ひとりあるき野エルフ   作:灯火011

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エルフとウェネティアの修道院

 出汁のよく効いたウェネティア雑炊を食らいながら、夜の帳に写されたウェネティアの地上の星々を眺める。水の都とも呼ばれるウェネティアは海抜が低いため、この野営地からは町全体が見下ろせる。

 

「やっぱり綺麗」

 

 以前訪れた時と変わらぬ美しさに、アールヴは、ほうと溜息を吐いた。水面を動く光点は、おそらくは小さな商業船であろう。ウェネティアでは『ゴンドラ』とも呼ばれ、人や荷物の移動に適した、水の上の乗り物だ。動力は人力で、オール一本で船をゴンドラを操作する、『ゴンドラの乗り手』と呼ばれる人々が専属で運航を行っている。

 

「月が綺麗」

 

 その街並みを見守るように、まん丸の月が天に浮かび、視線を落とせばそれが自らの雑炊の水面に落ちて来ている様を見ることが出来るから、余計に機嫌がいい。そして、その椀越しに煌びやく波間が金色の瞳に映る。とがった耳にも爽やかな波音が響きわたり、ウェネティアの街は、五感で彼女を楽しませてくれている。

 

「ご馳走様」

 

 椀の中身をすべて腹に収め、手を合わせたアールヴ。あとはゆっくりと、トランクを枕に体を一晩休めれば、明日はいよいよウェネティアの街だ。

 

 

 なるほど、理解しました。そのようにアールヴは思いながら、移動用のゴンドラでウェネティアの水の上を進む。確か、以前来た時には『オンディーナ』と呼ばれる美しく、魅力あふれる女性の精霊族のゴンドラの乗り手が船を運行していたはずなのだが、今、まさに乗っている船の乗り手は『人間の男性』だった。筋骨隆々であり、非常に男らしかった。オンディーナとは全く違う。

 

「ああ、オンディーナのゴンドラをお望みでしたか。今はだいぶ少なくなってしまいましたからね。街の人間でもここ30年、年に一度ぐらいみれれば幸運と言われておりますよ」

「そうなんですか」

「ええ。精霊族の彼女たちは寿命が長いからか、飽きてしまったようで。今は別の事をしてしまいましてね。今もこの街に居るにはいるのですが、今は、飲食店やらのほうがおもしろいようなのです。もしよろしければ、ご紹介いたしましょうか?」

 

 オンディーナのお店か、とアールヴの耳がピクリと動いた。

 

「ぜひ、お願いしたいと思います」

「承知いたしました。では、目的地の運河にたどり着きましたならば、彼女らの店の場所をお教えいたします。まぁ、ちょうどお客様の目的地である修道院の道中にありますので、判りやすいと思います」

「ありがとうございます」

 

 ゆっくりゆっくり、美しいウェネティアの街並みが流れる。確かに、精霊の乗り手は一人として交わることは無かった。アールヴは、少しだけ残念そうに、微笑を浮かべ、ウェネティアの空を見上げた。

 

 

 ゴンドラから降りた彼女は、ヴィーの依頼をこなすべくムラーノ運河沿いを北へと歩く。恐らくは、あの少し高い鐘塔がある建物であろう。30分も歩けば、アールヴの足取りならたどり着く。

 水のさざ波を耳に楽しみながら、青い空を目に慈しみながら、銀髪が風に遊ばれながら、彼女はウェネティアの街を足取り軽く、謡うように。

 

「ふーんふふーん」

 

 いや、鼻歌を刻みながら、彼女はゆっくりと歩みを進める。その隣の運河を、ゴンドラが往来し、かと思えば、乗り合いの大型船がその間を進み、魔術で進む軍艦なども通り抜けていく。それらの船は様々な文様が刻まれ、これもまた彼女の目を楽しませてくれている。

 

「以前来た時よりも、賑やかになっていますね」

 

 ここでいう賑やかとは、色合いの事。以前彼女がこの街を訪れた時代では、黒と白というシンプルな船ばかりであった。実はこれについては、当時の政治の政策で、財政を気にした政府が『贅沢禁止法』という形で船の色を指定していたからに過ぎない。

 その法律は30年ほど前に撤廃され、それからこの街の船は色鮮やかに人々を楽しませるようになっている。…実はこの法案の撤廃が『精霊の漕ぎ手』の多くが船を降りた理由の一つなのだが、それは今、アールヴが知る由もない。

 

「あ、なるほど、ここですか」

 

 街を楽しむ道中、ゴンドラ乗りから伝えられていた店の前を通る。黒いゴンドラの看板、店の名前は『ウインディーネの水運亭』と掲げてある。ただ、まだ店自体は開いていない。

 

「昼は鐘3つの後から4つまで、夜は6つと9つの間まで…夜にまた、来るとしましょうか」

 

 来るとしましょうか。そういいつつも、彼女はなかなか店の前から動かない。それはそうで、朝、野営地を出てから碌に食事をとっていない。なんなら、このお店で朝食でも食っていこうか、なんて思っていたからだ。

 

「…おなかへりました」

 

 お預けを食らった彼女の顔たるや。幸いにして、周りに人が居なかったので、名誉だけは守られたのかもしれない。

 

 

 修道院らしき建物の近くにたどり着いた彼女は、一度その佇まいを直す。そして、一息息をゆっくりと吐き、背筋を伸ばした。

 

「さて、参りましょうか」

 

 修道院の敷居を跨ぐ。エルメイヤの大聖堂よりは小さいが、それでも、ウェネティアという街の風土のおかげなのか、街並みに応じたような味のあるものだ。レンガ積みの建物を蔦が覆い、よく手入れされた庭には野菜や香草の類が大きく育っている。

 

「そちらのお方。何か、御用でしょうか?」

 

 すると、早速、その庭を手入れしていたであろう女性から声をかけられた。身長は170を超える大きさで、アールヴは見上げる形だ。その衣装から、おそらくは修道女の一人であろう。

 

「突然お伺いまして、失礼いたします。実は、…ヴィー様からのご依頼でこちらに足を運ばせていただきました、運び人です」

 

 一瞬、自らをどう紹介するか迷い、運び人ということにした。エルフと言ってしまっては、混乱させてしまうだろうし、なによりも今回はヴィーの薬を彼女の知り合いに飲ませることが第一なのだから。

 

「ヴィー様…あ、孤児院のですか。エルメイヤの隣町にある…」

「その通りです。その、こちらにヴィー様のお知り合いの修道女がいらっしゃると伺いまして、その方に薬を届けてほしいと依頼を受けております」

 

 アールヴがそう告げると、修道女は目を見開いて驚いているようだった。

 

「それは、誠ですか?」

「はい。飲ませるように、との言伝も預かっております。あ、それと、申し遅れましたが、私の名前はアールヴと申します。」

 

 言伝は預かってはいないのだか、話を円滑に進ませるためのアールヴなりの話術だ。それに、ここで怪しまれてしまっては、そもそも預かっている薬を出す機会すらない。

 

「承知いたしました。…わたくしの名前はリベルティナ。立ち話もなんですから、まずは修道院の中へどうぞ。ご案内いたします」

「ご配慮、感謝いたします」

 

 頭を下げたアールヴの銀髪がさらりと揺れ、金の瞳がリベルティナを射抜く。すると、リベルティナの顔に、どこか安心した微笑みが浮かんだ。

 

 

 応接室へと当されたアールヴは、カップに入ったカフアを目の前に、早速、件の薬をリベルティナへと手渡していた。アクアマリン色というべきなのか、透明で煌めく液体が、瓶に湛えられている。

 

「これは…ヴィー様が調合されたもの、ですね?」

「お分かりになるのですか?」

 

 頷くリベルティナ。なぜであろうかと、アールヴの頭には疑問が浮かぶ。長く生き、魔法を使う彼女ですら、ヴィーが作った薬かどうかなど、見分けがつかない。

 

「ええ、こちらの蓋、ここに魔術での刻印がなされておりますので」

「…本当ですね」

 

 よく見れば、小さく描かれた陣が見える。アールヴが見たところによれば、一つは密封の確認。そして一つは、作り手の名が判るようにアナグラムが組まれている。

 

「では、薬はお預かりいたしまして、早速、飲ませて参ります。ヴィー様のお知り合い、そして、薬が必要な修道女となれば、心当たりがございますので」

「承知いたしました。では、私めはご迷惑でしょうから、一度外に…」

「いいえ、御心配には及びません。こちらの部屋でお待ちください。必要な物がございましたら、一人…修道女エリュキナを部屋の外に付けますので、何なりとお申し付けください」

 

 それならばと、アールヴは座ったままで頭を下げた。すると、リベルティナはもう一度、あの、やわらかな笑みを浮かべ、部屋を後にする。入れ違うように、身長でいえば160センチ、これまたアールヴが見上げてしまう体を持つ修道女が頭を下げる。

 

「エリュキナと申します。扉の外で待機しておりますので…何なりと、わたくしめにお申し付けくださいませ、()アールヴ様」

 

 パタン、と閉じられた扉。カフアのいい香りと、部屋に飾られている花の甘い香りが混じる。嫌いではないとアールヴは思いながら、カフアを口に含む。その視線の先には、ガーディニアと呼ばれる白い花が満開に咲いている。

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