都条みちるは動かない   作:なら小鹿

1 / 10

 序章みたいな部分の話です。
 5/12 全体を加筆修正しました。ストーリーに変更はないので、ご安心ください。



#01『クールになりたい女』①

 都条みちるは焦っていた。

 

「……どうしよう、どうしよう。……もう時間がないのに」

 

 非常に困った時の表現に〈頭を抱える〉とあるが、今のみちるはまさに〈それ〉だった。

 ショートボブにした青い髪はくしゃくしゃだし、昨日からかけ始めた伊達メガネもずり落ちそうになっていた。

 それほどまでに都条みちるは焦っていた。

 

 スッキリとした選手控え室にはデジタル時計がひとつ置かれている。液晶を見ると、ちょうど時刻表示が 13:00 になるところだった。

 

「もうこんな時間……!?」

 

 これは本格的にマズい状況になってきた。

 

 ここ〈ワダツミ〉は九州の東に浮かぶ南国の人工島。

 ジャパニーズ・ハワイとも呼ばれ、カモメと本土との連絡手段にはこと欠かない。

 飛行機に海底トンネル、それから1日に3便あるフェリーの定期便。昼のフェリーなら30分前にはもう港に着いているはずだし、そして30分あれば港からここまで来られる。

 つまり〈新人〉がやってくるのも時間の問題だった。しかし、みちるにはその前にやるべきことがある。

 

 備え付けの鏡の前に立ったみちるは身だしなみを整える。手櫛で髪を直し、練習着のしわを伸ばす。よし、身だしなみは万全。

 曇りなく磨かれた鏡面に全身を映しながら、みちるはポーズをとる。右手でメガネを押し上げながら、左手はその肘に添えるだけ。そして——。

 

「あなたが噂の新人ね。名前は確か……」

 

 都条みちるは鏡に向かって〈クール〉に言ってみせる。

 自然な流れで名前を聞き出すと同時にデキる女らしさをアピールする作戦……なのだが。

 

「……これ、本当に〈クール〉なのかしら? ただ単に新人の名前を覚えてない間抜けな先輩って思われないかな。そもそも噂の新人なら、名前くらい知ってるべきじゃ……。あぁ、考えたらどんどん不安になってきちゃった」

 

 またしても、みちるは〈頭を抱える〉。

 念のためにいっておくと、みちるは劇団員ではないし、モデルやグラビアアイドルなどでもない。株式会社KIRISHIMA(キリシマ)所属のジェットバトル選手〈ドルフィン〉、つまりスポーツ選手だ。

 

 そのみちるがなぜポーズやセリフの練習をしているのかといえば。

 理由はカレンダーを見れば一目瞭然だった。

 4月1日。みちるがKIRISHIMAに所属して、今日でちょうど1年になる。今年の〈新人〉はひとりだけらしいが、それでもみちるが先輩になることに変わりはない。

 

 なら〈クールで頼れる先輩〉になってみせる。

 

 そう意気込んで決意を固めたのが1週間前のこと。それからというものトレーニングの合間にセリフを考えたり、鏡の前に立って〈クールに見えるポーズ〉の練習をしたりしてきたのが。

 

「このポーズはなんだか変だし、こっちも微妙だし……、あぁ決められない。どうしよう、もう〈新人〉が来る時間なのに」

 

 どういうスタイルでいくか決まらない。そういうわけで、都条みちるは焦っていた。

 

 間違っても……、間違っても見た目が落ち着いてるように見えるだけで、実はドジで間抜けな先輩だなんて気づかれるわけにはいかない。なんとかしないと。

 

 再びデジタル時計に目をやれば、時刻は 13:36 。もういつ〈新人〉が扉をノックしてもおかしくない。

 

 こうなったら……〈あれ〉でいくしかないわね。

 

 みちるは日頃から使っているスポーツバッグを手繰り寄せると、ファスナーを全開にした。几帳面に畳まれた着替えや年頃の少女らしい下着に交じって〈それら〉は入っていた。

 

〈昨日から読み始めた文庫本〉と〈缶コーヒーのブラック〉

 

 このふたつをどう使うのか。答えはいたってシンプル。

 リクライニングチェアに腰かけたみちるは文庫本のページを開く。そしてサイドテーブルに置いた缶コーヒーのプルタブを——そこそこ苦戦しながら——片手で開ける。これで準備は整った。

 

〈ブラックコーヒーを飲みながら読書〉

 

 これがみちるの考え出した〈クールに見えるポーズその5〉だった。もう〈形から入る〉という言葉を全力で体現しているといっても過言ではない。

 ちなみに〈クールに見えるポーズその1〉から〈その4〉はさっき変ないしは微妙という理由で没になった。

 

 さぁ、いつでも来なさい〈新人〉。

 

 まるで玉座の間で勇者を待つ魔王のようなセリフを(うそぶ)きながら、みちるは缶コーヒーの飲み口に口をつける。

 

 うぅ……にっがぁ……。

 

 とても苦かった。

 映画やドラマではクールビューティーな女優が「コーヒー、ブラックで」と澄ました顔でカップを傾けているが、画面の中と外ではコーヒーの味も違うのだろうか。それともやっぱり微糖にすべきだったか。そんなことを後悔していると、

 

 ——コンコン

 

 ちょうどそのタイミングで控え室の扉がノックされた。例の〈新人〉だ。遂に来た。

 しかし、初対面で缶コーヒー相手にベロを出している姿なんて見られたら〈見栄を張って無理にブラックを飲んでた先輩〉と変なあだ名を付けらてしまう。それだけはなんとしても避けないと。

 口の中に残る苦味を我慢しながら、みちるは平静を装う。

 

「あ、開いてるわひょ」

 

 噛んじゃった。

 

「はい。失礼します」

 

 元気な声がして扉が開くと、サイドテールにした赤い髪が揺れた。

 

「初めまして。今日からKIRISHIMAに入った咲宮入華(さきみや いるか)です」

 

 溌剌(はつらつ)とした元気そうな少女がひとり。行儀よく頭を下げると、イルカの形をした髪留めがキラリと光った。後ろを見れば——どうやら港から直接こちらへ来たらしい——大きなキャリーケースとトートバッグがある。

 

「あなたが噂の新人ね。えーっと……こほん。話は聞いてるわ。都条みちるよ。よろしくね、咲宮さん」

 

「わはぁ……。やっぱり、あの都条センパイなんですね」

 

「あの?」

 

 どうやら〈新人〉——咲宮入華の中で、みちるは既に有名人のようだった。

 

「実はわたし、都条センパイとは同じ学校だったんです。それで〈ワダツミ〉に来る前からいろいろな〈ウワサ〉を聞いてきたんです。とってもクールでカッコいいセンパイが、ジェットバトルの選手になったって。だからわたし、KIRISHIMAに入ったら、その人と一緒にジェットバトルがしたいって、ずっと思ってたんです」

 

「そ、そうなの。ありがとう、咲宮さん」

 

「入華でいいですよ。あとこれ、よければどうぞ」

 

 入華はトートバッグの中から紙袋をひとつ取って手渡してくる。茶色い地にプリントされた甲羅マークは、みちるの地元でも有名な和菓子店〈亀福堂〉のものだ。

 ここの亀乃子饅頭は絶品で、みちるも祖母の家に行った際にはよくご馳走になっていた。

 

「わたし、これ大好きなんです。それでお母さ……あっ、母からもKIRISHIMAの皆さんへお土産にもっていくよう言われて」

 

「そうだったの。ありがたく受け取っておくわ。私のこともみちるでいいわよ」

 

 気に入ってもらえるか不安だったのか、みちるがそう答えると、入華はぱぁーっと表情を明るくする。かわいい後輩だ。〈クールで頼れる先輩〉として、しっかり引っ張っていかなくては。

 

「ところで咲宮さ……こほん。入華、KIRISHIMAの監督にはもう会ったの?」

 

 ちらりと見えたトートバッグの中にはまだいくつも〈亀福堂〉の紙袋があった。他の選手や関係者にも配りにいくつもりなのだろう。

 すると、入華はあわてた様子で、

 

「あっ、そうだった。受付で監督のところへ行くよう言われてたんだった。急がないと。あの、それじゃ失礼します」

 

 挨拶も早々に入華は左右それぞれの手でキャリーケースとトートバッグを抱えあげる。ジェットバトルの選手になるだけあってフィジカルはなかなか……と関心するみちるをよそに入華は走り去っていく。廊下を走らないは小学校から続く決まりだったが。

 

「ちょっと入華、そっちは監督室と反対……、行っちゃった」

 

 みちるが言い終わるより先に〈新人〉の背中は見えなくなっていた。あの様子だとKIRISHIMAのビルを一周して戻ってくることになりそうだが、それも彼女らしいというべきか。それよりも——。

 

 その人と一緒にジェットバトルがしたい、か。

 

 入華の言葉を思い出しながら、みちるはひとり微笑む。自分ではドジで間抜けな先輩だと思っていたが、後輩からすれば憧れの〈ドルフィン〉なのかもしれない。

 

 なら、こうしてはいられないわね。

 

 入華も関係者へ挨拶し終わったら早速トレーニングに入るだろう。今日は他の先輩たちは出払っているし、指導するのはみちるの役目だ。気合いを入れていかなくては。

 みちるは開けっ放しになっていたブラックコーヒーを一気に煽る。

 

 にっがぁ……!

 

 缶コーヒーに負けていては立派な先輩にはなれない、と思い切ってみたが、やっぱり苦いものは苦い。しかも気のせいか、さっきより苦味がひどく感じる。

 

 うぅ……、何か口直しできるものなかったかな。

 

 ごそごそ、とスポーツバッグを漁ってみるが、入っているものは着替えの他には冷感スプレーや汗拭きシートの類だ。

 そもそも缶コーヒー以外に飲み物や食べ物を入れた覚えがない。ここは大人しく自販機で何か買ってくるしかないか。そう思って財布を片手に立ち上がった時だ。

 

 ……あ、これ。

 

 サイドテーブルにさっきもらったばかりの〈亀福堂〉の紙袋がある。

 

 ごくり。みちるは喉を鳴らす。

 

 お饅頭の餡子ならブラックコーヒーの苦味を打ち消すのにちょうどいいだろう。少々甘すぎるかもしれないが、苦いよりずっといい。

 

 いきなり後輩を頼るようで情けないが、背に腹はかえられない。ここは入華の好意に甘えるとしよう。

 折り返されていた紙袋の口を開けて中身を取り出す。本来であれば次にとるべき行動は〈個包装の包み紙を破く〉のはずだったが。

 

 これは……?

 

 都条みちるのとった行動は〈それの表紙を見る〉だった。

 補足しておくと〈亀福堂〉の和菓子の中に本の形をしたものはない。いや、それどころかみちるが手に取った〈それ〉は食べ物ですらなかった。

 

『岸辺露伴は動かない』……? 見たことないタイトルね?

 

 もらった紙袋の中身、それは意外にも〈漫画〉だった。

 コミックス、単行本、いろいろと呼び方はあるが、世間一般でいう〈漫画〉だ。

 少し変わっているところを挙げるとするなら、表紙が劇画調なところか。濃いタッチで描かれているのは、ギザギザの奇妙なヘアバンドをした男性キャラで、これまた奇妙なポージングを決めている。この人が〈岸辺露伴〉なのだろうか。

 

 でも、どうして〈亀福堂〉の袋の中に漫画が?

 

 みちるはひとり疑問してみる。だが思い返してみれば、そもそも入華は紙袋の中身が和菓子だとはひと言も言っていない。

 

 ——わたし、これ大好きなんです。

 

 あれは漫画のことだったの? でも、先輩への挨拶で漫画をもってくるなんて聞いたこともないけど……。

 

 みちるは『岸辺露伴は動かない』の表紙を見ながら小首を傾げる。

 

 もしかして、私が知らないだけで、今の子たちの間じゃ普通なの?

 

 流行りに置いていかれた!? と年頃の少女としてみちるは危機感を覚える。

 18歳のみちるは誰がどう見ても今の子たちにカテゴライズされるが、実家が由緒ある家系で、厳格な祖母の手で育てられた身の上、昔からそのあたりにはちょっと疎かった。

 

 そういえば聞いたことがあるわ。オタクの人って観賞用、布教用、保存用に同じものを3つ買うって。

 

 記憶の中でさっき会ったばかりの後輩に黒縁メガネとチェックシャツ、それからリュックサックを背負わせてみる。うん、似合わない。

 

 改めて『岸辺露伴は動かない』の背表紙を見てみれば、レーベルは〈ジャンプコミックス〉となっている。いわゆる少年漫画だ。オタクというより単純に少年漫画を集めるのが趣味なのかもしれない。

 

 人は見かけに寄らないものね。それよりも……。

 

〈クールで頼れる先輩〉ならここでどうするか。問題はそこだった。みちるは『岸辺露伴は動かない』の背表紙を眺めながら顎に手を添える。

 そこまで考え込むことなのか、と声が聞こえてきそうだが、都条みちるにとっては〈そこまで〉することなのだ。

 

 せっかく勧めてもらったのだし、しかも漫画を渡してくるほど好きなのでしょ。なら次に会った時、感想くらいは言えた方がいいわよね。あとお気に入りのセリフとかも。

 

 ポージングと一緒に決めゼリフを真似る自分と、その姿にきゃっきゃ喜ぶ入華を想像して、みちるは思わず口角を緩めた。

 

 そうと決まれば〈善は急げ〉よ。

 

 みちるはリクライニングチェアに深く腰かけ、そして『岸辺露伴は動かない』の表紙をめくる。

 ブラックコーヒーの苦味は、いつの間にか感じなくなっていた。

 

 

 To Be Continued……

今後の投稿形式について、ちょっと質問です。今までエピソードを分割投稿してきましたが、まとめて一話完結がいいのか読者さんの声を聞きたいです。

  • こ、これは……『分割投稿』だとッ!?
  • いいや!『一話完結』だッ! 押すね!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。