太陽が地平線へと隠れる準備をなされたころ、アールヴは既に身支度を整えて、ヴィーは軽装で、孤児院の前で2人は相対していた。
「もうここを発たれるのですね。もう少しごゆるりとされていけばよろしいのに」
「目的は達しました。あなたの顔を見れましたからね」
「あら、わたくしとしてはアールヴ様と一夜を共にしたいですわよ?」
「誤解されるような言い方をするんじゃありませんよ、ヴィー」
くすくすと笑い合う2人の間には、不思議と親しい空気が漂う。そして、ヴィーは思う。また次に会うのはきっと、100年は後であろうと。それならば、我儘の一つも彼女に託しても良いのかもしれない。
「アールヴ様」
背筋を伸ばし、アールヴを見下ろすヴィー。それは、妹に何かを語り掛ける姉のよう。
「なんでしょう?」
声に答えるように視線を上げたアールヴの姿は、まるで妹のよう。
「ここからしばらく、王都のほうに進んだ先に水の都があるのは、御存じですわね?」
「ええ、もちろんです。あの、風光明媚な都市ですよね。見事な出来栄えのゴンドラと、美しい水先案内人が思い出されます」
笑顔でそう語るアールヴであるが、その記憶は100年も前の事。今もその風光明媚な姿が残っているかは定かではない。
「美しい水先案内人…というのは少々疑問が残りますが、その場所ですわね」
ヴィーの記憶の中の都市とは少し違うアールヴの語り口に、少々苦笑を浮かべてしまう。
「実は、その都市に私の知り合いがいるのですが…少し体に問題のある子ですの」
「体に…病気か何かですか?」
「ええ、アールヴ様のお察しの通りですわ。それで、最近、その子の体調を根本から治す治療薬の開発に成功しましたの」
「それは、朗報ですね」
アールヴの言葉に頷くヴィーであったが、その表情は晴れない。せっかく治療薬が出来たのにその顔はどうしたものかとアールヴが思っていると、ヴィーはその考えを読み取ったように、現状を説明し始めた。
「実は、その薬の効力が維持できる時間が短いのです」
「そうなんですか。ちなみに、どのぐらい薬効が持つのですか?」
「長くて6時間程度です」
6時間…と思わず考え込んでしまうアールヴ。なぜならば、その知り合いがいるという、都市『ウェネティア』に向かうには一度、都市エルメイヤを経由し、そこからさらに1週間はかかるからだ。6時間しか持たぬ薬効ならば、薬など有って無いようなものと言える。
「それでは、その知り合いのお方にこちらに来ていただく…というわけには参りませんか?」
「難しいですわね。長旅には耐えられません」
「であれば…薬をあちらで作る、などは」
「それについても…薬を作る時にも一つ制約がありますの」
「制約ですか」
「はい…。その、材料である薬草は、採取から加工まで12時間以上かけてしまうと、これもまた薬効を無くしてしまうのです」
「それはまた…」
厄介ですね。とアールヴは思わずため息を吐いた。そして、ここまでくると読めてくる。ヴィーが、いったいどのような我儘を伝えようとしているのか。
「つまり、貴女の我儘はそのお知り合いに、私に回復魔法をかけて治してほしい、と?」
「違いますわよ」
ピシャリと否を突き付けたヴィーに、アールヴは思わずあっけに取られてしまった。
「確かに、アールヴ様の魔法ならば根治も可能でしょう。しかし、それでは、私の気持ちが収まらないのです。その…私の手で、彼女を治したいと心の底から思ってしまっているのです」
そして、ヴィーは見事なカーテシーしながら、こう呟く。
「だから、我儘と申しました」
「なるほど、確かにそれは我儘ですね。…それでは、聞きましょう。あなたが私に望むものとはなんでしょうか?」
下がったヴィーの頭を見下ろしながら、そう言葉をかけるアールヴ。ヴィーは頭を上げ、微笑ながらこう告げた。
「アールヴ様の『時止めのトランク』にて、この薬を彼女にお届け願いたいのです」
アールヴは頷く。そして、急ぎ足で孤児院の建物に下がったヴィーは、すぐに薬を準備すると再びアールヴの前に姿を現し、すぐさま薬を手渡していた。
「都市『ウェネティア』の外れ、ムラーノ運河の北側の修道院が彼女の居場所です。わたくしの名を出していただければ、すぐに案内されるはずです」
「承知しましたよ。ムラーノ運河の北側の修道院…ですね」
「はい。よろしくお願いいたしますわね。アールヴ様」
「承りました。ヴィー」
そうして、ヴィーとアールヴはあっさりと別れる。次、出会うのはきっと一世紀のあと。彼女らにとって、そのぐらいの年月は簡単な物なのだろう。
■
一路、ウェネティアへと向かうため、中継地であるエルメイヤへと戻る道中。彼女は再びの野宿を行っている。ただ、今回はヨルミの森は通らずに迂回ルートでの旅だ。同じ都市に向かうとしても、同じ道を通るというのは詰まらないと彼女は考えている。
ヨルミの森の近道のルートは宿や野営地などはほとんどなく、まさに獣道と言っても良いルートだ。だからこそ、野盗が巣食う。
対してこの迂回ルートは十二分に整備がなされ、都市間の主要道であるために警備が終日体制で行われている。こちらには、野盗は現れることは無い。
「最近ヨルミの森の野党が一掃されたらしいぜ」
「本当か?」
「ああ、隣町の孤児院の情報だ。確実だぜ」
「ヴィー様の情報?なら、間違いないな」
そんな言葉を小耳に挟みながら、アールヴは街道傍に用意された管理野営地でその身を休めていた。と、いっても立派な天幕などあるわけはなく、トランクを枕変わりにして寝ようかという雑な状態だ。だが、それは彼女だけというわけでもない。老若男女問わず、そのような形で体を休めているものが多くいる。
「おいひい」
トランクに軽く腰かけながら、残り物のお握りを食らう。幸い、孤児院に向かう際にぎっちり詰め込んでいたからか、数個の余りがある。時止めのトランクのおかげで、残り物といいつつも出来立てホヤホヤのそれを食む彼女の顔は幸せそうだ。ちなみに具材はイールとそのタレ。街道を歩き、汗ばんだ体にはちょうどいい塩梅だ。
「…こっちもなかなかおいしい」
そして、その傍らに置かれているのは野草の類を加工した付け合わせだ。ヨルミの森で採取したもので、それを、魔法の無駄遣いと言わんばかりに自らの能力を使っていい塩梅にしたものだ。ただ、茸の類は毒とそうでないものの見分け方が難しいため、入れてはいない。
この場にあるものはユキノシタ、ヨモギ、ウド、ワラビなどといったそれらを、水の魔法で掃除したのち、火と水の魔法を使ってアクを抜く。そして、消毒の意味を込めて火の魔法で加熱したものだ。苦みの中に爽やかさもあり、胃腸の動きを助ける効能もあったりで、旅には最適なものであると、アールヴは長旅からの経験で思い知っている。
「あの嬢ちゃん旨そうなもん食ってんなぁ」
「ほんまやねぇ…。うちらは干し肉だけやもんなぁ」
握り飯に付け合わせの野草。旅においてはそれだけでも結構なぜいたく品であるからか、他の旅人からは羨ましい目で見られている。まぁ、とはいいつつも、彼らの干し肉であってもこの場では上等な物だ。
半数近くの人々は、糒、などと呼ばれる穀物を一度煮炊きし、乾燥させたものをちまちまと唾液で戻しながら食らっている。飲める水、というものも旅の中では貴重である。川の水は腹を下すし、ため池の水などはもっと質が悪い。だからこそ、このような旅では水や食料を節約し、都市での食事を楽しむのだ。故に、都市での飲食店は非常に美味しいものが多く、飲み物も非常に上等な扱いになるのである。
「ご馳走様」
ぽん、とアールヴは軽くおなかを叩いて、トランクを枕に横になった。すでに、寝る準備だ。夜の帳は落ちきっていて、天には数多の星が光る。
■
エルメイヤまで戻ったアールヴは、先に泊まっていた掘っ立て小屋の宿屋ではなく、装飾が美しい、大理石であつらえた外壁を持つ上等な宿屋の一室で旅装を解いていた。何せ、今回は預かりの荷物があるため、防犯をしっかりしたいという気持ちが大きい。
この宿はその条件に特に合致している。ロビーに警備が常駐し、その上で受付を通り抜けなければ客室に向かえないために、手間と金はかかるが防犯性は非常に高い。
「良い寝具ですね」
ぐ、とベッドの淵に腰かけ、伸びをしながらも、変な物や隠し通路らしきものがないかを確認するアールヴ。部屋を見渡せば、大き目な絵画や、焼き物の調度品から始まり、床は上等な絨毯が敷き詰められ、湯汲のスペースまである。そうやって少しの間、部屋の調度品を目で楽しんだあとで、ぽふ、と寝具に体を沈めたあたり、安心できる場所だと判断したのだろう。
「ああ、この寝具…本当に良い…聖硬貨1枚は伊達ではありませんね」
聖硬貨とは、アールヴ聖硬貨のことだ。リョース金貨、スヴァルト銀貨、ドヴェルグ銅貨と共にこの国で使われている主な通貨である。彼女としては意地でも、聖硬貨は正式名称で呼びたくないと心に誓っている。
ちなみに価値としては、聖硬貨1枚で金50枚、金貨1枚で、銀貨10枚、銀貨1枚で、銅貨20枚といった変則的なものだ。しかもこれは、市場の変動によって価値がまた変わるため、数年に一度『基準交換』というお触れが王から伝達される。
そして彼女の財産はそれこそ聖硬貨数百枚といった部類なのだが、それを使うには少々手続き上の制限が多く存在するために、普段は金貨と銀貨程度しか持ち歩けていない。
「ヴィーに感謝しなければ」
今回、そんなアールヴが聖硬貨を使うホテルに泊まれたのは、先の野盗退治の功績が大きい。人質保護、および野盗討伐によって、ヴィーを経由して街の冒険者組合から報酬を受け取っている。それこそ、聖硬貨5枚という金額を彼女は懐で温めていた。今はホテル代を払ったために、4枚になっているのだが。
「…それはそうとして、ごはんが楽しみ」
ぽやぁと彼女の顔が緩んだ。先のほったて小屋の宿では、程よいスープと程よいメイン、程よいパンといった腹を満たすには十二分といったものであった。不味くはなく、かといってとんでもない美味でもない。それが一泊で金貨1枚弱だったのだ。ここはその50倍の値段の宿なのだから、飯には期待が持てる。