四月十四日、日曜日。今日は克人が招集した二十八家の若手会議の日だが、達也はいつも通り八雲の寺へ修行に行った。だが今日の彼がいつもと変わらなかったかというと、それも違った。昨日の戦略級魔法師。ベゾブラゾフと推定される魔法師との対決は、達也の中に大きな懸案事項を残していた。あのトゥマーン・ボンバと思われる魔法を、達也は術式解散で無効化出来なかった。それは達也にとって初めての経験だった。彼には克人や水波のような強力な防御魔法は使えない。使えたとしてもあの魔法は防ぎきれない。自分以外の誰かを魔法攻撃から守る為には、敵の魔法を無効化する。それが彼のスタイルだ。
八雲との組手の最中に気を逸らす事はさすがに無かったが、自宅に戻って気が緩んだのか、シャワーを浴びている最中も、汗を流し終えて身体を拭いている最中も、意識の殆どは「昨日の魔法にどう対抗するか」に占められていた。普段なら意識しなくても気づけるはずの物音や人の気配をスルーしてしまう程に。
「(一つの魔法式であれば、どんなに大規模なものであっても術式解散で処理できるが、昨日の魔法は少しずつ記述内容が違う無数の魔法式の集合体だった。座標/場所が違うだけならともかく、発動タイミング/時間までずらされては、情報的に同じものとして処理する事が出来ない。あの自動複製による連鎖的に展開されていく魔法……面倒だな、仮に『チェイン・キャスト』と名付けるか。チェイン・キャストが完成してしまったら、今の俺にはどうしようもない。展開が完了する前に起点となる魔法式を潰す、これが最も効果的だが……そう簡単にはいくまい。相手もその対策は考えているはずだ。一つ一つの魔法式は、大した威力では無かった。攻撃できる範囲は広いが、特別に高熱、高圧力となる爆心地は無い。母上が言うように気体爆弾と同じだな。高出力の魔法障壁なら、確実に対抗出来るだろう。やはりそのそもの問題は、俺が魔法障壁を満足に使えない事か。聖遺物に障壁魔法をプログラムするか? いや……聖遺物の分析は進んでいるが、実戦で頼れる段階じゃない。ならピクシーに障壁魔法を覚えさせるか? 水波を常に側に置いておくというのは、現実的じゃないしな……)」
「あっ……」
突如、脱衣所の扉が開いた。いくら考え事に没頭していても、さすがにその音には気づく。髪を拭いていた達也がタオルの隙間から目を向けると、開け放たれたドアの向こう側で、水波が目を見開き立ちすくんでいた。
「水波」
達也は水波と目を合わさぬようにして、出来る限り平静な声で話しかけたが、返事がない。達也が見えていないという事ではないはずだ。水波の顔は、真っ赤に茹で上がっているのだから。
「水波、ドアを閉めてくれ」
今度は少し強い口調で話しかける。
「っ! し、し、失礼しましたっ!」
数秒の時間差を置いて、水波は大きな音を立てて、脱衣所の扉を閉めた。その後、派手に床が鳴ったのは、水波が廊下で転んだのだろう。達也はバツが悪い思いを噛み締めながら、手早く衣服を身に着けた。
ダイニングでは、テーブルの上に朝食の準備が整っていた。そして床の上では、水波が震えながら土下座していた。達也が席に着いている深雪にチラリと視線を投げると、深雪は「滅相もありません!」という表情で首を左右に振った。どうやら水波の土下座は、深雪の怒りを買ったからではなさそうだった。
「水波、まぁ、気にするな」
「そうは参りません! 深雪様を差し置いて達也さまのお身体を拝見するなど、メイドにあるまじきご無礼! どうか、私に罰をお与えください!」
「いや……鍵を掛けなかった俺も悪かったんだから、そう自分を責めることは無い」
「いいえ! 達也さまがご入浴中と気づかなかったのは、百パーセント私の過失です! どうかこの駄目メイドに、罪に相応しいお仕置きを!」
「お仕置きって、あのな」
どうも水波は変なスイッチが入ってしまっているようで、達也は困惑した表情で深雪に助けを求めた。
「水波ちゃん、最近近代ヨーロッパを舞台にした恋愛小説にハマってしまったみたいで……」
深雪が苦笑しながら達也にアドバイスをする。確かに助言にはなり、達也が懐いていた疑問は解消したが、残念ながら何の解決にもなっていない。
「(仕方がないか……)」
水波に責められるべきことは無いのだが、このままでは後の予定にも差し障ると、達也は心を鬼にすることにした。
「……水波、俺はこれから大事な会議に出席しなければならない。それは覚えているな」
「――はい」
「会議の後は本家へ行かなければならない。当然お前にも、深雪の護衛として同行してもらう」
「承知しております」
「このように今日は忙しい。お前を罰している時間など無いのだ。俺が言っている事は理解出来るな?」
「……はい」
「では、立て。そしてまず食事を済ませ、その後、為すべき事を為せ。自分の仕事も出来ずに、罰を与えてもらえるなどと思うな」
「……かしこまりました」
水波はしょんぼりとした表情で立ち上がり、食卓に着いた。達也は大いに罪悪感を刺激されたが、自分が罪の意識を覚えている事に釈然としない思いも抱いていた。
「(しかし、何故どこか嬉しそうな表情にも見えるのだろうか?)」
立ち上がった時はしょんぼりとした表情に見えた水波の顔が、何処か嬉しそうに見える事に疑問を抱きながらも、達也がその事で悩むことは無かったのだった。
罰せられたかったのだろうか……