気がつくと、リーナは真っ白な世界の中にいた。
前後も左右も、上下も何もない。現実感がなくて、どことなく浮遊感を感じる純白の世界で。リーナは、
「ごめんね。リーナちゃん」
「お姉ちゃん、二人にはとても酷いことをしちゃった。君たちに、ボク自身の勝手な想いを――ううん。呪いを、残してしまった」
本当は、生きて帰らなければならなかったのに。一年前のあの時に、エルゼが使命を果たさなければならなかったのに。
けれど。その、どちらもエルゼは果たせなかった。レンと
そんなお姉ちゃんの独白を、リーナはどこか夢見心地で聞いていた。
一年前のあの日、たった一枚の紙切れでリーナの前から去って、そして二度と帰ってこなかったお姉ちゃんが。今、ここにいる。
立ち尽くすリーナに、お姉ちゃんが近寄ってくる。さっと腕を背中に回すと、お姉ちゃんは私を思い切り抱き締めてきた。
「っ……!?」
「……ごめんね。リーナちゃん」
深く、深く慈愛と後悔のこもった声で。エルゼは呟く。
「お姉ちゃん、必ず帰るって約束したのに。帰れなくて。本当に、ごめんね」
――大丈夫。お姉ちゃんは、絶対にあなたのもとに帰るから。
徴兵通知が届いたあの日、お姉ちゃんは今みたいにリーナを抱き締めてそう言った。
そう、約束したのに。お姉ちゃんは帰ってこなかった。
なのに。今、お姉ちゃんはここにいる。あの時と同じように、リーナを抱き締めてくれている。
「…………ぅ……あぁ……!?」
それを思った途端。リーナの瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。
ずっと堪えてきた、心の奥底に閉じ込めていた喪失感と絶望感が、とめどなく流れ落ちていく。もう、自分では止められない。
ずっと辛かった、ずっと苦しかった。ずっと寂しくて、哀しかった。お姉ちゃんがもういないことが、お姉ちゃんにもう会えないことが。そんな現実を、ずっと認めたくなかった。
嗚咽を漏らして泣きじゃくるリーナを抱き締めながら、エルゼは何度もごめんね、ごめんね、と涙声で繰り返し耳元で呟いてくる。
閉じ込めていた絶望と孤独が、段々と溶けていく。哀しい気持ちは次第に消えて、幸福感だけがリーナの心には積もっていく。
泣いて、
「お姉ちゃんも、一緒に帰れるよね?」
〈
もう、二人を平穏から引きずり出すようなものはない。
歓喜と期待に目を輝かせるリーナとは対照的に、エルゼは暗い瞳でリーナから目を逸らす。
「……それは、できないんだ」
「え……?」
きょとんとするリーナに、エルゼは心底申し訳なさそうに、苦しげに言葉を紡ぐ。
「一年前に、ボクは〈
「で、でもっ……!?」
怯えるような瞳で、リーナはお姉ちゃんの顔を見上げる。
お姉ちゃんは、確かにリーナの前に存在しているのに。こうして見て、触って、話しているのに。
なのに。お姉ちゃんが、もういない……?
「ボクという存在は、〈
そう言うと。お姉ちゃんは抱擁を解いて、一歩、二歩と後ずさっていく。笑みを顔に留めたまま、お姉ちゃんは言う。
「最後に、こうして二人に会えてよかった」
待って。いかないで。
「私を、また一人にしないでよ!?」
悲壮な声で、リーナは叫ぶ。
やっと会えたのに。ようやく、再会できたのに。なのに。なんで!?
全力で走っているのに、追いかけているのに、ゆっくりと後ずさるお姉ちゃんに追いつけない。それどころか、どんどんと離されていく。
ゆっくりと、けれど確実にお姉ちゃんとの距離は開いていく。
「大丈夫。あなたはもう、一人じゃない」
脳裏によぎるのは、フリットにイヴに、もういなくなってしまったレイチェルに。――そして、レンの顔だ。
違う。そうかもしれないけれど。
それでも、私は、お姉ちゃんと一緒にいたい。
お姉ちゃんの姿と声が遠くなる。
「リーナちゃんが――きみたちがボクのことを覚えてくれている限り、ボクがこの世界にいたという証拠は残る。……だから。ボクは、これからもきみたちの傍にいるよ」
いやだ。いやだいやだいやだ!
そう思っているのに、声が出ない。意識はどんどん曖昧になっていって、思っていたことすらも白く染まって消えていく。
意識が消える、その直前。リーナは、
「……ばいばい、リーナちゃん。ボクは、ずっときみの幸せを祈っているよ」
†
目が覚めると、そこは一面に広がる蒼穹だった。
青く、
久しぶりに見た気がする、清らかなあおいろの。
視界の端には、純白に煌めく浄化の大地があって。どうやら、意識を失っている間に浄化された
耳に届くのは、風と飛行機の音だけで。静かな空気は、戦闘が終わったことを告げている。視界にも、〈ティターン〉の姿が入ってくる気配はない。
通信機は被弾で使い物にならなくなっていて、誰の声も聞こえてはこなかった。
――全部、終わった。
真っ青な
そう。全部、終わったのだ。
これで、五年にも渡る
王家の使命は、完璧に果たされたのだ。
……けれど。
果たすべき使命を終えた私は。なんで、ここにいるんだろう。
お姉ちゃんはもう、この世界には存在しない。最愛の、そして唯一の肉親は、今度こそいなくなってしまった。
私が必要とする人も、私を必要とする人も、いなくなってしまった。
心地の良い風を頬に受けながら、リーナは目を閉じる。
「疲れた、な」
私のなすべきことは、今日で全て終わった。そして。これからを生きる意味も、失ってしまった。
なら。いっそのこと、ここでゆっくりと浄化を待つのもいいんじゃないか。
そう思って、身も心も全て世界に委ねようとした――その時だった。
遠くから、ざく、ざく、と、白い大地を踏みしめる音が聞こえてくる。
「たとえこの世界からいなくなったとしても、誰かが覚えていれば、そいつがこの世界に
聞こえてくるのは、この数ヶ月で何度も聞いた少年の声だ。
時には一緒に笑って、時にはお互いを傷付けあって。そして。背中を預けた、第二特戦隊の元副長の。
踏みしめる音が近くで止まるのを感じて、リーナはゆっくりと目を開ける。入ってきたのは、レンの顔だった。
目の冴えるあおいろに、幾度となく激情を灯してきた朱色の双眸と黒髪が映える。
「……なん、ですか?」
自分でもびっくりするぐらい小さな声だった。
何とか聞き取ったらしい、レンは真剣な表情で言葉を紡ぐ。
「王家の使命は果たされた。だから、リーナ。おまえが戦う理由も、これからを生きる理由も意味も、なにもないのかもしれない」
唯一生きる意味だった使命は、完全に果たされてしまった。だから、リーナにはもう、この世界を生きる理由も意味もない。
「けれど」
強い意志を感じさせる声で、レンはそれを告げた。
「たとえ、いたという証拠が残るとしても。それでも、おれは――おれ
朱色の双眸が、リーナの瞳を真正面から見つめてくる。
「生きる意味がなくても。理由なんてなくてもいい。ただ、おれたちのために、生きていて欲しいんだ」
「……それは、あなたたちの勝手な願いでしょう」
「ああ。それも分かってる。……だから、無理強いはしない」
そう言うと、レンは左手を差し伸べてくる。
「それでも。おれは、リーナと一緒に生きていたいんだ。これからも、この先も」
差し出された手を、リーナはじっと見つめる。
……私には、ここにいる価値がないのだと思っていた。
私がいたから、お姉ちゃんは無理な作戦を押し付けられて死んだのだと。
私がいたから、レンは心に傷を負ったまま戦場に引きずり出されたのだと。
私がいたから、レイチェルが死んでしまったのだと。
だから。王家の使命を果たすことが、その
そして。使命を果たした私には、存在する価値なんてないんだと思っていた。
けれど。どうやら、違ったらしい。
「え? あぁ、まぁ、一応、
手を差し伸べた体勢のまま、なんとも言えない表情でレンが通信機に喋りかけている。
話している様子から見るに、どうやらイヴもフリットも無事らしい。
彼の背後に見えた二人が、リーナを確認するや手を振ってくるのが見えた。
その様子を、リーナしばし呆けたように見守って。ふ、と不意に自然な笑みがこぼれ落ちる。
「……わかりました」
レンの視線が、こちらに振り向けられる。不安と期待が混ざりあった、きれいなあかいろの瞳で。
そんなレンの手を取って、立ち上がる。
呆けたように見つめてくるレンの手を両手で握りしめて、リーナは心からの笑顔で告げた。
「私は――、私も、
これにて完結です。続きは、例のごとく気が向いたらです。
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