黒い炎に身を呑まれ、咄嗟に身を庇うフリーレン。
直後、己の身に何も起こらないことを不自然に思ったフリーレンは、目を開ける。
・・・・・・しかし、視界は未だに真っ暗だった。
黒い炎に飲み込まれていった世界。自身もそれに飲み込まれるまでの直前まで見た記憶が正常ならば、己は既に相手の発動した魔法の術中に嵌まってしまったということになる。
魔族の魔法など一度掛かってしまえばどうなるか分かったモノではない。
さりとて、この暗闇の中ではどうすればいいか見当も付かないと思ったその直後。
────風を、感じた。
「・・・・・・ここは、屋外?」
辺りを軽く吹き荒らす乾いた風の音。
風に乗る砂のざらついた音。
されど植物のような葉音は一切聞こえてこない。
たとえ辺りがまったく見えなくとも、ここは周囲に建物一つない荒野のような場所なのだと、長く旅を続けてきたフリーレンの感覚は即座に答えを出した。
・・・・・・問題は、ここはどこかという話ではあるが。
少なくとも、先ほどの修道院の建物の中ということは感覚からしてあり得ない。
(・・・・・・瞬間移動? いや、ただの瞬間移動なら・・・・・・この
「・・・・・・ッ」
そこまで、思考した時。
・・・・・・突如として、空から差し込んできた光に、思わずフリーレンは腕で視界を庇った。
今まで数ミリ先すら見据えられない暗闇だったというのに、いきなり差し込んできた光を前にしては自ら視界を遮ることしかできなかった。
おそるおそる、フリーレンは腕をどける。
今まで、暗闇だった筈の空。
その空を遮っていた雲が、まるで自ら退くように風に流れ・・・・・・その隙間から、目映い満月の光が照らしてきた。
時間帯が変わった、という訳ではなさそうだと楽観視したフリーレンだったが、突如としてあの満月に違和感を抱いた。
(違う・・・・・・さっきまでの満月と。現実感のない・・・・・・まるで、
そこまで思考して、地表に広がった満月の光を目にした。
・・・・・・フリーレンは、目を真ん丸にしてその光景を刮目した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんだ、これ」
地表に広がった月光に照らされ、明瞭となったその光景。
そこには周囲を見渡す限りの、無数に丘が連なった焦げた大地。
まるで戦場跡のように、所々から立ち上っている黒い煙。
・・・・・・そして、遠くの丘に見える、葉や実ひとつ生えていない、巨大な枯れ木。辛うじて木として立っているモノ、既に腐朽化が進み、地に根を張ったままアーチ状に倒壊しているモノまで、様々。
そして、なにより目を引いたのが。
その大地の上に、無数に突き刺さっている剣の数々だった。
まるで、墓標のように突き刺さった剣の数々。
その無数の剣の一つ一つが、皆して違う形状をしていることに、フリーレンは即座に気付く。
中には、フリーレンの見覚えのある剣までもが。かつてヒンメルたち勇者一行の一員であったフリーレンは、一度入った
だからこそ、何本かが自分が見たことのある、宝剣であると判断できたのだが。
他の剣も、どれもが迷宮の宝物庫に納められていてもおかしくない代物だった。
そんな宝の山が、まるで戦士達の墓標のように、この荒野の丘に無造作に、無数に、突き刺さっていたのだ。
暗闇の空から降り注ぐ月光が、刀身の数々に乱反射され、かろうじてこの殺風景な荒野に僅かな彩りを与えている。
「・・・・・・まさか」
そこで、ある考えに至ったフリーレンは、即座に思い浮かんだその考えを否定する。
優れた魔法使いであったフリーレンだからこそ、思い至ってしまった。
だが、あり得ない。
もし・・・・・・この「剣の丘」こそが、あの魔族の不可解な魔法の正体だというのであれば。
「そんなこと・・・・・・ッ!?」
突如として、背後から探知した魔力反応に、フリーレンは振り向く。
その魔力の主が、今更誰であるか疑う余地などないと分かっていながら。
それでもフリーレンは真実を確認するために、振り向いた。
一つ隔てた向こう側の丘の上に、少女が立っていた。
薄暗くも、目映い月光に照らされ、下ろした桃色の髪を風に靡かせる少女がいた。
その胸の中には、両手に握りしめられた、あの僧侶のモノらしき十字架のアクセサリが見受けられる。
血に塗れたソレを、それでも、その温かみを精一杯噛みしめんとばかりに、胸の中に抱きしめるように握っていた。
やがて、握っていたアクセサリーと、両手をだらんと下げ。
この“世界”の主は流し目で、フリーレンを見据えた。
「─────ありえない」
その少女が、先ほどまで己が戦っていた魔族の少女であると認めたフリーレンは、少女を見上げ言い放つ。
「・・・・・・お前、自分が何をしたのか分かってる?」
この修道院の戦いに介入してから、今に至るまで、あり得ないモノは何度だって見てきた。
明らかに等価交換の法則を無視した、目の前の魔族の魔法。
魔族では到底考えられない反応の数々。
そして、術者の死後、時間差で発動した、この魔族の命を救った回復魔法。
あり得ないことの連続で、フリーレンはもはやこの先よほどの事がなければ自分は驚くことがないだろうと高を括っていた。
・・・・・・でも、目の前に広がるこの光景だけは、認める訳にはいかなかった。
たとえ、魔族の魔法が出鱈目なモノだと分かっていても、これだけは認め難かったのだ。
「自らの心の世界で、現実世界を上書きするなんて・・・・・・そんなこと、あってたまるか」
表情こそ平静を保っているが、その揺れる瞳は一目見て動揺しているのが分かる。
最早術式どうこうの話ではない。
この魔族は、自分の心の風景がどういうモノなのか、明確なビジョンをイメージし、それを具現化しているのだ。
そのイメージの力は、最早並大抵の魔族や魔法使いでは到底及ばない領域だ。
その領域に、この魔族はいるのだと、否が応でも思い知らされる。
「別に、驚くことじゃないよ」
少女が口を開く。
眉を顰めるフリーレン。
「これらは、全部偽物。他の魔族のように一から独自に生み出し研鑽してきた魔法とは、比べるのも烏滸がましい代物だ」
そんなわけあるか、とフリーレンは内心で毒づく。
ああ、確かに少女の言う通り、これらは偽物なのだろう。
身に秘めた魔力も、神秘も、その構造も。どれだけ真に迫っていようとも、現実世界に存在する本物では決してないのだろう。
それでも、この世界そのものに関してだけは、話が別だった。
単純な規模そのものならばこれを上回る魔法は確かにあるだろう。
これ以上に効率のいい魔法も上げればキリがないだろう。
それでも、フリーレンはこの魔法を理解すれど、否定する事しかできなかった。
「ふざけるな」
淡々と、しかし、その杖を力強く握った手には、明らかな動揺と怒りを滲ませて。
「ある筈がない。お前ほどの年の魔族が、この規模の魔法に辿り着いているのは、まあいい」
それでも。
「それでも、ある筈がない。明確な形を持たない“心”という概念に対して、これほど具体的な風景を、明瞭にイメージできる“心”を、魔族が持ち得るなんて・・・・・・!!」
そんなの、認められる筈がない。
この心象風景を持つこと自体も、それをイメージできる“心”があることも。
決して、魔族に心がないと言っているわけではない。
それでも、その精神構造は人間のモノとは大きく異なる。特に目立つのがその人間のような見た目に反しての、明らかな共感性の欠如。
この魔法を一目で表すのならば、自らの心の在りようをイメージし具現化する、精神魔法の究極形と言っても差し支えない。
だが例えば、幻影魔法を扱う魔物「
七崩賢の一角である「奇跡のグラオザーム」の魔法である「
しかし、どちらにせよそれがどれだけ強力な精神魔法であっても、それを見せる光景は相手の抱くイメージに依存している。
魔物の扱う強力な精神魔法は、「相手を欺き捕食する」という生態のためか、相手に理想の光景を見せて油断させるという形でしか、結局はないのだ。
・・・・・・だが、この魔法だけは違うのである。
紛れもなく、自らの心の在りようを自覚し、具体的に、鮮明にイメージした上で具現化してみせた規格外。
人間ですら、本当の意味で己の本当の心の在りようを分かる者など少ないというのに。
それを魔物が行ったという事実が、フリーレンのこれまで培った価値観にダメージを与えていた。
それを認めるということは、フリーレンがかつての師フランメから教わった対魔族に関する全てのモノを、否定することに繋がりかねないからだった。
それはフリーレンにとっては、ともすればヒンメルを否定するのと同等レベルでの、自らの人生を否定するモノだった。
あり得ない、有り得ない、有りえない、ありえない、アリエナイ、と脳内で何度も反芻するのを繰り返した末、それでもフリーレンは今はソレを考えている場合じゃないと我に返る。
考えるのは後だ。
この魔族は危険だ。今ここで、刺し違えてでも消さなければならない。
マハトの時のような轍は、決して踏むまいと誓う。
「・・・・・・これだから、魔族の魔法って奴は」
辛うじて、絞り出した悪態という名の鼓舞の言葉。
“魔族の魔法”と、口にして認めることすら億劫だったが、その事実だけは受け入れなければならなかった。
その悪態と共に、杖を構えて背後に
周囲に突き刺さっていた、ソレと同数の剣が突如として宙に浮き上がり、フリーレンへと襲いかかる。
そしてソレが放たれる前に、突如として聞こえた金属音と共に、その光は消え去った。
「・・・・・・ッ!?」
思わず、背後のかき消されたゾルトラークの光を振り返るフリーレン。
そこには、何もなかった。
(・・・・・・噓、でしょ?)
呆気に取られるフリーレン。
撃った後に相殺されるならばまだ理解できる。
そもそも発動される前に阻止されたならば、それもまだ理解できる。
たとえ相手が戦士であっても、そう易々と詰められる距離ではないが、それでもまだ理解はできる。
しかし、フリーレンが見据えた先には、未だにそこから一歩も移動していないリーニエの姿がある。
(魔法が発動してから・・・・・・私の周囲に突き刺さっていた剣を操って、撃つ前に術式ごと撃ち落とされた?)
そもそもゾルトラーク自体が、現時点の魔法の中で1番の速射性を持っているにもかかわらず。
そのゾルトラークの、戦士であっても撤退を考慮するほどの僅かな瞬間。
術式が発動してから、実際に発射されるまでの、その僅かな瞬間で、撃ち落とされたのだ。
間違いなく、此方が先制した筈だった。
間違いなく、“先”を取ったのは此方の筈だった。
なのに“後”の“先”で撃ち落とされた。
その事実に、フリーレンは内心で打ち震える。
もし、今の瞬間に。
飛んできた剣が狙う先が、自分が撃とうとしていた
自分は、とっくに死んでいたという事実に。
フリーレンは悟る。
この世界は、「魔法使いにとってはどうしようもない程の天敵である」という絶望的な事実を。
◇
(・・・・・・やっぱり、そうなんだ)
驚愕するフリーレンを見ながら、リーニエは思考する。
ここに来て、リーニエはフリーレンの弱点を見破っていた。
今の奇襲は、たとえフリーレン以外の魔法使いであっても、対処することはできなかっただろう。
それでも、フリーレンほどの魔法使いが今のに反応すらできなかった理由を、リーニエは悟った。
いくら“後”の“先”を取れるといえど、リーニエの魔力の流れを見抜く目を以てしても、
(魔法を使う瞬間、ほんの一瞬だけ魔力探知が途切れている)
フリーレンほどの魔法使いの魔力探知を以てすれば、周囲の宝剣に内包された魔力が励起すれば、嫌でも気付く筈だ。ともすれば、戦士よりも早く反応できる可能性だってある。
なのに、反応できなかった。
他の腕利きの魔法使いであっても到底反応できない速度ではあるが、フリーレンではそれが顕著だった。
(あの勇者一行の一員の魔法使いが、こんな人間の見習い魔法使いレベルの弱点を持っているだなんてね・・・・・・)
なまじ“目が良すぎる”せいか、今まで色々な敵の“隙”を見てきたリーニエだったが、いざ実際に目の前にして判明したフリーレンの弱点は意外なモノだった。
この世界は、絶望的なまでにフリーレンにとっては天敵なのだなと、リーニエは内心で苦笑する。
(それにしても・・・・・・)
リーニエは周囲を見渡す。
発動する前から、イメージはできていた。
アンジュに罪について諭され、諸々あった一件からついに、自身の詠唱の一部を唱えられるようになっていたリーニエ。
己の中の罪悪感を自覚したことで進めた一歩。
そして今回、完全に己を理解することで、自身の心象風景に対するイメージがより鮮明になり、最後まで詠唱を唱えられるようになったことにより発動できた固有結界であったが。
(我ながら、ひどい景色だね)
見渡す限り、延々と続く剣の丘。
遠くの丘に見える、枯れた林檎の木の数々。
焦げた地面の所々から細く立ち上る、戦場跡のような黒い煙。
────それでも、依然として、月は輝いていた。
まるで、この丘に迷い込んだリーニエという迷い仔を導く道しるべのように。
アレが、今では手が届くことすら叶わない、過ぎ去った思い出の象徴である。
それと同時に、今のリーニエが“理想”に向けて走って行くことができる原動力にして、道標であった。
(大丈夫、絶対に、忘れない)
あの光がある限り、自分は頑張っていける。
たとえその先にどんな結果が待ち受けていても、自分は頑張れる。
それを証明するのが、この固有結界。
何もリーニエは、ただ力を見せつけるためだけにフリーレンに対して固有結界を発動したわけではない。
おそらくどこかで見ているであろうソリテールに対してこの戦いをこれ以上見せないための意味だって含んでいるが。
何より、これは己に対しての“宣誓”であった。
もし、自分があの詠唱を唱えても固有結界を発動できないのならば、リーニエは大人しくフリーレンの放ったゾルトラークでやられるつもりでいた。
ここで、己の心象を具現化できないのであれば、所詮、己の理想はそこまでであったのだと諦めるつもりもあった。
でも、
ならば、後はやるだけだ。
「先も言ったけど、驚くことじゃない。これらは全て偽物・・・・・・でも、だからこそお前を
噓だ。
実際の所、リーニエはフリーレンを殺すつもりがなかった。
誰もが幸福であってほしいと、その理想に焦がれた。
妥協というモノは、理想があってこそ初めて成立する言葉だ。
だからこそ、最初から妥協することはあってはならない。
(今なら、分かる)
自分の言葉に振り向くフリーレンの表情をおかしく思いながらも、リーニエは思い返す。
あの日、勇者一行の凱旋式を終えた王都。
未だ凱旋の興奮が鳴り止まない都の中に建てられていた勇者一行の像を目の前に、立っていた時の自分。
人を食べられない魔族が、人殺しがうまいことに何の意味があるのだろうかと。
自身への疑念を初めて抱いたあの出来事。
勇者一行を見て、なぜそう思うに至ったのか、今のリーニエならばはっきり分かる。
(きっと私は、彼らに焦がれていた)
小を見捨てることでしか他者を救えなかった執行者とは違い、彼らは目の前の人々を見捨てずに救い続け、たとえ遠回りでもそれが魔王討伐に繋がった。
焦がれつつも、そんな彼らと己とを比較してしまい、あの疑念が生まれるに至ってしまったのだ。
(でも、今度こそ間違えない)
そう決意する。
状況自体は此方が有利。
だが、此方は相手を殺すつもりがないという誓約の上、固有結界をそう長く維持できる程魔力があるわけではない。
対してフリーレンはあのソリテールにすら匹敵する膨大な魔力を持ち、それに加えてその分だけ魔法を研鑽し、やがて魔王を討伐した正真正銘の怪物の一角。
殺すだけならば、勝つだけならば、簡単だ。だが、リーニエはフリーレンを殺したくはない。焦がれた者達の一人だからこそ、それを相手に間違えたくはないのだ。
そのために、フリーレンを殺すのではなく、フリーレンの心を折る。
彼女に時間を与え、全力を出させた上で勝ち、その心を折る。
魔族という種に対して並々ならぬ殺意を持つフリーレンを彼女自らの意思で退かせるには、それしかない。
いつでも殺せる状況にあるというのに、相手に時間を与えて魔法勝負に持って行くその思考。ある意味では魔族らしい思考に、自分にまだ魔族らしさが残っていることに多少の安堵を抱きつつも、リーニエはフリーレンを見据えて宣言した。
「────行くぞ、魔法使い。お前の千年に及ぶ研鑽、その悉くを貶めよう」
この戦いはおそらく。
圧倒的な蹂躙にみせかけた、薄氷上での勝負となるだろう。