ネクタイを締め、新品のスーツに袖を通す。以前のスーツは、ある大事件で完全に燃え尽きてしまったので、新しく買い替えた物だ。あれはあれで愛着があったのだが、やはり新しいものになると、気分が引き締まる。
「こう思うと、大気圏外突入も悪いものじゃないのかな」
意味不明な発言をし、一人で笑う。持ち物を確認し、忘れ物がないかを確かめた。
「うん?」
一瞬、手が大きくぶれたような気がした。改めて手を見るが、しっかりと存在していた。疲れのせいだろうかと、目頭を押さえる。最近忙しかったから、まともに睡眠をとれていない弊害が出ているのかもしれない。シッテムの箱を起動し、彼女たちに挨拶をする。
「じゃあ行こうか、アロナ、プラナ」
『こちらも準備完了です』
『行きましょう、先生!』
元気いっぱいの彼女たちを懐に収め、部屋を後にする。
これは、ホシノが先生を思い出す数日前の話。
■
朝ともお昼ともいえない微妙な時間帯、ミヤコ達は今日も子ウサギ公園で、日課の訓練と装備の点検を行っていた。空は曇り気味で、どことなく気分を憂鬱にさせる。
「おはよう、ミヤコ」
なじみのある声に、ミヤコはそちらを見た。先生が彼女達に差し入れをもって、訪れてきていた。
「先生、おはようございます」
「うわ、先生すごい良い匂いがする……」
モエが鼻をクンクンさせながら、近寄ってくる。サキとミユも、その匂いにつられたのかこちらへやってきた。なぜかミユの顔が少し赤い気がするが、気のせいだろうか。
「はい、これ差し入れ。特上うなぎ弁当」
「うなぎ……特上……特上!?」
「うなぎ弁当ですらあんまり食べれないのに、特上なんて初めて……」
ミユの目が弁当箱に注がれる。モエはその弁当を先生から受け取った後、掲げた。
「特上なんて急にどうしたんだ。まさかまた、餌で私達を釣ろうとしてるんじゃないのか」
「サキ」
口の悪いサキをミヤコがたしなめた。先生は苦笑いをする。
「サンクトゥムタワーの件とか、いろいろ助かったからね。そのお礼に」
「ふ、ふん。あれで帳消しになったと思うなよ。お茶でも飲んでいくか?」
以前よりも丸くなった友人に、ミヤコは微笑んだ。まぁ、丸くなったのはお互い様なのだろう、そんな考えもあったので、口には出さなかった。先生はサキの提案に、時計を見た後少し考える。
「うーん、ちょっと時間もギリギリだから今日は遠慮しておくよ。用事があってね、電車に乗らないと」
「そうか、じゃあまた弁当でも持ってきた時に出してやるよ」
「うん、それじゃあまた」
先生は回れ右をし、少し駆け足で子ウサギ公園の出口へと向かった。ミヤコは、その後ろ姿に何か不安を感じ先生を呼び止める。
「あの、先生!」
遠くにいる先生が振り返った。先生に聞こえるように……、いや、この不安をかき消すようにミヤコは声を張り上げる。
「その! 私もついていきましょうか?」
「気にしないで! 皆と一緒に鰻食べてていいから!」
先生は手を振り、そのまま去っていった。ミヤコの不安は消えることがなく、そのまま先生が帰ってこないような、嫌な予感がした。
「………」
ミヤコはぼうと、その後ろ姿が見えなくなるまで見続けていた。サキがミヤコをゆする。
「ミヤコ、早く食べないと冷めるぞ」
「……はい」
「まぁ、なんだ、私たちの手が欲しくなったら、あっちから呼ぶだろ」
「そうそう、そのためにも英気を養わないとね。くひひ……鰻だぁ!」
3人がテントへ戻る。ミヤコはもう1度だけ、先生が去った方を見た後、テントへと向かった。
■
先生はバスを経由し、電車に乗り込む。目的地はゲヘナであった。携帯を取り出しモモトークを起動、ヒマリと会話を始める。
『今ゲヘナに向かっているところ』
『分かりました。あちらではお気をつけてください』
『うん、ヒマリに調べていてもらっていたこと、読んだよ』
ヒマリに調べていてもらっていたこと、それは虚妄のサンクトゥムタワーについてだった。宙に浮かぶ居城『アトラ・ハシースの箱舟』を墜落させ、プレナパテスとの戦いを終わらせた先生達は、その後の事後処理に追われていた。破壊されたサンクトゥムタワーの再建造、怪我人の治療、破壊された家屋や建造物の復興、方舟の残骸の回収、そして、謎のエネルギ―の発生の調査だった。
微量であるが、虚妄のサンクトゥムタワーと同質のエネルギーを検知し、それがゲヘナのヒノム火山にて観測された。元々は、独自に気付いたヒマリから相談されていたものであり、先生はそれについて、さらに詳しく調べて貰っていた。
『虚妄のサンクトゥムタワーがまた発生することはないんだよね?』
『はい、それは確かです。ただ……、気がかりなことがあります』
『気がかり?』
『はい、私達は虚妄のサンクトゥムタワーを破壊した後、そのタワーがまた復活することを知りました。そのエネルギーの経路を確認し、方舟を発見したのですが……、その時のエネルギーはいったいどこへ消えたのだろうと』
『それは……、空中に霧散したとかじゃ』
『それにしては量が膨大すぎます。それで、今回の先生のゲヘナの話を聞いて、ある仮説を立てました』
『うん、聞かせて』
『虚妄のサンクトゥムタワーが建てられた場所は無作為ではなく、名もなき神々を崇拝する者たちが使用していた施設、設備を利用したのではないかと』
『名もなき神々……』
『そのエネルギーによって、ゲヘナの設備が稼働したのではないか、という説です。虚妄のサンクトゥムタワーたちは、謎のラインで繋がっていましたからね。ゲヘナの方に繋がっていても、おかしくはありません』
『そちらに流れたってことか……。分かった、ありがとうねヒマリ』
『いえ、これぐらいしかできなくて申し訳ありません。手が空いていれば、そちらにエイミを派遣できるのですが』
ヒマリは珍しく弱音を吐いていた。彼女は方舟の件以外にもデカグラマトンの件も抱えており、休む暇なく働いている。彼女も疲れているのだろう。
『一段落ついたら、一緒に温泉でもいく?』
『温泉ですか?』
『忙しい中お願いしたからね、ヒマリが良ければだけど』
『どうしましょうかね、ただでさえ見目麗しい私が温泉なんて入ってしまっては、先生の目が潰れてしまうかもしれません』
彼女の通知に、苦笑してしまう。いつも通りの彼女に戻り、少しは元気が出たことが伺える。
『その、その時はお誘いください。楽しみに待っています』
『うん、できるだけ早めに終わらせよう』
モモトーク閉じる。ちょうどゲヘナに着いたようで、ドアが開いた。先生は立ち上がり、電車を降りた。
切符売り場まで行くと、そこに意外な人物が待っていた。
「ヒナ…?」
「先生、こんにちは」
黒いコートを羽織った白髪の風紀委員長、空崎ヒナがいた。小柄だが彼女の存在を恐れてなのか、人が避けるように空間を作っており、とても目立つ。
「どうしてここに?」
「先生を待ってたの、行きましょう」
ヒマリから相談された先生は、ゲヘナに連絡を取っていた。その際に、数日前からヒノム火山で不審なロボットを見た、という話を聞きゲヘナへ向かうことにしたのだ。アコからは係の者を駅に向かわせるとは聞いていたが、まさか委員長であるヒナが来るとは思わず、先生は驚いてしまった。
2人は会話をしながら駅の外へと向かっていく。
「あっちで待っててよかったのに」
「私が出迎えたかったの、ダメだった?」
彼女は先生を見上げる。鋭い目が先生に向けられた。
「ううん、ダメじゃないよ。ありがとう」
「ん……」
ヒナは安心したように頷き、ほんの少しだけ、先生に近づいた。
2人は風紀委員が手配していた車に乗り込み、目的地へと向かう。ヒノム火山のアビス。ゲヘナ未開の地だ。
■
ヒナとは車内で仕事の話、ヒマリの仮説、そしてたわいもない話をした。数時間ほど車に揺られ目的地にたどり着く。
眼前には鬱蒼とした茂った森が広がっている。建物の類は、監視用の鉄塔や休憩所がちらほらとある程度だ。付近は風紀委員により封鎖されており、忙しなく彼女たちは動いている。
「先生、お待ちしていました」
指揮を執っていたアコが、やってきた先生に挨拶をした。
「久しぶり、アコ」
「ええ、お久しぶりです。全く、あの件以来一度も顔を出さないなんて、私は先生にとって都合のいい女なのでしょうか」
彼女はニコリと微笑んだ。その表情に圧を感じ、少し恐怖を感じる。
「ご、ごめんね。忙しくて……、余裕ができたら、改めて顔を出すよ」
「別にそういう意味で言ったわけではないのですが………、その話忘れないでくださいよ」
彼女から圧がなくなり、少しは機嫌がよくなったようだ。
「アコ、あまり先生を困らせないで」
「も、申し訳ありません。委員長」
ヒナは少しだけ機嫌が悪そうに、ため息をついた。今度はヒナの機嫌が悪くなったようだ。
「じゃあ、仕事の話をしましょう。先生」
「うん」
「車内で言った通り、例のロボットたちがヒノム火山のアビスから出没したわ」
「こちらがその写真です」
アコが先生に写真を手渡す。ぼけた写真には、奇妙な影が映りこんでいた。F.SCT攻略戦や、ミレニアムで見た正体不明のロボ、Divi:Sion。
「敵の総数は不明、遠方からの観察では、火山の麓にある洞窟から出現しているようです」
「洞窟か、ヒマリの仮説が正しければそこに名もなき神々の施設が…」
先生は、アコにヒマリの仮説を話していく。彼女の目が細くなり、顔が険しくなっていった。
「なるほど、何故この件に先生が関わってきたのか不思議でしたが、そういった経緯が。……嫌味じゃないですからね? これは」
分かってるよと、苦笑をする先生。もしもヒマリの説が正しければ、洞窟の先に再稼働した施設がある。放っておくわけにはいかない。タワーの再建造がなくとも、放置しておいていい代物ではないからだ。
「それじゃあ、私を先頭に1個分隊はついてきて。彼女たちには先生の護衛を。アコ、念のため貴女も来てくれる?」
「分かりました。他の隊員については、ここに待機させましょう」
「先生、指揮をお願い」
「うん、任せて」
先生とヒナたちは、森の中へ入った。舗装されていない道を行進していくため、非常に歩きにくい。また、潜伏していた敵ロボットたちの襲撃を受けていく。シッテムの箱によるナビゲーション能力によって、敵を蹴散らしながら迷うことなく奥へ奥へと進んでいった。
ヒナの強大な力により、特に問題なく森を抜けることができる。森の先には荒野が広がっており、岩と微かな苔しか存在しない不毛の地であった。ちらほらと白い物体が見えるが、あれらはロボット達だろう。火山の影響もあって、とても暑い。
「皆、無事?」
ヒナが振り返って、一同を見渡す。
「つ、疲れた……」
先生は肩で息をし、膝に手を置く。どうやら最近のデスクワークで、体がなまっていたようだ。
「あ……、ごめんなさい、先生。急ぎ過ぎたかしら」
「ヒナ委員長は悪くありませんよ。先生の運動不足のせいです」
そう言うアコの額にも、汗が浮いていた。隊員たちも少なからず疲労の色が見られる。
「皆はここで休憩していて、私は辺りの敵を殲滅してくるから」
「そういうわけには……」
アコはヒナに自分もついていくと言うが、ヒナはそれを却下した。
「アコは先生のこと見てて」
ヒナは愛銃を持ち、その場を離れていく。アコはため息をついた後、10分の休憩を隊員たちに告げた。水筒から水を注ぎ、先生に手渡す。
「ありがとう、アコ」
「どういたしまして」
遠くの方で銃撃音が聞こえる。念のため、シッテムの箱でヒナの様子を見ておくことにした。ちらりとアコを見ると、何故か彼女は不機嫌そうな顔をしていた。
「……どうしたの、アコ」
「別に……」
アコから手渡された水を一口飲む、それでも機嫌は変わらない。これではなかったようだ。アコは深い、深いため息をついた。
「先生、色々片付いたらヒナ委員長をどこかに誘ってください」
「え?」
「ヒナ委員長はとても疲れています。休息が必要なんです、遊びに誘ってあげてください」
「それは……、移動中に誘ったんだけどね、断られちゃって」
「断られても誘ってください!! 無理やりにでも!!」
「無茶言うなぁ……」
先生は呆れながら水を飲み干した。ありがとうと、コップをアコに返す。
「絶対にですよ」
「分かったよ」
承諾をしても、アコは不機嫌なままだった。彼女は本当に、気難しい。
10分が経ち、休憩時間が終わる。ヒナが戻ってきて、補給を済ませた後に出発した。
目的の洞窟前にたどり着く。岩と岩の隙間は、人ひとりが入るには余裕だが、2人が横になって入るには少し窮屈そうだった。
「隊を2つに分けます。1班は私達と一緒に、2班はここで待機を。2班は敵と交戦した場合は絶対に深追いはせず、防衛にとどめてください」
アコが隊員たちに指示をする。
突入はヒナが先頭、その次にアコ、次に先生、その後に1班ということになった。ヒナたちはライトをつけ、地下へと潜る。
彼女たちはか細い明かりを頼りに、奥へと進んだ。岩壁に手を置き、滑らないように一歩一歩進んでいく。
ある場所から道が人工物になっていく。床や壁は岩ではなくコンクリートに、暗闇だった世界には、照明という作られた光が、ちかちかと点滅しながら世界を照らしていた。
道もだんだんと広くなっていき、自動車が1台通れそうな広さへと変わっていった。
「これは……」
先生は辺りを見回す。その場所には見覚えがあった。以前、アリスを見つけた時の地下施設、そこによく似ている。
「皆さん、ちゃんといますか?」
アコが確認を取る、全員無事なようだ。先生のナビゲーションツールには、敵の影が映っていた。
「ヒナ、予想通り敵がいる」
「分かった。陣形はさっきと同じで、先生は潜伏している敵がいないか確認をお願い」
ヒナが愛銃の『終幕:デストロイヤー』を構えなおす。
「敵を蹴散らしながら、最深部へ向かう」
ロボット達は、ヒナにより破壊され、粉砕され、残骸となっていく。隊員たちはヒナの強さに見とれてしまっているが、仕方のないことだろう。まるで作業のようにヒナは敵を倒していき、問題なく最深部へとたどり着いた。
「戦闘終了」
先ほどまで点滅していた照明はこうこうと、この部屋を照らしている。部屋にはよくわからない機械や、PCがいくつも置かれている。コンピュータールームなのだろう。隊員達は入口で待機し、見張りを行っている。
「先生、あれ」
ヒナが部屋の隅を指さす。アコが小さな悲鳴を上げた。そこには死体があった、真っ黒に焦げた死体だ。死体は複数あり、全て炭化している。
「死体……? でもどうしてここに」
「以前ここを利用していた者たちの亡骸でしょうか……?」
アコが不快感をあらわにしながら、それらを見ていた。シートでも持ってきていれば彼らを隠せたのだが、あいにくと持ってきていなかった。
「仕方ない、アコはPCの方を調べておいてもらえる? 私は家具を動かして、隠してくるよ」
「わ、分かりました」
近くの机を動かそうとするが、固まっていて動かない。仕方ないので椅子を集めることにする。そうしていると、ヒナが手伝いに来た。
「ヒナは平気?」
「うん、死体は見たことがあるから……」
ちらりと、死体を見た時に彼女の手が止まる。
「どうかした?」
「……ううん、気にしないで。どこかで見たような気がしただけ」
椅子を集めて隠すことに成功する。と言っても、完全に隠すことは出来なかったため、気持ち程度だ。作業が終わり、先生とヒナはアコの下へ向かった。
「アコ、何か分ったかい」
アコは椅子に座り、PCを操作していた。
「はい、ヒマリさんの言うことは間違っていなさそうです。確かに方舟を落とした時間に、この施設へ膨大なエネルギーが注がれています。その後、この施設を護るように、ロボットたちが起動したようですね」
ただ……、とアコは付け加えた。
「この施設から、さらにエネルギーが流れている……、いえ漏れているようです」
「漏れるって、どこへ?」
ヒナの言葉に、アコは首を横に振った。
「そこまではもう少し調べないと……、少々お時間をください」
その場はアコに任せることにし、先生とヒナは少し離れ、壁に背中を預けた。少しの間、無言になる。ヒナは手を合わせ、先生から目を逸らした。
「……ヒナ」
「えっ、何?」
「さっき……、移動中は断られたけど、やっぱりヒナと遊びに行きたいな」
「……先生、忙しいでしょ。それに……」
私なんかより、他の子の方が楽しいだろうし。その言葉は言えず、俯く。
「それに?」
「……なんでもない」
「じゃあ、備品の買い出しとか行かない?」
「備品の?」
ヒナは先生を見上げる。先生はうん、と答えた。
「シャーレのでも、風紀委員のでも。何か足りないものとかない?」
「足りないもの……、特には……?」
「そ、そっか……。じゃあ、ヒナのマグカップとか置く?」
「シャーレに?」
「うん」
「いいの? 私物なんかおいて」
「いろんな子が置いていってるから、ヒナが置いても怒られないよ。どうかな」
「………アコが言ったの? 私をどこかに連れ出してって」
「まぁ、うん。何か誘ってって」
「そう……、分かったわ。じゃあ、色々落ち着いたら……」
「約束だ」
うん、ヒナは目をつぶり、先生に少しだけ近寄る。拳1つ分の距離、その距離が心地よい。
でも、もうちょっとだけ近寄ってもいいよね? そう、ヒナは距離を縮めようとしたが、入口の方でヒナを呼ぶ声が聞こえる。
「ヒナ委員長!! 敵の群れがこちらへ!」
「………はぁ、……行ってくる」
ヒナは眉間にしわを寄せ、隊員たちの方へ向かう。先生は苦笑し、少し遅れてそちらへ向かおうとした。
「……なんですか、これは」
アコはPCを操作していた、だが、膨大なポップアップがモニターを埋め尽くしていく。
『シッテムの箱の管理者を観測、次元変位システムを開始』
赤い文字で書かれたそれに、嫌な予感がし、プログラムを停止させようとする。だが、プログラムを停止することができない。
「………?」
先生は自身の手をみた。なんだか、手がむず痒い。じっと見ていると、手が大きくぶれた。
「先生?」
ヒナは振り返り、足を止めた先生を見る。
「あれ?」
先生のぶれていた手は、収まって元の状態に戻る。先ほどの異変は止まった。
『ふふーん!! アロナちゃんバリアです!!』
『攻撃の意思を感知、防御プロテクトを始動します』
ポケットにしまっていたシッテムの箱から、声がする。アロナとプラナが守ってくれたようだ。ホッとしようとしたのもつかの間、今度は先生の身体が大きくぶれた。
『なっ!? なんなんですかこれは!! なんで先生への攻撃が防げ……!!』
『先生の存在証明率大きく低下、このままでは……、まさか、"先生"の影響が……?』
「──」
先生はそのまま大きくぶれていき、その姿が、その存在が、その形が、消えようとする。彼の声は、すでにこの世界を震わせることはなかった。
「先生!!!!」
ヒナは駆け出した。手を伸ばす。目の前の先生が消えようとしていた。
彼女が思い浮かべたのは、あの時エデン条約の光景、絶対に、絶対にあの時と同じ想いはしない。そう心に強く誓った。だが、その手は小さく短く、この短い距離が遠く見える。先生の姿は朧げになっていき、目の前でいなくなろうとしている。銃を捨て、それでもと、彼女は手を伸ばした。
『プラナちゃん!! プロテクトの変更を! ヒナさんの武器を──』
霞となって消えようとした先生に、ヒナの指想いが届いた。
■
ガラスを打ち付ける砂の音で目を覚ます。首を振り、意識を再覚醒させる。辺りは暗く、微かにしか物が見えない。
「ここは……教室?」
打ち捨てられた大量の机、薄汚れた黒板、コンクリートではなくリノリウムの床。教室のようだった。
先生は立ち上がる。その時に、足元に何かが当たった。洞窟に入る際に手渡された、懐中電灯だった。それを頼りに辺りを見回す。何故かヒナの愛銃が傍に置いてあるが、ヒナやアコ達の姿はない。
「皆無事かな……、あれ?」
黒板の上に置かれた校章に目が止まる。見おぼえのある紋章だった、三角形の上に太陽が置かれた印。
「アビドス……? 何でアビドスの印が」
『先生!』
ポケットから、アロナ達の声がした。シッテムの箱を起動する。2人が心配そうな顔をして、出迎えてくれた。
『先生、ご無事でしたか』
「うん、それにしてもここはいったい?」
『おそらくですが、敵の罠によって、他の次元に飛ばされてしまったんだと思います……』
「それはまた……、厄介なことになったね。他の皆は?」
『アコさん達はあちら側に残ったままかと、ただ、ヒナさんは最後に先生に接触していましたから、こちらに来ていると思います』
「そうか、じゃあヒナと合流しないと……」
『……“先生”の影響だと思われます』
プラナが、表情の動きが少ない彼女が、申し訳なさそうな顔をして先生を見た。
『ごめんなさい、私達のせいで』
「彼も望んでやったわけじゃないからいいよ。それよりも、ここから出る方法を一緒に探してくれるかい? プラナ」
『……はい』
『プラナちゃん、一緒に頑張りましょう! あ、ただ先生』
「なんだい、アロナ」
『バッテリーの残量があまりありません。ヒナさんの武器を、なんとか持って来ようとはしたのですが……、その影響で』
「分かった。極力戦闘は避けるようにするよ」
『お願いします』
シッテムの箱を閉じ、息を吐く。足元のヒナの銃を持とうとするが、あまりの重さに持ち上げるだけでも一苦労だった。
「これは……、運ぶのは無理そうだな」
ヒナに心の中でごめんね、と謝った後、教室を出た。廊下にはドアが続いている。おそらく他の教室に続いているのだろう。廊下にもアビドスの校章があったが、この校舎の光景には見覚えはなかった。
「アビドス校舎じゃなさそうだけど……、ここはどこなんだろう」
薄汚れているが装飾の付いた壁、ドアも改めて見ると木製のお洒落な見た目をしている。アビドス高等学校よりも、格が上といったほうがいいだろうか、口に出したらセリカ辺りに怒られそうだ。
廊下の窓から改めて外を見るが、砂嵐の影響でよく見えない。夜のように真っ暗で、星明りすら見つけることができなかった。携帯を確認するが、案の定圏外であり、途方に暮れる。
「とりあえず、ヒナを探さないと……」
後ろの方で、物音が聞こえた。先生は振り返り、懐中電灯を照らした。
「まっず……!!」
そこにいたのは、白い装甲を持ったクラゲのようなロボット、Divi:Sion達だった。数は2体だ。それらは先生へ、ゆっくりと寄ってきていた。ヒナが簡単に制圧していたが、彼らは一般のキヴォトス人であれば手を焼く強さを持っている。もちろん、先生ならば手も足も出ないだろう。
先生はそれらと反対方向へ走り出した。後ろから、迫ってきている音が聞こえる。振り向く暇なんてものはない、ただただ、足を動かすことしかできないのだ。
何かに躓き、転んだ。先ほどまで体のあった場所を、彼らのはさみのような腕が通過する。ひゅっと、息をのんだ。転んだ先生へと、奴らが近づいてくる。近くにあった木片を掴み、ロボットに投げつけた。だが彼らは意にも留めず、2撃目を構える。
「うわあああああああ!!!!」
誰かが駆け寄ってきて、思いっきりフルスイングをした。手に持っていた木材が砕け散り、ロボットの1体は吹っ飛ばされた。
「早く立って!!」
ヒナではない、身長が違い過ぎた。ヘイローがあることから生徒なのだろう。肩まで伸ばした薄い翠色の髪をしていた。彼女は先生の手を握り、勢いよく立たせた。
「走るよ!!」
「わ、分かった!!」
先生は彼女に連れられ、廊下を疾走する。後ろを振り向けば、すぐに起き上がったのか2体が追いかけてきていた。
「次の角を曲がって……」
助けてくれた少女はぶつぶつと呟きながら、暗い道を走っていく。角を曲がった、だが、そこには違うロボットが待っていた。
「ひぃぃん!! なんでこんなところにいるの!?」
それは、2人に向けて、腕を構え、突き刺そうと動いた。
「先生!!!」
そのロボは、すさまじい速度で飛んできたヒナにより蹴り飛ばされ、壁へと叩きつけられた。跡形もなく残骸と化したそれは、ぱらぱらと壁から零れ落ちていた。
「わ、わぁあ……」
「ヒナ! 後ろからも2体来てる!!」
「二人ともしゃがんで!!」
混乱している少女を先生は掴み、一緒に地面へ倒れ込む。風のように突き出されてきたロボの触手を、ヒナは掴んだ。
「うおおおおおおおおおおお!!!!」
そのまま横へとなぎ払う。近くにいたもう1体のロボットを巻き込み、壁を粉砕、それだけでは勢いは止まらず、校舎内を破壊しながら叩きつけていった。
半周された辺りで腕がちぎれ、腕の先に合ったロボット達は2体が1個となり、廊下へと転がっていった。
「はぁ……はぁ……」
ヒナは息を切らしていた。戦闘ではなく、先生を探すことに体力を使ったのだろう。
「ありがとう、ヒナ」
先生は倒れたまま、ヒナへ礼を言う。
「先生……、ともう1人の子大丈夫?」
ヒナは手を差し出す。少女もありがとう、と言いながらその手を握った。ヒナは彼女の顔を見て、凍り付いた。
「……貴女、なんでここに」
その顔は、幽霊でも見たような顔だった。少女は、その反応の意味が分からないようだ。
「彼女に助けてもらったんだよ、君も助けてくれてありがとう」
先生もゆっくりと立ち上がる。彼女は当然のことをしたまでだよ~と、笑いながら答えた。
「私は先生、こっちはゲヘナの風紀委員長の空崎ヒナ」
先生は自己紹介を始めていく。先生? と首を傾げた後、ヒナのことを聞いて彼女は驚いていた。
「えっ!? ゲヘナの風紀委員長なの? へぇ、ホシノちゃんと大して変わらなさそうなのに……」
「ホシノを知ってるの?」
「えっ、あっ、うん、あ、私は──」
ぱっぱっと、彼女はスカートを正し、2人を見る。彼女はにへっと、微笑んだ。どこか、ホシノによく似ている笑顔だった。
「梔子ユメ、アビドス高等学校の生徒会長をしています! よろしくね!」