ほのかのレースを客席で見ていた達也は少し浮かない顔をしていた。
「ほのかには悪い事をしたかもな」
「達也さん、如何言う事?」
達也のつぶやきに反応したのは雫、だが他の二人も似たような表情をしてるので思ってる事は同じなのだろう。
「いや、あれだけの実力があれば、予選でフラッシュを使う必要は無かったかもしれない。ああ言う目立つ事をすると他の選手からマークされる恐れがある」
「つまり準決勝は三人一組のレースですから、次の試合で一対二になる可能性があると言う事ですか?」
達也の言葉から推察した深雪が自分の考えを達也に伝える。達也は一つ小さく頷いて何かを考えるように顎に手を当てている。この時の表情は深雪のみならず雫も魅了しているのだが、当の本人はその事に気付いていない。
「そんな事だったら大丈夫ですよ」
「中条先輩? 大丈夫とは」
達也の心配を杞憂と言わんばかりの明るい声であずさが話す。達也も何故あずさがそこまで自信満々なのか分からずに小首を捻りながらあずさに視線を向ける。その視線にあずさの顔が赤く染まる……あずさは異性にそれほど友人は居らず、親しいと言える相手は服部と五十里くらいで、異性の視線にあまりなれていないのだ。
「………」
「中条先輩?」
「あっ、理由ですよね!」
達也の問いかけ――にでは無くその背後から感じるプレッシャーに現実に引き戻されたあずさは、先ほどの理由の根拠を話し始める。
「元々私たちはマークされてるのですし、今更そのマークがキツクなってもあまり変わらないんですよ」
「そんなものです?」
「ええ! だから司波君が落ち込む必要は無いんですよ」
あずさが手を伸ばしてきたが、達也はそれを眺めていた。恐らくは頭を撫でてお姉さん感を出したかったのだろうが、身長差もあってあずさの手は達也の頭に届かない。それを見て深雪と雫はほっこりとしていたが、顔の前で手を振るわせられている達也は呆れ顔だったのだ……
客席から選手用のスペースに移動した達也に、レースを終えたほのかが抱きついて来た。もちろん抱きついてくる勢いで近付いてきただけなのだが、それだけでも深雪の機嫌を傾けるには十分だった。
「勝ちました、達也さん!」
「あ、ああ……見てたよ、おめでとう」
ほのかの勢いにさすがの達也も若干押され気味……その反応を見て雫まで機嫌を損ね始める。
「私、こう言った試合で全然勝てなくて……今日勝てたのは達也さんのおかげです!」
ほのかの衝撃的な告白に、達也は戸惑いを覚える。もし彼女が言っている事が本当なら、点数計算をやり直さなければならない事になり、その手伝いを頼まれる可能性があるのだ。
達也は視線をさまよわせながら答えを探すと、雫が無言で手を左右に振っており、何かを言っているように口を動かしていた。達也はそれを読唇術を駆使して読み取る。
「(しょ・う・がっ・こ・う・の・こ・ろ・の・は・な・し・だ・よ)」
「(小学校の頃の話ねぇ……今更そんな頃の話を持ち出されても……)」
雫からの情報で先ほどの自分の心配は杞憂に終わったと安堵したのと同時に、何故ほのかがそんな事を言い出したのかが分からない事で、達也はどんな表情をして良いのか分からず、結局何時ものポーカーフェイスのままほのかを眺めていた。
「本当にありがとうございました!」
「ほのか、まだ予選が終わっただけだぞ? 本番はこれからだ」
「はい! 達也さんが考えてくれた作戦で決勝トーナメントも勝ち抜いて、達也さんに優勝をプレゼントします!」
「そ、そう……頑張れよ」
「はい!」
ほのかの熱心過ぎる思い(想い?)に、達也も戸惑いを隠せずに居た。だがその事は決して表情には出さなかったのだった……
ほのかの結果が送られてきた一高天幕では、一高のトップスリーと作戦スタッフの鈴音が頭を悩ませていた。
「森崎君が準優勝したけど……」
「後はほぼ壊滅か……」
「男子と女子の成績が逆になっちゃったわね……」
結果を見ながら、真由美と摩利がため息混じりの声を漏らす。
「女子の方で稼いだ貯金がありますから、そこまで悲観的にならなくとも良いと思いますが」
「……そうだな。市原の言う通りあまり悲観的になっても良く無いな」
「だが男子の不振は『早撃ち』だけでは無く『波乗り』もだ。このままズルズルと不振が続くようでは今年は良くとも来年以降に差しさわりが出てくる」
「つまり、負け癖が付くと?」
克人が小さく頷き、更に言葉を続ける。
「男子の方には梃入れが必要かも知れんな」
「だけど十文字君、今更如何やって……」
真由美の言うように、新人戦は始まっているので、スタッフや選手の入れ替えは認められていない。まさに「今更」なのだ……
克人もその事が分かっているので、無言のまま頭を悩ませるのだった……
いよいよ明日(日付は変わってるので今日だが)は深雪の出番だ。達也としては深雪にも妨害工作が行われるのではないかと目を光らせて警戒しなければならない。
部屋に戻ってくると、誰も居ないはずの部屋から気配がしてくるではないか。彼のルームメイトは息もしない機械、つまり誰かが部屋の中に居ると言う事になる。
達也は中の人間に対して、普段より厳しい態度で声をかけた。
「こら! 何時だと思ってるんだ!」
「申し訳ありません!」
達也に怒られたと勘違いした深雪は素早く立ち上がり頭を下げた。達也はそんな深雪を見て苦笑い気味に笑いながら続けた。
「別に怒ってる訳じゃない。だけどこんな夜更けに女の子が一人で出歩くのは感心しない。それに明日は大事な試合なんだから、いくらお前でも寝不足が予期せぬ事態を引き起こすかもしれないんだから」
「申し訳ありません……」
先ほどと同じ言葉を、違うニュアンスで使う深雪、達也はこれ以上は厳しく出来ないと観念し、深雪を部屋まで送ろうとした。
「お兄様、少しだけ……本当に少しだけお時間を頂けないでしょうか」
「……少しだけだよ」
何だかんだ言っても、結局深雪には甘い達也。彼女の頼みを聞き入れる形で、達也は深雪を促した。
「お兄様は『インデックス』に名を連ねる栄誉をお断りしたそうですね」
「正式にでは無いがな」
「何故です!? お兄様のお名前が世界中に知れ渡るんですよ!?」
「それが原因だ。四葉が念入りに情報をブロックしてる『シルバー』ならまだしも、『司波達也』では俺たちと四葉の関係を探り当てられる可能性が高い。大学の調査力は高校入試の際の身元調査とは訳が違う」
「ですが、叔母様も喜んでくれると思いますが……」
四葉家当主、四葉真夜は達也にベタ惚れで彼の頼みなら大抵聞いてくれるのだ。
「叔母上が良くとも四葉家が納得しない。日陰者のガーディアンが脚光を浴びるなど、面白く無い事この上ないだろうからね」
深雪に言い聞かせるように優しい声でささやく達也に、深雪は抱きつき顔を胸に押し付ける。
「お兄様、私は何があってもお兄様の味方ですから」
「ありがとう。さあ、そろそろ部屋にお帰り」
泣いている深雪を、達也は軽く抱きしめてから部屋に送った。部屋に戻る途中も、深雪は達也に抱きついて離れなかったのだった……
真夜は喜ぶと思いますが、やはり四葉の事情が……