月曜日から、達也は一高に顔を見せなくなった。それはまだ表向き一高校生の動向に過ぎなかったが、その事実は各所で波紋を広げていた。
東京某所。場所も名前も明らかにされていない会議室に、国防陸軍情報部の暗部を担うメンバーが集まっていた。
「例の高校生が一人暮らしを始めたようだが……」
「これはチャンスなのでは? 街中と違い、纏まった人数を投入しても問題にならない」
「お待ちください」
「犬飼課長、何か?」
前のめりになった座の空気を制止する声が上がった。水を注したのは、達也を最も危険視している犬飼課長――遠山つかさの直属の上司――だった。
「こちらが十分な戦力を投入出来るという事は、向こうも手加減する必要がない環境という事です。不用意な襲撃は危険だと思われます」
「罠だというのですか?」
「いえ、そうは言いませんが、相手は仮にも『アンタッチャブル』と呼ばれる四葉一族。何も備えがないとは考えられない」
「賛成です」
犬飼のセリフに、特務課の恩田課長が賛同を示した。
「南総収容所には十分な守備兵を置いていたにも拘わらずあの結果です。攻守が入れ替わるとはいえ、我々が単独で対処するのは避けるべきだと考えます」
「恩田課長、協力者に心当たりがあるのか?」
「協力者ではありませんが、結果的に利用出来ると思います」
「どのような事情なのだろうか」
犬飼課長が興味をそそられた声で、恩田課長に問いかける。
「伊豆に引き篭もった司波達也の許へ、近々十文字家の当主が魔法協会の代理人として赴くようだ。何をしに行くのか詳細は分かりませんが、どうも例のプロジェクト絡みではないかと」
言葉遣いを変えて、集まったメンバー全員に推測の形で告げる。ここで恩田は一つ嘘を挿んだ。彼は達也がトーラス・シルバーであり、克人がプロジェクトへの参加を説得しに行くという事まで把握している。それを同じ情報部の人間に明かさなかった。
「魔法協会はUSNAのプロジェクトに乗り気なようだ。四葉家も参加しろ、と説得に行くのではないか?」
「……なるほど。それはチャンスだな」
この場にいる大人たちは、達也とトーラス・シルバーを結び付けてはいなかった。彼らは達也の戦闘力は高く評価しているが、彼の知力も技術力も知らないので、高校生と一流魔工師が結びつかなかったのだ。
「四葉家の非協調的な態度は、前の会議でも明らかだ」
前の会議というのは、四月に開催された十師族の若手会議の事だ。現在の状況とは関係がないが、この席の最上位者である副部長の指摘は、推理というよりまぐれ当たりだが、表面的な事実関係は正しかった。
「司波達也と十文字家当主の交渉は決裂の可能性が高い。そして二人が戦えば、十文字克人が勝つ。そうだな、犬飼課長」
「はい」
副部長の問いかけに、犬飼は自信を持って頷いた。
「遠山曹長が――十山家が、そのように判断しました」
十山家は二十八家の中で、一度も十師族の席に着いたことがない。候補に挙がった事すらない。だが戦闘魔法師としてではなく軍事用魔法師としては、四葉、十文字に匹敵する。国防陸軍情報部はそう確信している。
軍事用魔法師は、戦うだけが能ではない。それだけでは務まらない。戦力分析や戦術判断も必要になる。そして十山家は二十八家の中で唯一、生まれた時から国防軍で軍事訓練を受けているナンバーズだ。
「十文字家当主は、司波達也を殺さないでしょう。ですが十文字克人に敗北した司波達也は抵抗力を失っているはずです」
「そして、十文字家には国防軍と対立する意思はない」
「はい」
副部長の言葉に、犬飼が頷いた。
「では十文字家の動きに合わせて、こちらも駒を動かすとしよう。念のため、遠山曹長にも出動してもらう。今度は司波達也の相手ではない。四葉家が配置している護衛を潰すためだ」
「分かりました」
犬飼の返事には、微かな躊躇が混じっていた。
「心配するな、犬飼。四葉家は司波達也の戦闘力に自信を持っているようだ。ならば貴重な戦力を護衛につけることはない。手練れは婚約者たちの方に集中しているだろう」
「仰る通りだと思います」
副部長が恩田に視線を移すと、恩田は副部長に向かって恭しく頷いてみせた。
「では、十文字克人に敗れた司波達也を我々が回収し、教育するという事で問題ないな」
「それで構わないと思います。回収は遠山曹長に?」
「それが一番無難だろう。一対一では敗れたようだが、抵抗力を失った高校生一人なら、十山の人間なら容易いだろうしな」
「倒した四葉の護衛は如何なさいます?」
「捨て置け。どうせ大した戦力にもならないだろうし、四葉家としても使い捨てくらいに思ってる連中だろうしな」
「我々情報部に盾突いたことを後悔するがいい」
既に自分たちの勝利を信じて疑っていない情報部の暗部担当のメンバーたち。この時、誰か一人でもマイナス方向に思考を傾けられていれば、結果は変わったのかもしれないが、自分たちの有利を絶対的なものだと確信している幹部たちに、そのような思考は働かなかったのだった。
「では、今日の会議はこれで終わりとする」
副部長の閉廷の言葉を合図に、他の幹部たちは次々と席を立ち、名も場所も明かされていない会議室から去っていったのだった。
達也の真価も知らずに……阿呆丸出し