添え物である苺をコロコロと口の中で転がしながら、アールヴは満足げに鼻から息を吐いた。曼の丼は見事に米ひとつに至るまで平らげられ、吸い物も一滴たりとも残っていない。見る人が見れば、美しく食べたものだと褒め称えるものであろう。
「美味しかった。ご馳走様です」
苺の酸味を楽しんだ彼女は、目の前で手を合わせてそう呟いた。これは、エルフの古代から伝わる…などと言われている作法である。命を『頂き』、作り手に『感謝』すると伝えられるこの作法は、この国では常識的な作法だ。…本来は食べる時とセットの儀式なのだが、まぁ、彼女の場合は雰囲気でやったりやらなかったり。何せ彼女はエルフである。彼女が作法なので特に問題は無い。
「お下げいたしますね。新しい緑茶にございます」
「ありがとう」
間髪入れずに店員が食べ終わった食器を下げ、新たなカップをアールヴの前に静かに置いた。頭を下げて感謝を伝えるアールヴの所作は、洗練されたものであって、わずかな所作であるものの店員の時間を盗むには十分な物である。
「…どうかされました?」
「あ。いいえ!ごゆるりとお過ごしくださいませ」
見惚れ、固まった店員に彼女はそう声をかけると、店員は焦ったように頭を下げて店の奥に引っ込んでいく。はて、とアールヴは首を傾げながらも、緑茶と呼ばれた飲み物を口に含んだ。
「うん。いいですね」
想像通り、熱めの飲み物がイールの油を口内から追い出してくれた。それに、爽やかな後味が、気分を爽やかにしてくれる。
■
「ありがとうございました。また、お越しくださいませ」
店員に見送られながら、再び街中に向けて足をふらりと動かす。腹が満たされた彼女はどこか、楽しそうに口角を上げる。
「さて、どうしようかな」
今日も一日散策するか、それとも、宿に戻ってだらだらと本でも読むか、それとも、郊外に出て少し体を動かそうか。どれもきっと素晴らしいし、どれもきっと平凡だし、どれもきっと、彼女にとっては慣れたものだ。
彼女はエルフ。寿命は神と同等か、それ以上とも言われている…というのが、人々の中での通説だ。中には、恐れ多くも、神がエルフに教えを乞うた、なんていう伝説もあるのだが…、まぁ、それはいくらなんでも眉唾ものだろう。
「あ、そうです。せっかくこの町に来たのですから、久しぶりに、顔を出しましょうか」
カツン、と脚を止めたアールヴは、少しばかり思案する表情を見せながら視線を動かした。その視線の先には、王城の次に高くそびえたつ建物が見える。
「大聖堂へ」
足取り軽く、街の道を往く。ゆらりゆらりと白髪が揺れて、金色の目が人々を写す。ただただ楽しそうに、世の中を照らす。
■
大聖堂はこの町で2番目に高い建物だ。神と呼ばれる存在に近付くために…などという建前は兎も角として、民衆を束ねるために必要な要素としての宗教の拠点としての役割が強い。
ここで祭られるのは多神教…なのだが、この宗教は少々特殊であり、明確な序列が存在する。一神教であれば絶対神がいるわけだが、ここではそうではない。多神教であれば、優劣はそこまでないのだが。
詳しい事は割愛するが、エルフと神が同列に祭られていると思えばいいだろう。
しかも、その序列と言えばアールヴが見れば毎度嫌な顔をするもので。
大聖堂の扉は常に開かれ、誰でも、いつでも、その庇護を受けることが出来る。王城には劣るが、数百人が入れるような大広間が扉を潜ると待ち構えており、その奥には、大きな彫像が置かれていた。
「何度来ても慣れません」
それは、エルフの始祖と呼ばれる『リョース』が真ん中に立ち、両側を雌雄の始祖神、『フレイ』『フレイヤ』が固めているという物だ。正直に言えば、アールヴの脳裏の片隅にその原因であろう出来事はある…かもしれないが、彼女自身は殆ど気にしていない。そもそも担がれるのが苦手な彼女は、そそくさと、大聖堂の隅っこに移動して、椅子に腰かけた。
「お久しぶりに存じ上げます。アールヴ様」
間髪入れずに、彼女の足元に跪く聖職者の格好をした人型が一柱。赤い髪を湛え、衣服の上からでも鍛え上げられた肉体が良く判る。
「顔を上げてください。ここは、大聖堂ですよ」
「いやしかし」
「上げなさい。そしてせめて、座りなさい」
ピシャリと投げられた言葉に、聖職者は渋々といった具合で立ち上がり、少し離れた椅子に腰を下ろした。のだが、アールヴはとんとんと、隣の椅子を軽く叩く。
「あ、いや、私めはそんな」
「いいですから」
もう一度、渋々と聖職者は立ち上がり、アールヴの隣へと、恐る恐る腰かけた。
「お久しぶりですね。フレージ」
「懐かしい名です。今は、ユングと」
「では、ユング。何か用ですか?」
「いいえ、久方ぶり…それこそ、百年ぶりにそのご尊顔を拝せましたので、ご挨拶をと」
アールヴは少し困惑する。そんなに顔を見せていなかったかと。確かに、世界中を旅していたから久しぶりだなと思っていたが、それほどだったかと頭を掻く。
「何か、申し訳ありません。それほど時間が経っていたとは」
「はは。アールヴ様であれば致し方ない事。人の一生などは、一晩の眠りにも等しい事はよく存じ上げております」
カラカラと笑うユングに、アールヴも釣られて笑顔を浮かべていた。
「しかし、ユングもそうでしょう?」
「はは、幸い、私めは人々と日々出会い、交流をしておりますから。楽しい一日一日を過ごさせておりますよ」
穏やかな笑顔で笑い続けるユングを、彼女はほほえましく思い、それが素直に言葉に出た。
「それはうらやましい」
その言葉に、ユングは少しばかり悪戯めいた言葉が思い浮かぶ。
「アールヴ様など、表に出れば私め以上に交流を行えるでしょうに」
エルフというだけでも希少、その上に、実は…となれば間違いなく崇め奉られる存在になれるのだから。と視線に想いを乗せて見つめ見たのだが、アールヴからは想定通りの言葉が返ってくる。
「それは御免こうむります」
「そう仰られるとおもっておりましたよ。今しばらくは我らが表に立ちましょう」
「よしなに」
ふふ、と2人は笑う。
大聖堂には、エルフと、神々を称え、崇め奉る人々の足が絶えることは無い。
■
大聖堂へと祈りを続ける人々の列を横目に見ながら、アールヴとユングはぽつぽつと雑談を続けている。やれどの国はエルフの扱いがこうだ、とか、神の扱いがこうだ、とか、飯が不味い、旨い、風光明媚な場所があるなどなどだ。特にアールヴは同じ町を何度も訪れたりしているため、ユングにとっては良い情報ばかりである。
ただ、その情報が50年前、だとか10年前、だとか、安定しないのが玉に瑕であろうか。
「旅のお話は聞いていて飽きませんね。…そういえば、アールヴ様はどのようなご用件でこちらに?」
「特に用事はありません。近くを通ったので、立ち寄っただけです」
「はは、左様でしたか」
なるほど、アールヴ様らしいとユングは微笑みを浮かべながら、ならばと、一つのお願いを彼女に告げた。
「で、あれば、ヴィー…ディースの元へも顔を出してやってください。きっと、喜びますから」
「ディースですか。判りました。今、彼女は何処に?」
「隣町で孤児院の経営をしております」
孤児院の、とアールヴは頷く。確かに、愛に溢れる彼女であれば、孤児院の一つや二つの経営など簡単な事だろう。きっと、大聖堂で聖職者などをやるよりも、適している事だろう。
「彼女らしいですね」
「ええ。とても。ああ、アールヴ様。くれぐれも、お名前を間違わないようにお願い致します」
「承知しています。ヴィー、ですね」
「はい。その通りです」
頷くユングに、微笑で答えるアールヴ。そして、彼女は椅子から立ち上がると、ユングの前を通り過ぎていく。
「では、私はそろそろ隣町へ。子供たちの好物は何かありますか?」
「そうですね、米のお握りが」
「左様ですか。ヴィーと同じですね。では、それを持って訪ねてみます」
「よろしくお願いいたします。…ああ、お握りはイールの丼を出す店の物がお気に入りですよ」
アールヴはユングの右肩を軽く叩いてから、大聖堂の開け放たれている扉を潜る。すると、その背中にはミサが始まったのか、荘厳な音楽は響き始めていた。
「さて…じゃあ、さっきのイールのお店に行こう」
その音楽をBGMに、アールヴの歩みは先ほど食事を獲った店に向いていた。エルフの仮装の女性が多数いる街中へと消えていく彼女の背中を、ユングは大聖堂の窓から静かに見送る。