それは、誰よりも。
徒歩で隣町に向かうとなれば、それは、1週間程度の行程となる。街を出てからは街道が整備されているが、その道のりは単純でありながらも険しいものがる。
「リョース金貨7枚で、この街の冒険者を付けることが出来るはずですよ」
「7枚、ですか」
おにぎりを受け取りながら、アールヴは悩むそぶりを見せた。金貨7枚。それは、彼女にとってもやはり大金である。旅をしながら稼いだ銭こそあれど、節約するところは節約したいというのが彼女の本音だ。
故に、彼女は冒険者を雇わないという決断を下す。
「お握り、ありがとうございます」
「いいえ。…それで、よろしければ一度、冒険者組合を訪れてみてくださいね。お客さん可愛いから野盗に狙われちゃいますよ」
「そうですか、それは少し恐ろしいです。警告ありがとうございます」
頭を下げたアールヴ。その肩にさらりと銀髪が流れる。そして、受け取った紙袋を大切そうに抱えて街中へとその身を滑らせていく。
紹介されていた冒険者組合は素通りしながら、街の外れへ。掘っ立て小屋のような宿にたどり着けば。
「お帰りなさい!今日は早いねぇ!」
元気のよい女将さんの声が響いてきた。普段であれば夕闇が迫るころに帰ってくるエルフの仮装の少女が、急に日の高い内に戻ってきたのだから驚かないわけがない。
「ただいま。実は、今日でこの町から発とうかと」
「あら、あらら!?急だね!?」
「ええ。申し訳ありません。もう少し滞在する予定だったのですが、どうしても会いたい人が隣町にいるもので」
「あらー!それは仕方ないね!じゃあ…荷物纏めている間に、預かってたお金準備するからね!」
「ありがとうございます」
そうは言っても、アールヴの私物は恐ろしいほどに少ない。
「荷物といってもね」
一つは時止めのトランク。これは、入れた物の時間を止めて保管できる物だ。お握りもこれにいれて運ぶつもりで、ほっかほかのお握りを食べてもらおうという彼女の気遣いである。大きさは50センチ×40センチの長方形。厚みは15センチ程度という大柄なものだ。
そして、もう一つは歯磨きセット。錫のカップ、世界樹とフェニックスの羽で作られたエルフの歯磨き、そして、薬草をペースト状にした歯磨き軟膏。それに加えて、ユニコーンの鬣で作られたフロス。彼女の歯が虫歯の一本もないのは種族柄の強みもあるが、この歯磨きセットの活躍も大きいところだ。
最後に、オリハルコンの双剣。不可視の魔法がかけられたそれは、常に彼女の両腰に備え付けられている。彼女の魔力を通すことにより、ほとんどなんでも切れるナイフへと変貌するため彼女の攻撃手段の一つだ。
あとはエルフの装飾品が少々。とはいっても、各地で集めたなにがしかであるから、無くしても問題ないものだ。例えばイヤリングや、指輪といったものなのだが…、この一つ一つに数百年の歴史があり、ただの装飾品というには人々の基準でいえばあり得ないものなのだが彼女自身、考えたこともない。
「さて、支度は終わりましたね。あとは、お金をもらいましょう」
もともと預けていたリョース金貨は10枚。数日滞在したわけだから、6枚程度は帰ってくるはずだと考えていた彼女の計算は正しかったのだが、それは予想を超えて彼女の元へと届けられる。
「
「多いのではありませんか?」
「なぁに。主人の虫歯を治してくれた
あははは!と笑う女将の後ろで、主人が小さく会釈をした。なるほど、そういうことかと納得をしたアールヴは、気恥ずかしそうに会釈をすると宿を後にする。
「ありがとうございます」
「いいっていいって!ウチもこれで箔がつくからねぇ!エルフの泊りし宿。あんたにゃ悪いけど、がっぽり稼がせてもらうよ!」
「ふふ。どうか、よい商売をなさってください。あ、それなら…女将様、何か書くものはございますか?」
「あるよ?何に使うんだい?」
ことりと、指輪を一つ女将の前に差し出し、なにがしかを紙にさらりと描く。
「こちらをお使いください。必要ならば、大聖堂のユングにこの紙をお見せください。後ろ盾になりましょう」
「へぇ!?あんた…あのユング様とお知り合いなのかい!?」
「ええ。まぁ」
少し気恥ずかしそうにするアールヴ。この行動は、ユングの『多数の人々と交流がありますからね』という言葉を思い出したからの行動だ。こうすれば、旅も少しは面白くなるかなという、気軽なモノ。ただ、人々にとってはその限りではないようで。
「有難く頂戴するよ、エルフ様!次、またこの街にきたときにゃあウチを利用してくんなよ!サービスするからさ!」
「ありがとうございます」
後々、この宿はこの都市随一の宿へと成長することとなる。エルフが泊まった宿というのは物珍しく、また、証拠品が残っている宿などは極々少数。それゆえに、子々孫々まで食えてしまうものなのだ。そして、後の世で好意に甘えたエルフの影が見え隠れするのであるが、それはまた別の話である。
■
大きなトランクを片手に、街を後にするアールヴ。ここからはゆっくりと歩きながら行くわけだから、一週間はかかる。寝食については考えていない。
「ほどよい野宿と、ほどよい野草で過ごしましょう」
彼女はこのトランクひとつで世界を旅する人だ。地面があれば寝るし、毒が無ければ何でも食べる。水については何も問題は無い。
「喉が少し乾きましたか」
す、と天に腕を掲げた彼女が力を籠めると、空中に小さな水の塊が現れる。ちょうど、彼女の口で丸呑みできるぐらいの大きさだ。それを口に含むと、ごくりと嚥下する。これは、彼女だけが使える魔法。周囲の水を集めて、毒を抜き、飲み水とするものだ。
「さてさて、では、参りましょう」
そういって息を吸い込み、街道へとその一歩を踏み出すアールヴ。昼過ぎの街道には人々が多く往きかい、活気がある。それを楽しむように、鼻歌交じりで一歩一歩街道を進む。その背には、何も憂いなく、後ろ髪を引かれるものも、何一つない。
■
街から2日歩いたころ、いくつかの分岐を超え、街道が細くなる。そのせいでやはりというか、人通りはまばらとなる。
「ふーん、ふーん、ふふーん」
小さく鼻歌を歌いながら歩みを止めない彼女の瞳には、深い森が映る。街道を囲うようにあるそれは、ヨルミの森と呼ばれるもので、凶暴な魔獣や動物こそ居ないがそれでも時折行方不明者が出てしまうという少々危険な場所である。伝説においては、知性高い熊、烏、狼が支配している森であり、その中枢にはこの森を守る鬼神が住まうという話だ。
本来は、この手前の街道の分岐を遠回りの方向に向かえば、この森を通ることは無い。だが、彼女は旅慣れたエルフであるからか、近道のこの危険な道を通っている。
「うん?」
アールヴは不意に、気配を感じる。振り向いてみたが、特に何もない。だか、彼女の脳裏には『野盗が出る』というイールの店の店員の言葉が過ぎっていた。
「問題はないでしょう」
とはいっても、それは彼女にとってはそよ風のようなもので、旅の障害になりはしない。150センチ程度の小柄な彼女を周りから見るものにとっては、そんなことは無い、危険だと指を差して忠告したくなるのだが、彼女はエルフだ。それが証拠に。
「なるほど、早速ですか」
ストン、と彼女の胸に矢が当たる。それが、音もなく地面に落下していた。2発、3発と矢が刺さろうとするがまた同じように、彼女には突き刺さらずに矢が地面に落下していた。
「私に対してこれでは、無駄な歩みなのですが」
アールヴはそう言いながら、歩みを止めない。すると、彼女の目の前に、例の野党が姿を現した。
「ほお、こりゃ別嬪だ。おいおい嬢ちゃん、こんなところを一人で歩いてちゃああぶねぇよ?」
「そうだそうだ。ほら、こっち来いよ。いい宿紹介するぜ?」
下賤。まさにそういった風貌の男たちが数名、彼女の行く先を防ぐように立ちはだかった、のだが。
「おいおい、聞こえてねぇのか?」
ギラつく剣、向けられる矢。それに対して無防備で歩くアールヴ。そして当然のように野盗は、彼女を止めようと剣を振るった。
「んだてめぇ!?下手にでてりゃあよお!痛い目みろや!」
だが、彼女の体には一切の傷はつくことがない。むしろ、振るった剣がポキリと折れた。そして、彼女の肩を掴んで止めようとした野党は、ズル、ズルと引きずられていく。
「くっそ、なんだコイツ!?」
「剣が折れた?おい、矢は!?」
「だめだ、弾かれる」
そして、ついに野盗たちは拳を握りこみ、直接彼女の顔をぶん殴る強行に出た。風を切り、筋骨隆々の肉体から繰り出されるそれは、普通の人々であればひとたまりもない、意識を刈り取るものだ。だが。
「少し痛いぞ嬢ちゃんよ!」
ペチ、となんとも力のない音を立てて、彼女のほほに拳がめり込もうとするのだが、まったくその気配すらない。
「邪魔ですよ」
逆に、アールヴがその頬に触れている拳を掴む。そして、それを無造作に振り払えば、一人の野盗の姿が掻き消え、森の奥で一つの轟音が鳴り響く。
「まずおひとつ」
エルフはこの世界で最も身体能力が高く、魔力も高い種族。そんな彼女に敵意を持って挑んだ彼らの行く末など、想像に容易い。
「え?」
あっけにとられた別の野盗の首は、天に向けて射出され。
「あ?」
それを見て何もできなかった弓使いの胸には、不可視の魔法の一撃か、大穴が開く。
「あとは貴方だけですね」
右手にトランクを持ったまま、左手に何かを握りこみ、その左手を水平に相手に向けた姿で相対するアールヴ。背筋が伸び、足元からてっぺんまで一本の芯が通った立ち姿は傍から見れば美しい武人のよう。
「な、なんだお前!?」
「知りませんか?」
「知るかよ!?くそ野郎がっ!」
捨て台詞を吐くと、踵を返して森へと逃げ込もうとする野盗。だが、彼女はそれをよしとはしなかった。
「逃げるなら野盗などするものではありませんよ」
スラリと、彼女の左手が下ろされ、彼女の姿もまた一瞬で掻き消える。次の瞬間には、逃げようとした野盗の目の前にその金色の眼があった。そしてようやくここで、野盗は彼女の正体を知ることとなる。
「な、その耳、その目、伝説の」
「正解です。では、さようなら」
そのまま左腕を下から上にと振りぬいた。不可視の剣は何の抵抗もなく野盗の体を切り離し、彼の意識はこの世から消え失せ、地獄へと落ちる。