翌日の朝。人々が行きかう大通りの片隅で、むす、とした顔で大きなトランクに腰かけてエルフ焼きを頬張るアールヴの姿と、その隣で苦笑を浮かべている聖職者のがあった。
「なるほど、それでそのようなお顔をされているわけですか」
その聖職者の正体は、2週間ぶりに顔を合わせたユングだ。表面上は平穏を装ってはいるが、まさかこんな短期間にアールヴと会えるとは思っていなかったため、内心は小躍りしてしまっている。
「そうなの。聖硬貨で一泊ということで期待していたのに…ごはん美味しくなかった」
エルメイヤのフルコース料理だったのだが、そのどれもが何か足りない料理であった。その原因は、この宿が食事よりも寝室やサービスに重きを置いていたという一点に限る。つまり、食事は5点中4点、他を5点中6点を目指しているわけで、どちからというとアールヴの宿選びのミスだ。
「はは…まぁ、仕方のない事ですよ。あそこはそういう宿ですから」
「覚えた」
ユングからも釘をさされる形になってしまい、ぐうの音も出ないアールヴ。ただ、もちろんそういうお店だからこそ選んだという側面もある。それが証拠に、彼女の荷物において盗まれたものや、トラブルの類はついぞ皆無であった。
「次来るときは、このエルフ焼きより美味しい宿にする。その時は紹介して、ユング」
「承知しました。その時は自信をもって紹介させていただきますよ。ご飯が美味しい宿をね」
「お願い」
エルフ焼きの最後の一切れを口に含んだアールヴは、味わうように噛みしめてからごくりと嚥下する。そうしから、長くため息を吐いた。
「じゃあ、そろそろ出発しますね。付き合わせて悪かったですね、ユング」
「いいえ、いいえ。私としましては至福の時ですよ。アールヴ様と共に居れるのですからね」
「嬉しい事を言ってくれますね。じゃあ、次はぜひ、一晩を共に致しましょうか?」
にこりと笑顔を浮かべながら、アールヴはユングにちょっとしたからかいを仕掛けた。一晩を共にする。まさに、そういうことだ。ユングは驚きの顔を作ってしまうが、次の瞬間にはその顔に苦笑が浮かぶ。
「そんなことをしてしまっては、ヴィーに殺されてしまいますよ」
「それでは不可能ですね。残念です」
「ええ、残念です」
そうして、アールヴとユングは別れていく。また、近いうちに再会することを誓いながら。
■
エルメイヤからウェネティアへの道程は徒歩で7日ほどである。こちらは首都ルドベキアへと続く道でもあるため、その整備度合いは今までの道よりもよっぽど良い。夜でも絶えぬ明かりが灯され、地面はレンガで舗装され、10キロ毎程度には簡単な野営地、そして30キロから50キロ毎には宿場町が設けられている。
「エルフ雑煮のお味は如何かな?」
「あつあつ、おいしい」
そして、その野営地や宿場町にはもちろん、簡易的な食事処も整備され、旅人達の腹を満たし、疲れを癒している。今アールヴが食べている汁物も野営地で作られた簡単な食事である。エルフ雑煮とはまぁ、言ってしまえば『なんでも煮込み』のことだ。各地を旅したエルフが食べていたと呼ばれる料理であって、非常にポピュラーな料理の一つである。
「良かった良かった。今日ついたばかりの餅も入れてあるからな。温まるぞ」
餅とは、米の中でも特殊な物、通称『ペク米』というものを蒸かした後に、杵と臼という専用の道具で、米の粒がなくなり、なめらかになるまでつきあげたものである。ある程度の保存も効いて、温めればその独特な食感がいつでも味わえるため、少々金がある旅人は糒よりも餅を持つものもいるぐらいである。
「のびー…る」
そしてこの餅。つきたててであればあるほど、良く伸びて味が良い。それが、この雑煮に入っているため、アールヴの顔はうれしさの塊だ。そして、そんな彼女を見て、この野営地の管理人はさらに饒舌になっていた。
「他に、滋養強壮のために『どぜう』っつー川魚と、出汁のために『アメマス』っつー魚もいれてある。他にも山菜やら、野菜やら、色々だ。これからの長旅、体力をつけてほしいからな。銀貨一枚ってのも、まぁ、ほとんど赤字だ。はははは!」
本来ならばアメマスの焚火焼きでも銀貨1枚。本来、このエルフ雑炊であれば銀貨3枚は下らないだろう。それを1枚で配布しているあたり、この管理人の人の好さがにじみ出ている。
■
エルメイヤからの旅路が丁度ウェネティアへの工程が半分を超えたころ、この道中で比較的大きな宿場町でアールヴは一夜を明かすことに決めた。日も落ち、宿々の窓に明かりが灯る中、彼女は相変わらず宿場町の中の野営地へと歩みを進める。
「安い宿もあるぞ?お嬢さんのような別嬪さんはなるべく、この野営地よりも宿のほうが安心なんだが」
「いいえ。こっちのほうがお金かからないですからね。旅は節約です。それに、管理人さんがしっかり警備してくれるから安心して眠れます」
にこりと笑いかけ、上目遣いでそう管理人に告げると、管理人は露骨に目をそらしながら頭を掻いた。
「…そう言われちゃ弱いな。わかったよ。しっかり警備してやるから、ゆっくり休んでくれ」
「お願いしますね」
彼女は改めて会釈を行う。相変わらず、美しい銀の髪がさらりと肩口を流れ、金色の瞳が相手の心を捉える様に輝く。
「ああ、そういえば夕飯は食ったのか?嬢ちゃん」
「いいえ。その予定はありません」
「そうか…なら、エルフ雑煮と麦のパンならば今からでも準備ができるが、喰うか?銀貨3枚だ」
「ぜひ、お願いいたします」
アールヴがそう言うと、管理人はさっそくと木の椀を準備する。そして、そこに餅を一つ入れて、その上に煮込んであった汁をかけた。パンはおそらく残り物である。明らかに、パサパサしていて、味に難がありそうだ。
「明日出る時でいい。木の椀はこちらに戻してくれ」
「ありがとうございます。頂戴しますね」
「おう。ゆっくり休んでくれ」
そして、汁とパンを受け取ったアールヴは、比較的人の少ない場所へと陣をとり、トランクを椅子代わりに腰かけた。
「…少し味は落ちる、けど、贅沢は言えない」
最初に食べた雑煮に比べると、どうしてもだなぁと思いながら、彼女は更に具材も食らう。どうやら、こちらの雑煮は少し具も少ないようだ。これは仕方がない事で、どの町からも遠い、この宿場町は物資の供給がどうしても鈍い。だからこそ、この周辺で育てられている野菜を使っているわけだが、良い野菜は宿の料理へと取られて行ってしまう。魚や、調味料もしかりだ。
「パンも少し、しなしな、もさもさ」
逆に言えば、残り物で少し味が落ちたエルフ雑煮に仕上げた管理人の料理の腕は確かであると言えよう。
「あ、でも、スープにパンを入れるとちょっと美味しいかも」
もぐもぐと雑煮とパンを食い進め、結局は全てを平らげてしまった。腹を空かせていることには変わりがないわけで、それが、最高のスパイスになったのは明白だ。
■
7日も街道を歩けば、無事にウェネティアの街並みが遠くに見え始めていた。今回は野盗の襲撃も無い。そして、野営地には金さえ払えば食事も用意されていたりと、ヴィーの元に向かった旅路に比べれば、平和な旅だったと言えよう。
「無事に着けましたね」
ほっと胸を撫でおろしながら、トランクを見下ろすアールヴ。荷物も無事に辿り着いて、一安心といったところだ。
「さて…そろそろ野営としましょうか」
ただ、既に日は傾き始めているからであろう。今日はこの街が見える位置で野営をすると決め込んだらしい。幸い、管理野営地が近くにあったため、その門を潜る。
「おや、可愛い嬢ちゃんだな。野営かい?」
管理人はアールヴの姿を見ながら、そう微笑みかけた。
「はい。ウェネティアへ向かう最後の野営です」
「ほー、どこからだ?」
「どこから、というのはありません。世界中を旅しています」
「ほお!?そいつは凄いな。若いのに、と、これが許可証な。無くすなよ」
「ありがとうございます」
慣れたように手続きを行い、早速その身を休めようと場所を探すアールヴ。だが、ここはウェネティアから近いということもあって、人は多い。旅人や狩猟人、そのほかにも商人、兵士といった様々な職種のさまざまな種族が見て取れる。
「さぁ腹が減ってる奴ら!こっちでウェネティア特製エルフ雑炊を食えるよ!銀貨2枚で餅、特産の豆、それに魚介に肉の入った豪勢なもんが食えるぞぉ!付け合わせに魚のごった油揚げもサービスだ!さぁよってらっしゃい!」
ピクリとアールヴの耳が動き、足が動き、さっそく声の方向へと体を連れていく。すると、アールヴの鼻にも良い香りが突き抜けていた。魚介と肉、それに野菜がまじりあった、今までにないエルフ雑煮の香りだ。