劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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気にし過ぎだよ


初めてのお風呂

 北山家の別荘には別棟になっている大浴場がある。窓が大きく、一見しただけでは壁がないと錯覚してしまうが、外とはきちんと仕切られている。女性陣は九亜をその大浴場に連れ込んでいた。窓からは夕日のビーチが見えているが、外からは中が見えないようにガードされている。

 プライベートな浴室なので、湯着はきておらず、全員裸だ。初日は恥ずかしがっていた者もいたが、今日はもう誰もそんな素振りは見せていない。水着以上に何もかも露わなので、ついつい他人のスタイルに目が逝ってしまうという事はあるようだったが。――まぁそれも、多分に「隣の芝生は青く見える」という側面があって、例えば雫が美月やほのかの胸を見て肩を落としていたが、羨ましがられた美月は、エリカや深雪のウエストを見てため息を吐いていた。

 こういった面で他人を羨む必要がないほのかは、甲斐甲斐しく九亜の世話を焼いている。今は九亜の髪をシャンプーしているところだ。本当は自分が九亜の世話を焼きたかったのか、エリカが横からちょっかいを掛けてくる。ほのか洗っている最中の九亜の髪に、ボトルから直接シャンプーを掛ける。その所為で九亜の頭に泡の山が出来た。

 

「もぉっ、エリカったら」

 

「あはははは」

 

「あははじゃないわよ。あーあ……泡まみれになっちゃったじゃない」

 

「その方が綺麗になるような気がしてくるじゃない」

 

「そんなわけ無いよ……」

 

 

 泡が垂れてきたのだろう。九亜がギュッと目を瞑っているのを見て、ほのかは急いでシャンプーを流した。

 

「ほのか、今の泡は何だった、です?」

 

「シャンプーよ……えっ? 九亜ちゃん、シャンプーを知らないの?」

 

 

 コンディショナーの準備をしていたほのかは殆ど反射的に答えて、その質問が奇妙なものであることに気付いた。九亜は身体も汚れてはいなかった。むしろ、清潔だったと言って良い。ただ、手入れが行き届いているとは言えなかった。洗ってあれば良いという扱いの雑さが見受けられたが、定期的に髪を洗っていたのは間違いないと思われる。まさか髪を石鹸で洗っていたとかじゃないよね!? と、ほのかは恐怖に似た感情を覚えた。

 

「知らない、です。お湯の水槽も初めて見ました、です」

 

 

 だが、九亜の口から語られた真相は、ほのかの理解力を超えていた。

 

「お湯の水槽?」

 

「……九亜、もしかして、お風呂に入った事が無いの?」

 

 

 答えに一番早くたどり着いたのは、エリカだった。

 

「はい、です。いつもは消毒槽に浸かっていたので」

 

 

 九亜の声には、嘆きや哀しみや妬みなど、そういった負の感情が一切籠っていなかった。九亜にとっては、それが当たり前だからだ。ほのかがそれを理解して、沈痛な面持ちで俯いた。エリカは顔を背けて、ギュッと手を握りしめた。雫が湯船から上がってきて、ほのかの肩に手を置いた。それに反応して、ほのかが勢いよく顔を上げる。彼女の表情は、笑顔になっていた。

 

「じゃあ、今まで入らなかった分、お風呂を楽しまなきゃだね。女の子にとってのお風呂は、ただ身体を洗うだけじゃなく、綺麗になる為の準備をする所なんだよ」

 

 

 ほのかが九亜の髪を持ち上げて、額と、顔全部を露出させる。

 

「この際だから髪も整えちゃおう」

 

「良いね。黒沢さんにカットしてもらおう」

 

「うん。九亜ちゃん、今日は徹底的に磨き上げてあげるからね!」

 

 

 ほのかがニッコリ笑って、鏡越しに九亜と目を合わせた。

 

「みんな、達也が好き、です?」

 

 

 九亜の何気ない問いかけに、美月以外が慌てたのは言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女の子たちがお風呂を使っている時間、達也、レオ、幹比古はビリヤードルームにいた。最初はレオと幹比古が達也の部屋に押しかけたのだが、部屋に見られたくない物――具体的にはムーバル・スーツ――が置いている達也が、二人をここに連れてきたのである。

 

「魔法協会と陸軍の両方に根回しか……達也一人で行くの?」

 

「ああ」

 

「筋を通すのは大事だぜ。喧嘩するんなら余計にな。それに、達也一人で行くのは仕方ないんじゃね? 俺たちには飛んでいく手段が無いんだからよ」

 

「それはそうだけど……」

 

 

 幹比古が歯切れの悪い口調で認め、一転、心配を露わにして達也に目を向ける。

 

「ところで達也。その、本当に大丈夫なのかい?」

 

「何が?」

 

「ムーバル・スーツだけで……直線距離でも、千キロ近くあるんだろ?」

 

「それは大丈夫だ。実験済みだからな」

 

 

 そう言われて幹比古が納得の表情を浮かべたのは、数時間前に実験を成功させたばかりであるのを知っていたからだ。

 

「今日はそれで戻ってきたんだっけ。いったい、何時間くらいかかるんだ? てか、どんだけスピードが出るんだよ」

 

「音速は超えられない。これ以上の詳しいデータは秘密だ」

 

 

 レオと幹比古が、呆れ半分、感嘆半分のため息を漏らす。

 

「それで、僕たちは何をしていればいいのかな?」

 

「備えておいてくれ、としか言えないな。海軍から何かアクションがあるかもしれないし、何もないかもしれない」

 

「そうだね。海軍が僕たちの関与を掴んでいるかどうかさえ、分からないんだから」

 

「そういうこったな。おっと、そろそろ時間だ。食堂に行こうぜ」

 

「ああ」

 

「そうだね」

 

 

 レオに続いて、達也、幹比古が食堂に、ではなく手を洗いに向かう。ビリヤードの勝敗は、三人とも口にしなかった。




ビリヤードは映画に無かったな

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