先生が戻った後、キヴォトスでは大混乱が発生した。先生の存在、記憶、情報、消えていたものが一斉に復活し、彼の安否を確かめようと電話線はパンクし、ネットは落ち、デマや騒動がキヴォトスを揺るがした。これらの騒乱は、この事件解決に動いていたアビドス及びミレニアム以外で多く発生している。最も、2校でも全くなかったというわけでもないのだが。
アビドスとミレニアムの戦争は、今回の事件の解決のため必要だった模擬戦ということになり、先生の安否はミレニアム、ゲヘナ、連邦生徒会が確認をし、報道した。これで騒動は、ひと先ずは落ち着くこととなった。
先生の帰還から3日が経った。ミカとナギサはトリニティのテラスへと向かっている最中だ。大理石の床を鳴らしながら、窓から日の光が差し込むトリニティの廊下を歩いていた。
「やー、よかったよね。先生無事で」
「ええ、本当に。……トリニティが全く関われなかったことは、無力さを感じましたが」
「うん。……私も思い出したかったな、すごいショックかも」
今回の先生救出の発端になったのは、先生のことを思い出せた生徒だった、という噂があった。自分はそんな存在になれなかったこと、そのことにミカとナギサは心を痛めていた。
「噂では思い出せた方は、先生にとって「あ、その話はやめて」……はい」
何処からか流れてきた、運命の相手という噂をミカは一蹴し、天井を見る。
「んー、でもさ、私なんか先生以外にも忘れてるような気がするんだよね」
「ミカさんもですか? 実は私もです」
「ナギちゃんもなの? うーん、なんだろ」
「むむむ、ハナコさんのこと……とか?」
「あ、そういえばハナコちゃんどうなったの?」
浦和ハナコは、数日前までティーパーティーの1人であった。先生が戻った時、彼女がティーパーティーではないことに、3人は即座に気づいた。お茶会の最中であったため、ハナコは飲んでいた紅茶を勢いよくナギサに吹きかけてしまい、そのまま逃亡している。
「部屋に籠っているそうです。後で先生に言っておきましょうか、私達では逆効果でしょうし」
「そだね~、うーん、ハナコちゃん、ハナコちゃんかなぁ。なんかすごい近い気もするんだけど」
「うーん、なんでしょうか?」
ミカとナギサは頭を悩ませつつ、足を止める。ナギサはテラスへ続くドアに手をかけ、扉を開いた。
「おかえり」
「「あっ」」
そこで待っていたのは、満面の笑みで席に座っていた
感動の再開から少しだけ時間が経った。セイアは紅茶を一口飲む。ナギサはその光景を汗をたらしながら見上げていた。
「ふむ、ナギサ、腕が落ちていないかな。いつもより風味が落ちている」
「も、申し訳ありません。その、茶葉を蒸らす時間が足りませんでしたので……」
「おや、口答えかな」
「ご、ごめんなさいセイアさん」
「さん?」
「せ、セイア様」
「それとミカ」
「なーに? セイアちゃん、あ、様?」
「君、マッサージの才能が全くないな、というか、なんか痛いからもうやめ、痛い!! 本当に痛い!!」
ミカはセイアの肩を、鳴らしちゃいけない音を立てながら揉んでいた。セイアに叱責され、ミカは文句を言いながらナギサの横……、テラスの床に座り、忘れていた友人を見上げる。
「はぁ、まったく君たちは……」
セイアはナギサが作ったロールケーキを切り分け、頬張る。彼女の小さな口が、微かにロールケーキを削った。
「普通忘れるか!? 私のことを!! 先生がいないときはまだいいが、思い出した後も私のこと忘れてるか普通!」
ちまちまと、いらだちをごまかすように、ロールケーキを次々に口へ放り込んでいく。
セイアはキヴォトスに戻った後、先生と別れトリニティへ戻っていた。その後、彼女は愕然とした。トリニティの主要メンバーがこぞっていなくなっていたのである。しかも3日。
とある事情から残っていた補習部の面々に聞いたところ、先生を思い出した彼女たちは、先生に会いにシャーレへと向かったそうだ。その間、セイアはトリニティの学園で、1人待っていたのであった。
「セイアちゃんの影が薄いからじゃんね☆」
ふん! とミカの口へとロールケーキがぶち込まれる。ナギサは戦々恐々しつつ、隣のもごもごしている親友を見ていた。
「まぁ? 私は君たちがここで、呑気にお茶を飲んでいる間に、先生と存分にイチャイチャしていたがね!! どっちが勝ち組だと思うかな、ナギサ!」
「も、もちろんセイア様です……」
「そうだろうそうだろう……。ナギサはこっちに来てもいい。ミカはそこで待機」
はい、とナギサはミカを置いて床から立ち上がり、席に座る。ロールケーキを食べ終わったミカが、ぶーぶーと文句を言う。
「はぁ……、まさか代理も立てずに数日も学園を離れるとは……、頭が痛くなったよ、まったく」
「いえ、その、その件は本当に申し訳が……、私も我を忘れていて」
空になったセイアのマグカップへ、ナギサは紅茶を注いでいった。
「君はミカのストッパーにならないといけないだろうに……、はぁ……、私は疲れたよ」
「大丈夫? 頭揉む?」
「遠まわしの殺害予告かな?」
セイアは何度目かのため息をつき、ミカにも席に座るように促した。ミカも席に座り、ナギサが注いでくれた紅茶を一口飲む。
「セイアちゃん、ロールケーキ食べてもいい?」
「好きにしたまえ……、ナギサ、私は疲れた。どこかで休みたい……、そうだな。温泉でも探しておいてくれ」
「温泉ですか?」
「うん、温泉に行きたい気分だ」
「分かりました」
セイアは紅茶を一口飲む。水面に自分の姿が写った。眉間にしわを寄せている。またため息をつき、目頭を揉んだ。
「……そうだな、君たちは荷物持ちでもしてもらおうか。3人分用意しておいてくれ」
「セイアちゃん、素直じゃないじゃんね☆」
2本目のロールケーキがミカにぶち込まれた。ナギサは分かりましたと苦笑をした。
■
前述したとおり、先生がキヴォトスに戻ってきた際、ほとんどの生徒たちは先生の安否を確かめようと動いていた。だが、生徒の中には先生のもとへ訪れない者もいた。補習授業部の生徒たちは、その数少ない者たちの一部である。
「ハナコちゃーん」
トリニティの寮、その寮の一室の前にヒフミ、コハル、アズサは集まっていた。その部屋の主、ハナコに会うためだ。
彼女たちも当初は先生を思い出した後、彼のいるであろうシャーレへ向かおうとした。だが、ある事情から向かうことができずにいたのだ。
それは、ハナコが引きこもっていたからだ。
ハナコは今回の事件で、セイアの代わりにティーパーティーの一員となっていた。彼女にとってそれはとても複雑な事であり、その気持ちは誰にも分かることではないだろう。
「反応が全くないんだけど、本当にハナコのやつ中にいるのよね?」
「それは間違いない、電力メーターは動いていた。夜中にこっそり外に出ているのも、確認できている」
アズサのガチ目な行動に若干引きつつも、ちゃんといたことに安堵するコハル。ヒフミはハナコへ、呼びかけ続けていた。
「うーん、ダメです。出てくれません」
「本当にハナコのやつ……! いっそ置いていっちゃう?」
「あ、あはは……、そういうわけにも」
「いざとなったらこれを」
アズサは鞄から、乳白色の粘土を取り出した。それを見て、コハルは首を傾げる。
「なにそれ」
「C4爆薬。これでドアを吹き飛ばそう」
「だ、だめー!!」
「そ、そうですよアズサちゃん!! 正義実現委員会が来ちゃいます!」
「ドア爆破して侵入の時点でダメだから!!」
ドアの前で騒いでいる3人、そんな3人へ呼びかける人物がいた。
「ヒフミ、コハル、アズサ!」
その声を聞いて、3人はそちらを見た。聞き覚えのある声、知っている顔、忘れていた人物。
「「「先生!」」」
駆け寄ってくる先生へ、3人も走り出す。コハルが勢いよく先生に抱き着いた。先生は勢い余って倒れそうになったが、何とか踏みとどまった。
「先生のバカバカバカバカバカ!!!!」
「ご、ごめんねコハル。ヒフミとアズサも、寂しい想いさせてごめん」
「いえ、その……、私は何もできなかったので……」
「うん、私もだ。……先生はどうしてここに?」
「ハナコに用があってね……」
先生はハナコの部屋を見る。つられて、ヒフミとアズサもそちらを見た。
「ハナコはどんな感じ?」
まだ抱き着いているコハルを撫でながら、先生はヒフミに聞いた。
「その、ハナコちゃんは先生がいなくなった後、ティーパーティ―に所属していました。先生のことを思い出した後、お茶会を飛び出して、それからはずっと部屋に籠ったままです」
先生はコハルに一言二言話しかけ、離れてもらった。彼女たちと共に、ドアの前まで向かう。コンコンと、先生はノックする。反応は帰ってこない。
「ハナコ?」
呼びかけにも、反応はなかった。
「先生、ハナコ大丈夫だよね…?」
コハルが心配そうに先生を見上げる。そんなコハルを、先生は優しく撫でた。
「うん、大丈夫だよ」
先生は携帯を取り出し、モモトークを起動する。
『ハナコ、今時間いいかな』
既読はすぐについた。だが返事は来ない。
『そっちも大変だったみたいだね』
『ご飯ちゃんと食べてる? 食欲がないのならゼリーとかがおすすめだよ。あまりそればかり食べてると、怒られちゃうんだけどね』
『昨日なんて、3食ゼリーにしてたら、めちゃくちゃ怒られちゃってね。栄養ドリンクを飲み物にゼリーを食べないでくださいって』
文字を打ち込み、少し待つ。それを繰り返してハナコに言葉を送っていった。辛抱強く少しずつ少しずつ。ヒフミたちも、先生の傍でじっと待っていた。
『先生、おかえりなさい』
唐突に、返事が返ってきた。待っている3人にも画面が見えるようにする。返事が来たことに、彼女たちは歓喜の声をあげた。
『ただいま、ハナコ』
『その』
『二人だけで話をしても』
たどたどしく返されるハナコの言葉。それを見たヒフミたちは頷いた後、先生にお願いしますと言い去っていった。彼女たちは何度も何度も、後ろ髪引かれるように振り返っていた。先生は彼女達の姿を見送った後、モモトークへ文字を打ち込む。
『3人とも帰ったよ。このままモモトークで会話をする?』
『できれば』
『分かった』
ハナコの返信は、とても時間がかかった。一度打ち込み、それを消し、何度も考え送信をしているのかもしれなかった。
『改めて、先生お帰りなさい。遅くなってごめんなさい』
『いいんだよ、ハナコ。それに、当初はまともに連絡も取れなかったらしいから』
いえ、その。ハナコはその文字を送信した後、すぐに消した。じっと、先生はハナコの言葉が出来あがるまで待った。数分が経ち、ようやくハナコが言葉を放つ。
『私は先生が帰ってきたことを、喜んでいませんでしたから』
『それは、どうして?』
『私は』
『私がティーパーティ―に所属していたことは知っていますか?』
『うん、聞いたよ』
『私が先生を思い出して最初にしたことは、こんなところからすぐに離れたいだったんです』
『その後も、こうして部屋に籠っていて』
『他の方々は、先生に会いに来たんですよね』
『うん』
地下施設から出た時、ゲヘナ学園へと向かった時、シャーレに行った時、その後もいろんな生徒たちが先生に会いに来た。
『私は先生が消えたことよりも、優先したことがあって、ヒフミちゃん達も会いたかったのに、私のせいで邪魔をしてしまって』
『私は悪い子なんです。失望しましたか?』
『ハナコは悪い子じゃないよ』
『先生ならそういうと思ってました』
『ハナコが変わってなくて、私は良かったと思うよ。ハナコ、帰るのが遅れてごめんね』
『先生』
『ずるいです』
『大人はずるい生き物なんだ』
かたんと、音がした。ドアの向こうに誰かが座り込んでいる。先生も床に座り、ドアに背中を預ける。
『ハナコ、落ち着いたら顔を見せてほしいな』
『はい』
『ヒフミ達と一緒にね』
『はい』
そして……、その言葉を打ち込む前に、ドアの向こう、恐らくそこにいるであろう彼女から先生と、声がした。先生はモモトークを閉じる。
「先生、おかえりなさい」
「うん、ただいま。ハナコ」