見覚えの無い天井、こんなありきたりな出来事も我が身に起きるのだなと、意識が戻ってから始めに考えた思考はそんな陳腐なものだった。
意識を失う直前の記憶が無い。確か私は学校から部活の監督を終え、帰宅する最中だったはずだが――
「ッ!――」
しかしそんな思考は腹部からくる鈍痛によって引き剥がされた。
まるで焼けるかのようなその痛みは、思わず声を漏らす程だった。頭にも同様の痛みがあり、そして痛みにより意識の覚醒が促されれば、更に体の節々から悲鳴が上がり始めた。筋肉痛と言うには生易しい、外傷からくるものだった。一体この身に何が起きたのか――
「せ、先生!?目が覚めたんですね……!!」
周辺を探ろうとしていた私に、酷く呼ばれ慣れた呼び方をされそちらに意識を向ける。見覚えがないが学校の保健室にでも運ばれたのだろうか――そう思っていたのは一瞬だった。
「セリナ……?」
見覚えのある服装、桃色の髪、顔つき、そして特徴的な彼女の愛銃。見間違える筈がなかった。コスプレ、というにはあまりにも精巧。そして声まで同じなのだからこれでコスプレならば一種の変装ですらある。
「せ、先生?どうされました?意識がはっきりとしないのでしたら、もうしばらくお休みしていただいても……」
セリナですら十二分に驚いていたのに、ハナエまで出てきてしまった。こちらもセリナ同様私の記憶の中にあるものと寸分狂わず目の前に存在している。事態の急速な展開に頭が混乱するも、否応にも頭に過るある一つのゲーム。
馬鹿馬鹿しい状況に思わずため息が漏れる。ゲームの世界に転生しました、なんて冗談笑えないにも程がある。家に帰ってすぐに寝てしまったのだろう、タチの悪い夢を見せられている。
そして見せる夢が夢だ、これではまるで私が『先生』のようではないか。しかもこの先生は、私のプレイしていたストーリ上ではエデン条約編、その佳境の最中にあるだろう。その根拠がセリナたちに囲まれている状況と、腹部を擦るとわかる腹部からの痛み。サオリに撃たれた直後といったところだろうか。夢に出るくらい先生に憧れている自覚はあるが、この私が『先生』というのは汚していることのようで気分がよくない。
今更こんな夢を見てどうしろというのか――やたら現実味のある状況にもう一度溜め息をつきそうになるがすんでの所で堪える。夢のなかとはいえ先生は先生だ、生徒たちの前でやたら不安を煽るようなことは先生ならばしないだろう。
――しかし私はこれからどうすればいいのだろうかとふと思う。私は先生としての役を果たすべきなのだろうか。いつこの夢が終わるのかはわからない。だが、かと言えこの夢が覚めるまでセリナたちに囲まれながら呆けているというのもまた違うだろう。頬を引っ叩いて目を覚ますのも手だが、既に腹部から痛みを感じるのに効果があるのかと疑問に思う。となるとやはり、辿るべきなのだろうか。先生が成すこの物語を。
幾分かばかり考え、私などが『先生』をしていいものかと悩むが――これは夢なのだ。ならば少しばかり、この状況を楽しんでもいいだろう――ここキヴォトスの状況事態は無論良くはないが。
そう前向きに捉え私は先生ならば持っているものを探り、それを発見する。先生ならば常に持っている物、『シッテムの箱』。それを手に携えベッドから起き上がる。その時腹部の痛みに思わず顔を顰め、彼女たちから心配の声があがるが大丈夫だと言いそのまま立ち上がる。――夢ならば痛みまでも再現しなくていいのにな、と少しばかり思う。しかし先生ならばもう向かわなければいけない頃合いだ。そうして私は彼女たちを背に病室から出る、まず向かわなければいけない生徒たちの名前を思い出しながら。
■
――まずはミカとコハルの下へ向かわなければならない……のだがよくよく考えれば、というか冷静に考えて『先生』ではない私がトリニティの監獄の場所を知るはずもなく、途方に暮れていた。これならばセリナたちにミカの軟禁場所を聞いておくべきだったか……いやでも先生なら知らない筈が無いし、と一人悶々と悩んでいたその時、手の中のタブレットが震えた――ような気がした。
そうして思い出す、よく考えたら私は一人ではなかったのだ。先生の優秀な自称AIである彼女を起動しようとする。
「どうやって電源をつけるんだ……?」
電源ボタンらしきものを押してもうんともすんとも言わず静かに叫ぶ。先生がタブレットを付ける描写など描かれていなかったが、何か変則的な行動が必要なのだろうか。夢の癖に融通の効かないなと思わず何度目かわからない溜め息をつく。先生なのに起動しないということは充電でも足りないのだろうか、しかし私が起きた時には充電ケーブルは繋がっていたように感じたし……と悶々としていたがふと先生が一度だけ見せてくれたシッテムの箱を起動した場面を思い出す。シッテムの箱の再起動は先生でないと出来ないということだった筈だがわざわざあの言葉も言わないといけないのだろうか。
「……我々は望む、七つの嘆きを。……我々は覚えている、ジェリコの古則を。」
私の記憶通りの先生ならば合っているであろう、シッテムの箱の起動の言葉を告げる。
すると画面に光が灯り起動の兆しが見え始める。……わざわざ毎回言ってたりしたのだろうか先生は。言っていても描写する必要のない場面だしありえそうなのがまた……。
「無事ですか!?先生!!」
先生の裏事情を呑気に考察していたは、アロナの大声量な心配の声により吹き飛んだ。
「大丈夫だよ、アロナ」
「よ、良かったです先生。シャットダウンされてから私は、先生の状況が把握出来ていなかったので……」
画面の中で安堵の顔を浮かべる彼女に思わず笑みが溢れる。なるほど、実際の彼女はこういう感じなのかなと思わず考えた。まぁ夢というのは見ている人の記憶の中から生まれるものなので、それを補完して生まれた想像の産物なのだから本物はまた別物ではあるかもしれないが。
「アロナ、早速だけど教えて欲しい事があるんだ」
「はい!なんですか先生?」
私がファンであるが故の考察はこのぐらいにして、そろそろアロナを起動した本来の目的を果たさなくてはならない。
「ミカが軟禁されている場所を教えてくれないかな」
■
「"コハルは補習授業部の、私の生徒だよ。"」
アロナに案内され辿り着いた時には、まさに先生が登場する場面そのものだった。
本来の先生よりぐだついた筈だがそこは夢、中々都合がいいことだ。
「せ、先生っ!?」
「シャーレの……!?」
「そんな、意識不明の重体だったはず……?」
「せ、先生が、どうしてここに……」
一言一句同じだと流石に笑いそうになる。
さすがに場面が場面なので真面目な顔にはしてあるが。
「"お願いだから、まずは暴力はやめてほしい"」
「そ、それは……」
そういえばこの後は先生の表情に言及される場面だったはず。『あの先生の』と言われるほどなのでそれなりな表情だったはずだが……
「か、帰ろう。あの先生の表情、絶対にマズいって……」
「……あぁ、行こう」
そう言い残して彼女たちは去っていった。
よくわからなくて真顔だったが正解だったらしい。まぁ先生はいつもニコニコしてそうだからな。
「せ、先生……先生……」
「"コハル、カッコよかったよ。流石は正義実現委員会のエリート。"」
「先生……!」
先生が彼女たちに掛ける言葉は間違えない。夢だから好きにしてみたい気持ちもなくはないが、『先生』という理想を汚すことになりそうで気持ちは進まなかった。
「先生……」
「"ミカ、大丈夫?"」
「えっと……うん」
「何て言うか、久しぶり……だね?」
「"そうだね。ミカ……ミカは、どうしてさっき……"」
「え、あー、それは……」
「……何でだろ。絶好のチャンスだし、今立ち上がってればって分かってはいるんだけど……今でも嫌い、なんだけど……どうしてだろ……」
「私にも、よく分かんないな……」
「あれ、ちょ、ちょっと待って……」
「私……」
この辺りが回想シーンだったか、ミカがアリウスと接触した理由についての場面は。
セイアを間接的にしろ殺してしまったと思っている彼女の葛藤は当時心苦しく感じたものだ。
「わ、私は……」
「ごめん、セイアちゃん……」
「どうして、こうなったのかな……」
「ごめん……ごめんね……。こんなにバカで、ごめん……」
「"ミカ……"」
「先生……私、セイアちゃんに会いたい……ナギちゃんにも、もう一度会いたい……」
「こんな私じゃ、もうダメかもしれないけど……」
「"任せて、ミカ"」
そう彼女に告げると私は踵を返す。一度見た景色だった筈だが、実際に見ると心にくるものがある。
けれど大丈夫だ、ミカ。『先生』が全て解決してくれるのだから。
■
再びアロナの案内によって次に訪れるべき場所まで案内してもらい戸を開ける。目的の人物たちに目をやると既に一人は目覚めているようだった。
「……先生。ここは……いったい何が……」
「"ハスミ、良かった……"」
「……はい。危ういところでしたが……」
そう言った彼女の姿は実際とても痛々しい。全身包帯まみれと言っても過言ではないだろう。
「ツルギは、他のみんなは……」
ツルギの名前が出た私はまだ眠っているツルギの方に目をやる。すると丁度目を覚ましたようで現状が把握出来ていないのか瞬きを何度か繰り返している。
「ぎゃああぁぁぁっ!?」
意識が明白となったいなや、彼女はこちらを見て驚いたようでベッドから飛び起きる。
「せ、せせせ先生!?ど、どうしてこちらに……!?」
「あ、ツルギさん!って、もう動けるんですか!?さすがは正義実現委員会の委員長さんですね!」
ツルギが目覚めたことに気づいたハナエがやってきて、ハスミとツルギの様態を確認し始める。ツルギも見た目はハスミと変わらぬ量の包帯を巻き付けられていた様に見えるが、さすがと言うべきか本当に目に付く外傷は無いように見える。これが所謂神秘、というやつなのだろうか。
「……ご無事で何よりです、先生」
私がツルギたちの様子を見ていると横から声が掛かる。振り向いてみればそこに居たのはセナだった。
「"セナのおかげだよ"」
「いえ。大人の治療は初めてでしたが、どうにかなって何よりです」
彼女が先生をトリニティに搬送する間応急手当てをしてくれたのだろう。満身創痍の自分の身体を見れば、彼女のお陰であることに違いなかった。
「先生……」
呼びかける声の方向に向き直ると、そこにはチナツがベッドで横たわっていた。
「チナツ、まだ動いてはダメです。横になってなさい、先輩命令です」
「私、今は風紀委員会所属ですが……」
「今から救急医学部に戻ってきても良いのですよ?質の良い死た……いえ、負傷者たちに好きなだけ触れますし」
「いえ、私は別に……丁重にお断りしておきますね」
そういえば彼女は元救急医学部だったかと、セナとのやり取りを見て思い出す。ゲームを始めたての頃は世話になったものだったな……
「先生……」
「アコちゃんまだ動いちゃ、ぐっ……!」
また別の呼ぶ声が聞こえそちらに向かう。そこにはアコとイオリがベッドで横たわっていた。怪我も深く、あの騒動の凄惨さが伺えた。
「"アコもイオリも、怪我はともかく無事で良かった……"」
「委員長がいなくなってしまい……部室にもおらず、連絡もつかなくて……」
彼女の居場所も記憶している。けれど向かい方はわからないのでまたアロナの世話になってしまうな……と事あるごとにアロナを頼らなければならない夢に溜め息をつきたくなる。もっとこう、都合よく事を運んでくれないだろうか。夢のくせに自分で歩かされて億劫になってしまう。
「先生、委員長を……」
「"うん、任せて"」
「……はい。よろしくお願いします」
■
「先生……」
「"ヒフミ……"」
「先生、アズサちゃんが……」
ヒナの場所に向かう途中、補習授業部の彼女たちの居場所を探しアズサについての話を聞いていた。
「アズサちゃんがひとりで戦っています……まだ、ひとりでずっと……」
「"……うん"」
「居場所が違うんだ、って……それで私、何もわからなく……」
「こんな大変なことになってしまって……もう、私みたいな普通の学生にできることなんて……」
「どうすれば、アズサちゃんを……だって、私は……」
「それでも、放っておくわけにはいかないでしょ!?」
コハルが叫ぶような叱咤を飛ばす。普段の彼女の様子からは想像もつかない雰囲気を醸している。やはりミカとの一件が切っ掛けだったりするのだろうか。
「コハルちゃん……」
「立ち位置なんで関係無い!わ、私は知ってる……!ひとりでいることとか、置いていかれることとか、それがすごく悲しいって!だから、アズサをひとりにさせられない……!」
「……はい。そういうのは、寂しいですからね」
ハナコが実感のこもった言葉を零す。悲しげな表情なのはきっとアズサのことだけでは無いのだろう。境遇も状況も違えど、孤独であることの辛さは彼女がよく知っている。
「"ここまでずっと、ヒフミが引っ張ってきてくれた"」
「"みんなの努力は勿論だけど、ヒフミがここまで頑張ってくれたから"」
「"たとえ平凡でも、自分たちの目指すものを諦めなかったから"」
「私は頑張った、でもその陰で、あんたがたくさんの面倒なこととか、部長として色んなことをしてくれてたのも……そのおかげで頑張れたのも、ちゃんと知ってる」
「そうですよ。ヒフミちゃんが諦めずにいてくれたから、私も今こうしてここにいられるんです」
「コハルちゃん……ハナコちゃん……」
「"だから大丈夫。どうしても分からないときは、私もいるから。今はダメだとしても一緒に悩んで、相談して、解決しよう"」
ヒフミの表情が変わる。彼女にはもう迷いはないだろう。ハナコだけ表情が芳しくないが何かまだあっただろうか……
「……はい、ありがとうございます」
「私もちゃんと学びました。諦めません、いつまでも悩みません」
「私は、私に出来ることを……!」
ハナコのことは気掛かりだが、この場面ではこれ以上無いはずだ。それに、今の彼女たちならば何かあっても問題にならないだろう。
「アズサちゃんを助けに行きます。」
「"……ヒフミはいつもそうだったもんね"」
「"私も同じように、ヒフミを手伝うよ"」
「では、みんなで行きましょうか」
「う、うん!友達を、助けないと……!」
「アズサちゃんに会って、今度こそ……」
「……言いたいことは、伝えないとですね?」
「……はい。しっかり、伝えないといけません」
「同じ世界にいられないだなんて、私は……」
アズサと別れたときのことだろう。唐突に別れを告げられ、碌な言葉も返せぬまま去られた心残りがあるに違いない。
「ヒフミ……?」
「"友達でも、言わないと伝わらないからね"」
「……はい!今度こそ、はっきり言ってみせます……!」
「そうですね。私も、ちゃんとすぐそばにいます」
「えっと……と、とにかく行くんでしょ?じゃあほら、早く!」
会ったときとは違う、決意も覚悟も伴った彼女たちの表情を見て安心する。ゲームでやったときとは違う、もし彼女たちが居たならばこういった成長をしていたのかもしれないと。
「先生?」
彼女たちと別れ、次の目的地に向かおうかとタブレットを出したその時だった。
「――どうしたの、ハナコ?」
ヒフミとコハルは先に向かっており、ハナコだけが残っていたようだ。ここから先、この場面で彼女たちと会話する場面なんてなかったはずなのだが……
「先生、その……お身体の調子の方は」
彼女にしてはなんとも歯切りの悪い質問だった。まぁでもこういった会話があっても本編で描かれないのはありえるな、と納得する。
「大丈夫、心配ないよ」
「……そう、ですか。あまり無理はなさらないでくださいね」
そう告げると彼女は二人のもとへ去っていった。あまり私の返答に対し納得した表情ではなかったが、他に聞きたいことでもあったのだろうか。仮に聞かれても答えることの出来る質問なのか今の私では定かではないので助かったが……
「アロナ、次の目的地を頼む」
しかし気にし過ぎても意味はないだろう。
――いつかは覚める夢なのだから。
■
二人のもとに追いついた後、先生の方に振り返る。けれどもう先生の姿は見えなくなっていた。
先ほどの先生にした質問、私自身も何故あんな質問を先生にしてしまったのかわからなかった。外傷的な意味なら言うまでもなく重症であり、本来なら安静にしておかねばならない程だろう。しかし先生は言った所で休むわけは無いし、そんなことは私もわかっていた。では本当に聞きたいことが何だったかというと、私自身にもよくわかっていなかった。自然なのに不自然に感じる違和感、それは私の中で形容出来る言葉を持ち合わせていなかった。
感じた違和感は先生がヒフミちゃんに話している時だった。
ヒフミちゃんに言っていた言葉に嘘はなかったと思う。本心から思っていることではあると思うのだけれど、何故か聞いていればいるほど違和感が募ってしまっていた。
そう、それはまるで映画を見ている時のような――
「――ハナコちゃん?」
自分の名前を言われ、先程までの思考を飛ばす。かなり考え込んでしまっていたようで二人を心配させてしまったようだ。
「先生との話で何かあったの……?」
「――いえ、先生の怪我を心配していただけですよ。大丈夫、と先生は言っていましたがやっぱり心配になってしまって」
二人に話す必要はないだろう。もしかしたらただの気の所為だったかもしれないのだから。状況が落ち着いて、またそのときに先生と話せばきっとこの違和感もなくなるかもしれない。
そうして、私は小さな疑問を頭から払い除けてしまった。
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