劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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守ってるのだろうか


調整体を守れ

 調整体の少女には、一人一人に医師資格を持った、コンディションを整える研究員がついている。その研究員たちは、二つのスタンスに分かれていた。一方は調整体の健康よりも実験を優先すべきとする多数派。もう一方は、調整体をあくまでも少女で、彼女たちの体調を万全に期すべきとする少数派。もっとも、少数派の方も実験を長期的に遂行できるよう調整体の状態を整える事が優先されるという考えだった――昨日までは。

 少数派の研究員は三人。彼らは今『三亜』と名付けられた少女の部屋に集まっていた。名目は、消耗が激しい三亜の治療に対する協力。この部屋は普段モニターされているのだが、現在は衰弱により逆に感覚が鋭敏化している三亜にストレスを与えない為という理由で、監視装置はカメラもマイクも切られていた。

 それでも不安を拭いきれない盛永が、三亜の担当である古田研究員に尋ねる。

 

「監視装置の遮断は確実なのですか?」

 

「問題ない。五回、異なる方法で確認しているし、何より三亜が安定している」

 

「そう……」

 

「安心してもらったところで、本題に入ろう。九亜の状態は、そんなに悪いのか?」

 

 

 九亜というのは、盛永が受け持っている少女につけられた名前だ。九亜の容態を古田に尋ねられた盛永は、自分では冷静なつもりでいたが、端で見ていて心配になる程、表情を曇らせた。

 

「自我喪失が進行しています。おそらく、次の実験には耐えられないでしょう」

 

「……それは、命を失うということですか?」

 

 

 四亜を担当している江崎という名の研究員が、眉を顰めて尋ねた。

 

「いえ。ですが能動的な意思を失い、命じられなければ食べる事も排泄する事も出来ない、生きた人形になってしまうでしょう」

 

「何とかしないと」

 

 

 古田が苦渋を滲ませる口調で呟く。

 

「ですが三亜がこの状態では、古田さんは手を離せないでしょう?」

 

「それは……そうだが」

 

「僕に考えがあります」

 

 

 江崎の言葉に、盛永が縋りつくような視線を向ける。その視線を受けて、江崎が苦笑いと言うには些か苦すぎる表情に唇を歪めた。

 

「ご存じの通り、うちの四亜は問題児です。気性が反抗的かつ不安定で、簡単にポルターガイストを起こしてしまう」

 

「えぇ……」

 

「午前中に四亜と話して、意図的にポルターガイストを起こしてもらいます。警備の目は四亜に集中するでしょう。その隙に、モールへの荷物に紛れて九亜を脱出させてください」

 

「でも、それでは四亜が!」

 

 

 実験前日にそんな騒動を起こしたら、精神を安定させる薬物の投与はいつも以上に厳しいものになるだろう。盛永には、九亜の為に四亜を犠牲にするつもりは無かった。

 

「大丈夫。四亜の身体は、僕が全力でケアします。それに、薬物に対する治療法は確立されていますが、精神に対する治療法は無いんです。どちらが急を要するかは、考えるまでもありません」

 

「………」

 

「しかしモールに脱出したとして、そこから先は?」

 

 

 何も言えなくなった盛永の代わりに、古田が問題を提起した。江崎は古谷直接答えず、盛永に話しかけた。

 

「盛永さん、七草家に助けてもらう事は、出来ませんか?」

 

「七草くんに……ですが、私は単なる講師でしたし、彼が卒業する前に大学を離れたので」

 

「それでも赤の他人ではないのです。七草家の助力が得られれば、九亜だけではなく、四亜や三亜、他の皆も助けられるかもしれない」

 

 

 盛永は激しく迷った。正直に言って彼女は、教え子だった七草考次郎が苦手だ。だが十師族でも特に有力な一族である七草家の協力が得られれば、わたつみシリーズを助けられる可能性は高いと盛永にも思われた。最終的に彼女は、七草考次郎を頼ることに決めた。だが――

 

「断られたか……それはそうよね」

 

 

 七草考次郎は盛永が送った暗号メールを無視しなかった。すぐに返事を送ってきた。だがその内容は「今、手が離せないので御力にはなれません」という素っ気ないものだった。考えてみれば当然の事で、盛永に手を貸せば、海軍を敵に回す結果につながる。その大きなリスクに対して、見返りは何もない。魔法師の権利を保護するという十師族の建前は守れるかもしれないが、そんなものがメリットになると考える程、盛永もピュアではなかった。

 モールに脱出してから先の手配が付かないのであれば、研究所から脱出させても意味がない。江崎に脱走計画を中止するよう話さなければ……そう考えて、盛永はのろのろと立ち上がった。

 視界の端で、着信ランプが光る。光っているのは盛永の個人用端末だ、彼女は立ったまま、端末を手に取った。

 

「えっ? 七草くん?」

 

 

 メールの発信元は、先ほどこちらの依頼を拒絶するメールを送ってきた七草考次郎。盛永はある予感に駆り立てられて、復号されたメールの本分を開いた。

 

「……妹さんが?」

 

 

 そのメールに記されていたのは、考次郎の妹の真由美が小笠原に来ているという事実、そして真由美のアドレスと、彼女がプライベートで使っている暗号化キーだった。

 

「真由美さんを頼れと?」

 

 

 考次郎のメールには、はっきりとそう書いてあったわけではない。だが盛永はそういう意味だと解釈した。その可能性に飛びついた。

 彼女は考次郎に教えられたキーを使って大急ぎで暗号文を作り、真由美宛に送信した。




七草は役に立たないな……

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