深雪がキッチンに逃げ出したのを見ていた夕歌は、深雪がいなくなったことを良い事に達也の隣に移動し縋りつくように身体を寄せた。
「こうして達也さんに甘えられる日が来るなんて、子供の頃には思ってもみなかったわ」
「あの時は事情が事情でしたしね」
「深夜さんが達也さんに近づこうとしただけで睨んできてたしね」
「封印の事を考えての事だったのでしょう」
「本当にそれだけだったのかしら」
達也が視線で真意を問うと、夕歌はおかしそうに口元を抑えて視線を逸らす。達也はその行動の意味も分からなかったのか、夕歌から視線を逸らすことなくジッと彼女を見つめていた。
「ゴメンなさいね。やっぱり達也さんは女心が分からないんだなって思ったら、ちょっとおかしくてね」
「多少は分かってきたつもりだったんですが」
「そうね。でも、まだまだよ」
そういいながら夕歌は視線を達也に戻し、自分が見つめられていた事に気が付き、今度は恥ずかしくて視線を逸らした。
「なんなんですか、いったい」
「ゴメンね。達也さんに見つめられていたらこうなっちゃうわよ。私は子供のころから達也さんの事が好きだったわけだし、深雪さんのようにこうして二人きりでいる事に慣れているわけじゃないのだから」
「二人きりが嫌なのでしたら、水波でも呼んできましょうか?」
「そういうところが、女心が分かってないって言われちゃうところよ」
「今のは冗談です」
真顔で告げる達也に、夕歌は少し不満げに頬を膨らませたが、すぐに無意味だと思ったのか表情を改め、今度こそ達也に視線を固定する。
「深夜さんはね、あの実験の所為で達也さんの事を愛せなくなってしまったの」
「そのようですね」
「息子を愛せないというのが、母親にとってどれだけ苦痛なのか、私たちには想像も出来ないでしょう」
「正確には母親ではありませんでしたが、あの時は母親という事になっていましたしね」
「実際は真夜様の子供とはいえ、深夜さんがお腹を痛めて産んで、そして育てていたんだから、母親と表現しても間違いではないと思うわ」
夕歌の言葉に、達也はそういった考え方もあるのかと頷く。その行為をどういった風に夕歌が受け取ったかは分からないが、達也のその行動を見て夕歌も一つ頷いた。
「深夜さんが愛情を持てない息子に好意を持った女の子が近づいて来たら面白くないと思っちゃうのも仕方のない事だとは思わないかしら?」
「あの人はそこまで親バカでは無かったと思いますが」
「達也さんは深夜さんの一面しか知らないからそう思うのでしょうけども、あの人はかなりの親バカだったらしいわよ」
「らしい? 母上から何か聞いたのですか?」
夕歌の言葉のニュアンスから、裏に真夜がいる事に気付いた達也は、射貫くような視線を夕歌に向ける。何も悪い事をしたわけではないのに、達也から睨まれた夕歌は、少しすくみ上りながらもなんとか頷いてみせた。
「真夜様が何度達也さんを本家で引き取ると申し出てても、深夜さんは頑なに断り続けたようよ」
「それは俺が四葉家内に居場所を作り、力を取り戻す事を避けたかったのでは? あの人は深雪が次期当主になるのだと決めつけていましたから」
「もちろんその考えもあったでしょうが、それだけじゃなかったと思うわよ。これは、女にしか分からない事なのかもしれないけどね」
「それだと、俺には分からなくても仕方がないわけですし、説明されても分からないかもしれませんよ」
「……それもそうね」
最後はおどけるようにして達也の腕に絡みつきながら言い放った夕歌に、達也は苦笑いを浮かべながら彼女の頭を優しく撫でる。
「こういう事、深雪さんもやってるのかしら?」
「深雪はここまでくっついたりはしませんよ」
「そうなの? でもまぁ、深雪さんは妙なところで臆病だからね。子供の頃だって深夜さんの目を盗んで達也さんに近づこうとしていた私や亜夜子ちゃんとは違って、深雪さんは深夜さんの言いつけを破ろうとはしなかったし」
「幼少期の俺は、深雪にとって知り合いの男の子程度でしかなかったわけですし、アイツは母親の事が好きでしたからね」
「そうなのよねぇ……まさかあの深雪さんが最大のライバルになるなんて思っても無かったんだけどな」
「なんですか、そのライバルというのは」
またしても訳が分からない単語が出てきたので、達也は撫でていた手を止めて夕歌に尋ねる。だが不満そうに頬を膨らまして睨んできたので、達也は夕歌の頭を撫でる事を再開したのだった。
「今でこそ大勢を婚約者として認める事で落ち着いているけど、普通に考えたら達也さんのお相手は一人なわけじゃない? 当時から亜夜子ちゃんとその一枠を争っていたんだけど、まさかそこに深雪さんが加わってくるとは思ってなかったのよ。例の事件以降達也さんにべったりになっちゃったわけだし、学校の友達も不思議がってたんじゃないかしら?」
「そうですね。以前の俺たちの関係からは考えられない程、深雪は学校でも俺にくっついていましたから」
「普通は驚くわよね。前の深雪さんは自分から達也さんに近づこうとはしなかったわけだし」
むしろ離れたがっていたと夕歌は深雪の本心を知っているが、それは口に出しても仕方のない事なので言わなかった。達也がその事に気付いていたかは知らないが、わざわざ教える必要も無いと判断しての事である。
「その後深夜さんが亡くなって、深雪さんを咎める人がいなくなってからというもの、どんどん深雪さんが達也さんを独占していって、私たちの入る余地なんて無かったのよ」
「それは深雪に言うべきなのでは?」
「達也さんがもう少し私たちの気持ちに気付いていたら、そんなことにはならなかったわけだし、やっぱり達也さんに言うべき事なのよ、これは」
夕歌に責められているのは感じていたが、達也はそんな事で動揺したりはしない。その後もぐちぐちと夕歌の愚痴を聞かされながらも、達也は彼女の頭を撫で続けたのだった。
なんか深夜の名前を久しぶりに出した気が……