亡国王女とエーデルヴァイスの騎士   作:暁天花

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最終話 存在すること

 気がつくと、リーナは真っ白な世界の中にいた。

 前後も左右も、上下も何もない。現実感がなくて、どことなく浮遊感を感じる純白の世界で。リーナは、お姉ちゃん(エルゼ)の前に立っていた。

 

「ごめんね。リーナちゃん」

 

 お姉ちゃん(エルゼ)が、申し訳なさそうに笑う。後悔と自責を覆い隠した声で。

 

「お姉ちゃん、二人にはとても酷いことをしちゃった。君たちに、ボク自身の勝手な想いを――ううん。呪いを、残してしまった」

 

 本当は、生きて帰らなければならなかったのに。一年前のあの時に、エルゼが使命を果たさなければならなかったのに。

 けれど。その、どちらもエルゼは果たせなかった。レンとリーナ()には、王家の使命と深い絶望だけを与えてしまった――。

 

 そんなお姉ちゃんの独白を、リーナはどこか夢見心地で聞いていた。

 一年前のあの日、たった一枚の紙切れでリーナの前から去って、そして二度と帰ってこなかったお姉ちゃんが。今、ここにいる。

 立ち尽くすリーナに、お姉ちゃんが近寄ってくる。さっと腕を背中に回すと、お姉ちゃんは私を思い切り抱き締めてきた。

 

「っ……!?」

「……ごめんね。リーナちゃん」

 

 深く、深く慈愛と後悔のこもった声で。エルゼは呟く。

 

「お姉ちゃん、必ず帰るって約束したのに。帰れなくて。本当に、ごめんね」

 

 ――大丈夫。お姉ちゃんは、絶対にあなたのもとに帰るから。

 徴兵通知が届いたあの日、お姉ちゃんは今みたいにリーナを抱き締めてそう言った。

 そう、約束したのに。お姉ちゃんは帰ってこなかった。

 なのに。今、お姉ちゃんはここにいる。あの時と同じように、リーナを抱き締めてくれている。

 

「…………ぅ……あぁ……!?」

 

 それを思った途端。リーナの瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。

 ずっと堪えてきた、心の奥底に閉じ込めていた喪失感と絶望感が、とめどなく流れ落ちていく。もう、自分では止められない。

 

 ずっと辛かった、ずっと苦しかった。ずっと寂しくて、哀しかった。お姉ちゃんがもういないことが、お姉ちゃんにもう会えないことが。そんな現実を、ずっと認めたくなかった。

 嗚咽を漏らして泣きじゃくるリーナを抱き締めながら、エルゼは何度もごめんね、ごめんね、と涙声で繰り返し耳元で呟いてくる。

 閉じ込めていた絶望と孤独が、段々と溶けていく。哀しい気持ちは次第に消えて、幸福感だけがリーナの心には積もっていく。

 

 泣いて、()いて、泣きまくって。ようやく心が落ち着いてきた時。エルゼの抱擁の中で、リーナは上目遣いでそれを聞いていた。

 

「お姉ちゃんも、一緒に帰れるよね?」

 

 〈奈落の門(タルタロス・ゲート)〉を壊したことで、紅瞳種(ルファリア)の人権は元に戻る。王家の使命も、これで果たすことができた。

 もう、二人を平穏から引きずり出すようなものはない。

 歓喜と期待に目を輝かせるリーナとは対照的に、エルゼは暗い瞳でリーナから目を逸らす。

 

「……それは、できないんだ」

「え……?」

 

 きょとんとするリーナに、エルゼは心底申し訳なさそうに、苦しげに言葉を紡ぐ。

 

「一年前に、ボクは〈奈落の門(タルタロス・ゲート)〉に食われて死んだ。()()()()()()()()は、一年前に死んだんだ」

「で、でもっ……!?」

 

 怯えるような瞳で、リーナはお姉ちゃんの顔を見上げる。

 お姉ちゃんは、確かにリーナの前に存在しているのに。こうして見て、触って、話しているのに。

 なのに。お姉ちゃんが、もういない……?

 

「ボクという存在は、〈奈落の門(タルタロス・ゲート)〉が持つ()()()()にある。……だから。〈奈落の門(タルタロス・ゲート)〉が消滅した今、お姉ちゃんはもう、この世界にはいられないんだ」

 

 そう言うと。お姉ちゃんは抱擁を解いて、一歩、二歩と後ずさっていく。笑みを顔に留めたまま、お姉ちゃんは言う。

 

「最後に、こうして二人に会えてよかった」

 

 待って。いかないで。

 

「私を、また一人にしないでよ!?」

 

 悲壮な声で、リーナは叫ぶ。

 やっと会えたのに。ようやく、再会できたのに。なのに。なんで!?

 全力で走っているのに、追いかけているのに、ゆっくりと後ずさるお姉ちゃんに追いつけない。それどころか、どんどんと離されていく。

 ゆっくりと、けれど確実にお姉ちゃんとの距離は開いていく。

 

「大丈夫。あなたはもう、一人じゃない」

 

 脳裏によぎるのは、フリットにイヴに、もういなくなってしまったレイチェルに。――そして、レンの顔だ。

 違う。そうかもしれないけれど。

 それでも、私は、お姉ちゃんと一緒にいたい。

 お姉ちゃんの姿と声が遠くなる。(しろ)い光に包まれて、視界と意識が曖昧になっていく。

 

「リーナちゃんが――きみたちがボクのことを覚えてくれている限り、ボクがこの世界にいたという証拠は残る。……だから。ボクは、これからもきみたちの傍にいるよ」

 いやだ。いやだいやだいやだ!

 

 そう思っているのに、声が出ない。意識はどんどん曖昧になっていって、思っていたことすらも白く染まって消えていく。

 意識が消える、その直前。リーナは、エルゼ(お姉ちゃん)の最期の言葉を聞いた。

 

「……ばいばい、リーナちゃん。ボクは、ずっときみの幸せを祈っているよ」

 

 

  †

 

 

 目が覚めると、そこは一面に広がる蒼穹だった。

 青く、(あお)く、蒼い、雲一つない、澄み切った真っ青な群青色の蒼穹(そら)

 久しぶりに見た気がする、清らかなあおいろの。

 

 視界の端には、純白に煌めく浄化の大地があって。どうやら、意識を失っている間に浄化された(しろ)い大地へと倒れ込んでいたらしかった。

 耳に届くのは、風と飛行機の音だけで。静かな空気は、戦闘が終わったことを告げている。視界にも、〈ティターン〉の姿が入ってくる気配はない。

 通信機は被弾で使い物にならなくなっていて、誰の声も聞こえてはこなかった。

 

 ――全部、終わった。

 

 真っ青な蒼穹(そら)静謐(せいひつ)の空気を感じながら、リーナはぼうっとした頭でそんなことを考えていた。

 

 そう。全部、終わったのだ。

 王家(エーデルヴァイス)を縛っていた〈奈落の門(タルタロス・ゲート)〉は完全に破壊され、人類を滅亡の危機に追いやっていた〈ティターン〉の発生源は消滅した。

 これで、五年にも渡る紅闇種(ルファリア)への迫害政策も終わりを迎えることとなる。

 王家の使命は、完璧に果たされたのだ。

 

 ……けれど。

 

 果たすべき使命を終えた私は。なんで、ここにいるんだろう。

 お姉ちゃんはもう、この世界には存在しない。最愛の、そして唯一の肉親は、今度こそいなくなってしまった。

 私が必要とする人も、私を必要とする人も、いなくなってしまった。

 心地の良い風を頬に受けながら、リーナは目を閉じる。

 

「疲れた、な」

 

 私のなすべきことは、今日で全て終わった。そして。これからを生きる意味も、失ってしまった。

 なら。いっそのこと、ここでゆっくりと浄化を待つのもいいんじゃないか。

 そう思って、身も心も全て世界に委ねようとした――その時だった。

 遠くから、ざく、ざく、と、白い大地を踏みしめる音が聞こえてくる。

 

「たとえこの世界からいなくなったとしても、誰かが覚えていれば、そいつがこの世界に()()という証拠は残る」

 

 聞こえてくるのは、この数ヶ月で何度も聞いた少年の声だ。

 時には一緒に笑って、時にはお互いを傷付けあって。そして。背中を預けた、第二特戦隊の元副長の。

 

 踏みしめる音が近くで止まるのを感じて、リーナはゆっくりと目を開ける。入ってきたのは、レンの顔だった。

 目の冴えるあおいろに、幾度となく激情を灯してきた朱色の双眸と黒髪が映える。

 

「……なん、ですか?」

 

 自分でもびっくりするぐらい小さな声だった。

 何とか聞き取ったらしい、レンは真剣な表情で言葉を紡ぐ。

 

「王家の使命は果たされた。だから、リーナ。おまえが戦う理由も、これからを生きる理由も意味も、なにもないのかもしれない」 

 

 唯一生きる意味だった使命は、完全に果たされてしまった。だから、リーナにはもう、この世界を生きる理由も意味もない。

 

「けれど」

 

 強い意志を感じさせる声で、レンはそれを告げた。

 

「たとえ、いたという証拠が残るとしても。それでも、おれは――おれ()()は、リーナに生きていて欲しいんだ」

 

 朱色の双眸が、リーナの瞳を真正面から見つめてくる。

 

「生きる意味がなくても。理由なんてなくてもいい。ただ、おれたちのために、生きていて欲しいんだ」

「……それは、あなたたちの勝手な願いでしょう」

「ああ。それも分かってる。……だから、無理強いはしない」

 

 そう言うと、レンは左手を差し伸べてくる。

 

「それでも。おれは、リーナと一緒に生きていたいんだ。これからも、この先も」

 

 差し出された手を、リーナはじっと見つめる。

 

 ……私には、ここにいる価値がないのだと思っていた。

 

 私がいたから、お姉ちゃんは無理な作戦を押し付けられて死んだのだと。

 私がいたから、レンは心に傷を負ったまま戦場に引きずり出されたのだと。

 私がいたから、レイチェルが死んでしまったのだと。

 だから。王家の使命を果たすことが、その贖罪(しょくざい)になるのだと、思っていた。

 

 そして。使命を果たした私には、存在する価値なんてないんだと思っていた。

 けれど。どうやら、違ったらしい。

 

「え? あぁ、まぁ、一応、()()生きてはいるけど」

 

 手を差し伸べた体勢のまま、なんとも言えない表情でレンが通信機に喋りかけている。

 話している様子から見るに、どうやらイヴもフリットも無事らしい。

 彼の背後に見えた二人が、リーナを確認するや手を振ってくるのが見えた。

 その様子を、リーナしばし呆けたように見守って。ふ、と不意に自然な笑みがこぼれ落ちる。 

 

「……わかりました」

 

 レンの視線が、こちらに振り向けられる。不安と期待が混ざりあった、きれいなあかいろの瞳で。

 そんなレンの手を取って、立ち上がる。

 呆けたように見つめてくるレンの手を両手で握りしめて、リーナは心からの笑顔で告げた。

 

 

「私は――、私も、()()にいます。あなたたちと、一緒に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにて完結です。続きは、例のごとく気が向いたらです。
お気に入り登録をして、気長に待ってもらえたら幸いです。
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