長時間浴室にいても逆上せる事はないが、なんとなく夜風を浴びに出た達也は、庭の方に人の気配を感じ取りそちらに向かった。
「何してるんだ」
「達也様……少し栞たちの事を考えていました」
「明日にはここに来るんだ。何をそんなに考える事がある」
単純に気になったから、という理由ではなく、達也は愛梨の表情から何か複雑な思いがあるのだろうと感じ取って尋ねたのだ。
「私たちは子供の頃からの付き合いです。一番長いのは香蓮さんですが、沓子や栞ともそれなりの時間を過ごしてきました。そんな中で、私だけが先にこの場所に来てよかったのかと……」
「たかだか二日の違いが、そこまで気になるのか?」
「抜け駆けとは思われないでしょうが、なんとなく気まずくはなるのではないかと、ちょっと心配になっただけです」
愛梨の心配は恐らく杞憂に終わるだろうが、それでも心の何処かで彼女たちに申し訳ないと思っている証拠なのだろうと、達也は愛梨の心の裡をそう観察した。
「例えば今日引っ越してきたメンバーの中で、愛梨たちを睨んだり羨んだりした人はいたか?」
「いえ……事情は四葉家がしっかりと説明してくださっているので、そういう事はありませんでした」
「なら、栞たちなら問題ないだろ。七草先輩辺りは、何か言いそうだがな」
「真由美さんですか……それほど親交があったわけではないので何とも言えませんが、『あの』七草家の人間ですからね、何か策を巡らせることをしそうな気はします」
「七草先輩の策略程度なら可愛いものだがな」
「まだあの会議の事を気にしていらっしゃるのですか?」
愛梨はここにいるメンバーで唯一、あの会議に参加していた。あの時の七草家の発言は、明らかに四葉家を矢面に立たせて、反魔法主義者の矛先を四葉家に――深雪に向けさせようという考えが見え隠れしていた。最初からそのつもりだったのか、後からそう思いいたったのかはこの際重要ではなく、あの会議はあくまでも二十八家の若者を集め、親交を深める目的だったのだ。それを覆しておきながら、達也を悪者に仕立て上げようとした七草家を、愛梨は許すつもりは無い。
「いざとなれば七草家を『消せ』ばいいだけだが、そんなことをすれば他の家が黙っていないだろう。特に十文字克人は、七草家から情報を貰っているようだしな」
「そうなのですの?」
「十文字家は情報収集に向いていないからな。七草家からなのか、七草真由美からなのかは分からないが、そこから情報を仕入れているのだろう」
「では、この間の会議も、十文字家は七草家と共謀関係にあったとお考えなのですね?」
「いや、それは分からない。あの時十文字克人は、積極的にあの意見を支持してはいなかった。まぁ、否定しなかった時点で同罪だがな。その後七草真由美と共に俺や深雪を呼び出して何かしようとしたようだが、結局は不発に終わった」
「達也様がお潰しになられたのでは?」
愛梨の中で、達也ならそれくらいしかねないという、何か確信めいたものがあるようだが、達也はそんな面倒な事はしない。裏で画策しなくても、あの件は四葉家に何の利益ももたらさないのだから、真正面から断ればいいだけなのだから。
「一高の新入生が誘拐紛いの事件に巻き込まれたのは、愛梨も知っているだろ」
「三矢家の詩奈さんですわよね? 結局は連絡ミスだったとお聞きしましたが」
「その事件――と言っておくが、詳細がまだ不明の時点だったが、その時に十文字克人と七草真由美、そして渡辺摩利と俺たちは会っていたんだが、その場所に七草香澄・泉美両名が踏み込んできて話し合いは持ち越しとなった」
「持ち越し、ですか? 十文字家当主が、四葉家次期当主を呼びつけておきながら、向こうの都合で延期した、という事ですの?」
「穿った見方をすればそうだ。俺としては、延期したところで意味はないと言ったのだがな」
「私もそう思いますわ。そもそもあの会議は何かを決める場では無かったのですから、達也様たちを説得しようとする事自体無意味な事だと思います」
この考えは愛梨が達也の婚約者だから出たものではなく、あの会議本来の目的を知っているから出た考えであり、それが正しいと他の人間なら考えるだろう。だが克人はどうしても深雪を広告塔にする案を認めさせようと動いている節が見えるのだ。
「やはり十文字家と七草家は……」
「共謀するにしても、十文字克人は馬鹿正直すぎるからな。すぐに顔に出るだろう」
「……克人さんの事をそんな風に言えるのは、達也様だけだと思いますが」
「それに、厄介なのは七草家だけじゃない」
「と、言いますと?」
「どうも国防軍情報部の一部が、十山家の魔法師の手先となっている可能性がある」
「十山家、ですか? 十山家が達也様にちょっかいを出していると?」
「公には発表されていないが、十山家の魔法師が主体となって、USNA軍の工作員を捕えて洗脳し、俺と深雪を襲ってきた」
「っ!」
「他言は無用だ。これが公になればどうなるか、愛梨なら分かるだろ」
「はい……これでも二十八家の人間ですので」
「そして十山家は要人警護の最後の砦だそうで、下手に手を出せば他国からの侵攻を許す恐れがある」
「……では、しばらくは静観しているしかないと?」
「向こうがちょっかいを出してこない限りは、だがな」
夜風に当たり過ぎたのか、愛梨は自分の身体が震えている事に気付いた。果たしてそれが夜風の所為なのか、それとも達也の底冷えのする笑みを見たからなのかは、考えないことにしたのだった。
高校生同士の会話でもなかったな……