多様性に殺される 作:田陽 聖
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「
「当然、悔しいです。この悔しさを糧に練習を重ね、次は勝ちたいです」
神妙そうな顔を張り付けながら、眼は面白いネタを見つけたとギラギラしている。
――そんな大人が嫌いだ。
「優勝した
「色々と議論がされていることは知っています。ですが、何も関係ありません。少なくとも私は、生まれ持ったものを言い訳にはしたくないです」
そして。何よりも。
そんな大人たちや、社会だとか時代だとかに怯えて。
叩かれることを怖れて、世間体を気にして。
当たり障りのない模範解答のコメントをする。本心を隠して嘘をつく。
――そんな私が、大嫌いだ。
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ずっとずっと、
泳ぐことが好きだった。
始まりは、テレビで見た、大海原を悠々と泳ぐ魚の姿。思い思いの方向へ、スイスイ、ユラユラ、ビュンビュンと泳ぐ魚たち。幼い私の目に、その自由が何よりキラキラして映った。彼らのように、彼らとともに泳げたのなら、どんなに楽しいだろうと憧れた。
それから私は、水泳と出逢い、水泳にのめり込んだ。ひたすらに泳いで、泳いで、泳ぎ続けた。
新しい泳法をマスターする、競争に勝つ、自分の記録を塗り替える――そのたびに、水の中の私が、どんどん自由になっていくのを感じた。幼心に求めた自由が、確かにある。そのことが嬉しくて、楽しくて、私はますます水泳に夢中になった。
勿論、順風満帆とは言えない。敗北も挫折も何度も経験した。泣いて泣いて泣いて、流した涙を全部溜めたらプールくらい作れるんじゃないかってくらい泣いた。やめようと思ったこともある。けれど、私は水の世界を諦めきれなくて。挫折のたびに立ち上がって、自分の強さに変えていった。
テレビゲームも、恋愛も、お洒落も――何もかもが味気なく映った。水の中よりキラキラしたものは何もなかった。幼少期、少年期、そして青春。比喩でも何でもなく、水泳に全てを捧げてきた。私の人生そのものだった。
そして遂に、私は前回の大会で悲願の優勝を果たしたのだ。
今回の大会には、二連覇をかけて挑む。私は私の全てを懸けて栄冠を掴む。
そう、思っていたのに――
表彰台の一番上に立って笑っているのは、「
私は「彼」を知っていた。ジュニアの男子として素晴らしい成績を収めていた選手だったから。「彼」の泳ぎを見るたびに、そのタイムを知るたびに、どうやっても女は男に勝てないのだと現実を突きつけられてきた。
その「彼」が、今は「彼女」として表彰台の上にいる。私の上に立っている。
振り返れば。「彼女」が出場することになって、大会に世間の注目が集まった。集まり過ぎた。
連日連夜、特集が組まれて、「彼女」の周りには大勢のマスコミがいて。
まるで正義のヒロイン。対する私は悪役のよう。
インタビュアーからは「LGBTQについて」なんて専門外のことを聞かれる――五月蠅い。
SNSには、普段水泳になんて興味のない人たちの心無い言葉が溢れている――五月蠅い。
会場の外では「反対派」のデモがあって、「人権団体」と衝突している――五月蠅い。
こんな状況で集中なんて出来るはずがない。私はまだプロでも何でもない、ただの高校生なのに。
そもそも。
性転換をした?
ホルモン値が基準値を満たしている?
そんなこと知らない。だって私は医療の専門家じゃない。ずっと水泳ばかりしてきた私には、それが本当のことかどうか見極められない。顔も知らない医者が、何も知らない大人たちが、“こう”と決めたことを黙って受け入れるしかない。それしか許されない。
何より。何よりも。
この水の世界で、焦がれた自由の場所で、嘘をついた自分が許せない。
次は勝って見せます?――無理に決まってる。「彼女」に追いつくビジョンが浮かばない。「彼女」のタイムで泳ぐ自分の姿が想像できない。勝利のイメージが私の中に存在しない。
生まれ持ったものを言い訳にはしたくない?――嘘に決まってる。だって「彼女」の筋肉は、私がどう足搔いても得られなかった男性の筋肉そのものだ。初めから土俵が違い過ぎる。
それを知りながら。骨の髄まで理解しながら。
叩かれることを怖れて。世間体を気にして。
そうして私は、自分の気持ちに嘘をついた。
社会が、倫理が、道徳が、ルールが――“みんな”が
私の自由を縛って殺す。
静かで自由な水の世界は、もう見つからない。
ずっとずっと、
泳ぐことが好きだった。
でも、今は――
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その日。
更衣室の私のロッカーの中に、一通の封筒があった。
真っ黒な、ダイヤ貼りの封筒。
その背面には、宛先や差出人の代わりに――
『多様性を壊したいと
思ったことはあるかい?』
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「ある者は、多様性によって夢を壊された。人生をかけて挑んでいた舞台が、社会の、大人たちの勝手な都合によって滅茶苦茶にされた――おかしなことだね」
「ある者は、多様性への配慮が足りないと批判され、炎上。結果、職を追われた。家族にさえ見捨てられ、日々の暮らしすら儘ならず、自ら命を絶とうとした――悲しいことだね」
「ある者は、多様性を利用した卑劣な犯罪の被害者となった。過去の記憶に苦しみ続け、真っ当な社会生活を送ることなど不可能な状況にある――腹立たしいことだね」
「まだ、まだ、いくらでもある。ここにいる君たちこそが証人だ。このままでは僕らは、多様性に殺されてしまう」
「なのに、今の社会では多様性を批判することすら出来ない。思想や言論が殺されている」
「その独善的な正義感を、排他的な価値観を、殺人的な概念を、社会は多様性と呼び敬い、新時代のルールにしようとしている」
「――それを壊したいと、そうは思わないかい?」
「大丈夫、君たちは何も間違っていない」
「これは正当防衛だ。これも多様性だ。それをボクが肯定しよう」
「さぁ、多様性を壊そう。殺される前に――壊せ」
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むしゃくしゃして書きました。
お気に入りとかしてくれたら、独りじゃないと思えて嬉しいです。