西暦二〇九七年四月七日。今日は魔法科高校九校の入学式が一斉に行われる日だ。生徒会役員で入学式の準備がある達也、深雪、水波の三人は、式の二時間前に登校した。講堂内に入った彼らを、幹比古、泉美、香澄、そして三矢詩奈が待っていた。
この場は達也ではなく、生徒会長の深雪が代表して先に来ていたメンバーに声を掛ける。
「おはようございます、皆さん」
「おはようございます、深雪先輩! ああ、今日も一段と――」
「はいはい、ストップストップ。おはようございます、司波会長、司波先輩、水波」
今朝も泉美がテンションを爆発しかけたが、香澄が横から割り込むことでそれを未然に阻止する。深雪は呆れている事を微塵も窺わせない微笑みで香澄と泉美に個別に声を掛け、その後詩奈に話しかけた。
「三矢さん、お待たせしてしまいましたか?」
「いえ、滅相もありません。私が早く来すぎただけで……」
詩奈はふるふると首を左右に振って、否定の意思を表示した。愛玩動物的な可愛らしさがある、ほのぼのとした仕草だ。彼女の身長は少し低めだが、香澄や泉美は上回っているし、前会長のあずさより明らかに大きいのだが、体格ではなく雰囲気が何となくあずさに似ていた。ただ大人しそうではあるが、気が弱そうには見えない。少なくとも達也の目にはそう映っている。
首を振った拍子に綿毛のようなフワフワの髪の毛が跳ねて、隠れていたネックバンド式のイヤーマフが姿をのぞかせる。色も髪と同じオリーブブラウンだ。打ち合わせの際、自分で言っていたように、ちゃんと目立たない物を選んできた。当たり前かもしれないが、こういうところを見てもきちんとしている。愛情たっぷりに育てられた良家の子女という感じだな、と達也は思った。
「最終打ち合わせに入る前に、三矢さん、少し良いだろうか」
「あっ、はい。何でしょうか、司波先輩」
「講堂の外に立っていた、長い髪を首の裏で結んだ男子は君の友人じゃないか?」
達也が詩奈に問いかける言葉を聞いて、水波は「えっ?」という表情を浮かべた。彼女は深雪の護衛として、周囲に目を配っていたつもりだった。今時髪を長くしている男子は珍しい。そんな少年がいたら自分も気づいたはずなのに、と思ったのだった。だが、詩奈には心当たりがあったようだ。
「長い髪……あっ、侍郎くんのことですか?」
「サブロウくんというのか? なかなか上手く隠れていたが」
「その男子は私の知り合いで矢車侍郎くんで間違いないと思います。弓矢の矢、車輪の車、侍に一郎、二郎の郎で『やぐるまさぶろう』です。それにしても……侍郎くんったら、隠れていたりしていたんですか?」
詩奈は恥ずかしそうに眉を顰めながらも、その口調からは「まったく、仕方がないなぁ」とでも言いたげなニュアンスが込められていた。
「その口振りだと、単なる知り合いではないだろう? 随分親しそうな感じだ」
「幼馴染なんです」
詩奈が頬を軽く染めて、達也から視線を外す。俯いた彼女の表情を見て、他の者ならば恋愛関係を邪推したに違いないだろうが、達也は彼女の様子から、その矢車侍郎という少年は三矢家が彼女に着けた護衛ではないか、と推測した。だが三矢家の内情に踏み込むような質問はせず、別の事を気にした風に詩奈に話しかける。
「今日はカフェも食堂も営業していないし、講堂が開くのは一時間以上先、新入生が校舎に入れるようになるのは入学式が終わった後だ。彼にはここで待っていてもらっても構わないが」
達也が口にしたのは、二年前の自分の経験に基づく善意――あるいは同情――のセリフだった。彼はその少年の胸にエンブレムがない事も見落としていなかった。
「大丈夫ですよ。侍郎くんは意外にちゃっかり……いえ、しっかりしていますから。ですが、お気遣いありがとうございます」
「そうか」
「すみません、遅くなりました!」
達也がそう答えたのと同時に、焦った口調で言いながらほのかが講堂に駆け込んできた。
「大丈夫よ、ほのか。まだ時間前だから」
「ま、間に合った……」
「ところでほのか。講堂の外で長い髪を首の後ろで結んだ男の子を見なかった?」
「へっ? うーん……見なかったかな。その男の子がどうかしたの?」
「いいえ、何でもないわよ」
水波が気づけなかった相手にほのかが気づくとは思ってなかったが、彼女もそれなりに気配には敏いはずなので、水波のフォローになればと思い聞いたのだ。
「男の子は見なかったけど、三高の一色さんたちと四高の亜夜子ちゃんは駅で見かけたよ。今日は授業も無いのに何の用だろうとは思ったけど、時間が無かったから話しかけなかったけど」
「一応登校してもらう事になっているのよ。正式には転校ではないけど、少なくとも一年間は一高に通ってもらうわけだから、生徒会メンバーと風紀委員長、後は主要な人との顔合わせがこの後あるのよ」
「そうだったんだ。でも今日雫はきてないよ?」
「雫は風紀委員長じゃないわよ。それに、一応面識はあるわけだし、今度挨拶してもらえば良いわよ」
「そっか」
「そろそろ最終打ち合わせを始めたいんだが?」
お喋りを続けていた深雪とほのかに軽く非難する視線を向け、達也が全員に言い聞かせるように口を開いた。その言葉で深雪もほのかもお喋りを止め、背筋を伸ばして最終打ち合わせに備える恰好を取ったのだった。
達也だから気付けるんだろうな……