劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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エリカにとってはお遊びでしょうがね


エリカとの稽古

 闘技場の端を貸す分には問題ないのだが、相津も弥生も、一つの懸念が頭をよぎった。

 

「千葉さん、入院沙汰は勘弁してほしいんだが……」

 

「救急車に乗るのはあたしの方かもね」

 

 

 相津と弥生だけでなく、彼らの会話に聞き耳を立てていた部員たちの目が、一斉に侍郎に向けられた。侍郎はなんだかよくわからないものを断固拒否しなければならないような気がして、大急ぎで首を左右に振る。

 

「何してるの、矢車。さっさと支度しなさい」

 

 

 その間に、エリカは靴下を脱ぎ、裸足になって、端の方の少し空いているスペースに移動していた。彼女の手には壁に掛けられていた竹刀が握られている。侍郎は慌てて目についた竹刀を取った。通常の竹刀の、半分の長さだが、これでも彼にとっては長すぎるのだが、相手がエリカとはいえ、こんな所で本物を出すわけにはいかない。

 

「矢車、上着を脱がなくてもいいの?」

 

 

 竹刀を手に自分の正面に立った侍郎に、エリカからそんな問いかけが飛ぶ。

 

「俺は上着を脱ぐと話にならない戦闘スタイルですので……千葉先輩こそ、スカートのままで良いんですか?」

 

 

 侍郎の答えは心理戦ではなく、本気で尋ねたものだ。一高の――というより魔法科高校の女子制服はスカートが膝に纏わりついて、余り動きやすいとは言えない。しかしこの一言は、余計なお世話だった。

 

「ふーん……あたしの心配とは、随分と余裕があるじゃない」

 

 

 独り言のようなそのセリフの「い」の響きが消えるより前に、エリカの姿が消えた。いや、侍郎も目ではその影を捕らえていたが、予備動作が読み取れなかったせいで、意識がついて行かなかったのだ。

 

「こっちよ」

 

 

 左側からエリカの声が聞こえる。侍郎は慌てて竹刀を翳した。彼が構えた竹刀に、強烈な衝撃が走り、侍郎は咄嗟に自分の関節をロックして、衝撃をそのまま跳ね返そうとした。

 

「それは悪手」

 

 

 しかし次の瞬間、侍郎は背中に焼けつくような痛みを覚えて、前のめりに倒れた。

 

「技術的には高度なものだと思うけど、それって矢車の戦い方に合ってるの?」

 

 

 痛みをこらえて侍郎が振り返る。エリカは竹刀を肩に担いで侍郎を見下ろしていた。

 

「これで終わり?」

 

「まだまだ……!」

 

 

 これが真剣勝負なら、自分はさっきの一撃で最低でも戦闘不能。高い確率で死んでいた。だが自分の得物も相手の得物も竹刀で、真剣勝負だったらなどという仮定は無意味だと考え、侍郎はまっすぐ立ち上がるのではなく、蹲った体勢から直接エリカに飛び掛かった。

 

「跳躍!?」

 

「いや!」

 

 

 いつの間にか出来上がっていた見物の輪の中から上がった声を補足するなら「跳躍魔法か!?」「いや、魔法が発動した気配はなかった!」である。しかもこの二人は問答をしたのではなく、ほぼ同時にそれを口にしていた。このように偶然会話らしきものが成立したのは、心の中で同じ問いかけと回答を思い浮かべていたからだ。彼ら、彼女たち剣術部の部員には「魔法は使われなかった」と分析するだけの目が備わっていた。

 上級生が見抜いた通り、魔法とは別種類の身体能力強化術を使い、侍郎はエリカに向かい跳躍していた。上から襲いかかるのではなく、床とほぼ平行に跳んで低い体勢から足を狙う。剣道でも古流剣術でもあまり攻撃を受ける事が無い部位への奇襲。だがエリカは、それをあっさり打ち落とした。短い竹刀ごと、侍郎が床にたたきつけられる。エリカの打ち込みには、あの華奢な身体の何処にそんな力があるのかと思わせる威力があった。

 エリカの竹刀は侍郎の身体には当たっていない。体を開いて跳躍のコースから外れ、胴を狙ってきた短い竹刀を上からたたき落としただけだ。しかしそれだけで衝撃は腕だけではなく胸のあたりまで広がっていた。彼が竹刀を手放さなかったのは意地によるものでしかない。

 侍郎は戦いを続けるべく立ち上がろうとしたが、彼が顔を上げた直後、その横に竹刀が突き立った。床を鳴らす音は小さいが、その意味は明白だった。

 

「……参りました」

 

 

 侍郎が起き上がりエリカに向かって一礼する。その頭上にエリカの声が降ってくる。

 

「身体を使う技術は中々。でも戦い方がなってない。矢車、これは稽古よ。あんたはそこも分かっていない。常に真剣勝負を意識するのは確かに大事。でも負けて良い時と絶対に負けられない時は、区別しなきゃならない」

 

「……俺は、勝ちを焦っていましたか?」

 

「勝負を焦ってたわね。仮に真剣勝負だったとしても、今の攻撃は落第点ね。自分の身体能力がまるで活かされていない」

 

「……すみません」

 

「あたしに謝ることじゃないけど。でもまぁ、素材としては面白そうね」

 

「えっ?」

 

「相津君、矢車に稽古を付けてやってくれない? あたし時々様子を見に来るから」

 

「入部するなら面倒を見るのは部長として当然だが……千葉さんが誰かに目をかけるなんて珍しいな」

 

「気まぐれよ」

 

 

 エリカの答えにいまいち納得していない様子だったが、相津は「エリカならそれもあるか」という事で無理やり納得したのだった。

 

「矢車君。当校では新入部員の勧誘は明後日から一週間という事になっている。だが自主的に入部を希望する者に対しては、このルールは適用されない。君が剣術部に入りたいというならば、今日からでも歓迎するが」

 

「少し……家の者と相談させてください」

 

「じゃあ、今日は仮入部という事で」

 

 

 侍郎の答えは、誰かに相談する以前に自分で考える時間が欲しいという意味合いが強かったが、エリカには侍郎の迷いなどお構いなしだった。

 

「相津君に少し揉んでもらいなさい。今の矢車には、あたしと稽古するよりもきっと得るものが多いと思うから。じゃあ、あたしはこれで」

 

「こら待てエリカ! あたしとの勝負はどうなった!」

 

「また今度」

 

 

 エリカは既に弥生に背中を向けていた。

 

「今度って言ったな!? ようし、絶対だぞ!」

 

 

 エリカは振り返らずにヒラヒラと手を振って、小体育館を後にしたのだった。




侍郎じゃ相手にならないか……

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