第十七話 穢れなき浄化の地へ
絶えず響き渡る爆発と銃声の大音響の中、レンたちの輸送機は赤い空と
窓外では、光の十字架と爆散する機体の光があらゆるところで煌めいては消えていく。爆撃機の大型ロケット弾が発射され、色の違う〈
その隙に、別の戦闘機隊が爆撃機を食らう〈
討っては討たれ、そしてその爆炎が赤い空の至るところで咲き誇る。そんな地獄の様相が、機体の外では繰り広げられていた。
そして。その戦闘の様子は、敵地の深奥に近づくに連れて刻々と激化して、そして劣勢に立たされていく。
浄化の領域へと侵入してから、約二時間程が経った頃。各自で武器の点検を行っている最中に、レンたちはそれを聞く。
『まもなく投下地点に到達します。各員、降下準備を開始してください』
言い終わるのと同時に。機体後方の投下扉のロックが外れる音が響いた。
と思うと、その扉は徐々に下開きに開いていく。吹き込む風はなく、けれど鮮烈な戦場の音だけが入り込んでくる。
開いた扉から見えるのは、相変わらずの紅い空と
眼下の白黒の大地を見て、イヴがぽつりと呟く。
「あれ……時空断絶だっけ」
「正確には、時空“断裂”だな。浄化の力が強くなると、普通なら起こるはずのない圧縮が起きる。その結果が、あれだ」
詳しいことは、未だに何もわかっていない。ただ。
静かに目を細めて、レンは警告する。
「あれに落ちたら最後、〈ティターン〉だろうが二度と帰ってこれない。……落ちないでよ」
イヴとフリットは、隣で静かに頷くだけだった。
機内通信から、
『投下地点に到着しました! 各員、出撃開始!』
了解、と全員が返すと。レンは躊躇なく白黒と赤の世界へと飛び込んでいた。
レンを先頭にして、イヴ、フリットが降下に続く。三人の後方につくのが、リーナだ。
降下ののち、頭上の輸送機が来た道を帰ろうと進路を変える。その傍ら、レンたちは身体強化と武器への
身体が宙に浮き、降下が止まる。〈
視界の奥で時空断裂へと墜落する戦闘機を見ながら、レンは告げた。
「これより、第二特戦隊および特別挺身隊は北西方向へと突撃。敵地深奥の〈
通常のそれよりも遥かに巨大な〈ティターン〉の間を潜り抜け、時には撃破しながら、レンたちは〈
通りがかりの戦闘機が、敵に機体をぶつけてレンたちを守る。恐らくは、共和国軍の
たとえ、相手が忌むべき
でないと、この作戦は失敗する。そしてそれは、家族の死とともに人類の滅亡を意味するのだから。
十分ほどを進んだところで、
『なっ……!?』
『えっ……!?』
驚愕するフリットとイヴの声が通信機から聞こえてくる。ぎり、とレンも無意識に奥歯を噛み締めていた。
唯一。そこには、一年前と同じ深淵の黒色が巨大な円弧を形作る姿――〈
全て、一年前と同じ。
〈
周囲の取り巻きと、〈
通信機に、冷徹を装った少女の声が届く。
『ここまでの護衛、ありがとうございました。以後は作戦の司令通り、周囲の〈ティターン〉掃討をお願いします』
それだけ言い置くと。リーナは通信機を切断した。
直後。覚醒紋章を起動すると、立ち止まるレンたちの間をすり抜けて〈
その背中に目を細めて。レンは通信機へと告げた。
「……じゃあ、頼むぞ。フリット、イヴ」
『ええ』
『任せろ』
短く、そう応答するのが聞こえて。
レンは決意のこもった声で答える。
「……行ってくる」
それきり通信を切断すると。レンは覚醒紋章を詠唱しながら、
迫り来る無数の腕を斬り裂き、蛇のようにも見える何かを斬り捨てて、リーナは〈
狂気の絶叫が耳を
これが私の使命だから。私がやるべき、なすべきことだから。だから。どんなに身体が痛もうが、心が軋もうが。私は、絶対にこの門を破壊しなければならないのだ。
身体強化で研ぎ澄まされた感覚に、謎の直感が走る。本能のままに停止して――直後、眼前に漆黒の球体が現れた。
即座にその場を離れて、漆黒の球体は瞬く間に大きくなっていく。一秒も経たないうちに、それは先程リーナのいた場所を完全に飲み込んでいた。
ぎり、と奥歯を噛み締めて。リーナは太もものナイフを取り出す。取っ手に触ったと同時に
淡い魔力の
が。刃が球体に到達しても、そこには何の変化も見られなかった。
「え……?」
戸惑う間にも、黒い球体はどんどん小さくなっていく。そのまま完全に消滅したかと思うと、そこには
――あれは、まずい。
咄嗟にそう思った。直感が感じるままに、リーナは動く。周囲のあらゆるところで漆黒の球体が発生しては消えていく。それらの一つにでも当たれば大怪我になるのは分かりきっていた。
恐らく、この黒い球体は〈
黒い球体を避ける間にも、〈
正直、打つ手がなかった。猛攻を捌くのに精一杯で、攻勢に出る余裕がない。多少の負傷を覚悟で打って出れば最後、何もできずに死ぬ。結果は明らかだ。
とはいえ、このままではジリ貧だ。そう遠くないうちに、リーナは負ける。使命を果たせずに。〈
どうしたら、この状況を打破できるのか。焦燥の中で必死に考えを巡らせている時だった。
虚空から発生した黒い球体を
身体は速度を乗せているために、急停止はできない。かといって迎撃するにも、距離が近すぎて対応が間に合わない。
……ああ。これで、終わりか。
ゆっくりと進む時間の中で、緩慢とそう思った時だった。
『リーナ!』
聞き慣れた男の子の声と同時に、視線の先にいた腕が魔力の光条に焼き尽くされる。思わず振り向いた先、そこには左目を赤く煌めかせるレンがいた。
通信機を起動して、対象をレンに設定する。繋がるなり、リーナは怒鳴っていた。
「あ、あなたは、いったい何をしているんですか!?」
彼に課された役割は、戦域の確保だ。〈
それに。彼の左目の発光は、覚醒紋章を使用した証拠だ。
「覚醒紋章も、使うなと言ったでしょう!?」
一旦戦域を退避して、覚醒紋章を解除する傍ら、リーナは叫ぶ。覚醒紋章の代償は、
『今のあんたは、俺の上官じゃないだろ? なら、そんなの守る義務もないな』
ふ、と、軽口のような口調でレンは言ってくる。こっちは、本気で心配してるのに……!
『なぁ、リーナ』
一転、真剣な声が聞こえてきて、リーナは戸惑う。
『おれは。おれ
「っ……」
やめて。そんな言葉で、私の心を揺さぶらないで。
「……なんですか、それ」
私は、使命を果たさなくちゃならないのに。この身を捨ててでも、王家の罪を償わなければならないのに。
なのに。なんで。そんなことを言うのだろう。私が使命を果たさなければ、ここで死ななければ。あなたたち
激情を堪えた声が、通信機に届く。
『それに。こいつは、俺にとっても倒さなくちゃならない
深い、後悔の滲んだ声だった。いったい、この一年間でどれだけの後悔と悲嘆を積み重ねてきたのだろう。今の一瞬で、それは容易に想像ができた。
……彼も、リーナと同じなのだ。エルゼという大切な人を喪って、自分の存在意義が分からなくなってしまった。それこそ、生きる価値があるのかと考えてしまうほどに。
リーナの真紅の瞳に、決意の炎が宿る。
まだ、こんなところで死ぬわけにはいかない。彼の心に、新たな傷をつけたくない。そんな思いが湧き上がってきていた。
「……〈
『それが分かってたら、一年前に逃げ帰ったりなんかしてないよ』
「ですよね……」
〈
『……ただ。円の端に見える金色の輪は、一年前にはなかったやつだ』
「金色の輪……?」
言われて、リーナは〈
……他の部位への攻撃は、一年前にレンと
しばし、考えて。リーナは告げた。
「私は左手から突撃します。レンは、右手から攻撃してください」
一年前にはなかった、金色の輪への攻撃。他への攻撃に効果がないのならば、それしかないと思った。
推測に根拠はなかったとしても。前例がないのならば、可能性は残されている。
『了解』
短く、応答の声。
一度深呼吸をして、心を落ち着かせる。悠然と佇む〈
「【過去と未来、そして
直後。緋色に染まる〈
同時期。戦域に
「なんだ……!?」
二人が困惑する間にも、その球体は別の個体を形作っていく。刹那、邪悪な衝撃波を伴って、それは実体化した。
『あれって……!?』
イヴが驚愕の声を上げる。
そこに発生していたのは、竜にまたがる天使の姿――〈アスタロト〉だった。
黒い球体を
『レン! 〈アスタロト〉が出た!』
「あいつが……!?」
思わぬ事態に、声が大きくなる。〈アスタロト〉。前回の〈
いかなる攻撃も通らず、全くの為す術がなかった、破滅の悪魔。
そんなやつがなんで、今この状況下で。
『俺たちじゃあ時間稼ぎにもならねぇ! レン、いけるか!?』
イヴもフリットもここまで生き抜いてきた精鋭とはいえ、やはりレンやリーナには及ばない。彼らに〈アスタロト〉の対処を任せるのは、それこそ二人を殺しかねない選択だ。
焦りにぎり、と奥歯を鳴らしながら、レンは応答する。
「……了解!」
迫る蛇の腕を銃剣で貫いて、通信対象を二人からリーナに変更。戦場の音にかき消されないように叫んだ。
「〈アスタロト〉が出た! 俺があいつをやるから、リーナはそっちを!」
しばし、間が空いて。決然としたリーナの声が聞こえた。
『……了解しました!』
漆黒の球体が回避行動をとる戦闘機のコクピットを削り取り、無謀にも〈アスタロト〉に向かう〈ティターン〉の胴体を消し飛ばす。
神聖と
〈
憎悪と焦燥と、少しだけの恐怖と。様々な感情を弾丸に乗せて、レンは引き金を引いた。
その弾丸は
真っ直ぐな軌道を描いた弾丸は、〈アスタロト〉の前で薄紫の障壁によって阻まれていた。
「はじ……かれた……!?」
目にした光景に、レンは驚愕の声を上げる。〈
漆黒の球体が発生するのを感じて、その場を離脱する。魔力を飛行魔術へと振り分けながら、レンは苦い表情で舌打ちした。
きろり、と、〈アスタロト〉の――天使の瞳がこちらを向く。
『【哀れな仔羊。己の敵が何かも
脳に入り込んできた声に、レンは顔を
「頭に……直接入ってくる……!?」
五感のどこからでもない、奇妙で不快な声だった。ただ。レンの魂が、これは目の前の天使の声だと告げていた。
目の前の天使はこちらに向いただけで、口を動かしてすらいないのに。
「ッ……! 黙れッ!」
声を振り払うかのように、レンは〈
けれど。やはり。その弾丸たちは、ことごとくが弾かれていく。
『【己の神に見捨てられし愚民どもが、我に仇なすか】』
魂に直接響く、神性の声。
天使の声に気を取られていた、その刹那に。レンの左腕と右脚の部分に、黒い球体は発生していた。
直感を削がれた分認識が遅れてしまって、レンはそれを見ながらも回避行動が間に合わない。直後、球体が拡大した。
視界が暗転し、全身が捩じ切れるような激痛に襲われる。
「がぁっ…………!?」
身体の至るところで骨が折れ、砕け散る。何とか抜け出すと、レンは口から血を吐き出しながら呻いていた。
「こんなの……どうやって戦えってんだ……!?」
迫り来る闇と蛇の腕を斬り伏せ、周囲に発生する黒い球体を振り切りながら、リーナはただ一点、〈
狂気の絶叫が耳を
〈
直後。急降下。剣の切っ先を外縁部の輪へと突き刺した。
「堕ちろッ!」
影の腕があらゆるところから湧き上がり、リーナを握り殺さんと襲いかかってくる。それを傍目に、リーナは金色に沿って〈
銃の扱いがてんでだめなリーナでは、こうして剣で直接斬り込むしか術がないのだ。それがどれだけ危険であったとしても、やらなければこの場に居る全員が死ぬ。
それだけは、何としてでも阻止しなければならないから。
右手で〈
切った腕は跡形もなく消滅し、その間際に蛇のようなものが一瞬視界に映る。もう、何度も見た光景だ。
絶叫の声といい、この視界といい。いったい、こいつはなんなんだ。左手の剣を鞘に戻しながら目を細めた、その時だった。
「あっ――――!?」
突然、頭を割られたような激痛が生じて、リーナの意識が刹那吹き飛ぶ。意識が戻ってきた時には、全てが終わっていた。
集中力が途切れたことで、覚醒紋章と
全身から力が抜けていき、握っていた右手の剣が手からこぼれ落ちる。その剣は、漆黒の球体に吸い込まれて消えていた。
〈
――なんで。私は。
迫る無数の腕をどこか遠い気持ちで見つめながら、リーナはひとり呟く。
この頭を割られたような激痛は、覚醒紋章の代償だ。
家臣たちの血筋が使っていた覚醒紋章と違い、
……けれど。だからって。たった数十分全力で魔力を使っただけで、限界が来るだなんて。いったい、私はどれだけ無力なんだ。
魔力を失った生身の人間に、この腕たちを撃退する手段はもはやない。よしんば腕を撃退できたとしても、リーナに待っているのは〈
王家としての使命も果たせなければ、レンたちの祈りすらも叶えられない。
自分の無力さに、涙がこぼれ落ちた――その時だった。
自分と無数の腕の間に、いつの間にか金色の粒子が割り込んでいるのにリーナは気づく。
その粒子は瞬く間に集まって、人の形をした何かを形作っていく。輪郭がしっかりしてくると、その人型は〈アスタロト〉のいる方向に向かって銃を撃ち放つ。
そして。その人型が実体化するのと、ほぼ同時。
突然現れた女性の姿に、リーナは呆然と立ち尽くす。
肩で切り揃えた白銀の髪に、共和国軍の女性用士官軍服。振り向いてくるのは、リーナと同じ真紅の双眸。
煌めく左眼を茶目っ気たっぷりにウインクして、彼女はにっと快活な笑みを向けてくる。
いつか見た、思い出の中の笑顔そのままで。
「久しぶり、二人ともっ!」