水着で遊んでいた深雪たち全員がシャワーを浴び、身支度を丁度終えたところに、空からプロペラ音が聞こえてきた。といっても、慌てている者はいない。時刻は予定通りだし、飛行機の接近は少し前に別荘のレーダーが捉えており、黒沢を通じて着陸許可も伝達済みだ。深雪と雫が迎えに出て、他のメンバーはリビングで待機していた。
真由美が摩利を連れてリビングへ入ってくる。全員が立ち上がっている中に、真由美は九亜をすぐに見つけ出した。
真由美の眼差しを、九亜は恐れなかった。じっと、真由美の顔を見上げている。真由美は九亜のすぐ前へ歩み寄って、腰を屈め目線を近づけた。
「貴女がわたつみ九亜ちゃん?」
真由美が「猫撫で声」と紙一重の、柔らかな声で話しかける。
「わたつみシリーズ製造ナンバー二十二、個体名・九亜、です。貴女が、七草真由美さん、ですか?」
答える九亜の声が、事務的な代わりにいつもより多少しっかりしていたのは、これがあらかじめ刷り込まれたセリフだったからだろうか。九亜は昨日、真由美に会うはずだった。そして、このように自己紹介するはずだったのだ。
「ええ、そうよ。昨日は助けにいけなくてごめんなさい」
真由美の謝罪に、九亜はすぐ首を横に振った。
「そう……ありがとう」
その一生懸命な仕種に、真由美は余計申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「あの、お二人はどういう関係なんですか?」
真由美と九亜が見詰め合う横から、美月がおずおずとみんなが気にしている事を尋ねた。真由美が腰を伸ばし、美月へ顔を向ける。
「私の兄の恩師である盛永先生が、海軍の秘密魔法実験に偶然参加されていてね。九亜ちゃんの体調管理を任されていたらしいんだけど、あまりの扱いの酷さに耐えきれなくなって、私に彼女たちの保護を求めてきたの」
「そういう事だったんですね……」
真由美の答えに、美月が頷く。それ以上の説明を求める声は無かった。
「じゃあ、お姉ちゃんと一緒に東京に行こうか」
真由美が再び九亜と目線を近づけて尋ねる。だが、九亜がその問いかけに答える事は無かった。
「雫お嬢様、非常事態です」
物騒なセリフと共に入室してきた黒沢へ、全員の注意が向けられる。真由美も、九亜本人も、返事を棚上げにして次に黒沢が何というか、耳を傾けた。
「フライトプランの届けがないヘリが、当別荘に向けて接近中です。また、小型の高速艇が二隻、やはり当別荘に近づいてきています。地下室に避難された方がよろしいかと」
全員の顔に、緊張が走った。
「――接近中の船舶に警告します。この海岸は私有地です。私どもは、あなた方の上陸を認めません。上陸すれば不法侵入になります。直ちにお引き取りください。……駄目です、お嬢様。やはり、応答がありません」
通信室に移動して無線で呼びかけていた黒沢が、振り返って頭を振る。さっきから様々な周波数を試しているので、相手の通信機が壊れていない限り、聞こえていないはずはない。こちらの言葉に耳を貸すつもりは無い、という無言の意思表示と解釈するべきだろう。
「あたしが桟橋に行くわ。ミキ、念の為に援護を頼める?」
真っ先にこういったのは、エリカだった。
「それは構わないけど……一人で矢面に立つのは得策じゃない」
「じゃあ、俺も行くわ」
幹比古が示した懸念に、レオが長袖のパーカーを手に取りながらそう申し出る。彼の腕には既に、手甲形態のCADが装着されていた。
「邪魔にならないでよ」
「分かっているさ」
エリカの憎まれ口をレオが軽く受け流す。そのまま外に行こうとするエリカの背中に、摩利が声をかけた。
「何かあればすぐに助太刀に出る」
「無用よ。それより別口の侵入者に備えて」
エリカは素っ気なく言い返して、桟橋側の玄関に向かった。
「じゃあ僕は、バルコニーで待機します」
幹比古が断りを入れてバルコニーへ向かった。
「私たちは如何致しましょうか?」
深雪が真由美に問い掛ける。
「深雪さんは九亜ちゃんの側についていてあげて。私は飛行機を見ているわ。幾らなんでもあり得ないと思うけど、飛行機を壊されたらここから逃げられなくなってしまうから」
「分かりました。九亜ちゃんの事はお任せください」
深雪が真由美に一礼する横で、雫はほのかと美月に話しかけていた。
「ほのか、美月も地下室に」
「はい」
「……うん。九亜ちゃん、行こっ」
ほのかの言葉に、九亜はこくりと首を縦に振った。
黒沢に案内された地下室は、シェルターだった。一見、別荘の単なる地下倉庫だが、出入り口は二重扉のエアロックになっていて、有毒ガス対策も万全に見える。壁も相当分厚い感じだ。
「黒沢さん、外の様子を」
「かしこまりました」
黒沢がコンソールを操作すると、壁一面に別荘の外が映し出された。ちょうど、二階の窓からビーチと桟橋を眺めた景色を再現した映像だ。
「雫、ヘリポートの方は見られるかしら?」
「黒沢さん、お願い」
「はい」
深雪のリクエストに応じて、今度は隣の壁にヘリポートの様子が映る。同型のティルトローター機が二機、並んで駐まっており、今の所その上空にヘリの姿はない。
「これなら、いざという時はここから魔法で狙えそうね」
深雪が漏らした呟きは、恐らく独り言だ。声も小さく、少し離れたところで九亜の相手をしている美月と、何事か黒沢と相談していた雫には聞こえなかったに違いない。
偶々深雪の傍にいたほのかは、その呟きを聞いて頼もしさを覚えた。しかし同時に、深雪に任せっぱなしには出来ないという静かな闘志が、彼女の中に湧きあがっていた。
深雪も好戦的だからなぁ