剣の丘に迷い込んだ軌跡   作:ナスの森

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閑話 守られた幸せ

 

『弓を習いたい、ですか?』

 

 此方を見下ろしながら聞いてくる眼鏡をかけた老いた司教────ハイター様のそんな問いに、私はこくり、と頷きました。

 僧侶ハイター。かつて勇者ヒンメルと共に、勇者一行の一人として魔王城まで向かい、ついには魔王を討ち取り、この世界に平和をもたらした功労者の一人。そんな人とこうして面と向かって話せることがどれだけの事なのか、今の私はあまり実感していなかった。

 私は戦争で故郷を失った。

 命からがら中央諸国への検問を潜りぬけ、この聖都シュトラールの教会に保護してもらっている。南側諸国の戦争で故郷を失った私以外の人も、多くがこの教会で保護され、紹介された働き口でどうにか稼いでいる状況だった。

 この年で、故郷を失って悲しいだろうと、寂しいだろうと、周りの大人達はそんな同情的な視線を私に向けてきました。

 ・・・・・・確かに、その通りです。

 

 それでも、私は幸せ者なのだと思います。

 

 確かに、故郷は失った。

 友達だってたくさん失いました。

 死が身近になってしまう程の、多くの血を見てしまいました。

 でも、私の家族は生きている。

 パパとママも、そして私も、こうして生きているのです。

 

 ────あの方に、助けて頂いたから。

 

『しかし、困りましたねぇ』

 

 視線を逸らしたハイター様は、頬を人差し指で掻きながら困ったように笑った。

 

『そもそも私の知り合いに、弓使いの戦士はいなくてですね。北側にまで行けば話はまた別なのですが・・・・・・さて、どうしたものか』

 

 ハイター様は、こう説明してくれました。

 一般攻撃魔法が広まって以来、弓使いの戦士たちは淘汰されるようになったのだと。

 魔法の才能さえあれば、取得が簡単な一般攻撃魔法はそれ故に熟練を要することなく扱える。ただ杖を向けて術を発動するだけで、相手を葬れる。

 矢を取り、弓に番え、弦を引き絞り────そういった行程を踏まえてようやく一射を成せる弓は、一般攻撃魔法と比べ効率が悪すぎる。おまけに弦を引き絞り、狙いを定めるための、戦士としての膂力と技が必要になる。

 使用する際に魔力を使わないので、魔力探知に引っかからない故に奇襲性や暗殺性は、一般攻撃魔法よりも優れている。とはいっても、その使い勝手は雲泥の差だった。

 おまけに一般攻撃魔法は魔力操作が上達すれば、一度撃ったモノを曲射することも可能で、術者1人による飽和攻撃も可能になるのだとか。

 ハイター様の言っていた帝国の“影なる戦士”たちでもない限りは、まずこれから使われることはないだろうとの事です。

 それでも遠距離攻撃の手段に戦士としての反応速度を適用できる武器でもあるので、本当に熟練の使い手ならばゾルトラークよりも早く撃つこともできるだろうとも、言われました。

 ────それは正に、あの方のように。

 

『著名な弓使いの戦士も過去にはいなくはないですが、いずれもかなり昔を生きた者たちです。今では名を上げる弓使いの戦士の話は一切聞きませんねぇ』

『・・・・・・そのようなことは、ありません』

 

 名が上がる弓使いの戦士はいない・・・・・・そんなハイター様の言葉を、思わず否定してしまった。

 だって、私は見たんだ。

 杖を向けられた私達家族。多くの人殺しの魔法使いが一般攻撃魔法の光を私達に向ける中で・・・・・・それよりも早く、その一射を届かせたあのお方。

 白い弓を持ったあの小さい背中は、今でも目に焼き付いている。

 

『だとすれば、フェルン達を助けたその戦士は、よほど表舞台には姿を出さずに戦ってきたのでしょう。一瞬でも、フェルンがソレを見ることができたのは・・・・・・偶然か、それとも、才能でしょうか・・・・・・』

 

 まじまじと、興味深そうに私を見つめるハイター様。

 

『フェルン、まずはご両親に話をしてみましょう』

 

 私と目線が合うまでしゃがみ込んだハイター様は、私の両肩に手を優しく置きながらそう言ってくる。

 

『残念ですが、私自身はフェルンにその弓を教えることも、教えてくれる弓使いの戦士とも伝手がありません。ですが、フェルンにはその弓使いの戦士と同様の目と、何より魔法使いとしての素質があります』

『ッ!』

『私も司教としての仕事がある故、あまり長く時間は取れませんが・・・・・・かつて私と共に旅をした魔法使いの・・・・・・その真似事くらいは、教えられるでしょう』

 

 本当は、本人がここに来てくれるのが理想的なのですがね、とハイター様は困ったように笑いました。

 

『フリーレンにも困ったものです。どうせ今頃魔導書や魔法を捜して冒険しているか、迷宮のミミックに食われでもしているのでしょう』

 

 ハハハ、と懐かしむように笑うハイター様とは裏腹に、私はその言葉を真か噓か判断しかねていた。

 ミミックに食われている、とはどういう事だろう。

 勇者一行と共に魔王を倒した魔法使いがミミックに引っかかるなど、有り得ることなのでしょうか?

 

『さ、今日はもう遅いから部屋に戻りなさい。あと少しでご両親も帰ってくることでしょう。その時は、私も交えて相談しましょうか』

『・・・・・・はい!』

 

 

 

 

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・表舞台には一切姿を現さず、ですか。嫌になりますねぇ。

 ────否が応にも、あの時の話を思い出してしまいます』

 

 

 

 

 私の去り際に呟かれたハイター様の言葉が、私の耳に入ることはなかった。

 

 

     ◇

 

 

「という話をしたんですけど、パパとママはどう思いますか?」

「・・・・・・どう思うって、なぁ?」

「そうねぇ・・・・・・」

 

 食卓に座りながら、3人での家族会議。

 教会の管理する敷地に建てられた難民用の仮設宿。その中に用意された部屋の食卓の中で、食事中に突然、10にも満たない娘から切り出された話題に夫婦は困惑するばかりであった。

 

「そもそも、フェルンは何でハイター様から魔法を教わりたいんだ?」

「1人で生きていけるようになるためです」

「1人でって、フェルンここを出て行くつもりなの!?」

 

 不安そうに聞く母親の問いに、フェルンは首を横に振って否定する。

 

「・・・・・・パパとママと、別れるつもりはありません。ですが、大きくなったら暫く長い旅をしたいと、そう思うのです」

「何のためにだ?」

「・・・・・・それは」

 

 父親の問いに、フェルンは言い淀むや否や、もじもじと手を下で弄り始める。

 その時のフェルンの表情を見た父親の表情はどんどんと険しくなっていった。

 ・・・・・・フェルンは、まだ5歳になったばかりの女の子である。

 

「いけない、いけないぞフェルン!!」

 

 突然大声を上げながら立ち上がる父親に、フェルンも母親も思わずビクリと体を震わせる。

 

「アナタ、フェルンが怯えているじゃない!!」

「それでも言わなきゃ駄目だろう!! だって・・・・・・」

 

 バン、とテーブルを叩きながら、身を乗り出す父親。

 普段の優しそうな父親の姿からは想像もできない程の形相に、フェルンは冷や汗を止められなかった。

 

「だって・・・・・・だって・・・・・・うぅ」

 

 なのだが、父親の声が徐々に萎んでいき、終いには腕で目を覆い隠しながら泣き始めた父親の姿に、萎縮していた母親とフェルンも段々と体から力が抜けていく。

 

「・・・・・・その年で、男を追いかけるために旅に出ようだなんて・・・・・・お父さんは絶対に認めません・・・・・・!」

「「・・・・・・」」

 

 絶句する2人。

 茫然とするフェルンであったが、一方で段々と冷静になっていったフェルンの母親は呆れたような目線を夫に向ける。

 そもそも、先ほどフェルンは“大きくなったら”、という前置きをちゃんと置いている。旅に出る理由がどうであれ、今の自分が家を発つのはまだ早いとフェルン自身もちゃんと言っているのにこの先走りようである。

 

「・・・・・・ご、ごめんな2人とも・・・・・・話を戻そう。まだ男と決まったわけではないしな、ハハハ」

 

 空笑いでそう締めながら話を戻す父親。

 そんな父親を尻目に、フェルンは再びあの時自分達家族を助けてくれた弓使いに思いを馳せる。・・・・・・確かに、あのお方が男性か女性なのかについては、考えたこともなかった。もう一つ、フェルンは彼もしくは彼女について知りたいことができた。

 ・・・・・・そういう意味でも、やはり旅に出たいと思っていた。

 

「それでフェルン? 急に旅に出たいとか言い出して、一体どうしたのかしら?」

「・・・・・・パパとママは、覚えていますか? あの時、私とパパとママを助けてくれた・・・・・・」

 

 そこまでフェルンが言うと、途端にフェルンの両親の顔は真剣なモノとなった。

 あの時、矢を放って自分達家族を助けてくれた何者か。

 それについて気になっているのは何もフェルンだけではない。

 父と母もまた、それは同じなのだとフェルンは2人の顔を見て確信した。

 

「ああ、覚えているさ。・・・・・・正直今でも、信じられないよ」

「あの矢がこなければ・・・・・・パパも私も、そしてフェルンも、この世にいなかったのよね。実感は、湧いてこないのだけれど」

「まるで現実感がないよな。仮住まいとはいえ、ようやく平和な暮らしを手に入れられたせいか、忘れたくなってしまうのかな?」

 

 正直、助けられたという実感がフェルンの両親にはなかった。

 決して2人に義心がないわけではない。理解はしているし、感謝だって勿論している。

 だが、あまりにも現実離れしすぎていて、未だにあれが現実だったのかと疑ってしまう。

 

 戦いについては素人であり、魔法を撃ったことも、剣や弓を握ったこともない2人でも理解できてしまう。

 あれは、間違いなく神業であったと。

 的確に魔法使いたちの頭を射ったのもそうであったが、次の矢が飛んでくる間隔は勿論のこと、矢自体が一方向から飛んでくるのではなく、時には真上からすら降ってきて的確に殺して見せた。矢をどの角度で撃てば、如何に威力を殺さず、かつどこの場所に真下へ落ちていくかまで的確に計算して放たれていた。

 明らかに、自分達を助ける目的で放たれたモノだということも理解はしている。

 だが、考えれば考える程身を震わせずにはいられないその神業に、フェルンの両親はアレは人の助けというよりかは、天災かナニカの類いだったのでは、という感覚が抜けなかった。

 それが偶々自分達の助けになってくれただけなのではないかという考えを、拭いきれないでいた。

 

「あの後、すぐ周りを見渡したけれど、それらしき人影は見当たらなかったのよね・・・・・・」

「感謝の言葉くらいは、せめて伝えたかったな。助けてくれたなら、ちょっとくらい顔を見せてくれたっていいんじゃないか。助けられた実感も、現実感がないのもそのせいだと思うんだが・・・・・・」

 

 そんな風に言う2人の様子を見て、フェルンは益々確信した。

 一見、興味がないように、実感がないように装っているものの、やっぱりこの2人もあのお方に会いたいのだと。

 今は平和な生活を続けられているものの、決して安定しているとも、余裕があるとも言えない。だからこそあえて話題に出さないようにしているだけなのだと、フェルンはそう思った。

 だからこそ、フェルンは打ち明けることにした。

 

「実は私、見たんです」

「・・・・・・へ?」

「見たって何を・・・・・・まさか」

 

 フェルンの言わんとしていることを察し、唖然とする両親に、フェルンは構わず続けた。

 

「あの時、パパとママに抱きしめられていた時・・・・・・その隙間から、遠くの古い高台の上にいた・・・・・・白い弓を持ったあのお方の背中が、見えたのです」

「・・・・・・あの、フェルン?」

 

 恐る恐る、といった具合で聞いてくる母親に対し、フェルンは何でしょうか、と応じる。

 

「その、あの時高台なんて何処にもなかったと思うのだけれど・・・・・・一体、何処にあったのかしら」

()()()()()森の中に埋もれて、殆ど見えない、石で作られた高台で、距離もものすごく離れていました」

 

「「─────」」

 

 絶句する2人。

 自分ら2人とあの魔法使いたちですら気付かなかった距離と、場所。

 そんな所に身を潜めていた人影を、自分達の娘は目に捉えていたという。

 

「とはいっても、見えたのは本当に一瞬で。高台を飛び降りる背中と、白い弓が見えただけで・・・・・・2人とも、どうかしましたか?」

「い、いえ・・・・・・」

「なんでもないぞ」

 

 ────我が娘ながら、末恐ろしいな。

 実の娘に抱いてはいけない感情と知りながらも、2人はフェルンの恐ろしい洞察眼にそんな評価を下した。

 

「見つけられたのは偶々だと言ったのですが・・・・・・どうやらハイター様は、そんな私に才能があると仰られていて」

 

 でしょうね、と2人は内心でハイターがフェルンに向けて言ったであろう言葉に同意する。以前から、3人の身元の預かり元でもある司教ハイターからは、フェルンには魔法使いの才能があることは伝えられていた。

 それに加えて、この恐ろしい程の目である。

 組み合わせを考えれば、素人であっても絶対敵に回したくはないと思い至る筈である。

 

「ハイター様は、パパとママが許してくれるなら、魔法を教えてくれると仰っておりました。私、ハイター様から魔法を教わって、旅に出たい」

 

 意を決したフェルンは、両親の目を真っ直ぐ見据えながら伝える。

 

「・・・・・・そしてあの方を見つけて、お礼を言いたいんです。助けてくれてありがとうって。貴方様が助けてくれたから、パパとママも、私も・・・・・・こうして一緒にいられるんだって」

「・・・・・・フェルン」

 

 真剣な表情で語るフェルンを、母親は感極まった様子で見つめる。

 本来ならば、フェルンが言ったことをすべきなのは自分達親の方であると理解はしている。でも、今はそんな事を考えられる余裕などない。

 保護人であるハイターも老いの関係でいつまで司教を続けられるか分からない。

 そんな状況で顔も知らない恩人を態々捜すことなどできるわけがなかった。

 

「見つけたら・・・・・・必ず、パパとママの所にも連れて来たいと思います。・・・・・・会って、礼以外に何をすればいいのか分かりませんけれど・・・・・・いっぱい、皆でお話ししたいって、思いますから」

「・・・・・・なあ、フェルン」

 

 そう言ったフェルンに対し、遠慮がちな声をかけたのは父親の方だった。

 その表情には、また先ほどのような焦燥が滲み出ており、今度は何事かと横で睨みを利かす母親であったが。

 

「聞いてて思ったんだが。今の言葉って完全に、惚れた運命の相手を見つけて両親に紹介しようとする娘そのもの────」

「ア・ナ・タ?」

「・・・・・・ゴメンナサイ」

 

 ドスを利かせた妻の呼び声に、夫は情けなくシュンと肩を落として謝った。

 そのいつも通りの光景がおかしくて、フェルンはクスリと笑ってしまった。

 やっぱり、自分はこの両親が大好きだった。

 

「まったく、すぐそういう所に飛躍しちゃうんだから」

「・・・・・・仕方ないだろう? フェルンは南側諸国、いや、世界一かわいい娘なんだ。恩人とはいえ、顔も知らない何処かの男にやれるか」

「まだ男か女かも分からないじゃない。仮に男だとしても年はかなり離れているでしょうし、そんな関係になるとは限らないでしょう?」

「それはそうだが・・・・・・」

 

 未だに何か言いたげな夫に、妻は呆れてため息を吐く。

 その直後、2人が再びフェルンの方に向き合ったのは同時だった。

 先ほどとは打って変わって真剣な様子の2人に、フェルンもまた顔を上げた。

 

「さてと、フェルン。正直な所、パパとしてはフェルンには出て行って欲しくない。さっき言ったこともそうだが・・・・・・何より大切な娘を1人旅に行かせるなんて、親としては心配で堪らないよ」

 

 父親の言葉にフェルンはシュンと肩を下ろす。

 そう言われることは、フェルンにだって予想は付いていた。

 

「ママも同じよ。旅に行く娘を見送って、もし貴女の身に何かあれば、ママはずっと貴女を引き留めなかったことを後悔すると思う」

「・・・・・・はい、分かっています」

 

 悲しげに目を細めながらも、フェルンは言い返さない。

 

「・・・・・・でも、はぁ・・・・・・貴女は私達の自慢の娘だから。多分ハイター様の言うことも正しいのでしょうね。きっと、立派な魔法使いになるわ」

「ママ?」

「だから、こうしましょう?」

 

 人差し指を立てながら、母親はフェルンに微笑む。

 

「とりあえず、ハイター様から魔法を教わることは許すわ。私達からも頭を下げておくから、遠慮なく学んでいきなさい」

「ッ! では────」

「でも!」

 

 目をパァっと輝かせて身を乗り出したフェルンであったが、その前に声を張り上げて遮る母親。

 

「それと旅に出ることは、また別よ。だから、フェルンが一人前の魔法使いになるまで成長した時に、また聞くわ」

「聞くとは、何をでしょうか?」

「今、フェルンが旅をしたいと言い出したのはその場の一時的な決意の可能性だってあるからよ。だからその時まで待って、それでも旅に出るという意思が変わらないようであれば、その時はママもパパも諦めるわ」

「あ────では、その・・・・・・」

 

 口では回りくどいことを言いながらも、母親からの実質的な承諾に困惑したフェルンは、今度は父親の方を見る。

 そんなフェルンの視線を受け、父親もまた困ったように笑いながら。

 

「ま、その人にお礼を言いたいのはパパとママも同じだからな。ママの言う通り、もしフェルンが大きくなっても旅に出たい意思が変わらないなら・・・・・・その時はお願いしていいか、フェルン?」

「ッ、はいッ!!」

 

 父親からも承諾を得たフェルンはそれまでの物静かな雰囲気が吹き飛び、また昔のような満面の笑みを見せながら。

 

「パパ!ママ! ありがとう!」

 

 子供らしい、無邪気な笑みで2人にお礼を言う。

 久々に見た娘の満面の笑みに、思わず面食らってしまう2人。

 あの戦争に巻き込まれて以降、フェルンは滅多なことでは笑わなくなっていた。時々、クスリと微笑むことはあるものの、今みたいな子供らしい無邪気な笑みを見せることはなかった。

 それまでとは打って変わって物静かな子となり、ハイターの影響もあってか口調も丁寧なモノとなっていった。

 暫く茫然としていた母親であったが、やがて観念したようにため息をついて、椅子に座っているフェルンの元まで歩み寄ると、そのままひょいと持ち上げて抱きしめた。

 

「・・・・・・あの、ママ、近いです」

「だーめ。将来、旅に出て暫く離ればなれになっちゃうかもしれないのよ? 今の内に精一杯甘やかしちゃうんだからッ」

「もう、ママったら」

 

 口では嫌がってそうなフェルンであったが、母親の温かみの気持ちよさには逆らえないのか、されるがままに抱きしめられていた。

 

「ハハハハ! なら、パパも負けないぞ!」

 

 いつの間にか復活していた父親も、母親の腕に抱かれているフェルンの元に歩み寄り、頭や頬を優しく撫で始める。

 

「・・・・・・ん、んんんん~♪」

 

 やがてその気持ちよさに表情すら逆らえなかったのか、フェルンは幸せそうに笑いながら両親からの愛を享受するのだった。

 本来ならば、有り得なかった光景。

 しかし、ここに異分子の存在が介入することによって、この尊い光景は今も続いていた。

 

 

 

 

 

「本当にお願いしていいのですか、ハイター様? この聖都シュトラールで難民として保護されてから、貴方様には世話になりっぱなしで」

「構いませんよ。元々言い出したのは此方ですから」

 

 ハイターの私室に招かれたフェルンの両親は、テーブルでハイターと向き合いながら娘の今後のことを話していた。

 

「何を隠そう、私も近い内に司教をやめることになりましてね。具体的な時期は決まっていませんが、そうなれば時間も持て余すことでしょう」

「お、お辞めになるのですか!?」

 

 突然のハイターの申告に、慌てて立ち上がった父親が身を乗り出して問い詰める。

 母親はそんな父親を諫めつつも、ハイターの方に振り返って「本当ですか?」と不安そうに聞いた。

 

「ご心配なく。保護した難民の生活支援については、次期司教の方にも引き継ぎ済みですから。これでいつでもお役御免になれるというわけです」

「そう、ですか」

 

 力なく椅子に座り直す父親。

 ハイターが司教を辞すれば難民の生活支援はどうなってしまうのかという、打算的な不安を恩人に対して抱いてしまった自己嫌悪が、父親の頭の中を支配した。

 

「ハハハッ、これで遠慮なく好き放題酒が飲めます!! ・・・・・・と言いたい所ですが、酒はやめることにしたので、本当にやることがなくなるんですよね」

 

 困ったように笑うハイターに、フェルンの両親もまた釣られて笑う。

 ハイターなりに場の空気をほぐしてくれたのだと理解するのに、そう時間は掛からなかった。

 

「それに、私ももう年です。女神様の元へ行く前にせめて何か一つ、残しておきたいと考えるようになりまして。フェルンに魔法を教えようとするのも、そんな老人の我が儘みたいなものです」

「年って・・・・・・」

「ハイター様、そんな縁起の悪い」

 

 軽く咎めるフェルンの両親に対しても、悪びれなく笑い続けるハイター。

 何か一つ残しておきたいとはいうものの、目の前にいる司教はかつて魔王城に辿り着き、魔王を討ち取った勇者一行の1人である。

 もう既に十分残せている筈なのに、ここに来て欲張りな人だなぁ、とフェルンの父親は内心で苦笑する。

 

「という訳で、フェルンの事はどうか任せて下さい。本職の魔法使いではない私ではどこまで教えられるか分かりませんが、いずれ知り合いの魔法使いにも協力して頂ければとも思ってます。その手の伝手は、幸いにもありますので」

「・・・・・・分かりました。ではハイター様。どうかフェルンの事、よろしくお願いします」

 

 深々と頭を下げた夫に倣い、妻もまた頭を下げる。

 それに対し、ハイターは笑ってその願いを受け取るのだった。

 

 

     ◇

 

 

 それから、とりあえずフェルンはハイターが司教を続けている間は教会で、お手伝い係という形で雇われることとなり、隙間時間でハイターから魔法を教わる日々が続いた。

 ハイターが司教を辞してからは、シュトラールの郊外にあるハイターの家に通う約束事が交わされ、フェルンと両親もそれを承諾した。

 

 そんな日々が続いていたある日。

 人が訪れなくなる夕方の教会の敷地内を、箒で掃除しているフェルンの姿があった。

 お手伝いとはいえ名目上は教会の所属となり、子供用の修道服を宛がわれたフェルンは、小間使いのような仕事をしながら、ハイターから魔法を教わる日々を送っていた。

 仕事代としてハイターのヘソクリから払われることになり、両親共働きどころか実質家族全員共働きのような生活となっていた。

 

「~♪」

 

 それでもフェルンは、今の生活に満足していた。

 教会の仕事を手伝うことも嫌いではないし、少なからず家族の生活費の助けにもなれているならば、フェルンがそれを拒む理由はなかった。

 ハイターからはただ魔法を教わるだけではない。

 時々、勇者一行として旅をしたハイターの思い出話を聞かされ、フェルンもまたその話を聞くのが大好きだった。

 フェルンにとって、ハイターという老人は第二の父親のような存在だった。

 そして仕事が終われば、家で家族3人で幸せな時間を過ごせる。

 時にはハイターも招いて4人で楽しく食事を取ることもあった。

 

 フェルンたち家族は幸せであったが、ハイターもまた幸せだった。

 

 だが、そんなフェルンに。

 またもう一つの転機が訪れた。

 

 

 

 不意に、教会の敷地の門が開く音が聞こえた。

 いつも聞こえるような音であれば、フェルンはその来客に軽く会釈をして、箒掃除に取りかかったことだろう。

 

 だが、なぜか、門の開く音が、妙に重かった。

 いくら力が弱い人が開けても、こんなゆったりとした音にはならない筈だった。

 

 不審に思ったフェルンは箒を持つ手を止め、門の方を振り返る。

 ・・・・・・そこには、夕日を背に立つ一つの影があった。

 

 

「・・・・・・何方でしょうか?」

 

 

 その影に、フェルンは遠くから話しかける。

 夕日の逆光で詳しい容姿は分からず、見えるのはシルエットのみ。

 だが、そのシルエットはかなり特徴的だった。

 何より目を引いたのが、後ろに長く尖った耳。

 

 ────もしかして、エルフの方?

 

 エルフ。伝説上にしか存在しないと言われている種族。

 生き残りはごく僅かで出会うのはごく希だという。

 そんな種族の方が、一体どのような用でここに来たのだろうと思ったフェルンだったが。

 

 

「──────ッ!!!??」

 

 

 次の瞬間、覚束ない足取りで此方に近付き。

 その顕わとなったエルフの少女の惨状に、フェルンは思わず絶句した。

 

 全身は血塗れ。

 皮膚も擦り傷と切り傷が全身に刻まれており、もっと酷い箇所は皮膚がまるごと剥がされている部分もあった。

 これだけでも、グロテスクだというのに。

 

 

 

 ・・・・・・そのエルフの腕は、右の片方がなかった。

 切り落とされ、見るのも痛ましい切断面が、毒となってフェルンの視線に襲いかかる。

 そして極めつけは・・・・・・

 

 

 

 

 そのエルフの少女の脇腹の切り傷から広がる、黒い瘴気。

 既に、少女の体の右半分ほどまでに浸食していたソレは、紛れもなく呪い。

 

 

 

 

 

 まるで、死人(グール)のような足取りで、そのエルフの少女は近付いてくる。

 やがて、少女は立っているのも耐えきれないとばかりに崩れ落ち、膝を突いた。

 

 

 

 

「大丈夫ですかッ!!?」

 

 慌てて駆け寄るフェルン。

 この傷、遠目から見たって常人ならばとっくに死んでいる。

 その命をつなぎ止めるのは、長命種ゆえの生命力の強さなのか、それはフェルンには分からない。

 ただ今分かることは、すぐにこの人を助けなければならないということだけだった。

 そして、エルフの少女の傍までかけよった所で・・・・・・エルフの少女が、左手の掌を、駆け寄ってくるフェルンにバっと突き出して、フェルンに制止の合図を出した。

 

 

「近付かない・・・・・・方が、いい」

「えッ?」

「呪いが・・・・・・移る、かも、しれない、から・・・・・・」

 

 

 途切れ途切れにそう言う銀髪のエルフの少女に、フェルンはじゃあどうすればと視線を右往左往する。

 

 

「早く・・・・・・ハイターを、呼んで・・・・・・ここに、いるん、で・・・・・・しょ・・・・・・」

「そんな・・・・・・しっかり!! ハイター様、ハイター様あああああぁぁああッ!!」

 

 

 敷地中に響いたフェルンの悲鳴を聞きつけたハイターは急いで教会の玄関を開けると、フェルンの傍で気絶しているエルフの存在(かつての仲間)を前にして、一瞬だけ硬まってしまった。

 




南篇どうするかと迷っている内に、箸休め回としてフェルン篇を書きました。
どうするかはまだ決まっていない。


あと、21話「心を形にする魔法」に挿絵を入れました。
拙いAI絵にちょっと編集を加えただけですが、よければ。
詳しくは下記の活動報告にて。

https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=336991&uid=34196
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