亡国王女とエーデルヴァイスの騎士   作:暁天花

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第十五話 決意

 翌日の朝は、梅雨の時期にしては珍しい澄み渡るような蒼穹だった。

 結局、昨日のあの一件以降はリーナと会うことはなくて。今朝に向かった執務室にも、彼女の姿は見当たらなかった。

 どこに行ったんだろうと思いながら一階へと降りた先、食堂の机には、一枚のメモが残されていた。

 

 いつの間にか開かれていた窓からは、優しい朝の風が吹き込んできていて。そのメモ用紙の端をひらひらと舞わせている。

 歩み寄って、メモ用紙を空のコップから引き抜く。書かれていた内容に、レンは思わず目を細めた。

 

 ――行ってきます。

 

 メモ用紙には、リーナの筆跡でそれだけが書かれていた。

 昨日の言葉を弁明するでもなく、煽り立てるでもなく。ただ、淡々と、それだけが。

 

「輸送車、もう来てたんだな。全然気づかなかったぜ」

 

 先に降りていたらしい。フリットがコーヒーを片手にキッチンから出てくるのに、レンは舌打ち混じりに吐き捨てる。

 

「自分で出てったんだと思うよ」

「あの身体でか?」

 

 フリットは肩を竦めて笑う。

 というのも、リーナの怪我は全身の至るところにまで及んでいたのだ。あの状態では、まともに動くのも難しいはずだ。

 確信を持った声音で、レンは問う。

 

「フリットはいつ降りてきたの?」

「今から一時間ぐらい前だから……七時ぐらいだな」

「そんな時間に、軍病院の救護車がこっちに着くことがあると思う?」

「……確かに?」

 

 いくら二十四時間体制で運営されている軍病院とはいえ、輸送の対象は特段危篤(きとく)の状態でもない紅瞳種(ルファリア)だ。前線勤務の軍人ならまだしも、後方勤務の共和国人が、紅瞳種(ルファリア)のためにそんな時間帯から動くとは思えない。

 

「でも、なんでまたそんなことを」

「どうせあいつのことだし、俺たちに悪い印象を与えたまま去った方がいいとでも思ったんでしょ」

 

 悪印象を与えたままなら、例え窮地に陥ったとしてもリーナを庇うような行動はしないだろうと、そんな風に考えているのだろう。

 恐らく、昨日の見え透いた悪意と冷徹とそのためのものだ。全ては自分のせいだと、もう二度と誰かを喪いたくないという感情からくる、痛みの伴う突き放し。

 

 ……まぁ。こういった置き書きを残していくあたりは、やはり()()()()()が。

 

「レン、フリット」

 

 背後から名前を呼ぶ少女の声が聞こえてきて、二人はそちらへと視線を向ける。はたして、そこにはいつもの軍服姿のイヴがいた。 

 泣き腫らした目元は赤い。けれど。昨日のような絶望と悲嘆だけの色は消えていた。

 

「もう、大丈夫なのか?」

 

 心配そうなフリットの言葉に、イヴはこくりと頷いて。小さな声で応える。

 

「うん。もう、平気。昨日は、たくさん泣いたから」

 

 彼女がにこりと笑うのに、レンとフリットも自然と安堵の表情を浮かべていた。

 どうやら、昨夜のうちに心の整理はだいぶついたらしい。大切な人を喪ってもなお、強く在ろうとする姿。それは、とても眩しく見えた。

 ふと、イヴは申し訳なさそうに目を伏せると。次の瞬間、頭を下げてきた。

 

「……その、二人とも。昨日はごめんなさい」

 

 頭を下げたまま、イヴは言葉を続ける。

 

「二人も辛いのは分かってたのに。なのに、あんな酷いこと言っちゃって……。ほんとに、ごめんなさい」

 

 その様子に、レンとフリットはしばし顔を見合わせて。肩を竦めて、にこりと笑った。

 

「気にすんな。俺は気にしてないから」

 

 え、とイヴが視線を上げてくるのに、レンも続ける。

 

「二人が六年前の事件からずっと一緒なのは俺も知ってる。だから、あんまり気にしないでいいよ」

 

 大切な人を喪う辛さは、レンもよく知っているから。だから、彼女の痛みがどんなものだったのかは、よく分かるのだ。

 昨日のイヴの姿は、一年前の自分にそっくりだったから。

 そんな二人の様子を、イヴはしばしの間呆けたように見つめて。程なくしてから、にこりと小さく微笑んだ。

 

「……二人ともありがと」

 

 釣られて、レンとフリットの顔にも笑みが浮かぶ。

 これで、イヴはもう大丈夫だろう。

 

「えと。それで、二人に聞きたいことがあって。……隊長、どこにいるか知ってる?」

 

 無意識に表情が硬くなる中、イヴは伏し目がちに、心底申し訳なさそうに言葉を続ける。

 

「私、隊長にも酷いこと言っちゃったから、謝りたくて」

「……」

 

 はぁ。とため息をついて。レンは努めて平静を装った声で、彼女の質問に答える。

 

「リーナのやつなら、今はもう軍病院だよ」

 

 

  †

 

 

 気がつくと、そこは見知らぬ部屋だった。

 白い天井。白い壁。白いカーテン。白いベッド。白い包帯。白い機械。

 ――窓から見える、地平線の彼方まで広がるきれいな蒼穹。

 ……確か。私は。

 

 回り始めた頭の中で、リーナはここに来た経緯を思い出す。

 朝、レンたちに見つからないようにと、日が昇る前に駐屯基地を出て。痛む身体を痛覚遮断と飛行魔術で無理やり動かして。昨夜の通信で指定された軍病院へと出向いていたのだ。

 軍病院へと向かう途中で、共和国軍の救護車が見えて……そこで、リーナの記憶は途切れていた。

 

 恐らく、そのタイミングで意識を失ったのだろう。さすがに少し無理をしすぎたなと、リーナは自嘲気味に呟いた。

 身体中に巻かれた包帯と、吊られた左腕から考えるに……治療そのものはもう終わっているらしい。あとは、これがどれだけ早く治るかだ。

 

 ふと、脳裏に(よみがえ)るのは、昨日の記憶。目の前で微笑んだ大切な人が、無惨に圧殺されて砕け散った、焼き付いて離れない罪の記憶だ。

 ドラマチックでもなんでもない。ただただ、無惨で理不尽な突然の死。

 私を救ってくれたのに。なのに、助けられなかった痛みの記憶。

 フラッシュバックで鼓動が早くなり、息がだんだんと苦しくなる。耐え難い苦痛に胸を抑えた、その時だった。

 

 こんこん、とドアをノックする音がして、リーナの意識は現実へと引き戻される。息を落ち着かせてから、リーナは応じた。

 

「……はい、どうぞ」

 

 無言でドアが開かれて、部屋に入ってきたのは()()()の士官軍服を着た男の人だった。瞳は底冷えするような赤色で、左眼は眼帯に覆われていて見えない。ちらりと覗く傷から考えるに、何かの拍子で失明したのだろう。

 どこかで見たことがあるようなと思いつつも、リーナは困惑げに訊ねる。

 

「……ええと。どなたでしょうか……?」 

紅瞳種(ルファリア)保護区区長および紅瞳種戦術義勇軍(RTVF)司令長官、グレン・ブローディアだ」

「司令!? し、失礼しまし――、っ……!?」

 

 慌てて敬礼をしようとして――あまりの痛みに失敗した。

 悶えるリーナに、ブローディア司令はいつもの淡々とした口調で続ける。

 

「儀礼はいい。……君の怪我については、先程担当医から仔細を聞かせて貰った。全治には、少なくとも一ヶ月以上は必要だそうだ」

「けれど。動くだけなら、一ヶ月もあれば大丈夫です」

 

 真紅の瞳に固い決意を燃やして、リーナは答える。

 

「……お話が、あるんですよね」

 

 まさか、ただ見舞いに来たわけでもあるまい。

 ブローディア司令はこくりと頷いて、手に持っていた鞄から書類の束を持ち出した。

 

「君達の持ち帰った情報によって、いくつかの新たな情報が明らかになった。今日は、その報告だ」

 

 そう言って渡してきた書類の束を、リーナは受け取る。ページをめくるのを見計らって、ブローディア司令は口を開く。

 

「まずは、君達が遭遇した天使と竜。この敵性個体は、その形状と攻撃方法、〈慈悲(ケセド)〉から発生したことを踏まえ、共和国軍は〈アスタロト〉と命名した」

「……〈慈悲(ケセド)〉に封印されたとされる悪魔、ですか」

 

 思わず、呟いていた。

 お姉ちゃんが専攻していた魔力学において、〈生命(セフィロト)の樹〉にはそれぞれ一体ずつ、世界を破滅に導く悪魔が封印されているとされている。

 アスタロトは、リーナ達が撃破した〈セフィラ〉――〈慈悲(ケセド)〉に封印されているとされる悪魔の名前だ。

 そして。

 

「超古代文明において、〈生命(セフィロト)の樹〉に封印されし渾沌(こんとん)と厄災。恐らく、君達の遭遇した〈アスタロト〉は、その正体だ」

 

 つまり。あの日出現した天使と竜は、超古代文明ですらも撃破しえなかった、強大な人類の敵だ。そして。彼らの存在は、魔力学の提唱していた表裏世界説の証明でもある。

 

「……私達以外の目撃情報は、」

「今のところ君達以外での目撃情報は確認されていない。現状は様子見だ」

 

 資料のページをめくって、ブローディア司令は続ける。

 

「また、今回撃破した〈慈悲(ケセド)〉以外にも、複数の〈セフィラ〉が復活していることが確認された。現状では、〈勝利(ネツァク)〉、〈知恵(コクマー)〉、〈(ティファレト)〉の三種の復活が確認されている。ただし。現状、これらの掃討作戦は予定されていない」

「……他の〈セフィラ〉にも、悪魔が封印されていると?」

「その可能性は十分にあり得る。少なくとも、〈奈落の門(タルタロス・ゲート)〉を撃滅するまでは、共和国軍はこれを静観するつもりだ」

 

 そこで、ブローディア司令は一度口を噤んで。冷徹さの増した声音で告げた。

 

「また、来たる決戦――〈運命の聖槍(ロンギヌス)〉作戦は、予定日を二週間前倒しして発動されることが正式に決定された。発令予定日は七月四日。アティルナ共和国の、革命記念日だ」

 

 アティルナの国民が、苛烈な内戦の果てに掴んだ自由と栄誉。どうせ近い日付でやるのならば、過去の栄光にあやかろうというものだろう。

 より真剣さの増した冷徹の赤色が、僅かに細められる。

 

「この作戦が成功すれば、六年に渡る紅瞳種(ルファリア)人への迫害政策は撤回される。神との契約儀式に端を発した、紅瞳種(ルファリア)への患難(かんなん)。それは、今作戦の聖なる槍(ロンギヌス)によって断ち切られる」

「しかし、そのような契約を、共和国が遵守する保障は、」

「書面での契約は既に済ませてある。全ての贖罪(しょくざい)を終えてなお、私達を家畜以下の存在だと(そし)るのならば。その時は、私達は武力をもって現政権を打倒するまでだ」

 

 強く、そして確固とした口調であり態度だった。

 それきり言葉は途切れて、病室には異様な静寂の時間が訪れる。最初に口を開いたのは、リーナだった。

 

「……私は、その作戦に参加できるのでしょうか」

「作戦発動日では、君はまだ傷の完治はしていないはずだ。足手まといになるような戦力を、出向かせる訳にはいかない」

「しかし!」

 

 きっとブローディア司令の瞳を睨み据えて、リーナは言う。高貴と自責の真紅のあかいろで。

 

()()が出向かない作戦を成功したとて、共和国は果たしてそれが贖罪(しょくざい)だと認めるでしょうか? 答えは否です。決定的な証拠を突き付けない限り、差別という名の国内安定装置を手放すわけがありません」

 

 有史以来、人間は誰かを(おとし)め、蔑んできた。そうやって己の地位や豊かさを確認し、汚れ仕事を下等な人たちに背負わせてきた。

 そして。それは、人類の平等が謳われるようになった現代においても、変わらない。誰かを陥れる方が、簡単に安心を享受できる。重労働は誰かに背負わせていた方が、はるかに楽ができるのだから。

 

 事実。今のアティルナ共和国は、戦時下とは思えないほどに安定しているのだ。激戦区には紅瞳種(ルファリア)人を配置し、適性のない者には過酷な鉱石採掘や金属品加工を背負わせる。どこに行っても、紅瞳種(ルファリア)人には必要最低限の食糧しか支給はされない。

 

「司令も。……いや、司令こそ、一番わかっているのではありませんか?」

「……」

 

 もちろん、みんながみんなそういうような人たちではないことを、リーナは知っている。けれど。だからこそ、紅瞳種(ルファリア)人と共和国人を戦わせたくはなかった。

 

「無用な血は、決して流すべきではありません。一人の命で数多(あまた)の命が救えるのならば。王家として、私は行くべきではありませんか?」

 

 一ヶ月ならば、完治はしていなくとも動くことはできるはずだ。ならば、あとは身体強化の魔術をかけて戦えばいい。

 たとえ、この身が尽き果てようとも。私は、使命を果たさなければならないのだ。

 軋む身体を動かして、リーナは嘆願する。

 

「……どうか、よろしくお願いします。グレン・()()()()・ブローディア()()()()()

 

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