二千九十七年四月十四日、横浜の日本魔法協会関東支部で開催された十師族及び師補十八家の若手を集めた会議は、予定通り正午に終わった。何の実りも無く。
閉会が告げられ、真っ先に後をした達也は、背後から自分を呼び止める声に立ち止まり振り返った。
「四葉殿、待ってください!」
「七草さん、何か?」
達也の苗字は「四葉」ではないが、それを理由に自分に向けられた言葉を無視するような子供じみた真似はしない。だからといって十師族の流儀に従い「七草殿」と呼ぶのではなく、達也は「七草さん」と普通に反応した。追いかけてきた七草智一は、焦りを隠しきれない声と表情で、達也の「何か」という問いかけに答える。
「この後、ご出席いただいた方々にささやかなお食事をご用意しています。四葉殿もぜひご一緒していただけませんか」
「すみません。先ほど申しました通り、この後外せない用事があるのです」
その予定を達也は知っていたので、わざわざ会議室を後にする際に「用事がある」と申告したのだ。
「それほど長い時間、お引き留めはしませんが……」
「せっかくのお誘いですが、生憎予定が詰まっておりまして。七草さん、失礼します」
智一に一礼してさっさと帰ろうとした達也に、今度は若い女性の声が飛んだ。
「司波様」
「はい、なんでしょう」
その女性は魔法協会の職員で、彼女は智一の姿を認めて躊躇する素振りを見せていたが、すぐに事務的な態度を取り繕った。
「屋上にお迎えのVTOLが到着しています」
「屋上に? 分かりました」
迎えが来るとは聞いていなかったが、達也はあれこれ考えるよりも見た方が早いと判断し、もう一度智一に会釈してから屋上に向かった。屋上に駐っていたのは、主翼の中にティルトローターを組み込んだ小型VTOLで、定員はパイロットを除く六名。その横にはダブルのスーツを着た青年が立っていた。
「達也様、どうぞお乗りください」
「初めまして。既にご存知のようですが、司波達也です」
「おお、これは誠に失礼しました。花菱兵庫です。何卒よろしく、お見知りおきを」
花菱執事は葉山執事に次ぐ四葉のナンバーツー。戦闘行為を伴う非合法活動の人員、装備両面を取り仕切っている人物だ。彼の長男は身元を偽ってイギリスのPMSCで武者修行をしていると聞いていたが、既に帰国していたようだと、達也は兵庫を見て心の中で頷いたのだった。
「本日は私めが達也様と深雪様をご案内する大役を仰せつかっております。まずは機内へ」
「分かりました。よろしくお願いします」
達也は四葉家から支給されている電子キーでVTOLの後部ドアを開錠し、中に乗り込んだ。身元確認の為の手順である。彼は招かれた自分が鍵を開けたことに違和感を懐かなかったし、花菱兵庫は当然という表情で達也が明けたドアを丁寧に閉めた。
花菱兵庫が操縦するVTOLは調布に新築された十階建てのビルに設けられたヘリポートへ到着した。達也の記憶には無い建物だが、言うまでもなくここが目的地ではない。
ローターが停止し風が収まった直後、ペントハウスから三つの人影が出てきた。少女が二人と三十代の女性が一人。達也は内側からドアを開けて、背が高い方の少女が乗り込むのに手を貸した。
「ありがとうございます、達也様」
二人の少女は深雪と水波だ。予定では家で達也の帰宅を待つことになっていたのだが、彼女たちも本家からの迎えに連れてこられたのだろう。
「どういたしまして。待たせてしまったか?」
「十五分ほどです。待合室の居心地は悪くありませんでした」
「そうか」
「達也さま。お待たせしました」
頷いた達也に水波が声を掛ける。ドアをロックし何時でも出発できるという申請するセリフだ。
「花菱さん、お願いします」
「かしこまりました」
達也が水波に眼で頷き、花菱に声で合図する。水波が驚きの表情を見せたのは、彼女も兵庫の顔を知らなかったからだ。兵庫の方は、そのような反応は見慣れているので、彼女に対して自己紹介も何もせずVTOL機を発進させた。
達也たちを乗せた小型VTOLは四葉家のある隠れ里に直接着陸するのではなく、小淵沢席に近い、山裾を削って整地したヘリポートに降りた。
「こちらへどうぞ」
兵庫が達也たち三人を管制ビルに案内する。管制ビルを通ってヘリポートの外に出るのではなく、職員用のエレベーターに乗り込むと、兵庫は古風なディンプルキーで非常用の制御盤を開けた。連動して、エレベーターのドアが閉まる。静脈認証用のパネルを手前に倒して兵庫が右手を置くと、一瞬のタイムラグの後達也たちを乗せたケージは下降を始めた。
「随分降りるんですね……」
「目的のフロアは地下八十メートルになります」
エレベーターホールに出ると、そこは広々とした車寄せになっていた。その先には人工の光に照らされた地下道が続いている。
車寄せには、見るからに高級そうな大型セダンが一台、その運転席に人影は無い。兵庫が後部座席のドアを開けて、達也、深雪の順番に車内に案内する。自分は運転席に乗り、助手席に水波が収まったのを確認して、兵庫は車を発進させた。
「この地下道は本村へ直通となっております。あいにく窓の外は殺風景ですが、すぐに到着しますので」
発行パネルの単調な灯りの下、黒塗りの大型セダンは公道では出し得ない、猛スピードで疾走する。兵庫の言葉通り、ヘリポートから本家まで十分も掛からなかった。
花菱息子も優秀そうだなぁ……