憤怒の間でスサノオと呼ばれる男がつばきの前に現れ、猛吹雪の中で薙刀を振るい吹雪を抑える。
つばきは薙刀さばきを見て感心し、スサノオはそれでも構わずつばきに詰め寄る。
「お前はあの罪魔一族を討伐した冬野つばきだったか?」
「はい、冬野つばきです」
「俺たちでさえ罪魔を扱うのが難しいのに、よく封印ではなく討伐できたな。それだけでも俺たち初代ヤマタノオロチを超えている」
「いえ、戦いはまだ終わっていません。あのザイマノミコが現れ、世界を恐怖と破壊によって混乱を招いていますから」
「ほう、武士の基本である残心を示すか。この現代にも理性的な人間もまだ残っていたとは感心するぜ」
「ヤマタノオロチさまに仰られて感謝です」
スサノオはホッと一息を尽きながらつばきから離れ、薙刀を置いてつばきに感謝を示す。
つばきも初代に認められたと安堵しつつも戦いはまだ終わっていないと残心を示す。
そのためかスサノオは薙刀を置いて安心してつばきと話せるのだ。
「冬野つばき、人間には当然憎しみという感情がある。それはどんな生き物だってあるはずだ。家族が殺されたり、友達に裏切られたり、普通は怒りに支配される。それは仕方のないことだと思う。人間みたいに理性がどんなにあっても怒りや憎しみを簡単にコントロールできるほどシンプルなものではない。それはお前自身もわかっているよな」
「はい、憤怒というのは生きていれば誰しもあることだと存じています。だからこそ我慢して抑えることと私は思っています」
「なるほど、確かに一昔前なら我慢することが美徳とされてきた。それは確かに伝統的な憤怒の抑え方だろう。だが現代ではそうするほどいい気になって無礼を働くようになり、ため込むことで憤怒が爆発してしまう。そうなるといくら理性があっても抑えが効かないのだ。それほど我慢し続けるのは難しく、憤怒というのがいかに身近なものかがわかるだろう。お前の答えは正しいが、この現代にはもう通用しない」
「うっ……確かに我慢が全部正しいわけではないですね」
「現にお前にもあるだろう。溜め込んでた憎しみと怒りがな」
「私に隠された怒りと憎しみ……?」
スサノオに憤怒を指摘されたつばきは何のことかわからず聞き返す。
実際に我慢し続けることでストレスが溜まり、いつかは溢れ出して怒りが爆発するため怒りを我慢することだけが正しいわけではないことをつばきは痛感する。
そのために自分の正直な心を確かめると、つばきは思い当たることが一つだけあった。
「そういえば中学時代に全国大会であの男の指導によって相手の選手に手首を潰された。勝利こそしたが私は選手から外れ、全国で準優勝に終わってしまいました。そしてそれが高校入学時にも引きずり、一本を取るために人を傷つけるのが怖くなってイップスに……。だが私が憤怒を抱えてる……? 馬鹿な……!?」
「ちょっとわかりづらかったか? ならシンプルに言おう、本当は殺したいほどに憎いんじゃないか?」
『あいつさえいなければ俺は……! 冬野つばきを殺さなければ気が済まねえ……! 地獄の底から恨み続けてやる!』
「殺したいほど……うっ!」
スサノオが鏡を召喚させ、つばきがかつて憎んでいた男の姿を映し出す。
つばきは自分の内なる心に問いかけ、無意識のうちに怒りと憎しみを思い出す。
同時に自分の母校である道中中の顧問に身分を隠して支配し、そして暴言や暴力で後輩たちを潰してもなお反省せずに振る舞っていたことに腹が立ってしまう。
その男はあれから罪魔に襲われて亡くなり、地獄界に堕ちて罪魔になってもなお反省せずにつばきを憎み続け、悪霊として善良な人たちに破壊と殺戮の衝動に駆らせていた。
その様子を見て怒りの心に支配され、つばきの魂が黒く染まり、そして顔も修羅のように醜くなっていった。
「あの男が憎い……! どこまでも反省しないとは武士道に反する……! 地獄の底で一勝苦しんでもらいたい……!」
「ふう、少々厳しい試練過ぎたかな? だがそれを乗り越えられないようではザイマノミコの大罪の洗脳には勝てん……。冬野つばき、その憤怒をどうか乗り越えてくれ」
スサノオは申し訳なさそうにしつつもザイマノミコの洗脳対策にあえて憤怒の感情を全開させるように厳しい言い方で試練を設けた。
つばきは怒りに支配され徐々に修羅の姿になっていった。
次第に復讐の修羅となり、地獄界に向かおうとした。
すると地獄へ行ける門が現れ、つばきの憤怒を誘惑し始める。
魂が黒く染まり穢れきった瞬間、つばきの僅かな理性が憤怒を邪魔しつばきを苦しめた。
「やめろ……! あの男を自らの手で殺さねばならぬのだ……!」
つばきの善良な心が憤怒に抵抗し、激しい頭痛と胸の苦しみがつばきを襲う。
呼吸も荒くなりその場で倒れ込むもスサノオは助ける気配がなかった。
呼吸困難に陥るとつばきは息ができなくなり意識を失った。
そして走馬灯なのか同級生であるわかばとのやりとりが頭に浮かぶ。
これは道中中の臨時コーチを終えて京都まで飛行機で帰る時のことだ。
つばきとわかばは二人でこんな会話をしていた。
『つばき、やっぱりあの男のことが憎いって今も思う?』
『そうだな……許したつもりだが、まだ心の奥底で憎しみがあるのがわかる。断ち切らなきゃならないのに、我慢しなければならないのに怒りが残っているのだ』
『そうね、人間に怒りの感情を完全に消すのは無理よ。神様でさえ憎しみ合ってきたのだから人間なんてなおさら厳しいわ』
『そうか……わかばでも完璧にいかない時もあるのだな。わかば、どうすればよいのだ?』
つばきは完璧主義的なところがあるわかばが人間は完璧ではないことを言われたことに驚きつつ、わかばに怒りや憎しみを許すにはどうすればいいかわからずわかばに悩みを打ち明ける。
わかばはメガネをクイッと上げ、つばきの顔を見つめて語る。
『許す代わりに繰り返さないために二度と忘れないことよ』
『許す代わりに忘れない……どういうことだ?』
『どんなに許しても悪人のしてきたことは消せないし、憎しみを完全になくすのは無理なのは確かよ。それに簡単に許したら悪人はその人をなめてかかり、同じことを繰り返すわ。だからこそしてきた過去を許す代わりに反省を促し心を無理やり入れ替えさせるために起こってしまったことを二度と忘れないの。そうすれば同じことを繰り返せば説教して思い出させることもできるでしょ? だからこそ許す勇気だけでなく、忘れず未来へ進み取り戻せない過去を繰り返さないようにするの。これはただ許すだけよりも難しいの。西暦時代の太平洋戦争で日本がやってきたことを東南アジアの人たちが日本と共に前に進むためにしてきたことよ。いつまでも根に持ってグチグチ責めて許さないのも憤怒だけど、同じ過ちを繰り返すことはいつか自分への憤怒に変わるの。だからこそ怒りや憎しみを断ち切るためには許す代わりに忘れないことが大事よ』
『なるほど……憎しみを断ち切るには過去を記憶し未来に進むために許す代わりに忘れない……覚えておこう』
つばきはわかばとのさりげない相談を思い出し、修羅の姿から徐々に戻り始める。
そして地獄への門が徐々に消えていき、つばきは憤怒をコントロールし始める。
「貴様のしてきたことはもう二度と許されることではないし、地獄界に堕ちて罪魔になってもなお繰り返すとは哀れだな。だがそんな貴様を許し、私は前に進もう。だが貴様のしてきたことは二度と忘れず、今後同じことが繰り返さぬよう、私自身が武士道に則り怒りと憎しみを自ら断ち切ろう……。貴様がいつか犯した罪に気付き、反省して生まれ変わることを願い、貴様との憎しみを……ここで終わらせる!」
「いいぞ……お前の心の氷はただ冷たいだけじゃない。お前の氷は固く揺るがない心の強さを表すいい冷たさなんだ。お前の冷たいだけのふざけた氷を叩き割れ!」
「はい! 我が憎しみの冷たき氷よ、貴様の因縁をここで終わりにしよう! はぁぁぁぁぁぁっ!」
つばきは憤怒を許し、そして繰り返さないために忘れない心を思い出し、自分の冷たく虚しい氷を薙刀で叩き割る。
同時に心の清き透明な氷がつばきの魂に反応し、堅く揺るがない強い氷の心を手に入れた。
スサノオはつばきの急成長を喜ばずにいられなくなり、乗り越えようとした時につい応援してしまった。
つばきが完全に元の姿に戻った瞬間、つばきは立ちくらみがして座り込む。
「お前の心の氷は固く揺るがぬ強い氷の心となった。お前の武士道は怒りを抑え我慢するのではなく、怒りを忘れずも許す勇気を持ち前に進み過去を記憶する。そうやって人類は前に進み同じ過ちを繰り返さぬようにしてきた。憎しみは連鎖する、だが自ら断ち切り記憶すれば同じことをした時に立ち向かえる。そして正しき道に導けるのだ。お前の強い心と勇気、忘れるでないぞ」
「心得ました、スサノオさん」
「よし、お前は憤怒の試練合格だ。この扉をくぐって元の八咫山に戻りな」
「ありがとうございます。あ、そうだ。あなたがあえて私を憤怒に陥らせたのはザイマノミコが洗脳して大罪を呼び起こすためのものですね? だからわざと罪魔力を引き出し、対策を取ったのですね」
「なんだよ、わかってたんじゃん。でも憤怒はわかっててもコントロールが最も難しいんだぞ。それが出来た時点でもう俺を超えている。自信を持って罪魔との長き因縁を断ち切ってこい」
「はい、お世話になりました。また会いましょう」
つばきは扉をくぐりスサノオと別れを告げる。
憤怒というのは単体でも充分強い罪魔力を持つが、溢れすぎて大きくなると憎しみの連鎖は続き、次第に信用というものもなくし嫌われる。
断ち切るにはただ許すだけでなく、してきたことを永遠に忘れず、そして二度と繰り返さないよう協力して前に進み過去を振り返り忘れないように心を入れ替えることだ。
そう学んだつばきはあの男を許し、反省して生まれ変わるよう応援して祈った。
つづく!