曖昧なまま、惰性のまま生きていく。
のらりくらり、ぼんやりと。

いつもの『あの場所』で。
いつかたどり着くであろう『あの場所』で。

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あの場所

「寂しくないの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 何について聞いているのか分かりきったはずの問い掛け。

 なのに私は「え?」と間の抜けた声を上げる。

 

 質問者は少し顔をしかめて再度口を開こうとする。

 だから私は試験終了間際の学生のように慌てて回答を滑り込ませた。

 

「あぁ… いや、今は生きるに精一杯ですから」

 

 どうとでも取れる曖昧な笑みで。

 

「……いずれ実感が湧くかも、ですね」

 

 深くなり過ぎないため息とともに言葉を付け足す。

 相手のそこそこ望むであろう答え、ニュアンスを混ぜ込むのがポイントだ。

 

 望むドンピシャな受け答えは会話を弾ませかねない。

 会話が弾めばいずれボロを出す。

 

 そこそこの付き合いに留めたい相手に割りと重宝するテクニック。

 

 問題は私が生来の無精者であり誰にでもこうした対応を取りがちな点か。

 

「もう二人きりの血の繋がった家族なんだから」

 

 血縁に対しても。

 

 いよいよもって私もまずいのかもしれない。

 胸中でそっと苦笑いをこぼす。

 

「そうですね」

 

 実感の伴わない上滑りする言葉を舌の上で転がしつつ珈琲カップに口を付ける。

 

 絶妙に盛り上がりきれない会話。

 付き合わされる姉も気の毒だ。

 

 姉は私よりも8つ年上の、血縁の贔屓目抜きに明るく社交的な美人である。

 しかしながら、こうと決めたら自身の意見を決して譲らない頑迷な部分もある人で。

 

 だからだろうか。

 

 父との折り合いが悪く、早くから家に寄り付かない生活を送ってきた人で。

 正直言って幼少期に共に暮らした実感すら乏しい。

 

 気まぐれに残していた連絡先がなければ今こうした場を持てたかどうか。

 

「お父さんもお母さんも、もう、いませんからね」

 

 母が亡くなったのはまだ私が学生だった時分。

 父は最近の出来事で。

 

 発覚した時には既に手の施しようがないほど末期がんに冒されていた。

 毎年人間ドックにかかっていたというのに運のないことだ。

 

 人工透析のための措置入院をしていた病院からの、ある日の電話。

 家族に話があるので時間を作って欲しいとのみ告げ、明言を避ける医者。

 

 要領を得ないソレを遠く離れた地で暮らす姉に共有したのはほんの気まぐれ。

 驚いたことに、姉は翌日にはこちらに到着し医師との面談に相席した。

 

 結果として残された僅かな時間の中で、私たちは家族として過ごすことができた。

 そしてつい先日、その父も他界した。

 

「姉さんには本当に助けられました。私一人だったらどうなってたことか」

「そんなこと! 私の方こそ、こんなになってからやってきたって…」

 

 笑顔で姉の言葉を制する。

 

 家族だったらどんな状態でも仲良く出来るか、といえば決してそうではないだろう。

 そんなことは父と折り合いが悪かった姉が誰よりも一番よく知っているはずだ。

 

 姉には姉の生活があっただろうに、それでもすぐにやってきてくれた。

 そして父の緩和治療やら葬儀やらに関しても積極的に相談に乗って動いてくれた。

 

 大いに助けられた。これ以上に望むことなどあるだろうか。

 私が逆の立場だったら、来るには来るだろうがそこまでの情熱は抱けなかったに違いない。

 

 無精を通り越した自身の生態に、思わず笑ってしまう。

 

「どうしたの?」

「あぁ、いえ。……私は本当に助けられたのに、どうしたら姉さんに伝わるのかなって」

 

「そんな、こと…」

 

 言葉に詰まった姉によって生じる空白。

 

 姉が大学を卒業したのを機に家を飛び出してから今日この日まで。

 その間何をしていたのかということは実は良くわかってない。

 

 まぁ、母はある程度把握していたのだろうが。

 話好きの気のある姉が自分から語らないことを好んで詮索するのもどうだろう。

 

 私が聞けば教えてくれるのかもしれないが、そこまで踏み込むつもりもない。

 

 結婚し、離婚して、今は籍を入れず事実婚のまま都内で働いているらしい。

 姉が云うにはこれまでの人生を文字にしてしまえばこんな感じらしい。

 

 とは言え、姉が察するに余りある激動を潜り抜けてきたことは想像に難くない。

 平穏に生きられぬ人なんだろうか。

 

 のらりくらりぼんやり生きてきた私との血の繋がりというものをまるで感じられない。

 姉妹であってもこうまで真逆になるのも些か不思議なものだ。

 

(……っと、そろそろ時間か)

 

 スマホの時間を確かめてから、伝票を持って席を立つ。

 

「あっ! ちょっと、伝票…」

「今回は早い者勝ちってことで。次は奢ってくださいな」

 

「……わかった。ありがと」

「いえいえ。良ければスグルさんにも、不肖の義妹が感謝していたと伝えておいてください」

 

「うん。あなたのこと、気にしてたから。ウチにもいつでも遊びに来てね?」

 

 姉のパートナーのスグルさんには父の件で大変にお世話になった。

 仏壇も位牌も何もかも引き受けてくれた出来た人でもある。

 

 言われるまでもなく、盆や正月には挨拶をしに参るのが筋というものだろう。

 

 姉の言葉に頷き返してから支払いを済ませて店を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

 帰宅すると同時に深いため息。

 バッグを机の上に置き郵便物を確認していく。

 

 いつも通り、そのほとんどは紙屑に早変わりするばかりのチラシの類。

 しかし今日は一通だけ厄介な物が混じっていた。

 

「うへぇ、真っ赤っ赤」

 

 苦笑を浮かべるしかない。

 

 健康診断がものの見事に危険値を突っ切っていた。

 今すぐ入院云々とか不穏な文字が踊っていた。

 

 ……見なかったことにしよう。

 

 面倒な思考は世俗の垢とともに風呂で洗い流す。

 そして出来合いの惣菜をビールで胃の中に流し込むと、スマホを付けながらベッド・イン。

 

 ほどなくして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……あ、今日か)

 

 いつもの『あの場所』に到着していた。

 私が中学から高校にかけて住んでいた家の居間。

 

 大きなソファがあり父が寝転がりながら本を読んでいる。

 母が奥の台所で晩酌を準備している。

 

 席を立とうとして重みを感じて下を見る。

 小学校の頃に飼っていた猫が私の膝の上で丸くなっていた。

 

 そっとその背をなでる。

 

 

 

 

 

 

 

 時系列も何もない都合の良い空間。

 

 母が亡くなって以来、私は稀にこの空間を訪れる。

 最初は母と猫だけ。少ししてから犬が加わった。

 

 彼は外犬だったため居間にはいないが、大きな窓からいつでもその姿を確認できる。

 そして今、居間には大きなソファが追加されて父がそこにいるというわけだ。

 

 勿論、これが私の現実にはなんの影響も及ぼさないただの夢であると知っている。

 

 望んだ時に好きに訪れられるかというとそうでもない。

 そもそもこの空間で私が特段何かが出来るということですらない。

 

 ただ、この空間にいるだけ。

 

 存在することを許される。

 そのことだけが私にとってのこの空間にいられる意味の全てであった。

 

(……ついにお父さんもここに来ちゃったか)

 

 ソファで寝転がる父の姿に、ゆっくり猫の背をなでながらそんなことを思う。

 病院や葬儀場で見たそれと違い、ふっくらした体付きであることがなんとなく嬉しい。

 

 ふと姉に訊かれたことを思い出す。

 

 いつでも会える、というわけではないがこうしてたまに顔を見ることが出来る。

 私にとっての家族はいつでもこの場に在るもの。

 

 家族をなくした『喪失感』というものを理解しないまま、私は今日まで生きてきた。

 

 決定的に傷付くこともなく、だからこそ、立ち直ることもないままに。

 今更そんなことを訊かれても、というのが本音である。

 

 それは指摘されるまでもなく酷くいびつな生き方なのかもしれない。

 だから私は誰にそれを告げることもなく、ひっそりと生きてきた。

 

 仮にこれがたちの悪い妄想であろうとももはや私の人生の一部。

 誰に迷惑もかけぬ以上、今になって捨てることなんて出来ないしその必要性も感じない。

 

 だから、線を引く。このままでいい、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだ? 調子は」

 

 ぼんやりしながら猫をなでていると不意に声が掛けられる。

 幾度となく病院仲介の通話でやり取りした父の声。

 

 日に日に掠れていくその声が嫌いだった。

 自分の方が辛いだろうに、私のことばかり心配してくるその声音が嫌いだった。

 

 だから、殊更なんでもないようにいつも通り返答した。

 

「……別に。まぁ、ぼちぼち」

 

 見れば、父はいつの間にか起き上がってソファに正しく腰掛けていた。

 母も食事を置いて父の隣に腰掛けている。

 

 私を見ていた。

 父も、母も、猫も、犬も、みんな、みんな、こっちを見ていた。

 

 ただ、私はいられるだけで良かった。

 

 変化なんて欲しくなった。寂しさなんて贅沢は以ての外だった。

 生きているだけで精一杯だから。

 

 変わっていく何かに気を取られて生きていける自信なんてこれっぽっちもなかったから。

 

 涙を一滴、二滴。

 

 零しながら私は小さくなる。

 高校、中学と遡り、幼い子供の頃にまで。

 

 ただ泣きじゃくる私の頭をポンポンと誰かになでられた気がした。

 

「好きに生きなさい。あなたの人生なんだから」

 

 母がそう言ってくれた気がした。

 

「いつでも帰ってこい。おまえの家なんだから」

 

 父がそう言ってくれた気がした。

 

 

 

 

 あぁ、これは夢だ。

 夢に過ぎない。

 

 これはただの夢で、有り触れた定型文に過ぎない。

 

 父も母もこんなこと言わない。

 言いっこないと私は知っている。

 

 これは…──

 

 

 

 

 ただ私がふと思い付いただけの妄想(アコガレ)で、(ウソ)なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝、いつも通り目が覚める。

 

「うっわ… ひどい顔」

 

 顔を洗いながらぼやく。

 

 幸いにも吹き出物は出ていないし取り返しはつくだろう。

 いずれ時間を作ってエステに行こう。

 

 いつかあの場所に姉さんも来るだろうか? 

 いやいや、私が先だろう。どうか順番は守ってほしい。

 

「生命保険、受取人を姉さんにして契約するか」

 

 父の死亡保険を受け取る際の執拗な勧誘を思い出す。

 

 ノルマはあるのだろうがデリカシーはないらしい。

 勧誘に折れた振りをしてレッド過ぎる診断結果を見せれば良い嫌がらせになるだろうか? 

 

 条件が折り合わなくともそこはそれ。物別れになっても構わない。

 そんなことを考えつつ私は仕事に向かうため部屋を出た。

 

 

 

 

「いってきます」

 

 外のまぶしさに顔をしかめながら小さくつぶやく。

 

 今日も私は惰性で生きている。

 いつかあの場所にたどり着くために。これまでも、これからも。

 

 

 

 

 寂しさというものが、分からないままに。


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