七草真由美と渡辺摩利。国立魔法大学付属第一高校をめでたく卒業したばかりの二人は、卒業旅行で小笠原諸島、父島に来ていた。
実戦レベルの能力を持つ魔法師は、それがまだ才能の段階に留まっている者も含めて、出国を実質的に制限されている。政府は建前上「移動の自由」を保証しているが、実際には様々な理由をつけて国外へ出られないようにしている。
二人は最初から海外旅行を諦めていた。二人だけでなく、魔法科高校卒業生には「卒業記念に海外旅行」という選択肢が事実上存在しない。沖縄、小笠原、北海道北部が魔法科高校生に人気の卒業旅行スポットだ。
人気スポットということは、同じ学校の卒業生や他校の知人と現地で顔を合わせる可能性が高くなるということだ。それがどうしても嫌というわけではなかったが、真由美も摩利も出来れば二人だけでのんびりしたいと思っていた。だから二人は敢えて、卒業式から少し日にちを置いたスケジュールを選んだのだ。
思惑が当たったのか、今の所一高の同級生にも他校の卒業生にも会っていない。真由美は今日も、父島のホテルでのんびり過ごすつもりだった。
ところが彼女は、三月二十九日、思いがけない早起きを強いられることになった。
「何かしら。まさか今すぐ家に戻れっていうんじゃないでしょうね……」
彼女を起こしたのは枕元で鳴った、携帯端末の着信音。普通なら音を消して再びベッドの中にUターンする所だが、その着信音は緊急連絡用に設定していたものだった。彼女は俯せの状態から身体を浮かせ、髪をかき上げて画面を覗き込む。浴衣のあわせから色っぽい胸の谷間がのぞいていたが、ここにはそれに興奮する相手がいない。
「……って、これ、暗号メール?」
真由美は慌てて起き上がり、バッグの中からノート型の端末を取り出した。重さ四百グラムを下回っている薄型モバイルだが、達也を捕まえて調整させたので、性能はデスクトップにも引けを取らないどころか、そこらへんの端末を使うより高性能になっている。暗号メールを受信した携帯端末をノート端末に有線接続し、メールをノート端末に移動して復号する。メールを読み終えた真由美は、同じ部屋で寝ている摩利のベッドへ歩み寄った。
「摩利、起きて」
身体を揺すっても、覚醒には至らない。真由美はリモコンを操作して、カーテンを開けた。部屋に朝日が刺し込み、摩利の顔を直撃する。
「うっ……!」
不快気に顔を顰め、摩利がベッドの上でゆっくりと起き上がった。真由美はコーヒーを淹れたカップを持って、ノート端末の所へ戻る。
「真由美……幾ら何でもまだ早くないか?」
「とっくに朝よ。それより、これを見て」
摩利の不平を素っ気なくあしらい、ノート端末の画面を摩利に向ける。
「何なんだ、いったい……」
まだ眠気の取れていない顔でベッドから下りてきた摩利に、真由美が飲みかけのコーヒーカップを差し出した。
「にが……」
摩利は差し出された時点で真由美の飲みかけだと気づいていたが、気にする素振りもなく口をつけ、またしても顔を顰めた。
「目が覚めて良いでしょ。それより、これ、どう思う?」
真由美に急かされて、摩利がディスプレイを覗き込む。
「これは……」
摩利が完全に目を覚ました顔になって、低い声で呟く。
「……この盛永某というのは何者だ?」
「二番目の兄の大学の恩師よ。とても優秀な研究者で、今は海軍の研究機関にいるみたいね。短い期間だけど、私の家庭教師をしていただいたこともあるわ」
「信用出来るのか?」
「とても誠実な方よ。研究者だからなのか、ちょっとズレている所はあるけど……少なくとも、こんなことで嘘を吐く人には見えなかった」
真由美の話を聞いて、摩利が数秒考え込む。
「では、この話も事実という事か」
「ええ、おそらく。それで摩利、どう思う?」
真由美の視線から目を逸らさず、摩利は言葉を吟味するようにゆっくりと答えた。
「あたしは、お前の考えている事に反対しない」
真由美がクスッと笑みを漏らした。
「私が彼女の依頼に協力するって決めつけているみたいね」
「違うのか?」
「いいえ、違わないわ」
笑みを崩さぬまま、真由美が頷く。そして笑みを消し、真剣そのものの表情を摩利に向けた。
「じゃあ、摩利もいいのね? 海軍とのトラブルに巻き込まれても」
「これが事実だと言うなら、知らん顔はしたくない」
摩利も真由美と同じくらい真剣な表情で答える。
「それに、向こうにも後ろ暗い点があるのだし、トラブルになるとは限らないだろう」
「そんなこと、本当は思ってないくせに。後ろ暗い所があるから余計、トラブルになるんじゃない」
「まぁ、そうだな。だが真正面から喧嘩する気はないぞ」
「馬鹿ね。そんなの当たり前よ」
にやりと笑った摩利に、真由美は呆れ顔を返した。
「やれやれ。卒業旅行が台無しだ」
好戦的な笑顔で、摩利が言う。そんなこと思って無いくせに、というセリフは口にせず、真由美は盛永への返事を打ち始めた。
「海軍か……陸軍なら達也くんに情報提供をしてもらえたかもしれないな」
「何で達也くん? 確かに達也くんは国防陸軍の特殊士官だけど、そう簡単に情報提供なんてしてくれないでしょ」
「達也くんを介して、藤林少尉に情報を引き出してもらえるだろ?」
「彼女も陸軍所属なんだから、そう簡単に軍の情報を外部の漏らすわけないでしょ」
返事を打ち終えた真由美が呆れながら摩利を見詰めると、摩利は素知らぬ顔で視線を逸らしたのだった。
摩利ってブラックコーヒー飲めないんだ……