約束通りに昨日と同じ時間にギルド内の円卓の椅子に座っていると、少し遅れて獣男がやってきた。
何やら落ち着かない様子で、廊下の端の方からこちらに向かって手招きをしているのが見える。
何故か私のいる円卓まではやってこないで、遠くでこちらを手招きしているのが見えたのが少し遅れた辺りの時間だから、もしかしたら時間ちょうどからずっと手招きをしていたのかもしれない。
私が獣男の元に行くと、彼は息をひそめてこう言った。
「あれが、お前に頼みたいことだ」
彼の指が指し示す先には、半開きになったドアがある。
そっとのぞき込むと、その先には、ベッドに座る半裸の男女が二人いた。
***
「なにこれ」
「見ての通り、逢瀬だ」
「逢瀬って言われても、そんなのどうにかしろったってどうしようもないでしょ。本人たちに好きにやらせなよ」
「そういうわけにもいかないからお前に頼み込んでんだ。なあ嬢ちゃん。どうにかしてあいつらの仲をひきさいてくれねェか?」
獣男の手招きに従い彼の自室に戻ったが、そこはなぜか、あまりにも重すぎる空気が垂れ込んでいた。
「……お前、探偵事務所っつーのを開きたかったんだろ? そんで俺らがお前の身分を証明すれば開けるんなら、今すぐにでも商業申請出してきてやるから。頼むから俺の願いを聞いてくれねえか」
「まあ、夕飯の恩があるから聞くには聞くけど、一体なにがあったの?」
「話せば長くなるんだが、」
男がため息をつく。
今度のため息は、彼の自室の重い空気の一部となって消えていった。
「アイツ――グラスは故郷に女がいるんだ」
あー、なるほど。要するに浮気か?
「うん、それで?」
「ああ、そんでその故郷の女ってのが、どうも最近この城塞都市リンネに来ているらしくてな」
「……うん?」
「まあ、なんつーか、手短にまとめんなら、あの女がアイツの故郷にいる女なんだよ」
「は?」
わけがわからない。
それのどこがいけないことで、なんで私はアイツらの仲を引き裂かなければいけないのだろうか。
「この事を知らないのは俺以外の他のギルドメンバーと、グラスとあの女二人だけなんだ」
「じゃあなに、あの人は、自分の好きな女の人の顔すら覚えてなかったってこと?」
「そうなるな。それ以上に、二人とも自分の恋人を覚えてねえんだ」
「……でもどうしてあの二人を別れさせるのが私なの? 自分でやればいいのに」
「あー、それは。……俺とグラスは同郷で、つまりあの女も俺らと同郷なんだよ」
何かもじもじした様子の獣の男を見て、私は全てを察した。
つまりこれは何かというと、『お互いにお互いの素性を知らないまま、浮気をしていると思い込んでいる二人の仲を引き裂いて、何もなかったことにしてほしい』というお願いだ。
全くわけがわからない。話を聞いてなお、ちっとも納得できない。
そもそもなんでそんな話になったのか見当もつかない。心の声を聴けるこの力だって、死者との対話以外では制御できるわけではない。
つまり、この件は、私にはどうすることもできないという事だ。
魔導探偵事務所を開くなんて言ったはいいが、開く前の下働きの時点で心が折れそうだ。
少なくとも、私がこの力を完璧に制御できていれば話は変わってくるのだろうが。
「わかった。じゃあ私、冒険者ギルドに依頼申請してくる」
「え、ちょ、待って待ってくれ――」
慌てる男の声が、耳の奥の方で痛々しく鳴った。
***
「……なあ、お願いだよ。これをどうにかしてくれさえすればお前の探偵? の仕事を始める手助けをしてやるから。なああ頼むよ。頼むって」
一体この獣男はいくつなのだろうか。
見た目や声の年齢で言えば40代程度に見えなくもないし、ずっとその年齢だと思っていたのだが、こうして話してみるとそれより一回りも二回りも幼く見えてしまう。
「こういう複雑な事情をどうにかするのに私みたいな部外者が一番適してるのはわかるけど、こんなの私にはどうもできないよ。別にやってもいいけど、衣食住だけ永遠に提供され続けることになりそう」
「それでも――いや、それは流石にまずいな。まあとにかく俺は、あいつらが現実に気付く前にどうにか事をなかったことにしてェんだ。そのためにはお前が必要だし、策だって練ってある」
聞き捨てならない言葉が聞こえた。
「今、策だって練ってある、って言った?」
「あ? ああ、策の一つは二つくらい練ってからじゃないと頼めねェだろ?」
以外にも、道理はわきまえているようだった。
といっても、私がこれを生業にするのならそんなこと言ってられる状況ではなくなるのだが。
「それなら話が早いね。一回聞かせてもらってもいい?」
「ああ、いいぜ。簡単に言うと話はこうだ――」
――要約すると、私に男の方を寝取らせて、傷心中の女の方に獣男が付け込む形で故郷に返すって作戦だった。
はっきり言おう。却下だ。
「あり得ない。そもそもその話の中だと私の貞操が犠牲になってるじゃないか」
「は? お前貞操なんか守るタイプなのか? 食うためには仕事を選ばねえタイプだと思ってたんだが」
「なわけないでしょ。じゃなかったらネコちゃん探してないから」
「……はぁ。じゃあ他にどうすればいいってんだよ? 何か策はあんのか?」
と言われても、頭を抱えている現状は変わらない。
私にはそのグラスって男がどんな人間なのかもわからなければ、相手の女が本当にグラスに気付いていないのかもわかっていない。
情報が足らな過ぎるのだ。今の状況では。
おそらく、この現状を打破できる策といえば、一つだけだ。
だがそれも、運次第で途方もない時間がかかってしまう諸刃の剣。
それでも、やってみる価値はあるだろうか。
「……ないこともない、かも」
どれだけの間考えていたのかわからない。
自分の口から出てきた言葉は、自分でも驚くような物だった。
「ほう、聞かせてくれ」
「いや、内容まではまだ言えない。でも、もし成功したら絶対に教えるって約束するから、三日間だけ時間を貰える?」
「……その三日間、俺はお前の衣食住をどうにかすればいいんだな?」
「そう。それでも無理なら、さっきあなたが言っていた、私がそのグラスって男を寝取る策を実行する」
「お前、本気か?」
「……今のところは」
正直、三日後まで寝とる気で入れるかは微妙なところだが、少なくとも今のところは本気だ。
嘘はついていない。
「今のところは、な。まあいいぜ、成功しようがしなかろうが、俺はダチをどうにか傷つけたくねえだけだからな」
「なら決まりだね。もし成功したら、私のために身元の証明をしてくれるって、約束だからね」
「ああ、約束だ。必ずお前に手を貸そう」
――そうして、私の両片想い勘違い不倫引き裂き作戦が始まった。
猶予まで、あと三日。