから目を逸らす。
体温に比例してか、さっきよりも心臓の鼓動が早くなっているのを感じた。
────な、なんで……?
今まで、無愛想で、気怠げで、表情一つ変えてこなかった筈のリーニエが……憂い気に目を細め、心なしか口元には薄い笑みが浮かんでいるような気がした。
今まで頼りになりつつも無愛想で、特訓の時は滅茶苦茶怖い師匠という印象を抱いていたカールにとって、そんな儚げな笑みを浮かべるリーニエの表情は、まだ思春期にすら入っていない男子にとっては劇物以外の何物でもなかった。
おまけに自分の頬に触れてくる華奢で白い滑らかな手は、間違いなく目の前の魔族が女の子であることを否が応でも思い知らせてくる。
『……………………』
そして、気が付けば、雪玉を投げ合っていた子供達の目線もそんな2人に向かったまま止まっていた。
特に男子たちは……カールの事を羨ましそうに見つめている。
「あっ!」
やがてその中の一人の男子が、態とらしい大声を上げた。
何事かと思ったその場の全員の視線が、その男子の方へと集中した。
「マフラーと上着……落としちゃった」
……落とした所の話ではなかった。
その上着とマフラーはもう使えないように、丁寧に雪の下に埋められていた。
ほんの少し顔を出したマフラーは、最早うっかり落としただけではあり得ないくらいに埋まっていた。
つまる所、態とである。
上着とマフラーを脱いだその男子は寒そうに凍えながらも、期待の籠った視線を、リーニエへと向けていた。
態々凍え死ぬような寒さに晒されてでもそんな愚行を犯した理由を察した他の男子達もまた負けじといわんばかりに上着とマフラーを脱ぎ捨てたのだ。
「オ、オレも落としちゃった!!」
「オレもっ!!!」
「ボクもっ!!」
次々と上着とマフラーを脱ぎ捨てた彼らは、体をブルっと震わせながらも、その視線はぶれることなくリーニエ一人へ注がれる。
……その様子を、女子陣はまるで冷めた目で見つめていた。
かくいうリーニエはというと、再びいつも通りの無表情のまま、男子達の奇行を見つめるだけだった。
ひゅ~、と一陣の冷たい風が流れ、段々と我に返っていった男子達の肌をブルッと震わせた。
「あ、えっと……やっぱりなしでゴフッ!?」
続く気まずい空気と寒さがさすがに堪えたのか、最初に上着とマフラーを落とした男子がそう言って雪の中に埋めたソレらを掘り起こそうとしたその時、1つの雪玉がその男子の顔面にクリーンヒットした。
その事態に他の男子達も、彼らを冷めた目で見ていた女子達も唖然となった。
……その中で唯一、カールだけは引きつった笑いを浮かべながら、雪玉を投げつけた下手人の方へ、恐る恐る目を見やっていた。
そこには、既に次の雪玉を片手で握りながら、
修道院の玄関に座ったままの体勢で、その距離から彼女は一切狙いを外すことなく最初の男子の顔面に雪玉を命中させていた。
『────ッ』
その視線を受けた男子達は全身を悪寒で震い上がらせた。こんな雪の寒さなんて比にならないくらいの凍えが彼らに襲いかかる。
「……何をしたいのか知らないけれど」
やがて、リーニエが呟くように口を開く。
「こんな雪の中で上着を脱ぎ捨てるなんてね……あぁ、そうか……お前等、コレがもっと欲しいって事でいいよね?」
片手に握った雪玉を弄びながら、リーニエは無表情のまま冷や汗を流す男子達に問う。
その視線は未だ絶対零度のまま。
男子達は必死に首を横に振ろうとするが、寒さのあまりそれすらままならず、ただ震えながらリーニエの言葉を聞くしかない。
「そう。じゃあやろうか。バカ共に付ける薬は、
そう言って、リーニエは立ち上がり、前進していく。
ゆっくりと、獲物を見定める蛇のように、その視線は
「に、逃げろぉーーーーーッ!!!」
「リーニエ姉ちゃんの雪玉だッ!!」
「絶対痛いし、絶対冷たいよコレッ!!」
「お、お前のせいだぞッ!!」
「し、知らないよッ!!」
各々阿鼻叫喚の叫びを上げながら、男子達は必死にリーニエから逃げようとするが遅い。
彼らが一歩踏み出すよりも早く、リーニエは次々と片手で雪玉を一瞬で握っては、一瞬で投げる。その早さたるや目に捉えきれる筈もなく、片手でしか握ってない筈の雪玉は、まるで芸術品のように滑らかな真球の形状を維持している。
そんな即興の芸術品を、リーニエは次々と握っては湯水のように投げまくっていく。
男子達がそれから逃れられる術はない。
「ほら、避けろ。もしくは投げ返せ」
────いや、絶対無理。
リーニエの理不尽な言葉にその場にいる子供達全員が同様にそんな心境を抱く。
「……でも」
逃げ回る男子達と、彼らに無慈悲に雪玉を命中させていくリーニエ。
考えてみれば、こんな光景は初めてだ。
あのリーニエが、自分達の中に入って、こうして一緒に遊ぶなんて。
そして、何より。
「リーニエ姉ちゃん……何か、楽しそう」
遠くから女子陣と一緒に眺めてたエルゼがそう呟く。
ちなみにカールはリーニエに顔を撫でられた時の感触を思い出し、また顔を赤らめたまま俯いていた。
その後、いつの間にか逃げ惑う男子達の中に子供達全員が加わり、結果的に子供達はリーニエとの初めての遊びを全力で楽しむのだった。
「えっと……この状況は一体何なのでしょうか?」
途中、帰りの馬車から降りてきたアンジュの困惑の呟きが、彼らに聞こえることはなかった。
◇
暫く経ってから、修道院の食卓の前にある暖炉の前で、男子達が冷えに冷えた体を温めていたが、凍える彼らの体の震えは止まることはない。
「へ、へっくしっ!!」
何人かはくしゃみが止まらずに、必死に暖炉の火で温まるのみであった。
バカな事をした代償であることは理解しているし、最終的には楽しかったので文句は言えないのだが、やはりバカな事はするんじゃなかったと彼らは今更になって後悔していた。
「……それで、何か申し聞きはありますか、リーニエ様?」
「…………何も」
そんな彼らとは離れた一角で、腕組みしながら笑顔で見下ろすアンジュと、そんなアンジュの前に正座してじっとしているリーニエの姿があった。
魔力で上下関係を決める魔族としてはあり得ない光景であったが、アンジュも、リーニエも、子供達も、誰一人としてその光景に疑問を抱く者はいない。
「万が一風邪でも引いたらどうするつもりだったのですか? 北から来たリーニエ様とは違って、この子たちは雪の寒さに耐性がないんですよ? それを分っているんですか?」
「……分ってる……」
「ならどうして薄着のまま雪遊びなんてしたのですかっ!? 事情はカールとエルゼから聞いています。バカですけど、ほんっっとにバカらしいですけれど、男子なんてそんなモノなんですっ!! だからリーニエ様も少しくらい抑えて……そもそも……だから……etc」
クドクドとアンジュの説教が続く。一部の内容が暖炉で温まっている男子たちの背中にグッサリと刺さりながら。
人差し指を立てて、メっとサインしながら説教してくるアンジュを前にして、リーニエは反抗する事無く受け入れていた。
こうなったアンジュは止まらない。怒ると面倒くさいのだ。
やり過ぎた自覚もあってか、リーニエはアンジュの小言を無言で受け入れていた。
「……それに……」
言いたいことを言い終えたのか、口調が大人しくなってきたアンジュはゆっくりと目線をリーニエに合わせるようにかがみ込み、そっとリーニエの手を両手で包み込む。
「リーニエ様も、こんなに冷たくなってるじゃないですか……」
雪玉を何度も握った事により冷たくなったリーニエの手を、温めるように握っては繰り返すアンジュ。
「私は問題ない。冷たくなっているけどそれは外側だけ。魔力で構成された魔族の体が寒さ程度で活動が鈍ることはない」
「それでも、ですよ」
リーニエの言葉を聞きつつも、アンジュの憂いの表情が晴れることはない。
その表情に、覚えがある。
以前の自分ならば思い出す事すらなかっただろうけれど、アンジュたちと一緒にいる内に、段々と分ってきた今の自分なら。
「……アンジュは、まるで私の親みたいだね」
「えっ?」
突拍子もないリーニエの発言に思わず唖然となるアンジュ。
それに構わずリーニエはアンジュの手を優しく握り返し、その感触を何度も確かめるように繰り返した。
「……それに、温かい。カールと同じだ。
この温かさを、私は昔から……知っていた」
知っていた筈なのに、目を背けてきた。
以前、アンジュの言っていた事と照らし合わせるのならば、これはきっと、罪というやつなのだろう。
心なしか、リーニエの表情が捨てられた迷子が泣いているように見えたアンジュは、悲しそうに目を伏せながらリーニエに問うた。
「……リーニエ様。今でも、執行者に戻るという意思に変わりはないのですか?」
「……分からない。でも、遠くない内に貴方達とは別れないといけない……かもしれない」
その言葉に、アンジュは思わずリーニエに掴みかかりたくなるような衝動に駆られるも、かろうじて呑み込んで問うた。
「……どうして、ですか……」
一緒にいたいと、そう言ってくれた筈なのに。
どうして、そんな事を言い出すのかと。
「こんな私が執行者と呼ばれる存在になれたのは、魔王軍側にも、人類側にも、その活動の痕跡を一切残さず、正体を隠してきたからというのが大きかった。でも、これからはきっと、それもままならない。
アイツが、ソリテールがいるから」
「以前リーニエ様が戦った、無名の大魔族ですか?」
こくり、とリーニエは頷く。
「お互い無名だったからこそ、互いに生かしては帰せない戦いだった。結果は痛み分け。でも、その代償は私の方が遙かに大きかった」
目を伏せるリーニエの拳は、心なしか悔しそうに震えていた。
「手傷の度合いは向こうの方が大きい。でも、そもそも無名でなくなるデメリットが、私の方が遙かに大きいんだ。私は、人類側からも、魔族側からも憎まれる存在。しかも、こっちの現状の切り札まで晒してしまった」
ソリテールはまだ違う。たとえ無名でなくなろうが、人魔もろとも大量虐殺した執行者という肩書きを持ってはおらず、一方でその肩書きを持つリーニエの正体がバレれば、人類側も、魔族側も黙ってはいられまい。特に、人類側の中でも最も執行者という存在を利用していた帝国にとって、リーニエは謂わば自国の暗部の象徴の一つだ。いつ腕利きの宮廷魔法使いや影なる戦士といった大量の手練れを差し向けてくるかも分からない。
「それでも……それでも、リーニエ様に救われた人だって沢山……ッ」
そう言い返そうとして、アンジュは思わず口を噤んだ。
それを口にしては、リーニエが“彼”と同じになっている事を認める事となる。
十を救い続けるために、一を切り捨て続けた彼の者を。
その後悔すら抱え込んだまま、裏切りの末に絞首刑になっても、誰も恨まずに死んでいった彼と。
「だから私は、魔王軍と人類軍の戦いの影響が少ない、この南側に留まってる。新しい切り札を得る時間を欲して」
「その、切り札って……?」
嫌な予感を感じたアンジュは、恐る恐るリーニエに問う。
「……アンジュも、もう知っていると思う」
その予感を肯定したリーニエの回答に、アンジュは思わずへたり込んでしまった。
ああ、確かに、自分はもう知ってしまっている。
既にアンジュは、リーニエから、ここに来るまでの来歴を殆ど聞いていた。それはリーニエからのアンジュへの信頼の証でもあった。
執行者としての活動、北行きの断念、ソリテールとの戦い。
そして、彼の心象世界を、模倣してしまった事も。
「固有、結界……」
絞り出されたアンジュの言葉にリーニエはこくりと頷く。
「足りない詠唱は、あと三節。その三節を唱えられるようになれば、私は────」
────あの、
「駄目ッ!!」
そんなリーニエの言葉を聞いたアンジュが、思わず叫ぶ。
だって、その詠唱を唱えられるようになるという事は、自身の生涯を綴る詩を形作れる事に他ならない。
即ち、究極の自己理解。
皮肉にも、アンジュと過ごしていく内にその自己理解が進んでしまい、リーニエは今まで唱える事のできなかった自分自身の詠唱の一部を唱えられるようになってしまった。
『────
『────
それが、あの光の盾を展開する時に自分が聞いてしまった、あの二節。
「駄目です、だって、そんな事をすれば、貴方は……ッ」
「アンジュ……?」
思わずリーニエを力強く抱きしめるアンジュ。
だって、それは即ち、リーニエがより“彼”に近くなることに他ならない。
リーニエがその二節を唱えられるようになってしまったのは、リーニエが自分の罪を自覚してしまったからなのだろう。
その罪を自覚したきっかけを、アンジュはもう知っている。
────あぁ……私の、せいだ……。
あの時に、人間の罪について偉そうに説いたりなんてするから、リーニエは紆余曲折の末にその自覚に至ってしまったのだ。
リーニエを“彼”に近づけさせてしまったその原因は、自分にあるとアンジュはようやく自覚した。
アンジュには既に確信があった。
その罪の先にある欲望さえも自覚し、詠唱が完成してしまったその時。
今度こそ、リーニエは“正義の味方”になってしまう、と。
執行者時代でさえ、行動自体はもう完成されてしまっていた。
これで完全なる自覚が合わさってしまうのならば。どうなってしまうかはもう分かり切っている。
そして、目覚めた彼女は最初にすることは、決して“執行者に戻る事”ではない。
だって、北に行くよりも前に、この南側諸国には止めるべき戦乱が蔓延しているのだから。
どれだけ経っても、終わる気配のない戦乱の渦。
もしかしたら、裏から糸を引いてこの戦乱を続けさせている存在もいるのかもしれない。だって、ここまで戦いの世が続くのはどう考えてもおかしいから。
そんな戦乱の渦中に、“正義の味方”が飛び込まない筈がない。
いや、飛び込まない訳には、行かないだろう。
だって、そこには助けを求める人々が、たくさんいるだろうから。
その先を想像すればする程、アンジュの胸中は絶望に覆われる。
そんな事になれば、目の前の少女が今よりも比べものにならない程、たくさん傷つく事なんて、分かり切っているから。
「お願い、リーニエ様、それだけはやめてッ……!!」
「アンジュ、一体何を言って……」
そして、自覚していないリーニエはアンジュが泣く理由が分る筈もなかった。
暫く泣いたアンジュは、少し落ち着いたのか、リーニエの体から離れ、ハァっと息を吐いた。
「……とにかく、アンジュ。私はもう無名じゃないんだ。このままじゃ、きっと私はアナタ達を巻き込んでしまう。
執行者になるにせよ、ならないせよ、どちらにせよ貴方達とは別れなければいけない」
リーニエの言葉を、アンジュは俯いたまま黙って聞く。
「……ごめんね。一緒にいたいなんて言いながら、別れたいなんて。でも、貴方達を失わないためなら、これが一番なんだ」
────私なんかと、いない方がいい。
最後に付け加えたその言葉こそが、1番、アンジュの胸に突き刺さるモノだった。
たとえリーニエの言葉が事実だったとしても、それでも、目の前の少女が自分達にくれたモノは、本当にかけがえのないものなのだ。
簡単に、納得なんてできるものか。
そう簡単に頷けるものか。
「……させません。絶対に」
そう絞り出すアンジュ。
「自覚なんて、絶対にさせません。罪を自覚したなら、そこまででもう十分なんです。その先まで、私は貴女を行かせる気なんてない」
────貴女の時間は、私達よりも長い。
いずれ別れが来てしまうのだとしても。
それでも、罪は少しずつ償っていけばいいのだと、貴女にそう思わせるまで。
私は、その理解を進ませるつもりはありません。
困惑するリーニエに対し、アンジュはそう強く己の決心を固めた。
その決心は、決して、強いモノではない。
本当の所は、もう、分かっていた。
◇
夜、子供達が寝静まった中で、アンジュは一人書斎に籠って聖書の解読に専念していた。
……いや、専念とは名ばかりで、本当はどうすればリーニエを立ち止まらせられるかで頭が一杯だった。
どうすればリーニエが正義の味方にならず、無茶ではない方法で彼女の罪と向き合わせるか。
罪を自覚したこと自体はどうあれ、彼女の成長に他ならない。
それに、その先の自覚を阻止したい訳でもなかった。
その自覚の阻止は、決して彼女の成長に繋がらない事くらい、アンジュにも分かる。
だが、今の段階で自覚させてしまえば、リーニエは“彼”のように、なってしまうという確信がアンジュにはあった。
「錬鉄の英雄……」
改めて言うが、アンジュは決して彼の人生を否定したい訳ではない。
一人で背負うにはあまりにも重すぎる理想を抱いていても、多くの裏切りに遭い傷ついたのだとしても、たとえそれが偽善と分っていても……ソレを最後まで貫き通したというのであれば、否定できる筈なんてないのだ。
たとえその更に先にある絶望を加味しても、だ。
それでも、リーニエにあの生き方をさせる訳にはいかないと、アンジュは頭をうーんと呻らせながら考えていた。
その時だった。
コンコン、と扉を叩く音が聞こえた。
「アンジュ、まだ起きてる?」
扉の奥からリーニエの声が聞こえた。
「リーニエ様? はい、まだ起きてますよ」
「……入るね?」
カチャリ、と扉を開けて入ってくるリーニエ。
椅子から立ち上がったアンジュはそんなリーニエの姿を積み重なった本の隙間から覗き見て────。
「ブフッ……!!!」
思わず、吹き出しそうになってしまった。
普段の彼女からはあり得ない姿を見てしまったアンジュは思わず、再び椅子に座り込んで、震えるお腹を必死に抑えた。
「……そんなに可笑しくなることないでしょ?」
「だって、だってぇ……!!」
そんなアンジュに不機嫌そうに眉を顰めるリーニエ。
しかしアンジュは腹の震えを抑えるのに必死だった。
「なんですか、その髪型、……プフっ、一体、何があって、クスッ……」
腹の震えを抑えながら、アンジュはリーニエに聞く。
一体、どんなアクシデントがあって、そんな
そもそもなんで髪を結おうなんて思ったのか。
良い感じのツインテールにしようとしているのは、まあなんとなく分かる。でもまるで寝ぼけた人が結ったかのようにその結い方が雑過ぎた。
「……エルゼの奴が……」
「……エルゼちゃんが?」
紡ぎ出されたリーニエの口から出された意外な名前に、アンジュは思わず首を傾げる。
……そういえば、エルゼも今のリーニエのような、とはとても言えないが、同じツインテールに結ってたなとアンジュは思い出す。
まさか、とアンジュは思いつつリーニエの言葉を待った。
「彼奴、寝ぼけたまま起き上がって、『リーニエ姉ちゃんの髪型を私と同じにする』なんて寝言言いながら、自分の紐で私の髪を結い始めてこの様」
「……あぁ」
察したアンジュは納得したように息を吐く。
要するに、本当に寝ぼけた人が結ったということだ。
しかも、リーニエの髪型を完全にエルゼと同じモノにしようものなら、どうしても位置的に2本の角が邪魔になってしまう。
角の根元近くで結わなければ同じ髪型にはならないだろう。
そして、その手間はおそらく解く時も同様だ。
「振り払う訳にも行かなかったし。だから、アンジュにお願いしに来た」
「そういう事ですか。ならそこの椅子に座ってて下さい。私が解きますから」
そう行って、アンジュは再び立ち上がろうとして。
「いいや、解いてほしいんじゃないんだ」
「え?」
「うまく、同じ髪型にしてほしい」
リーニエのその言葉にアンジュは唖然となる。
「なんで私とお揃いがいいのか分からないけれど、そうすれば彼奴は喜ぶんだろう?」
「……ええ、そりゃあまあ」
エルゼは元から子供達の中でリーニエへの憧れが一際強い子だった。
弓を選んだのもリーニエの弓に憧れたからで、事実リーニエから弓が適正だと言われた時は大喜びではしゃいでいたのを覚えている。
まず、喜ばない筈はないだろう。
「この角だから1人じゃ結えないし。それに……」
一端、間を置いて、心なしか恥ずかしそうに目を逸らしながら、リーニエは口にする。
「貴女に、結って欲しいって、そう思ったから……」
いつもより控えめな口調でそう言ってくるのは、もう反則だろう。
その表情を見たアンジュの中に断る選択肢なんてない。
クスリと笑ったアンジュは、「分かりました」と嬉しそうに了承した。
そして。
「はい、結い終わりましたよ。鏡持ってきますね」
椅子に座らせたリーニエの髪を結い終えたアンジュは小走りで棚にしまっていた手鏡を取ってくる。
それを受け取ったリーニエは鏡に映った自分の髪型を暫し吟味するように見つめた後、アンジュの方へ振り向き、「……どう、かな?」と聞いてきた。
髪型も相まって、その様子はあまりにも愛らしく見えた。
「………………えぇ、とても」
髪を下ろした姿も間違いなく似合っていたが、双角の根元付近にそれぞれ結って形にした今のツインテール姿は、どう表していいものか分からないくらい。
「とても……可愛らしいです。リーニエ様」
感激のあまり口元を押さえながら、アンジュはリーニエは褒める。
あぁ、こんな可愛い魔族がこの世にいるなんて。
暫く、魔族という種族に対する見方が自分の中でひっくり返そうになるのをアンジュは感じた。
「……そっか」
そんなアンジュの言葉を聞いたリーニエは、安心したように目を閉じて。
「……それは……良かっ……た……・」
そのまま微睡んで、動かなくなってしまった。
「リーニエ様?」
訝しげにリーニエの顔を覗き込むと、そこには背もたれに寄り掛かりながら寝息を立てているリーニエの姿があった。
その姿を見たアンジュはクスっと笑った。
「なんだ、遊び疲れたのはリーニエ様も同じだったのですね」
あんなに楽しそうに、子供達と一緒に遊んでいたのだ。
それはきっと、すごく楽しかったに違いない。
自分が交ざれなかった事に嫉妬するくらい、リーニエと、子供達は楽しい時間を過ごしていたのだ。
それが、とてつもなく嬉しく思う。
「よいしょっと」
アンジュはリーニエの体を持ち上げ、ソファに寝かせる。
そして自分もソファに座り込み、寝かせたリーニエの頭をそっと膝の上に載せた。
愛おしそうに、しかし、寂しそうな表情で、アンジュはリーニエの寝顔を撫でた。
「……可愛い」
呟くアンジュ。
この寝顔を見れば、あの昔話に出てくる農家の夫婦の気持ちが痛い程分かってしまう。
こんな可愛い子を自分達の娘にできるのだとすれば、きっとどんな手だって使ってしまうに違いない。
事実、その尽力があって農家の2人は村の住民を説得して回り、無事彼女を娘として迎える事が出来たのだから。
きっと、自分が祖母から聞いた昔話以上に、幸せだった。
アンジュの目から流れた一筋の涙が、リーニエの頬へ流れ落ちる。
それに気付くことなく、リーニエは眠りについたままだった。
「……本当は、分かってるんです。私じゃ、駄目なんだなって事くらい……」
そもそも、あの時リーニエが来てくれなければ、自分と子供達は今頃ここにいなかった。
リーニエがいてくれなければ、あの竜の攻撃で自分が生きている事なんてなかった。
リーニエは、自分とはいるべきではないとアンジュに言ってきたが、むしろリーニエという存在がなければ自分はとっくにこの世にはいないのだ。
だから、これはきっと、奇跡のような時間。
なら、代償の別れだって、きっとやってくる。
きっと、この子は至ってしまうのだろう。
己の心象を理解し、やがてソレで世界を塗りつぶしてしまう程のエゴを手に入れてしまう。
そして、あの錬鉄の英雄のようにたくさん傷つくことだろう。
それでも。
「……どうか、誰でもいいのです。私の代わりに、この子を幸せにしてあげて下さい」
この子がこれから出会う何処かの誰かに、アンジュはそう願う。
「せめて、私がいなくなった後も、貴女様の幸せへの道の一助になれますように」
そう言って。
アンジュは寂しそうに笑いながら。
取り出した聖書の一ページに、自分の魔力を込めて祈るのだった。
きっと
という訳で、リーニエちゃんは無事原作と同じ髪型になりましたバンザーイ(白目)
後、「偽・神紀の砕剣」やリーニエちゃんの使う弓のイメージ画をパワポで適当に描いてみたので、よかったら見ていって下さい。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=322468&uid=34196
ではでは~。
次回、「終わり」