一通りをコピーした書類を抱えて、大急ぎで食堂へと向かって。そこで夕食前のみんなを集めると、リーナは明日出撃の緊急任務――〈
「では、本題に入る前に、まずは今回の作戦が発令された経緯から説明します」
全員に見えるように司令書を開いて、リーナは硬い声音で続ける。
「現在、旧ヴァールス王国領は〈
「……ああ」
重い沈黙が渦巻く中で、レンが全員を代表してこくりと頷く。
六年前、神との契約に失敗したその日。レンたちの祖国であるヴァールス王国は、首都のフェアシュプレを中心としてそのほとんどが浄化された。
結果、王国だった地域は穢れなき純白の大地と化し、そこに住んでいた人々も同じく浄化されていなくなった。
今、レンたちの祖国にあるのは、穢れなき純白の大地と、浄化の発生と同時期に現れた〈
「この六年間、浄化の範囲は徐々に拡大し続けており、一ヶ月後には共和国との国境付近にまで到達すると予想されていました。……ですが、」
そこで、リーナは一枚の写真を内胸ポケットから取り出して、机に置く。
その写真に一同が絶句する中で、彼女は淡々と告げた。
「先日、共和国空軍の偵察隊が撮影したアルフェン山脈の峡谷地帯――つまりはレクス回廊にあたる地域の写真です」
リーナが提示した写真には、地平線の彼方から続く純白の大地が、旧国境検問所付近にまで広がっている光景が映し出されていた。
空の色はまだ青色だから、そこまで浄化の度合いは高くはないけれど。それでも、浄化されていることに変わりはない。
「……もう、こんなに浄化が進んでるのか」
やっとのことで絞り出した言葉が、それだった。
浄化の原因であると考えられる〈
なのに。なぜ、今になって浄化が急速化したのか。
募る疑問は、次に提示された写真によってすぐに判かった。
「そして。浄化が急速化した原因と思われるものが、これです」
「――〈セフィラ〉!?」
置かれた写真に、レンは思わず声が出ていた。
四枚の純白の翼を携えた、巨大な人型の生命体。その姿に、レンは酷く思いあたりがあった。
「……やはり、中尉は一度見たことがありましたか」
目を細めるリーナに、レンは苦虫を噛み潰したような表情で言う。
「……〈
こくりと無言の肯定を返して、リーナは続ける。
「先程、私は〈
ちらりと視線を振られて、レンは司令書の余白に六角形を描き始める。それに全員が注目するのを確認しながら、言葉の続きを引き取った。
「……〈
六角形のそれぞれの角と、左右の直線に一つずつと。そして中央にもうひとつ線を引いて、そこに三つ、黒点を描く。この黒点の位置に、〈セフィラ〉は存在する。
「それで、この〈セフィラ〉にはそれぞれに魔力紋様を守る守護者がいる。その写真に映ってる巨人は、東側の線の真ん中にある〈セフィラ〉――〈
アルフェン山脈の峡谷地帯を直進すると、丁度進撃路上に出現するのがこの〈
「こんなやつが、あと十体もいるの……?」
写真に目を向けたまま、イヴはぽりつと呟く。
レンは首を横に振った。
「いいや。〈
そこで、レンは視線を落とす。察して、レイチェルがあとの言葉を続けた。
「どうしてか復活している……ということですか」
「まぁ、そういうことだ」
苦笑を顔に浮かべながらも、レンの胸中には酷い虚無感が渦巻いていた。
あれだけ苦労して、大切な人すらも喪って。大きな犠牲の果てに倒したやつらが、どうしてか復活している。その現状は、レンにはどうしても信じたくない事実だった。
感情を抑えたリーナの声が、淡々と食堂に響く。
「復活した経緯も、その他の〈セフィラ〉が復活しているのかも現状は不明です。ですが。少なくとも、この〈
浄化という障害がある関係上、〈
つまり。それが意味するものは。
「この作戦を成功させないと、俺たちに未来はないってことか」
「……そう、なります」
フリットの呟きに、リーナは苦渋のこもった声で答える。
今回の発見によって、〈
レクス回廊が浄化されてしまえば、旧ヴァールス王国領に展開できる戦力はさらに少なくなる。そうなれば、犠牲を前提とした突進作戦はさらに困難を極めることとなり、それだけ作戦の成功率も低くなるのだ。
現状ですらも成功確率が決して高くないと考えられている以上、これ以上の成功確率低下は容認できないはずだ。
再びこちらに視線を向けて、リーナは言う。
「ブローディア中尉、〈
「了解。片付けが終わり次第すぐに取り掛かる」
「助かります」
こくりと頷いて、リーナはぐるっと一同を見渡す。小さく深呼吸をして、彼女は告げた。
「〈
総括の言葉に、一同は了解と頷き返して。
「以上、〈
それを合図に、緊急で始まったブリーフィングは終わりを告げた。
ばらばらとみんなが詰めていた息を吐く中で、先程とは打って変わって柔らかい声音のリーナが訊ねてくる。
「中尉、夕食の準備はまだもう少しかかりそうですかね?」
「調理はもう終わってるから、温めなおすだけだね。五分もあれば終わると思う」
「では、今日は久しぶりにみなさんと一緒に待ちますね」
無垢な笑顔でそう言うのに、レンの顔にも自然と笑みがこぼれ出ていた。
「今日のは厚切りのビーフジャーキーを入れてるからね。いつもよりも食べ応えあると思うよ」
†
「いよいよ、ね」
夕食を食べ終わって、就寝前にシャワーを浴びている最中。隣で一緒にシャワーを浴びているレイチェルに、イヴはここに来るまでのことを思い出しながら呟いた。
「……そう、ですね」
目を閉じて、レイチェルは彼女にしては冷たい声音で言う。
六年前の、
今でも覚えている。小学校の校庭の隅っこで、友だちのみんなと他愛もない話をしている時だった。
突然、
校門にいた警備員も、廊下を歩いていた先生も、校庭で走り回っていた低学年の子どもたちも。みんな、一瞬にして真っ白な塊と化して――そして、弾けていなくなった。
身寄りをなくしたイヴたちは、毎日襲い来る異形の怪物たちから逃げるのに必死だった。明日を生きる希望など、一つもなかった。
そんな絶望的な逃避行の最中。イヴたちは王立陸軍の総司令官――
ブローディア総司令官とわずかに残った士官候補生たちとの決死の逃避行の末、イヴたちは運良くアティルナ共和国へと辿り着いた。
その時残っていたのは、総司令官と士官候補生五名、保護された人員二三名だけだった。この旅路の結果、イヴたちのいた集団の約九割はこの世界からいなくなっていた。
「レイチェルは、怖くないの?」
視線を壁に向けたまま、イヴは問う。
「もちろん、怖いよ」
「ならっ!」
思わず振り向いた。それなら、一緒にここから逃げ出さないか。そんな言葉が喉まで出かけた時だった。
「でも、何もせずにただ死ぬのを待つのは、もっと怖いから」
「……!?」
きっと、決意の宿るあかいろの瞳が振り向けられる。いつもの柔和で幼い雰囲気の彼女は、そこにはいなかった。
「戦うのは怖いし、あの
「……」
不安に俯くイヴに、レイチェルは安心させるように優しい笑みを向ける。
「それに。今の私たちは戦って、それで守ることができるんです。もう、ただ見てるだけしかできなかった私たちじゃないんです」
今の私たちには、力がある。
六年前のように、友達を見捨てるしかなかった頃とは違う。
あの時のように、多くの誰かを犠牲にして、希望の見えない旅路を進む必要もないのだ。
だから。
「今回の作戦もみんなでやり遂げて、そのあとはみんなで夏至祭、やりましょう」
そう言って差し伸べられた手を、イヴはしばしの間見つめて。
意を決したように、その手を取った。
「……うん」
頷くイヴの瞳には、弱気の色は消えていた。
洗濯物を乾かすのに屋上へと出て、かごの中に入っていた軍服と男物の洗濯を全て干し終えて。
夜の静寂があたりを支配する中を、フリットは柵に腕を置いてぼんやりと星空を見上げていた。
六年前、祖国がなくなった時、フリットは家族旅行でアティルナ共和国を訪れていた。だから、イヴやレイチェルのように家族がみんないなくなったわけではなくて。両親も弟も、まだみんな生きている。
だからだろうか。今になって、こんなにも死にたくないと思ってしまっているのは。
「……いや、そうじゃねぇな」
自分に言い聞かせるように、フリットはひとり呟く。
死にたくない。その思いは、今を生きる者ならば誰もが抱く思いだ。
決して、自分にはまだ家族がいるからだとか、意思が弱いからだとかそういうわけじゃない。
左の内胸ポケットに手を伸ばして、フリットは
極西の島国では主流らしい、四角の布に想いを込めた紙を包んだ、極めて簡素なつくりのもの。
――ぜったいに帰ってきてね、お兄ちゃん。
そう言って送り出してくれた弟の言葉が、不意に脳裏に
弟が一六歳を迎えるまで、あと四年。それまでに、この戦争は絶対に終わらせなければならないのだ。
でないと、弟もこの戦場に送り込まれるかもしれない。軍属の適正がなかったら、強制労働に駆り出されるかもしれない。
そんなことには、絶対になってほしくはないから。
それに。
だから。
口許を微かに緩めて、フリットは呟いた。
「頑張るしか、ねぇよな」
兵舎二階の最奥。リーナの執務室で、レンはついさっきできたばかりの資料を彼女へと手渡していた。
その資料を一通り読んで、リーナはぽつりと言葉をもらす。
「意識の変性化……ですか」
「一時的に、ではあるけどね。けど、恐怖だったり嫌な記憶が消されてしまうのは、戦場においては一番厄介な攻撃だ」
机に置かれた資料に目を落としながら、レンは目を細める。
戦闘において、過去の経験と周囲への警戒は何よりも必要かつ重要な要素だ。過去の記憶があるから対策を立てて予測ができるし、恐怖があるから周りに気を遣って敵の行動を察知できる。
その二つがなくなれば、それはもうただの無謀な新兵と同じだ。戦力と言うには、あまりにも危機管理に欠ける。
顎に手を当てて、リーナは考え込んだように眉を寄せて押し黙る。
しばしの沈黙ののち、口を開いた。
「では、〈
「それで良いと思う。……それと、もう一つ、言いたいことがあって」
なんでしょうか、と訊ねてくるのに、レンは真剣な表情で告げた。
「俺が危険と判断した場合には、覚醒紋章を使用する。それも、いいな?」
その言葉に、リーナはしばし目を見開いて。
それから、意志の炎を宿した双眸が、レンを見つめ返した。
「構いません。……が。」
きっと、深紅の瞳を細めて。彼女は断固とした態度で言い放った。
「それを使わせるような無様は、晒しません」