桟橋に降り立った達也は、辺りの惨状を見て顔を顰めた。状況はだいたい空から見て把握していたが、同じ目線に立つといっそう際立ったのだ。
桟橋の浜寄りに停泊する小型艇。これは別に問題ない。だが入り江の中程に転覆して浮いている小型艇と、海面に不時着したヘリ、踏み荒らされた砂浜は、不穏な事態が生じたことをはっきりと示している。
「(酷い状況だ)」
そう心の中で呟いて、達也は自分に近づいてくる足音に気付く。視線を向けた時には、特に表情を意識せずとも達也は自然に笑みを浮かべていた。
桟橋を、軽快な足音を立てて深雪が小走りで近づいてくる。達也の前で立ち止まり、手と足を揃えて背筋を伸ばしたままお辞儀する。
「お帰りなさいませ、お兄様」
「ただいま。七草先輩が来ているのか」
「はい。それと……招いていないお客様が」
「まだ帰っていないのか」
「はい……」
達也が意外感をのぞかせて尋ね、深雪は困惑の表情で頷いた。
「分かった。七草先輩に頼みたい事もあるし、そちらの話も別荘の中で聞こう」
達也が別荘に向かって歩き始める。深雪は「はい」と応えて、腕と腕が今にも触れそうな距離で彼の隣に並んだ。
別荘のエントランスロビーには九亜、黒沢、二機の飛行機のパイロットを含めた全員が揃っていた。達也が軽く顔を顰めたのは、素人にはあまり聞かせたくない話をするつもりだったからだ
「それで、何があったんですか?」
彼は一先ず状況を確認する事にした。説明役を買って出たのは真由美で、それに深雪と幹比古が補足を入れ、細かい部分については達也の方から黒沢やエリカに質問する。それでも、襲撃の全体像を掴んだとは言い切れない、と達也は感じた。
「襲ってきた連中は今何処に?」
「バルコニーの下の砂浜にテントを張って、そこに縛って埋めてあるよ」
「埋めた?」
幹比古の説明に達也が思わずそう聞き返したのは、当然と言えるだろう。
「首だけ出して、後は砂の下にな」
「波打ち際じゃないんだから、人道的でしょ。わざわざ日除けも作ってあげてるし」
それまで黙っていたレオとエリカが、どことなく自慢げに言う。「埋めた」首謀者が誰なのか、確かめるまでもなかった。
「見張りを立てる必要も無いじゃない?」
「……まぁ、良い」
エリカがウインクしながら言うと、達也は投げやりに頷いた。埋める程度では魔法師を閉じ込めておけないのだが、監視カメラを置くくらいの事はしているのだろう
「訊問はしてみたか?」
「一応な。だが、何も喋らなかった」
達也の質問に、摩利が答える。
「自白剤は使わなかったんですか?」
「……そんな物は持っていないぞ」
「先輩なら、すぐに作れるでしょう?」
「……達也くん。君はあたしのことを何だと思っているんだ?」
無論達也は、思っている事を馬鹿正直に答えたりしなかった。
「睡眠薬なら作れますか?」
「睡眠薬というか、睡眠香ならば手持ちの香水でも作れるが……」
いきなり質問の方向性を変えられて、摩利はつい、正直に答えてしまう。
「では、早速お願いします」
「……何をだ?」
摩利は今更、警戒感をあらわにしてそう尋ねる。
「まずはその者たちを処理しましょう」
「殺しちゃうの?」
「いや」
平然と物騒な質問をしたエリカに、達也はあっさり「否」を返した。まぁ、エリカの方も冗談だったのだろうが、そんな事を平然と聞くものだから、九亜だけではなく、ほのかと美月も一瞬顔をこわばらせたのだった。
「どうなさるおつもりですか?」
「船に乗せて流す」
深雪の質問に、達也はもったいぶることなく答えた。
「でも、転覆してるよ?」
「もう一隻あるだろ。というか、沈めたのは雫だったのか」
達也が呆れた感じで呟くと、雫は明後日の方に視線を彷徨わせた。
「まぁいい。桟橋に泊まっている方はすぐに使える状態だ。そっちに全員を眠らせた状態で乗せて、自動操船で沖に向かわせる。すぐに見つかるだろうが、残った船とヘリを消しておけば、少なくとも罪に問われる事はないだろう。海軍も一般人を襲撃したなどと知られたくないだろうし」
達也は襲撃犯の素性を当たり前のように海軍所属と決めつけたが、疑問や反論の声は上がらなかった。九亜の事を「軍の脱走者」と言ったのだ。鎌をかけても言質は取れなかったが、海軍の関係者であることは明らかだった。
「証拠隠滅というわけか。だが、ヘリと小型艇をどうやって処分する?」
「そこは任せてもらえますか」
摩利の質問に、達也は具体的な答えは返さなかった。摩利がそれで納得したようには視えなかったが、他の魔法師の手の内を詮索するのはマナー違反だ。詳しく問い詰めたりはしなかったが、真由美は何となく分かってるような表情を浮かべていた。
「レオ、幹比古、手伝ってくれ」
「おう」
「うん」
「先輩」
「分かった。協力するよ」
「他の皆はリビングで待っていてくれ」
達也はそう言って、摩利、レオ、幹比古と共に玄関から出ていった。
「帰ってきて早々、頼りになるわね、達也君は」
「あたしたちだけじゃ判断しかねますからね」
「だからって私に聞くこと無いんじゃない?」
「だって、深雪なら達也君並みの判断が出来るんじゃないかなーって思ったのよ」
満面の笑みでエリカに問い掛けた深雪だったが、その瞳は笑っていなかった。エリカもそれに気づいているので、一切深雪と視線を合わせようとはしなかったのだった。
惚ける雫