劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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名前が長い……


ロシアのたくらみ

 新ソビエト連邦黒海基地。四月四日十一時。日本時間同日十七時。達也の料理に婚約者たちが舌鼓を打っている頃、レオニード・コンドラチェンコ少将は、モスクワから特別な客を迎えていた。

 

「閣下、ご無沙汰しております」

 

「こちらこそ。ベゾブラゾフ博士、ご来訪を歓迎しますぞ」

 

 

 コンドラチェンコを訪ねてきたのは、まだ四十代の若さでありながら新ソ連科学アカデミーにおける魔法研究の第一人者と認められ、また国家公認戦略級魔法師『十三使徒』の一人でもあるイーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフだった。公的な地位は一科学者でありながら、国内における発言力は国防大臣に匹敵するといわれている人物である。

 コンドラチェンコはベゾブラゾフを彼の私室に招いた。正確には基地内に設けられた彼の住居の応接室に。

 

「博士はお呑みにならないのでしたな」

 

「不調法で申し訳ございません」

 

「何の。儂も最近はめっきり酒に弱くなりましたのでちょうどいい」

 

 

 コンドラチェンコの問いに、ベゾブラゾフは恐縮した表情で答えたが、ベゾブラゾフに笑いながらそう応え、コンドラチェンコは指を二回鳴らして従卒を呼んだ。

 従卒が紅茶の用意をして部屋から出ていったのを見てから、コンドラチェンコは紅茶の味見をすることなくサモワールからティーカップにお湯を注ぎ足し、小さなスプーンでヴァレニエを口の中に放り込んだ後、紅茶を一口含んだ。ベゾブラゾフはヴァレニエと紅茶の味を確かめてから、ティーカップに少しお湯を足した。

 二人がティーカップから手を離し、改めて向かい合う。

 

「さて、博士のご来訪理由を、お伺いしてもよろしいか?」

 

「たぶん、閣下のお考えの通りです」

 

「やはり昨日、当基地で発生した暴動の件ですか。しかしあれは、既に解決しておりますぞ」

 

「承知しております。そこを案じているなら、閣下ではなく基地司令をお訪ねしています」

 

「なるほど、それはそうだ。では、何をお訊きになりたいのですかな?」

 

 

 コンドラチェンコは不快感を白い髭の奥に引っ込めて尋ねると、ベゾブラゾフは微かな躊躇を見せた。

 

「……私は魔法研究者であって、憲兵ではありません」

 

「無論、理解しています」

 

「ですから、暴動が起こった事に関する責任問題を追及する立場にありません。私が解明すべきことは、昨日の暴動に関して魔法的な介入があったかどうかです」

 

「つまり博士は、外国、もしくは反政府勢力に属する魔法師による工作を疑っておいでなのかな? 暴動、いえ、反乱を扇動する精神干渉系魔法が使われたと仰る?」

 

「断定するつもりはありません。しかし、その可能性はあると考えています。我が国が抱える九人の戦略級魔法師の内、対外的にその存在が公表されているのは閣下と私の二人。国家公認戦略級魔法師である閣下がおられるこの基地で、なんの工作も無く魔法師を敵視する反乱が起こるというのは考え難いと思っています」

 

「防護服が無ければ無菌室から出ることも出来ないあの劣化コピーのクローンどもと同列視されるのは愉快な事ではないが、ご懸念は理解出来ます。しかし残念ながら、考え過ぎですな」

 

「本当ですか?」

 

 

 ベゾブラゾフの反射的な一言に、コンドラチェンコはムッとした表情を浮かべた。

 

「儂の感覚が信用出来ないと仰せか?」

 

「失礼しました。決してそのようなつもりではありませんでした」

 

「……博士が猜疑心に囚われておいでなのは『ドラキュラ』の暗躍を疑っておられるからでしょう」

 

「ご明察、恐れ入ります」

 

「実は儂もです」

 

「はっ?」

 

 

 ベゾブラゾフがポカンと口を開け固まったのを見て、コンドラチェンコは愉快そうに笑った。

 

「ですから、暴動を起こした兵士については精神干渉系魔法の痕跡を徹底的に調べました。首謀者クラスについては儂自身が直接調べております」

 

「そうでしたか……しかし閣下。昨日の暴動が国外勢力や反政府勢力の破壊工作によるものではないとすると、また別の懸念が生じませんか?」

 

「兵士たちの間に広がりつつある、魔法師と非魔法師の対立ですな」

 

「アメリカや日本に広がっていた反魔法主義運動は、社会格差に対する不平と不満をエネルギー源にしている面がありましたが、我が連邦には社会格差は存在しません。昨日の反魔法主義者による暴動には、別の要因があると考えられます」

 

「然様。魔法師でない兵士は不安を覚えている。近い将来、軍で活躍するのは魔法師ばかりになり、自分たちの居場所がなくなるのではないかと恐れている」

 

「実際には、魔法師だけで軍を編成するのは不可能です。魔法師の部隊を作ることは出来ても、魔法師だけで前線の兵員全てを賄うわけにはいかない」

 

「しかしそれを兵士に理解させる為には、実際に戦場に出る機会が必要ですぞ」

 

「では、その機会を作りましょう」

 

「ほう……博士、当てがあるのですか?」

 

 

 コンドラチェンコは七十歳を過ぎているとは思えない強い眼光をベゾブラゾフに向けた。

 

「残念ながらヨーロッパ方面には、現在兵を動かす余地はありません」

 

「ヨーロッパの軍事情勢については、博士より儂の方が詳しいでしょうな。つまりヨーロッパ方面以外……極東ですか?」

 

「ええ。つい先日、香港軍の士官が部下を引き連れて大亜連合から集団脱走するという事件が起きまして」

 

「それは初耳ですな」

 

「私も一昨日知ったばかりです。それで、その脱走兵を捕獲する為に大亜連合は日本軍との共闘に踏み切りました」

 

「脱走兵の目的は、日本における破壊工作か……」

 

「そうです。既に失敗に終わっていますが」

 

「なるほど、理解しました。大亜連合と日本は長年の戦争状態が解決したことで、宿敵同士、手を結ぶことが可能になるほど、緊張が緩んでいる。考えてみれば当然の事だ。緊張状態を永続できる人間も組織も存在しない。我々はそこに付け込むというわけですな」

 

「モスクワに戻ってすぐ、クレムリンに提案してみましょう。もし作戦の実行が決まれば、閣下の部下も一部お借りする事になると思います」

 

「兵士には良い張り合いになるでしょう。博士、その件はむしろ儂の方からお願いします」

 

 

 右膝を壊していて杖を使わなければ立てないコンドラチェンコは、座ったままベゾブラゾフに一礼した。無論ベゾブラゾフがその程度の非礼に気分を害することは無く、老将軍に笑顔でお辞儀を返した。




当然この事も知られている……

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