土曜日の夜、達也の別荘に予定外の客が訪れた。間違えるはずがない「情報」の接近に、達也はワークステーションの前から立ち上がり玄関前の駐車場まで迎えに出た。
後部座席がスモークガラスになっている大型セダンが滑らかに停車する。運転席から青年が、後部座席左側から少女がほぼ同時に出てきた。
青年は花菱兵庫。少女は桜井水波。水波がドアを押さえたまま、綺麗な姿で立つ。兵庫は肩を竦めているような表情で微笑みを浮かべている。そのすぐ後に、後部ドアからこの世のものとも思えぬ程麗しい少女が、水波の手を借りて降りてきた。深雪が黒絹の髪を揺らして顔を上げる。達也と深雪の目が合った。
「達也様……!」
「よく来たね」
感極まった声を上げて、深雪が達也の胸に飛び込む。達也は深雪の華奢な身体を優しく受け止めて、柔らかく抱きしめながら彼女の耳元で囁いた。
「お会いしたかったです、達也様」
「俺もだ。水波も無事なようだな」
「ご無沙汰しております、達也さま」
「そうだな。まだ一週間しか経ってないのに、随分久しぶりな気がする」
「では深雪様。明日の夕方お迎えに上がりますので、ごゆっくりお過ごしください」
兵庫が手伝えるのはここまでなので、彼は少し残念そうな表情を浮かべて車に乗り込み、そして別荘から去っていった。
「とりあえず中に入ろう。荷物はそれだけか?」
「はい。ですので、達也様のお手を煩わせることはありません」
達也としては二人の荷物を持つくらい煩わしいと思わないのだが、深雪と水波は断固として達也に荷物を持たせようとしなかった。二人の荷物はそれぞれ小さな鞄が一つずつ。実のところこの別荘には達也の身の回りの品だけでなく、深雪と水波の着替えも用意してあった。
ここに来る準備をしている最中、深雪の口からそれを聞いた水波は少し恥ずかしそうに俯いた。自分の手が届かないところに自分の着替えが置いてあって、しかもそこには自分と一つしか年が違わない異性が住んでいるのだ。下着を漁られるとか思っていないが、どことなく恥ずかしさを覚えたのは仕方がなかったのかもしれない。深雪は全く気にしていない様子だったが。
そんなわけで二人が提げている鞄は大して重くもなかったが、別荘に入るなりピクシーに取り上げられた。正確には、ピクシーがコントロールしている非ヒューマノイド形態のポーターロボットにやんわりと奪い取られた。
手から鞄が無くなったので寝室へ寄る必要が無くなった二人は、達也に案内されるままリビングのソファに腰を下ろした。
「食事はまだだろう? すぐ用意させる」
しかし達也の口からこのセリフが告げられた時、水波は座ったばかりのソファから勢いよく立ち上がっていた。
「達也さま、私がご用意致します」
声は落ち着いたものだったが、彼女の瞳には並々ならぬ熱意が込められている。それを見て、達也はすぐに説得を諦めた。
「……分かった。ピクシー、キッチンシステムをマニュアルモードに変更してくれ」
「拒否・します」
しかし、ピクシーの回答は予想外にも程があるものだった。対応出来ない、ならまだ分かる。マニュアルへの切り替え機能がついているのは把握しているので明らかに嘘だと分かるが、それならまだ、ある意味で誤作動の範疇に何とか収まるだろう。だが自分の意思でオーナーの命令に逆らうなど、機械としてあってはならない事だ。ピクシーが純然たる機械でないことを改めて実感しながら、達也はもう一度命じた。
「拒否は許さない。ピクシー、キッチンシステムをマニュアルモードに変更しろ。これは命令だ」
「マスターは・その人間の・料理の方が・お好み・なのですか」
達也は頭痛を覚えた。薄々感じていたが、この別荘に来てからピクシーの自我が育っているように思われる。達也の命令に背いて自己主張をするのはこれが初めてだが、達也が指示を出す前に自分からあれこれ世話を焼こうとする場面には少なからず心当たりがある。しかし、だからこそ、あまり自由にさせるわけにはいかない。
「好みの問題ではない。ピクシー、これは命令だ」
「……かしこまりました」
そんな機能は備わっていないから達也の気のせいに違いないのだが、ピクシーは不満げに応えて、キッチンのシステムをマニュアルモードに切り替えた。
「ご苦労。ピクシー、サスペンドモード移行」
「かしこまりました」
これも百パーセント気のせいのはずだが、ピクシーは不満をあらわにして、部屋の隅の椅子に腰かけ、人形のように静止した。
「では、私は御夕食の用意をしてまいります」
ピクシーとは対照的に、水波はうきうきした後姿を見せながらキッチンへ向かった。
「勝ちました……」
「水波ちゃん、何か言ったかしら?」
「いえ、何でもありません」
本当は深雪も達也も水波の呟きが聞こえているのだが、あえて聞こえなかったことにして水波をキッチンへ見送った。
「ピクシーもだが、水波もおかしくないか?」
「それだけ一週間という時間が影響を与えているのでしょう。私だって、達也様に会えなかったこの一週間、上の空でしたから」
「そうか」
自分は常に深雪の存在を把握しているから平気だったのだろうかと、達也は自分がおかしいのではないかと疑い始めたのだった。
勝ち負けはあまり関係ないような気も……