料理を作り、達也と深雪に給仕をし、後片付けとお風呂の準備とベッドメークを終えて水波は漸く満足した様子を見せた。メイドの顔色を窺う主という存在に小さくない疑問を覚えながら、達也はピクシーのサスペンドを解除して残りの業務に復帰させた。既に家事はあまり残っておらず保安業務が主体だったが、ピクシーは不平を唱えなかった。達也は少しずれているのを自覚し、自分を心の中で叱責してから、テーブルの向こう側で寛いでいる深雪に目を向けた。
二人がいるのはリビングでもダイニングでもない。バルコニーにテーブルを出して、向かい合わせに座っていた。既に夜九時を過ぎているが、外は薄着でも寒くない。山の中とは言ってもここは伊豆半島で、季節は五月下旬だ。暑くなく寒くなく、丁度いい気温になっている。時折吹く風も、街中とは違いさわやかなものだった。
深雪が目を細めて、そよ風に靡いた髪を抑える。彼女もさっきまで水波とピクシーの毒気に中てられた顔をしていたが、場所を変えたことが気分転換になったようだ。
「達也様、ここは気持ちのいいところですね」
「そうだな。時期的に丁度いいのだろう」
夜の闇の中、屋内から漏れてくる光が深雪の白い肌を浮かび上がらせる。黒絹の髪は風が吹くたびに星を散らし、黒真珠の瞳は内側から光を放っているように煌めいている。深雪をじっと見つめていると、現実感が薄れてくる。自分と同じ世界に存在している事が信じられなくなってくる。達也でさえも、そう感じてしまう。天上の、あるいは魔性の、人外の美。
「……達也様、その、そんなに見つめられると……恥ずかしいです……」
深雪の声に、達也はハッと我を取り戻す。テーブルの向こうでは、深雪が頬を染め、俯き、膝の上に置いた指を落ち着かなげに何度も組み替えている。知らず知らず、自分が深雪を凝視していた事に達也は漸く気が付いた。
「すまない。つい見惚れていた」
「そんな……見惚れていた、なんて……」
「本当に済まない。この通り謝るから、顔を見せてくれないか」
「……はい」
深雪が赤みの引かない顔を、そろそろと上げる。上目遣いに達也と視線を合わせ、すぐに恥ずかし気に目を逸らした。
「……真面目な話をしても良いだろうか」
「――はい」
達也の声音に何かを感じたのか。深雪が目元に朱を残しながら達也としっかりと目を合わせた。
「お前が今日来てくれたのは、明日の事を知ったからか?」
「そうです。達也様こそ、ご存知ですか? 明日訪ねてくるのが、十文字先輩だけでないことを」
「ああ、文弥から連絡があった」
「そうですか……」
短い沈黙の後、達也が口を開く。
「……深雪、俺はお前に、危ない真似をさせたくない」
「存じております」
深雪の返答の後、再び短い間が生じた。
「達也様と十文字先輩の戦いに、手は出しません」
「十文字先輩の訪問は、話し合いが目的だぞ」
「それだけで済まないのは、達也様にもお分かりのはずです」
「ああ……そうだな。七草先輩からもそう連絡を受けている」
達也がため息を吐く。その顔に浮かぶは、面倒だという表情ではなく、避けられない衝突を嘆く表情だ。達也は克人を、出来る事なら戦いたくない強敵と認識していた。
「達也様」
「何だ?」
「十文字先輩は、あの秘術を使うでしょう」
「あれは魔法師生命を縮めるものだぞ」
十文字家の切り札。二人がそれを知ったのは、最近の事だ。遠山つかさを庇い、克人が達也の前に立ちはだかった時に、克人との衝突が避けられないと知って四葉本家から聞き出した十文字家の秘密。その代償は真夜に対する大きな借りになっている。
「達也様に対する封印は殆ど解除されていますが、完璧にというわけではありません。あの行為はあくまでも、一時的な解除でしかありません。術者が再び封印を望めば、あの枷は復活すると叔母様は申されていました」
「……母上の許可は貰っているのか?」
「いえ、私の独断です」
「しかし、術者である津久葉さんがいない解呪となれば――」
「封印されている方ではなく、封印している方に大きな負担が掛かる。そうですよね、達也様。ですが、叔母様が達也様に、自分の事は自分で守れと求めるのであれば、多少の負荷は耐えられます」
「――分かった。ならば俺も覚悟を決めよう。ついてきなさい」
達也は立ち上がり深雪に背を向け、別荘の中へ向かう。
「は、はい」
深雪は自分の意気込みをするりと逸らされた気がし、肩透かしにあったような気分になりながらも達也の背中に続く。リビングには水波と、サスペンド状態から復帰したピクシーが待機していた。
「水波。深雪と一緒に風呂を使ってくれ」
先ほどの緊張感は何だったんだと言いたくなるような思いがけない指示に、深雪は無言で目を見開いた。
「一緒に……で、ございますか?」
水波は当惑で顔をいっぱいにしながら、ある意味で当然とも言える問いかけを返す。
「そうだ。浴室は二人で入っても十分な広さがある。深雪を念入りに磨いてくれ。ただし今夜だけは、匂いのする物を避けてくれ」
「はぁ……」
「深雪の着替えはピクシーに用意させておく」
「……つまり、ご用意された物を深雪様にお召しいただくということですね?」
「そうだ」
「かしこまりました、達也さま。深雪様、恐れながらお背中を流させていただきます」
達也が何故そのような指示をしたのか、水波にはさっぱり分からない。だが命令は命令だ。それに深雪の世話をするのは水波としては望むところである。何時もは深雪に拒まれているが、今日は達也の言い付けを盾に、大人しく「ご奉仕」させてもらおうと、水波はこれ幸いと、話について行けなくなっている深雪を浴室に連行したのだった。
あんなにやにやシーンはズルい