ゴボッ、ゴボゴボゴボ……。
悲鳴が泡になって昇っていく。水面に伸ばした手が何かをつかむことはなく、体と共に沈んでいく。
(動け……ない……)
今の颯はまさに雁字搦めだった。八本あるタコの腕。それが両手両足に絡みついている。
タコは軟体動物だが、それは言い換えれば全身が筋肉でできているということ。ドルフィンとしてトレーニングを積んで鍛えている颯でも、タコのホームグラウンドである水の中では敵わない。
(どんどん、沈んでいく……!)
既に水面は遥か頭上だった。海中に射した光がつかめないロープのように揺れる。
──にゅるり、にゅるり
(んっ……気持ち、悪い……)
下半身を中心に絡みついたタコの腕が、太ももを撫で回す。螺旋状に巻き付けた腕が下から上へ這い上がってくる。まるで脚の形を覚えようとしているかのように、タコは太もも撫でを繰り返す。
(襲ってくる気配はない。けど……)
右手に握ったアワビ起こし──唯一の武器──は手首に巻き付いた腕で封じられていた。反撃の目は完全に摘まれている。
(あとは息がどのくらい続くかだけど……ひゃっ!?)
颯は柄にもなく乙女チックな悲鳴をあげた。
タコは岩の隙間など狭い所を好む。だから、なのだろうか。太ももをまさぐっていた腕が、不意に水着のボトムスに触れた。元々お尻が半分ぐらい見えているデザインだったので、もう既にタコの腕はお尻にまで上がってきていたが。
(んっ……私のお尻、蛸壺じゃない……)
身をよじって抵抗する颯。しかし、タコは聞く耳をもたない。
──にゅるにゅるにゅる
水着を不自然に盛り上げながら、入ってきた腕がお尻をまさぐる。元々陸上で鍛えてたし、ライダーである颯は下半身に自信があった。
でも、それはスポーツ選手として。変態ダコに弄られるためにではない。颯は空いた手でタコにつかみかかった。
(揉み、すぎ……変態……)
水着の中から腕を引っ張りだそうとする。だが、タコの体はブヨブヨとしていてつかめない。ならば、と颯はあえてタコの腕を巻き付け、力ずくで引っ張り出しにかかる。
(んっ……このタコ、吸盤をお尻にくっつけて……)
タコの吸盤は強靭だ。ぴったりとお尻に吸い付いて微塵も離れない。その間にもタコは他の腕で颯のお尻をまさぐってくる。
よっぽど気に入ったのだろうか。変幻自在の腕を駆使して、人間の手ではできないような揉み方をしてくる。
(うっ……そろそろ、息が……っ)
きゅっと結んだ唇から泡がこぼれる。極力無駄な動きはしないようにしてきたが、さすがに限界が近い。
(エレン……早く……)
◆ ◆ ◆
突然だが、この世には〈エロスは長生きの秘訣〉という言葉がある。
イギリスで行われた研究によると、一ヶ月に一度も性的興奮を覚えない人は、一週間に二度以上の性的興奮を覚える人より死亡率が二倍になった、という。そして、これまだ知られていないことだが、エロスによって長生きするのは何も人間だけではない。
ここ〈ワダツミ〉は人工のサンゴ礁もあり、ダイビングスポットとして観光客の間で人気だった。しかし、男性諸君がテーブルサンゴなんかより水着美女の胸や尻に目を惹かれるように、このタコも同じ〈オス〉として水着美女を見てきた。
タコは軟体動物の中でも高い知能をもつ。それこそエロスを感じるほどの知性をもっている。
タコは回想する。
思い返せば、最初はビキニの女だった。
色白の肌に黒い三角形がよく映えていた。しかし、問題はその布面積だ。小さい、小さすぎる。ジンベイザメにくっつくコバンザメか、といいたくなるほど小さなビキニ。
エッチだ……、とタコは思った。
次は競泳水着の女だった。
黒ビキニの女に比べれば布面積はかなりある。水着全体に縦縞のようなラインが走っている。まるでクジラの腹だ、といいかけてタコはウツボに噛まれたような衝撃に襲われた。
縦縞のラインが、体の線が浮き彫りにしている。
どこが出ていて、どこがくびれているか、遠目にも一目瞭然だった。
エッチだ……、とまたしてもタコは思った。
それからもいろんな人間を見てきた。
イソギンチャクのようなフリルのある水着。
ネームゼッケンを胸に付けたスクール水着。
全身をぴっちりと覆ったウェットスーツ。
どれもこれもエッチのひと言に尽きる。
触ってみたい。そう思い至るのも時間の問題だった。なにせ、見る人間すべてが繁殖期のメスでもそんな格好しないぞ、といいたくなるような姿だったのだから。
もしかしたら、これは〈誘っている〉のでは? タコはそう思い、泳いできた水着美女の足に触れる。
秒で逃げられた。
しかし、タコは諦めなかった。
日に日にエロスの力は増してく。気づけば一、二年で尽きるはずの寿命を越えて生きていたた。
無敵! 不老不死! エロスパワー!
タコは自覚した。今やこの身は一介の軟体動物を超越していると。
好物のアワビを貪りながら、サンゴ礁にのこのこやってきた水着美女の魅惑のボディを堪能する。そのために自分はこの大海原に生を受けたのだ。
人間からは〈痴漢魔〉と蔑まれるようになったが、そんなことはどうでもいい。肝心なのはタコが自身の〈性癖〉を知ったことだ。
何人もの人間を見てきた。何人もの水着美女に絡んできた、物理的に。その中で気づいたことがある。
その日、サンゴ礁へ泳いできたのはセパレート水着の女だった。
〈ワダツミ〉の海にはフグみたいな乳をした女が多いが、その女は違った。
グラマーというよりスレンダー。
ほどよい大きさの胸と尻。
そしてッ、健康的に日焼けした肌ッ!
あまりの興奮に、タコはサンゴ礁に擬態していた体表を七色に光らせてしまったぐらいだ。そのまま女の褐色肌に吸盤を張り付けたのいうまでもない。
だから、今日この人間に出会った時、タコは〈運命〉を感じた。なぜなら、普段人間はこの岩礁にまで泳いでこない。それなのに、どうだ。
薄紫の髪を揺らしながら潜ってくる少女。その動きは
しゅっと引き締まった腕と脚。胸は大きすぎず小さすぎず、大胆に見せた腰もしっかりくびれている。ずっと外で運動していたのだろう。その肌はこんがりと日に焼けていた。
しかしッ、タコが驚愕したのは抜群のプロポーションゆえはなかった。
(なッ、なんだッ、あの水着はッ!?)
種類でいえばビキニになるのだろうが、その〈大胆さ〉といったら危うく墨を吐くところだった。
胸が〈はみ出ている〉のだ。
あまり自己主張しないバストサイズなのに、上半分が覗けてしまう。それだけ布地が少ないのだ。
お尻も同じ。こちらもヒップサイズは慎ましやかなのに、V字になった水着がはみ出た尻肉に〈食い込んでいる〉。
今まで見てきた水着美女が束になっても、この褐色少女には敵うまい。そしてタコは悟った。
(その尻ッ! 誘ってるんだなッ!)
気づけば手が出ていた。人間であれば犯罪だが、海の中に法律はない。
逃げようとする少女を水底へ〈お持ち帰り〉し、水着の下に隠れた──といっても半分は見えているが──お尻に腕を這わす。吸盤を引き剥がそうと無駄な抵抗する少女に、タコは〈嫌よ嫌よも好きのうち〉という言葉を思い出した。
(どれ、味も見ておこう)
あまり知られていないが、タコの吸盤には味覚がある。本来は触れたものが餌か判断するために使うのだが、この際そんな生態はどうだっていい。
タコは全神経を吸盤に集中させる。
海水とはまた違った〈しょっぱい味〉がした。
(ああァ、もう死んでもいい……)
タコは心の底から幸福を味わった。
すると、ボコッ……ボコボコ……少女が口から大量の泡を吐いて一心不乱に見悶えだした。その顔はまるでタコのように真っ赤だった。
人間が水の中で息ができないのを忘れていた。こういう時はアレだ、人工呼吸だ。タコはエラからかき集めた空気を口移ししようとして──。
「……ふっ」
少女が微笑むのを見た。
ざぶんっ、と頭上で水音した。
人間が飛び込んできたらしい。泡をまとった人影がこちらへ潜水してくる。金髪のツインテールに、黒のフリル付きビキニを着た幼女だった。
好みではないが邪魔をするなら、と墨を吐きかけて──。
(なんだ、あれは?)
幼女は両手に見慣れないものを持っていた。ヤツメウナギを巨大化させたような筒状の〈それら〉を、少女はタコに向けて構える。
何かが来る。恐らくは〈攻撃〉だ。だから急いで一枚岩の下へ潜ろうとした。
「KAZAMIの力にひれ伏しなさい」
幼女の口がそう動くと同時に。
──ドゴォォォオオオオ!
透き通っていた景色が歪んだ。そして猛烈な〈水流〉がタコを襲う。タコは知る由もないが、こちらに開口部を向けたそれは消防ホースだった。しかし、それが何になるという。
(水中で水による攻撃? 笑止千万!)
タコは漏斗から水を吐いて笑った。派手さやデカさばかりに執着する人間らしい。胸や尻だってそう。ただただ大きければ魅力的というわけでは……。
(んんッ!?)
そこでタコは〈異変〉に気づいた。
(か、体から、何かが……、まるで力が抜けていくような……!)
ポコポコ、と絡みついていた少女の口が動いた。
「知ってる? タコの弱点は天敵のウツボと、あと──」
(あと……?)
「〈真水〉だって」
(ま、真水、だと!?)
タコは世界中に分布しているが、それはいずれも〈海〉に限った場合。〈川や池〉にタコはいない。
その理由はいたってシンプル。
タコは〈真水の中では生きられない〉からだ。
梅雨の大雨の翌日などは海中の塩分濃度が薄まり、浸透圧の変化に耐えられなくなったタコが大量死することもある。
そして、消防ホースのつながった先は消防用水。島での生活用水としても使われる、濾過浄水された〈真水〉のタンクだ。
(この人間、さっき浮上した時、海の中なのに〈水〉を要求したのはそのためかッ!)
どうすべきか頭と腕にある九つの脳味噌をフル回転させる。その間にもどんどんと体から力が抜けていく。
(マズいッ、マズいぞ……! このままでは……死ッ……!)
さっき〈ああァ、もう死んでもいい〉と思ったが前言撤回。タコは急いで吸盤をはずし、全力でジェット噴射。全身を細長くして〈真水〉に侵食されつつある水域から離脱する。
遠退く岩礁に目をやれば、褐色の少女が手をとられて浮上していくところだった。
◆ ◆ ◆
〈下心はタコをも殺す〉というのだったか。危うく〈水揚げ〉されるところだった。
(しかしッ、このタコは諦めないッ! 必ずや〈ワダツミ〉の海へ舞い戻り、欲望の限りを尽くしてやるッ!)
ひとり宣言するタコへ猛烈なスピードで迫ってくる魚影がひとつ。
海のギャング、ウツボである。
タコからすれば命からがら生き延びた先で天敵との遭遇。〈一難去ってまた一難〉とはこのことだ。すぐさま体表の色を変える。
だが、ウツボはタコなど眼中にないといった勢いで全力泳走。岩肌に張り付く前に横を泳ぎ去っていった。
まるで何かから逃げているように。
「ハズレでしたか。となると、そこのタコさんが〈ワダツミ〉近海の主ですか」
……どうやら〈漁場〉へ逃げてきてしまったらしい。その人間の手には
(海女、ではない……だと?)
長身でスレンダー、それでいて胸はかなりある。水色のロングヘアーに色白な肌。北極海を彷彿させる一方で赤い瞳が目を惹いた。
問題なのはその格好だ。サイバーパンクの世界観を思わせる水着……いや水着なのか? 布面積が少なすぎるうえに、どうやって留めているのだ、と言いたくなるような際どい逸品。
正直かなりエロいが、本能が警告を発している。発情ではなく逃走すべきだと。
どのみち消耗した状態で銛を持った人間を相手にすべきではない。
「どうなのですか」
(答える義理は……ないッ!)
タコは墨を吐いた。澄んでいた水が一気に濁る。ジェット噴射ッ! このまま海域を脱出し、あとは潮の流れに乗って沖合いへ──。
──グサッ!
(なッ、何ィ────ッ!?)
墨の中から飛び出した銛が、タコの眉間を串刺にした。
(ばッ、バカなッ! 墨の煙幕は完璧だったッ! 視界は奪ったッ! それなのになぜ……!?)
「この魚影探知機、とても高性能ですね。寸分の誤差もありませんでした」
「いやいや、ヒオの一撃あってこそだよ」
墨が晴れる。銛をもつ女はメガネをはずすような仕草で、サイバーグラスを隣の人間に返す。
幼女体型だが、どこか知性を感じさせる。こちらも同じくサイバーパンク風の、どうやって着ているのかわからない水着。だが、気になるのはさっき女が口にした単語。
(ぎょ、魚影探知機、だと……魚群探知機ではなく……?)
「超音波の反射で海中を探るという原理とは同じだが、ボクのはもっとコンパクトでね。濁った水中でも岩礁から小魚一匹にいたるまで見分けられるのさ。例え墨の煙幕があってもね」
天才幼女のかけたサイバーグラスには串刺しにされたタコ自身の3Dモデルと〈Hit〉の文字が映っている。
(ぐっ……この銛には〈返し〉がある……もはや逃げること不可能……だったら……ッ!)
タコは自身の腕を〈切り離した〉。
タコにはそれぞれの腕に脳があり、切断されてもそれぞれが独立して動けるのだ。八本の腕はまるで魚雷のように二人に迫る。不規則にして俊敏、一度触れれば吸盤でへばりつく。そして、どの腕も考えていることは同じッ!
(冥土の土産にその破廉恥な水着、剥ぎ取ってくれるわァァァァァ! いけぇ〈レッド・テンタクルス〉! 一斉攻撃ッ!)
タコは血走った目をかっ開いた。あの水着美女が水着を奪われ、あられもない姿を晒す。その一瞬を目に焼き付けるために。そして見た。
──パシューンッ! パシュンッ、パシュンッ!
(!?)
天才幼女が両手に構えたツインハンドガン。そのトリガーが引かれるたびに発射されたエネルギー光弾が、〈レッド・テンタクルス〉を次々と撃ち落としていく。
「ふぅ、護身用に持ってきておいて正解だったね。タコは〈デビルフィッシュ〉なんて呼ばれるが、往生際の悪さもまさに悪魔的だね」
それがタコの聞いた最後の言葉、だった……。
「さて、ヒオ。ひと悶着あったが、無事に〈ワダツミ〉近海の主を獲れたことだし、例のアレ、一緒に言っていいかい」
「ええ、もちろんです。シュネーのサポートあっての勝利でしたから」
浮上した二人は銛を高々と掲げ、そして──。
「「獲ったどー!」」
昨日の夜、テレビで観た台詞を真似たのだった。
◆ ◆ ◆
「──メインディッシュは〈ワダツミクロアワビのステーキ・バター醤油ソース風味〉。ソースを後からかけるんじゃなく、アワビと一緒にフライパンで焼き上げているのがポイントよ」
銀のワゴンを押してきたメイド長が各人の前に料理を置いていく。
アワビひとつを丸々使ったステーキは白皿の上で輝いていた。それは見た目の大きさであり、食欲をそそる香りであり、まだ見ぬ舌触りへの期待であった。
付け合わせはポテトとアスパラガス、それからなぜかボイルされたタコが添えられている。
「あの、本当にいただいていいんですか?」
「当然よ、この風見エレンに二言はないわ」
その日、風見邸では秘密の食事会が開かれていた。主催のエレンを除けば、招かれたの颯と隼斗の二人のみ。準備や調理に携わる使用人も最低限に留めている。
「颯だったそのために潜ったんだから」
「うん。遠慮しなくていいよ」
「それに大変だったのよ。颯が水っていうか消防車を二台も呼びつけて、アタシが風見家の令嬢じゃなかったら大目玉よ」
「でも、エレンのお陰で助かった。……ありがとう」
「うぅ、面と向かって言われると恥ずかしいわね。ほら、アナタもボサッとしてないで食べるわよ」
「は、はい、いただきます」
まだ慣れないのだろう。メイド長にナイフとフォークの持ち方をレクチャーされながらアワビに挑みかかる。
それはまるで不安にさいなまれながらも小さな体で前に進んでいくようで、見ていて微笑ましかった。
「颯がそんなふうに笑うなんて、珍しいわね」
「そう?」
表情が薄いと言われる自分だが、今日くらいは精いっぱい祝ってあげたかった。
アワビを口に運ぶ隼斗を横目に、颯も料理にナイフを入れた。
To Be Continued……
終盤に登場した水着美女は氷織さんとシュネちゃんですね。
水着はハーフアニバーサリーのものです。書いてて「この水着、なんて描写すれば伝わるんだ……?」ってなってサイバーパンクでまとめました。
アワビが眼病に効くという迷信は実際にあり、いろいろ思案した結果、こういうストーリーに落ち着きました。ワダツミクロアワビの元ネタはヒョウガラクロアワビです。
このドルフィンが好きで、こういう話を書いてほしい等あれば感想に書いてみてください。もしかしたら〈ヘブンズ・ドアー〉が発現してエピソード化するかもしれません。
今後の投稿形式について、ちょっと質問です。今までエピソードを分割投稿してきましたが、まとめて一話完結がいいのか読者さんの声を聞きたいです。
-
こ、これは……『分割投稿』だとッ!?
-
いいや!『一話完結』だッ! 押すね!