南盾島、東の沖合に、巨大な潜水艦が浮上した。東岸の防衛陣地から見て、水平線の更に数キロ沖側だが、ギリギリで日本の領海内だ。かなり大胆な行動だが、浮上する事自体に問題はない。むしろ他国領海内では浮上して航行するのが合法的な――正しい、ではない――やり方だ。この国際的ルールは、全盛期から変わってない。
だがそれはあくまで平和的な航行「無害通航」の条件を満たしている事が条件だ。陸地に戦闘員を送り込む事を前提とする水陸両用強襲艇の発進は「無害」とは認められない。当然潜水艦の側でも、そんな初歩的な理屈は百も承知だ。USNAの秘密巨大原潜『ニューメキシコ』の行動は迅速だった。艦体前方の開閉式上部耐圧外殻の開き、甲板から水陸両用強襲艇が自走して発進。すぐに外殻を閉じて、ニューメキシコは再び海面下に潜った。
その短い時間に、強襲艇と潜水艦、そして甲板上の人影の間では通信が交わされていた。
『ニューメキシコ、島に民間人は残っていませんね?』
強襲艇で海に出たリーナがニューメキシコの発令所に問い合わせる。飛行装甲服『スラスト・スーツ』のヘルメットに隠された顔は、金髪碧眼の軍人らしからぬキュートな美少女から、髪が深紅、瞳が金色、厳しい顔立ちの美女士官に代わっている。彼女は『アンジェリーナ=クドウ=シールズ』から『アンジー=シリウス』に変身していた。
スターズ総隊長、アンジー=シリウスの問いかけに、発令所のスタッフは艦長の指示により「民間人の姿は確認出来ません」と嘘の答えを返した。
『予定通りですね』
リーナのこの言葉を甲板上で聞いたカノープスは、スラスト・スーツのヘルメットの下で顔を曇らせた。今はまだ南盾島から民間人がいなくなる時間ではないと、彼は知っていた。だが民間人は退去済みという事にしておかなければ、リーナは作戦に納得しないだろう。
命令には従うかもしれない。そして民間人を巻き込んだことで、激しく悩み、落ち込むのだ。
「(それは、十六歳の少女が背負うべき苦悩ではない。自分たちのような、薄汚れた大人が背負えば良い事だ)」
カノープスはそう考えて、最初から黙っているのだった。
『では、作戦開始!』
「イエス・マム」
部下のアルゴルと共に、リーナの命令にそう答えて、カノープスは飛行魔法を発動した。ニューメキシコの閉じつつある耐圧外装の隙間から、スラスト・スーツを着た二つの人影が夜空に飛び立った。
「(リーナには悪いが、あまり猶予は残されていないのだ)」
既に実験が行われているかもしれないという考えを持っているカノープスとしては、一刻も早く今回の作戦を終わらせて世界的な脅威を取り除くべきだという参謀本部の考えに同意している。だからリーナに嘘の情報を伝えても止む無しと自分に言い聞かせたのだ。
「(アンジー=シリウスとしては致命的な事だが、アンジェリーナ=クドウ=シールズとしては仕方ないのかもしれないが)」
彼はリーナが同胞殺しに心を痛めている事も知っている。だから今回の件も、民間人を巻き込んだらきっと考え過ぎるだろうと思っているので、あくまでも情報の行き違いという事にするのだった。
南盾島基地の指令室は、俄かに騒然とした空気に包まれた。そろそろ克人に予告した会食の時刻だが、それどころではない事態に見舞われていた。
海中に設置した浮遊警戒機装置、潜望鏡深度で接近する巨大な潜水艦の映像を伝えてきている。光学撮影しているものではなくソナーと磁気探知機の観測データから合成したCGだが、国籍不明の潜水艦が領海内に侵入しているという事実は確かなものだった。いや、厳密に言えば国籍不明ではない。これだけの巨艦、どれ程厳重な情報統制を行っていてもその存在を完全に隠し通す事は事実上不可能だ。指令室の戦術コンピューターは当該艦をUSNA所属の原潜ニューメキシコだと八十パーセントの確率で推測していた。
公然の秘密は秘密ではないとよく言われる。だが国際的に禁止されている兵器に関して言うなら、確固たる証拠がない限り、公然の秘密は事実ではない。多国間条約で禁止されている核分裂機関を搭載した潜水艦をUSNAや新ソ連や大亜連合が保有している事は、軍関係者の間では「公然の秘密」だった。
指令室のスタッフがパニックに陥りかけているのは、相手が原潜だからではない。同盟国であるはずのUSNAの巨大原潜が、こちらに断りなく領海を侵犯しているこの状況を受け止めきれずにいるのだった。潜航は、無害通航とは認められない。
「貴艦は我が国の領海を侵犯している。直ちに浮上し、艦名と艦籍を明らかにせよ! 繰り返す。所属不明潜水艦、直ちに浮上せよ!」
既に五回目となる呼びかけの後、通信士は悲壮な顔で司令官に振り返った。
「駄目です、司令! 通信に応じません」
「騒ぐな。防衛陣地、対潜ミサイル起動」
司令官の言葉に、火器管制スタッフが愕然とした表情で振り返る。
「撃沈するのでありますか!?」
そこには二重の驚きがあった。同盟国の艦を撃沈するのか、という驚きと、核分裂機関搭載艦を、放射性物質で汚染されるリスクを冒して撃沈するのか、という驚きが。
「まずは威嚇だ。至近弾、照準合わせ」
「ハッ!」
その答えに安堵した、というより、司令官の気が変わることを恐れるように、火器管制官はロケットランチャーに大急ぎでコマンドを送り込んだ。
リーナは信頼されてないんだなぁ