夕飯はウェネツィアの郷土料理で、アールヴの眼の前に置かれたのは魚介が大量の油で煮込まれたものだ。油はただのソレではなく、オリーヴと呼ばれる木の実から抽出したもので、見た目ほどしつこくはなく、むしろ素材の味を引き立たせてくれる。そのオリーヴの油にニンニクと呼ばれる滋養に効く野菜、サンタカと呼ばれる辛みを持つ野菜、それにローズマリーを主とする香草達を入れ、加熱することによって油が香りが立ち、それが具材を包んでいる。
「おいしい」
例によって、食事中のアールヴの頭の回転は鈍くなっている。にっこにこの笑顔でタコやら、白身魚の切り身やら、あとはマシュルームと呼ばれる出汁が良く出るキノコなどを次々と口に含む。
「おいしい」
美味しいと言うだけの機械と化した彼女は、今まさに食事という幸せの渦中にいる。そして、付け合わせにテーブルに置かれているのは、固く焼き上げられた麺麭。小麦を粉状にしてから、酵母とよばれるものを使い発酵させたものを、石窯で焼き上げたものだ。特にウェネティア周辺では固く焼き上げられたものが好まれる。
「しみて、美味しい」
その理由は、この魚介油鍋のスパイスの効いた油を吸わせて、美味しく頂くため。その味はアールヴを満足させるものだ。出汁というのは油にも移る。この油があれば、それ単体でも麺麭数個をペロリと平らげしまうことだろう。
■
翌日の昼頃、アールヴの姿は修道院の一室にあった。質素でありながらよく掃除がされていて、埃なども見えない。陽の光もほどよく差し込まれていて、病人の養生には最適な部屋だ。
「お薬が無事に効いたようで、なによりです」
目の前にいるヴィーの弟子、フノッサへと笑顔を向けるアールヴ。そのさなか、彼女はフノッサの体を金色の瞳で観察する。話によると青白い顔で浮腫みが酷かったという。だが、…なるほど、確かに顔は赤みを帯びで健康そうだ。浮腫みもない。ただ、病の傷は癒え切ってはいないのだろう。腕、首筋、頬といった露わになっている体の部分はずいぶんと痩せこけている。
「お言葉、ありがとうございます。聖アールヴ様。エリキュナ様、リベルティナ様より伺っております。薬をお届けいただいたと」
頷くアールヴ。その時に、銀の髪がさらりと揺れる。思わずとフノッサの視線は、その美しい髪へと流れている。この世で希少な純潔のエルフの姿は、誰しもが見惚れてしまうほどの美しさを誇っている。
「どうかされました?」
「…あ、いいえ!?なんでもありません!?」
不思議そうに金色の瞳で見つめられたフノッサは、思わず視線を外していた。気持ち、頬も赤みを増したようだ。どうやら、健康ではあるようだとアールヴは思う。これならば、彼女の体に自らの魔法を使うことは無いだろう。
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「聖アールヴ様は如何でしたか?フノッサ」
アールヴが去った部屋で、リベルティナは優しい微笑をフノッサに向けていた。その手には柔らかく炊かれた麦が携えてあり、滋養にもよい『シノニム』と呼ばれる貝がふんだんに使われている。フノッサの好物でもある。
「お美しく、お優しい方でした。あの、リベルティナ様」
「なんですか?」
「本当に、聖アールヴ様はエルフなのですか?」
「そうですよ。現在の世界で、彼女が唯一といっていい、純潔のエルフです」
フノッサは麦を柔らかく炊いたもの、リゾットを受け取ると、早速口に運ぶ。やせ細った体に染み入るように、うま味と栄養が胃に落ち、彼女の顔に微笑みが灯る。
「純
「ええ、純
「…その、なぜ純
確かに理屈から言うと可笑しい。この世で最も美しく、最も強く、最も寿命が長いはずの彼女らが、なぜ数を減らし、アールヴぐらいしかその姿を人々の前に見せないのか。
「そうですね、フノッサにならお伝えしても良いでしょう」
佇まいを直すリベルティナ。食べながらで良いとフノッサに伝えてから、彼女はエルフの真実を話し始めた。
「彼女たちエルフは、ヴィー様の言う通り、最も強く、そして美しく」
一息を置いて、リベルティナは静かに告げる。
「そして…寿命が『
その言葉を聞いたフノッサは思わず食べる手を止めて、リベルティナの目を見つめてしまっていた。今だ湯気が立つ粥からは、シノニムの良い香りが立ち昇っている。
「寿命が…無い?」
頷くリベルティナ。そして、再び食事を進めるように促して、言葉を続ける。
「言葉の通り、彼女たちエルフは悠久を生きるのです。それは、神をも超えると言われています。故に、ヴィー様やユング様といった神族様からも、敬われ、敬愛されているのです」
「そう、なのですか」
驚きに、食が止まりながらもフノッサは頷いていた。だが、となると余計に疑問だ。
「ではなぜ、その、寿命がないはずの彼女たちは、その数を減らしたのでしょうか」
「それは、彼女たちの種族の宿命です」
「宿命、ですか」
思わず眉間にしわが寄ったフノッサ。勘違いではなく、悪い想像をしているのかもしれない。再び頷くリベルティナの顔に、少々困ったような笑顔が浮かぶ。
「ただ、その宿命はフノッサが思うほど過酷なものではありませんよ」
「そうなのですか?」
「ええ、彼女たちの宿命。それは、幸せなものですから」
幸せ…?とフノッサが首を傾げた。幸せな宿命とはいったい、どういうことなのだろう?
「そうですね…不思議に思ったことはありませんか?彼女たちの使うと言われる万能の魔法。私たちの使う魔術とは違い、思った通りの現象を引き起こす物」
「確かに、不思議ですよね。伝説では、様々な病を治す、とか。様々な疫病を消し去る、とか。他にも、豊穣をもたらしたとか、
フノッサの言葉に、三度、リベルティナが頷きを見せた。今度は、優しそうに微笑みながら。
「それが、彼女たちの種族の宿命です」
「…?」
「子孫繁栄ですよ」
子孫繁栄…と、小さくつぶやいたフノッサ。彼女の頭の中ではまだ、話が繋がらない。強大な万能の力、魔法。どの種族よりも長い寿命。そして、どの種族よりも美しい美貌。これらから導き出される答えは。
「エルフたちは、彼女たちの『愛した』人々と添い遂げる…そう決心した時に、その強大な魔法を使って、その種族に自分の身を変化させるのです。容姿、文化、そして寿命でさえも。愛した種族と同じ時間を生き、そして、同じ時間で死ぬ。そして死んだ体は、この世界を巡り、世界の礎となす。これが、エルフという種族なのです」
フノッサは言葉を失った。エルフという名の種族とは、つまり。
「つまりエルフとは、愛の種族に他なりません。愛ゆえに、選んだ種族が子々孫々まで繁栄し続けるようにその魔力と寿命を使い、発展を手助けする。今、この世界に残っている種族たちは、そのエルフの祝福を受けた種族なのです」
リベルティナは自らの胸に手を置いて、そう満足げに告げた。彼女が、最初にアールヴと会った時、微笑を浮かべた理由はただ一つ。『昔の己の姿』を見たからだ。
彼女はオンディーナへと愛を預けたエルフ。愛した精霊族の夫は既にこの世から去ってしまったが、その純潔をささげたとき、オンディーナという種族はエルフの愛を得ることが出来て、今のような発展を遂げたのだ。
「…それであれば、アールヴ様はなぜ、エルフのままで旅をなさっているのでしょうか?」
「それは彼女だけが知ることです。しかし、エルフの存在を知るものからは、その寿命で世界を見続ける彼女のことを、敬愛と畏怖の念を込めて、こう呼ばれています」
彼女は目をつむり、少しの沈黙の後、フノッサへとこう、言葉を告げた。
「独り歩きのエルフ、と」
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応接室では再び、リベルティナがアールヴのためにカフアを淹れていた。牛のミルクを蒸気で温め、まろやかな蜂蜜をいれたそれは、昨日のカフア・ラテを洗練したものだ。どうやらアールヴは気に入ったようで、あっという間に一杯を飲み干している。
「再度お礼を申し上げます。本当に、ありがとうございました。聖アールヴ様」
改めて頭を下げたリベルティナに、アールヴは首を横に振って答える。
「いいえ。私は薬を届けただけですから」
既に2杯目のカフアの半分を口に含み、楽しんでいるアールヴ。その顔はどこか安心しているよう。
「聖アールヴ様。不躾ながら一つ、ご質問をよろしいでしょうか?」
「はい。どうぞ、なんなりと」
背筋を伸ばしたリベルティナに釣られるように、アールヴも背筋を伸ばし、金色の瞳を彼女に向ける。リベルティナは一つ咳ばらいをすると、重々しく口を開く。
「エルフがどのような存在なのか、私はよく存じております。ヴィー様からも話を聞き及んでおります」
「そうですか」
「そこでご質問なのです。なぜ、世界を旅しているのでしょう。貴女ほどのエルフであれば、その身を落ち着かせるなど造作もないことでしょう」
金色の瞳が少し揺れた。
「そうですね、その答えは…」
視線を落とし、顎に手を当てるようにしながら、アールヴは考える。確かに冷静に考えればそうであり、この国に居れば優雅に暮らせるであろう。それに加えて、伴侶を見つけさえすれば、この長い寿命に終止符を打てる。
エルフという種族は愛する者と添い遂げ、結ばれることがその寿命を決める。愛する物と時間を共にし、そして一緒に寿命でこの世界へと混じり、世界の円環という流れの中で永遠の命を得る。
それは、きっと幸せなのだろう。
エルフが希少なのは、幸せを見つけたエルフが多いということに他ならないのだから。
「私が愛する者が多いからでしょう。ユング、ヴィー、あなた方、それに、今日お会いした方々。世界は楽しく、そして愛おしい。何時までも、見ていたいと思うのです」
そう言いながらアールヴはカフア・ラテを飲み干した。
「左様でございましたか。それであれば…わたくしからの質問は、これ以上なにもありません」
「判りました。…さて、では私はそろそろお暇致しますね、カフア、美味しかった」
「それはようございました。聖アールヴ様。これからも貴女の旅が素晴らしく、そして良き旅になること、わたくしは心の底から、願っております」
「ありがとう」
アールヴはそう言って、椅子から立ち上がる。銀の髪がさらりと流れ、金色の瞳がリベルティナへと別れの挨拶を告げていた。
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ウェネティアを後にし、軽いトランクを抱えながら街道をアールヴは歩く。目的地は特に決まっていないが、せっかく近くまで来たのだからと、首都へとその足を向けている。
「久しぶりですね」
確か首都には、彼女の口によく合う定食屋があったはずだと思い出しながら。金額も安い上に、全てが上質で美味なのだ。ただ、以前に訪れたのはつい100年ほど前。彼女にとっては一夜の事に感じるのだが、他の種族にとっては長い時間だ。
「どんなものが食べれるのでしょう」
彼女は心躍らせながら、足取り軽く街道を往く。世界は広い。きっと、彼女はこれから先も、悠久の旅を続けることだろう。
彼女の旅を覗くのは、ひとまず此処まで。
短い物語でありましたが、ご覧いただき、ありがとうございました。